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極貧孤児に転生したので、親を探して文句を言おうと思う  作者: 安野 吽
後編・魔帝国編

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52・最後の下準備

「今すぐ知らせなきゃ……!」


 私は、覚醒するなりベッドから飛び起き、身支度を整えていく。


 本当に奇妙な夢だったけれど……それは多分に皆と共有すべき重要な事実を含んでいた。転げるように部屋から飛び出すと、時間も弁えずルイーゼ様の居室の扉を叩く。


「……どうしたの~、こんな時間に……。まだ朝陽が顔を出したところよ?」


 珍しくちょっとぽやっとした彼女の色っぽい寝間着姿で目の保養をしている場合じゃない。唾を飛ばす勢いでついさっき起きたことを伝える。


「お願いします! 王国の主だった人を集められるように手配を! 世界存続の方法が、見つかったかもしれないんです!」

「……すぐに使者を送るわ」


 するとルイーゼ様は部屋に引っ込み、三分で身支度を完璧に整えて私と一緒に動き出す。


 気合を入れろ……今日は絶対に忙しくなるぞ――!




「して……緊急でこうして会議を開いたわけじゃが、世界存続の手段が発覚したとは、本当なのかの? 力の乙女シーリよ」


 その場に参じてくれたのは国王夫妻やデュリス殿下にアルベール様、主だった臣下の方々。加えて聖女会からも三人の金盞花の乙女(私だけ「暫定」って感じだけど……)――が出そろい会議に臨むことに。


 聖王国を含むこの世界を司りし世界書――それが消滅の危機に瀕しているというのは知っての通り。


 そこで私は、ここに来るまでに整理したあの夢の内容を、改めて披露してみる。それは――。


「昨晩、夢でお告げがあったんです。原初の聖女ルシエ様から……」

「なんじゃと……!」


 どよっと――王国史にも深く刻まれしその名に……この場に居る多くの人々が色めき立つ。それから周りが求むるままに私は、夢の中に入り込んできた彼女が語った内容の詳細を明かしていった――。



 夢だ――と自覚できるのに、妙に鮮明な夢。

 現れたお洒落なチェーン付き眼鏡の老女が、にこりと微笑み私の名前を呼ぶ。


『――お久しぶりね、シーリちゃん。元気だったかしら?』

『あ、え~と……はい。ルシエさん、その節は本当にお世話に……』


 突然現れた有名人の親戚を前にしたような気分で、ぺこぺこと頭を下げる私。だがすぐにそんな場合ではないことに気付く。


 彼女とは、本来もう二度と会えないはず。

 だのにこうして私の夢の中に出て来てくれたからには、何か、伝えるに値する重大な事柄を抱えている可能性が高い。


 一瞬で冷水に打たれたような気分になり、私は真顔に戻った。


『もしかして、世界のこと……ですか?』

『察しがいい。本当はゆっくりお茶しながら、最近のあなたの武勇伝を根掘り葉掘り聞き出したいところなんだけど……。こうしているだけ、世界の寿命を擦り減らせてしまうから……単刀直入に言います』


 彼女はほっぺに手を当てて深く息を吐くと、そのフランクな態度を切り替え、私にこう告げた。


『この世界の期限は、今から三年後……一の月。そこに到達すれば、保持するための外殻は破れ……私が作ったこの小さな世界は荒波に沈む船のように、虚無の海へと呑み込まれてしまうことでしょう』

『……三年』


 具体的な期限が明示され、私は喉を動かす。予想よりも……かなり早い。


『こないだ、あなたたちの誰かが黒い月を使ったわね。あれにより、世界に大きな負荷がかかった。しかも、長い年月をかけて溜めていた魔法のエネルギーはもう空。あれはもしもの時の備蓄食料のようなものだったから……備えがないまま時が満ちれば、何もかもが完全な虚無に溶け込んでしまう』


 やはりあの器具も、ルシエさんが万一の時のために用意したものだったのか。今までその存在を知らせずにいたのは、私たちへの期待ゆえか……それとも、温情処置だったのか。


『実は……私たちの間でも、まだちゃんとした方針が固まっていなくて』


 私は彼女に悩みを吐露した。世界書の修復が不可なら、別の容れ物を用意するかしたいところだが……現在の法具や魔道具のいかなる技術を掛け合わせたとして、虚無の中に小さな世界を生み出すだけでも何年かかるか――。


『で、でも大丈夫……いざとなれば、私がルシエさんと同じように世界書に……いたっ!』


 私の空元気は無残にもデコピンで破壊された。

 顰め面の老女が不満げに口を尖らせる。


『あ~らおバカさん、舐めてくれちゃって。私があれを作るのに何十年かけたと思ってるの。まあ、聖魔の力両方を手にできたあなたなら、時間をかければ不可能ではないかもしれないけれどねぇ』


 彼女が言うには、かつてルシエさんには、魔の力を操るもうひとりの協力者がいたのだとか。


 おそらくその人が黒い月と虚無の在処を作り出したのではないかと予想したけれど……彼あるいは彼女がどうなったのかは、なんとなく聞くことはできず……。


『ご覧なさい』


 ルシエさんは、私の額を弾いた指をくるくるかき混ぜ、中空からひとつの光の球体を生み出す。


『これが、世界書を中心とした今の世界として……。虚無に取り巻かれたこれを救うには、奇跡の力で同じサイズの器を作り、まるごと中身を移す――それしかないと私も思っていた。けど、けど――もうひとつ方法がありそうなのよ』

『ええっ⁉ 教えてくださいっ!』

『その前に――』


 被りつこうとする私に、ルシエさんは、ぴっと指を突き付けた。ただし、小指を。


『約束なさい。決してひとりでこの事態を解決しようとしないこと。仲間たちと共に、あなたはなんとしてでもこの世界に残るの。それができないようなら協力もしないどころか、毎晩夢に出て邪魔しちゃうんだから』

『あなたがそれを言うんです……?』

『あら、私はお友達がいたから寂しくなかったもの。で、どうなの?』

『――わ、わかりました』


 私が渋々、小指で握手すると、ルシエさんはしてやったりと背中を逸らした。


『グッド、よい心がけよ。では、今からあなたにその方法を伝授するとしましょう――』


 私が固唾を飲んで見守る中――。

 老練の女教師といった佇まいの彼女が真剣な表情で教授してくれた提案、それは……。




「――戻ることなんです、元の世界に。この世界丸ごと、そっちに帰還しちゃおうってことで」


 その時のことを思い出すと、私は会議場の皆を見渡し告げた。

 当然ながら、たちまち蜂の巣を突いたように――。


「何だって⁉」「なっ――」「嘘でしょ⁉」「そんなことが可能なのか⁉」「いやそもそも――」「夢の話を真に受けるだなんて……」――様々な疑問が連続し、会議場の収拾が一気につかなくなる。


「――皆さん、今はシーリの話の先を聞く時ではないでしょうか」


 その混乱を落ち着かせたのは、威厳あるティリシャ様の一声だ。


「そ、そうじゃな、静粛に……。シーリ、お主の言葉じゃが、わしもそんなことが可能じゃとは思えぬ。皆が納得できるように説明してくれい」


 国王夫妻への信頼が会議場の騒ぎを鎮め、そのまま続きを促される。

 うって変わってぴたりと静まる中、私は、ルシエさんから授けられた方法のことを詳しく語り出した。


「原初の聖女から、元の世界が住めなくなった原因を聞くことができました。それは……隕石群の連続衝突による、恐ろしい地形変動だったようです」


 ルシエさんの話によれば――ある次期から彼女が住んでいた大地には、“星降り”という現象が頻繁に起こるようになったのだという。それが数年に一度だった頃は、比較的隕石の大きさも小粒で、人々の住環境に被害を与えるほどではなかった。なのに……。


 いつしかその間隔が縮小し、より巨大な隕石が間断なく大地を襲うようになった。年に幾度も襲来するそれを住民たちは“星の怒り”と呼び……巨大都市が一夜にして滅ぶことがあってから、回避方法を血眼で模索するようになっていった。


 だが、一向にそれは見つかることなく……。

 危険な状態が何年か続くことによって、津波や地震、火山噴火……ありとあらゆる災害が増え、住処を追われていった人々は……ルシエさんが提示した方法を選ばざるを得なかった。


 すなわち故郷を捨て、他の世界に移住すること――。

 そうやって、私たちの祖先は、この世界に逃げて来たというのだ。


「そ……そんなことがあったとは……。す、少し待ってくれ、頭の整理が追い付かん」


 国王様も、他の王国の重鎮たちも頭を抱える中、真っ先に私に質問をくれたのは、元金盞花の聖女として、不思議な事象に耐性のある王妃様だ。


「そんな場所に我々を再び帰して大丈夫なの?」


 隕石に自分たちが潰されるところでも想像したのか、一斉に青ざめる臣下たち。だが、これ以上不安がらせないためにも、私は元気よく声を張り上げた。


「ご安心ください。どうやらその災害は一時的なものだったらしく……隕石の大量落下は終息し、ここ百年以上起こっていないみたいです。“星降り”事態がその現象の前兆で、大規模な流星群はとうに過ぎ去ったのでしょう。今やその星は非常に穏やかな気候に戻り、たくさんの生き物がそこで自然に暮らしているということで……。マール様、あれを――」

「ああ。では国王夫妻、こちらを……」


 そこで私は事前の打ち合わせ通り、マール様に用意してもらった()()を、まずは国王夫妻に手渡してもらう。


「これは……?」

「お二人で同時に触れてみてください……その星の現在の様子が分かるはずです」


 マール様が国王様に手渡したのは、小さなサンホワイトの欠片。

 その勧めに従い、互いに手を上下で握り合わせるようにしてふたりが目を閉じると……結晶は虹色に輝き――。


「おお……見える、見えるぞ。豊かな大地と、健やかに生きる生物たちが……!」

「ここが……私たちのかつての故郷……」

 

 今、ふたりの頭の中には、私がルシエさんに見せてもらったあちら側の世界の様子が、そのまま映し出されているはずだ。マール様の、記憶の奇跡の力によって……。

 

 ――隕石の落下現象で、一度結構な被害を受けた地上だが……幸い、惑星自体が破壊されたり、大陸を打ち砕いてしまうような規模のものは落ちてこなかったようで。その後五百年以上の時をかけ、衝突で吹き上がった塵灰や、地割れで噴き出した溶岩や津波などの影響は次第に緩和され、生物の住める環境に次第に戻っていったらしい。


「我らの故郷は、このように雄大な世界であったのか……。皆の者も見てみるがいい」


 国王陛下はその閲覧が終わると、円卓の一画に白い石の欠片を置いた。

 瞬く間に臣下たちはそれに群がると、感動と驚きの入り混じった声を上げ始める。中には、感極まってむせび泣く人まで現れ始めた。


(ありがとうございます、マール様)

(いや……私も自分の奇跡がこのようなことに役立てられるとは思いもしなかった。誰もが自分の未来を明るいものとして信じ続けられるわけではないものな……)


 私がお礼を言うと、彼女は少しはにかんだ様子で目を伏せる。メアにロバートさんとの有り得た未来を見せてあげた時のように――彼女が私の記憶からこの光景を抽出してくれたからこそ、皆にこうして希望を示してあげることができる。


 自分の進むべき未来がはっきり見えて、初めて力を出せる人もいる。

 これからも彼女の新たな力はそんな人たちにとって拠り所となってくれるだろう。


 私は、皆の興奮が治まるタイミングを見て、より具体的な説明へと乗り出した。


「ルシエさんの話では、この星は私たちの住む世界の百倍近い規模があるそうです。広大な海洋もありますし……浮島のような形でそこに大地を浮かべることができたら、しばらくは何者かに生活を脅かされることもないかと」


 そういえば、これまで私もこっちの世界の全容を把握していなかったんだよね。

 びっくりしたんだけど、実は聖王国と魔帝国、後その周辺数か国が存在するひとつの大地で陸地はすべて。その周りを囲うように存在する海が世界の外殻の辺りまで広がり、その辺りに達するとループする構造になっているんだとか。


 つまり地球とは違って平面……というか平たい円柱みたいな形なんだろう。

 で……大陸の東の岸から出発して延々とまっすぐ進めば、奇跡の力により今度は西の岸に辿り着いちゃうってわけ。きっと本物の世界と比べて空の天井も圧倒的に低いし、底もどこかで閉じられている。


 その辺り、ルシエさんやこっちに来た人たちは、後世の人たちが不審に思わないよう、架空の書物を遺したりと色々仕掛けをしていたんだって。


 そのような説明をした後で――。


「最後に……この世界存続の期限が示されたことをお伝えします。三年後の一の月。それがこの世界の正確な最終期限となります」

「「――――…………」」


 やっとこの世界にもう時間が無いことを、私は伝える。


 これは、いきなり伝えてしまってパニックにならないようにとの配慮だ。

 話の順は聖女会の私たちで相談して決めた。私もルシエさんから聞いた時、そりゃヒヤッとしたもの。おかげで、皆の動揺は少しばかり抑えられた様子だけど……。


「ふむ……話は分かった。確かに騙し騙し世界書を修復することで保たせてはきたが……この先何代も、原初の聖女やお主のような稀代の聖女が現れてくれるとは限らん。人類の存続のためにも、かなり有効な手立てであると認識した。……じゃが、しかしシーリよ、そなたが示してくれた道には乗り越えねばならぬ壁がもうひとつ立ちはだかっておろう」


 そう……これに関しては、まだ問題がひとつだけ残ってる。

 幾人かの人々は、それに気付いているみたいだ。


 そこで国王は、隣に座るデュリス殿下に答えを求めた。


「わかるかの、デュリス? 落ち着いて考えてみなさい」

「はい、父上。……え~っと――。これまでのシーリの発言から鑑みて……あ、そうか!」


 最近勉学も頑張って取り組まれている殿下のこと。

 すぐにピンときたようで、自信を持って口にされた。


「どうやってそちらの世界に戻るか……だろ! い、いやそもそも、いかなる方法で原初の聖女はオレたちをこの世界に連れ出したのだ? 知りたくて堪らない、早く教えてくれシーリ!」


 子どもらしい純粋な瞳が好奇心を映す。

 その通りだ。世界間の移動……それができなきゃ、この計画はお話にならない。

 もちろんそれに関しても、私は助言をルシエさんからいただいてきた。


「私たちの祖先がこの世界に移る時……ルシエさん同様、もうひとり重要な役目を担った人物がいたらしいのです。その方こそが、世界の殻を隔てた虚無の海への扉を開き、ルシエさんと彼女が携えた世界書を別世界へと送り出してくれました。それはおそらく、流星群の影響が及ばない遠くの星にまで逃げることが不可能だったからでしょう」

「そのような者がいたとは……」


 ルシエさんの協力者とは、いったいどのような方だったのか。知りたくはあるが、聖王国の歴史にも残されていないということは……隠すべき理由、または人目に触れさせたくない想いがあったのだとも思える。今は話を続けよう。


「その方が作りあげた虚無の中に走る道を通じて、私たちの遠いご先祖様はあちらの世界を離れることができたのだとか。そして道は今もうっすらと残り……次元の穴――虚無で満たされた海へ至る扉さえ開けることができれば、私たちはそこを辿り、この世界ごと向こう側へと移動することができるはず……とのことです」

「おお!」「やったな!」


 わっと皆が歓声を上げ、喜び合う中……それまで沈黙したまま頭を働かせていたひとりの人が、挙手の上発言する。


「ひとついいかな。今の話だと――僕らが世界だと認識する、この巨大な空間の外には、広大な虚無の海が広がっていて……。いわばこの世界も、元の世界も水の中に浮かぶ気泡みたいなものだって言うんだろう? だとしたら、次元の穴を開けるっていうのは、この世界と道の間にある虚無を無理やりどかして繋げてしまう……ってことにならないか? そんなことをやるには、いったいどれほどの力が――」


 さすがアルベール様。前回の事件を一緒に乗り切ったこともあってか……ルシエさんから直接詳細な情報を伝えられなくとも、私の大雑把な説明だけでほとんどのことを理解してしまった。


 でも……それは今はちょっと余計だったかもしれない。なにせ私はこれから、彼らを騙すわけではないにしろ、あまり正確なことを知らないで安心していてくれるよう、事を運ばなければならないのだから。

 彼から心配そうな瞳で見つめられた私は、その愁いを払拭するためにあえてはっきりとした笑顔で告げる。


「大丈夫です! 虚無への対処とその開け閉めのやり方は、私がルシエさんにしっかりと仕込んでもらっちゃいますから。と言っても、これからのことになるんですけどね」


 後頭部に手を当てペロッと舌を出すと、私は今後三年間の修業できっちりとそれを身に着けることを確約した。そして同時に、皆に頼みごとをする。


「猶予期間内に私がルシエさんの教えを受ける間、それまで皆さんには、このことについて他国の人たちとしっかり話し合いを進めておいてもらいたいんです。今回のことで、色々と誤解や混乱が起きないように」


 この世界が崩壊に近づいているというのは……まだ聖王国の重臣たちと、魔女帝を始めとした魔帝国の一部しか知らない。それを今後来たるべき日に向け……暴動などが起こらないか監視しながら、すべての人たちにしっかり周知してもらう。それがこの会議に参加した皆の主な役割となるだろう。


 そこに関しては、国王陛下は胸を張って請け負ってくれた。


「うむ……それについてはわしを始め、臣下たちが責任を持って各国に伝えていこう。魔女帝たちも喜んで協力してくれるであろうし、問題はない。シーリよ、心置きなく原初の聖女殿との修行に励んでくれい」

「はい! 必ずや皆さんを無事に元の世界に送り届けて見せます!」

「王国の、この世界の未来は託したぞ、新たなる力の乙女シーリよ! では皆の者、我々もそれまでに万全の準備を整えるべく、くれぐれも油断せず……来るべきその日に向けて平和維持の努力を怠るな!」

「ハハァッ!」「新たな金盞花の聖女に祝福を! 頼んだぞ、シーリ殿!」


 こうして……陛下の宣言により、無事会議は纏まり、満場の拍手で閉幕を告げた。


 若干一名、席に座ったまま考え込んでいる人がいるにしろ、概ねの理解を得てルシエさんの示してくれた通りに計画は実行できそうだ。これまでのできごとで、たくさんの人と信頼を築けていて本当によかった。


 どんなことをしてでも、必ず皆を新しい世界に連れて行く――力強くそう誓いながら会議場を後にした私は……。


「……シーリ、君は――」


 ずいぶんと長い間考え込んでいた紫の瞳の青年の心の裡を知るわけもなく――。




 

 それから三日後――。


「……さぁて、行きますか」


 私は、目立たないような服装に着替え、大きめの旅行鞄を片手に大聖殿の敷地をこそっと抜け出す。

 同行者は連れて行かない。部屋に残したのは皆への書置きと、国王夫妻への説明の手紙だけ――。


 これから……私はこの世界を長い時間をかけて回る。

 夢でルシエさんに色々なことを教わりつつ、よりもっと、この私たちが生きる大地の形を心に刻むために。


 出発すれば……来たるべきその日まで、聖王国に帰ってくることはない。事前にペーレ室長に緊急のためだと言って、サンホワイトのブローチに通信用の機能を持たせる改造をしてもらってあるから、万が一何かあったとして、連絡はそれで事足りるはず。


 この大陸の国家がひとつの文化を持つ民から派生しているのは幸いだった。別の言葉を習得する必要もないまま、他国へと移動できる。トラブルはありきかもしれないけど、奇跡の力があれば、なんなりとなるでしょう、多分。


「……お世話になりました」


 朝焼けをバックに、まだ人気のない大聖堂にぺこりと頭を下げる。なんだか映画みたいな一幕だ。

 数秒余韻に浸ると、名残惜しくも私はそのまま進み、街の大きな通りへと差し掛かった。


 さあ、日が昇って騒ぎが起こらない内にどこかで馬車を捕まえて、と……。


「や、お嬢さん。旅の足を探しておいででは?」

「へっ⁉」


 振り向く。私が猫だったら、バッと全身の毛を逆立てていただろう。


「――っ⁉ ……な、ななっ。なんで、ここに――」


 すらっとした体型の貴公子が、木にもたれかかりこちらを手招きしている。飾らない旅装束なのに誰が見てもやっぱりお貴族様だと分かってしまういで立ち。

 私は高速で口をパクパク開閉させた後、は~……と、地面に潜る勢いの溜め息を吐き出した。


「いつから待たれていたんです?」

「三日前からちょくちょく様子を見にね。おかげで……ふぁ、眠たくて」


 見透かされ、泳がされていたとは……。

 悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にした私の前に立つと、彼は――。


「ったく、今を時めく最上級の聖女様がさ。護衛もつけずに送りだせば、国の沽券にもかかわるだろ」


 華麗に跪き、私の手を取って甲にそっと口付けする。


「だから僕が君の騎士となろう。それなら、陛下も周りも納得だ。さあ、どうする?」


 見上げた彼が、耳についた緑のイヤリングを揺らした。瞳は、これまでに見せなかった意地の悪さで光っている。ここで私が承諾しなければ、彼は旅立ちを王国中に知らせてしまうつもりなのだろう。

 そうなれば、ルイーゼ様やマール様はともかく……ポピア辺りが黙っていない。 


 やがて私はへにょり項垂れて、敗北宣言をするしかなかった。


「降参です。勝手についてくればいいでしょう。はぁ~、気ままな一人旅の予定だったのに……」

「無理に決まってるだろ。そんなことを聞いたらきっとポピア君とかラエルとか地の果てまで追って来るぞ。さあ、見つからない内に……こっちに馬車を止めてあるから」

「…………そこまで好かれてはないと思うんですけど。でも、本当にいいんですか? 大して楽しいこともないと思いますよ?」


 げんなりしつつ私は歩き出すアルベール様の隣に並んだ。

 ルシエさんからは、様々な地域を旅して空気を感じ、この世界をしっかりと自分の感覚で把握すること――それしか言われていない。つまり、目的のない観光旅行に近いかな。


「そんなことないさ。君と一緒に居て、退屈だったことなかったしね」


 私はドキッとした。綺麗な歯を見せた彼の笑顔が、あまりにも美しかったせいだ。


 ちゃっかりふたり用の、小型だが質のいいキャリッジがちょっと離れたところで止められていて。その中に私を乗せて、彼は御者台へ……。そこには色々長旅用の荷物も積まれているようで。


「はあ、完全に私の負けです。お見それいたしました」

「お褒めに預かり光栄だ。じゃ、出発しようか」


 後部座席と御者台が繋がる二頭立ての馬車は、会話もできて道中退屈もしなさそう。馬車の繰り方も教わってみたいし、なんだかんだで楽しい旅となりそうだ。


「それでは、僕とシーリの世界救済旅行の始まり始まり」

「何ですそれ」


 愉快そうな表情で鞭を鳴らしたアルベール様にくすりと笑うと、私は馬車の背もたれにどさりと身体を投げ出した。


 街路樹は茜がかり、秋が近づく時節。


 まず目指すは聖王国の国境を越えた北の小国から。そこからぐるり反時計周りに大陸を動き、最終的には魔帝国に寄ってこちらへ戻ってくる手筈と……そんな予定だ。


(聖王国を出たところで、皆に謝ろう。怒られるだろうな……)


 鞄から地図を取り出しながら、その時の彼らの表情を想像して冷や汗を浮かべると、私はからっと乾いた日差しを当ててくる空を見つめる。


 馬車の速度が少しずつ上がってゆく……そうすると、肌に当たる風も強くなり、雲の流れも早くなったように感じられた。


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