◇幕間 前に進もう(リナ視点)
ガラスの上から突き刺さる陽射しと戦いながら。
聖女会の敷地の一画に新しく作られた大温室で、私――リナ・ハストンは今日も花壇に水を上げていた。家の敷地数個分くらいは広さがあってうんざりしてきそうなものだが、不思議と花と接している時は苦にならない。
これらの花は、亡き母の忘れ形見でもあるのだから……何があっても私がしっかり面倒を見てやらないと。
(ふう……今日は後で、あっちからあっちまで聖力をあげておかなきゃ……。シーリさんたち、今はどうしているかな)
夏の盛りに、魔帝国の宣戦布告が届いたのが少し前。
未だ開戦の報は届いていないけれど……彼女の安否がとても心配だ。
「あ……お水が切れちゃった。汲みに行かないと」
軽くなったじょうろの中から、ぽたぽたと滴が落ちる。
残念ながら、聖力による汲み上げ装置がこの温室に配備されるのは戦争騒ぎで延期となった。それまでは毎日ある程度の水を、大聖殿の水汲み場から汲んで荷車で引いてくる必要がある。
いつもなら……聖女たちの奇跡で助けてもらえたりもするのだけど、今法研に携わる者以外は、ほとんどが東部の国境線に狩り出されているから仕方がない。
皆が帰るまで、この温室の責任者を任されたんだから。しっかりしないと……。
(少し手伝ってね、皆)
生み出した聖力で私は自前の草の奇跡を発動。地面に埋まる草花を活性化させ、それを操って自分の身体サイズの大桶を持ち上げ、荷車に乗せる。
そして、植物を編んで作った草人形たちに一緒に荷車を引いてもらいつつ……いつもなら朝、水配の行で賑わう水汲み場へ。その途中で――。
「んぎゅ……」
「え……あ、すみません!」
ぼんやりと歩いていたせいで何か柔らかいものを踏みつけにしてしまった。後ろに下がると、それは白衣に包まれた人の背中だ。よくよく見れば、そこに繋がる後頭部はどこかで見覚えのある色をしていて。
「み……水ぅ……おくれぇ」
「ペーレ室長⁉ た、大変……」
助け起こすと、からからの唇でそう唸った彼女を荷車に放り込み、水汲み場へと直行。
そうして――。
「……っぷはー! た、助かったー! いやぁ、死ぬとこだった。川の対岸でお婆ちゃんがおやつ籠を提げ手を振っていてね」
「笑い事じゃないですよ……」
ひしゃくをコップ代わりに嬉々として臨死体験を語るのは……ランシルエルト法具開発研究所室長にして我が上司、白薔薇の聖女ペーレさん。彼女をを隣に、私は水汲み場のベンチで大きな溜め息を吐いた。
「どうしてあんなところで行き倒れて?」
「いやぁ……新しい法具の開発が佳境で止められなくてね。そしたらいつの間にか、戦争騒ぎで聖女たちが減って聖筒づくりのノルマは終わらないわ、特製エナジードリンクは在庫が尽きるわ……。連日徹夜で寝る暇もなかったんだ」
こんな非常時でも並行して自分の研究を進めているなんて。
その科学者魂には頭が下がるけれど……。
「迷惑をかけられる方の身にもなってください。今は代わりもいないんですよ」
「ご忠告痛み入るよ……う~ん、よく寝た。さ、他にも脱水症状で倒れている人間がいたし、この水を持ち帰ってまた特製ドリンクをたんまりと拵えないと。次のレシピは自信があるんだ……きっと皆三日三晩頭がギンギンに冴えまくるぞぅ」
伸びをした後怪しいうふうふ笑いを漏らす懲りない彼女を前に、あえて私はそれ以上追求せず、代わりに別のことを訪ねた。
「室長は……どうしてこんな時にまで頑張ろうとなさるんです? その……研究が楽しいのはわかりますけど」
「ん~?」
一応彼女は上司だ。言いかけた言葉の先があまりにも失礼で、私は口を噤んだ。
だけど……。
「あー……つまりなんだね? 前線で他の聖女が命を張っているから、我々も――なんて真っ当な義務感が私には備わっているはずがない! そんなの似合わない! と……。ったく正直者、このこのっ」
「そ……そんなことは……」
図星を突かれ、私は足先に転がる小石に視線を逃がす……。
変人なのに、時々妙に的を得たことを言うこの人のこういうところ……つい敬遠したくなる。
でも……少なくとも悪い人じゃないし。私の力を必要としてくれているから……嫌いになったりはできないのだけど。
「ま、概ねその見解で合ってるよ……私は自己満足を優先したい側の人間だから」
そこで肩の力を抜いてふっと笑ったペーレ室長が持ち出したのは……私にとって触れられたくない部分の話題で――。
「この話には他意がないことを、先に断っておこう。リナ君、確か……君の母上も聖女病で亡くなったんだったね?」
「……そうですけど。そのこと室長に何か関係があります?」
つい身構えた。
ややつっけんどんな返しになってしまったけど、それも仕方ない。
私もまだ、自分の母が亡くなったことを受け入れられていない部分があるから……。
聖力過剰生出症候群――通称、聖女病。それが私の母の命を奪った病気だ。
今から十年程前……その進行を弱める薬は作られていたけど、治療には程遠く……。
それから室長が頼んでもいないのに明かしてくれたのは、彼女がどうしてこの法研に務めることになったのか、そのきっかけのお話だ。
「辛いことを思い出させて済まないねぇ。では、なぜそんな話をしようと思ったか打ち明けよう……。それは、この私こそが、その症状に現在進行形で悩まされている人間のひとりだからなんだ」
「えっ⁉」
「おっと、とはいえ心配はしないでくれたまえ。今は医療の進歩も目覚ましく……薬で十分普通の人並みの生活は送れるようになったからね」
そういえば……度々会ううちに彼女があの怪しげなドリンクと共に、何かの薬を服用しているところは目にしていた。どうせ、自作の怪しげな栄養剤か何かだろうと考えていたのに……。
半笑いのにやけ顔が……なぜだかベッドの上で泣き虫の私を抱き締めてくれた母のものと重なってしまい。途端胸の中の心配の虫が疼いた私は、彼女の肩を揺さぶった。
「な、なにしてるんです! 早く寮に戻ってゆっくり休んで……でないと死んじゃいますよ!」
「だだだ、大丈夫だってば。言ったろ……今は定期的に薬を摂取すれば、常人と変わらないって。今回倒れたのだってただの疲労からなのだ、えっへん!」
「なんの自慢にもなってませんっ!」
「ま、そのおかげで……聖女として奇跡で皆の役に立つことはほとんどできなくなったけどね。このような偉大な称号には、そぐわないくらいにさ」
いつものへらへら顔でピンとサンホワイトのブローチを弾き、室長は話を続ける。
本当は……私は現状で聖女病の研究がどれだけ進んでいるかなんて知らないし、耳に入れたくもなかった。未だ、母の死を乗り越えられていないから。
でも……こうして身近に同じ病で今苦しんでいる人が現れたことは、何かしらの意味があるような気がして。何より、いつまでもこんないじけた自分のままでいたくなくて、耳を傾ける。
水汲み場に、大聖堂の陰がだんだんと被さってくる中……。
年齢の割に小さな体格から伸びる足を揺らしたペーレ室長の口から、ゆっくりと語られてゆく。
彼女がどうして、この研究の世界にのめり込むようになったのか、その経緯が――。
◇
「私が自分が聖女であることを自覚したのは十三歳……今から七年程前のことかな。知ってる? 聖女病の患者はね、夜中にぼんやりと自らの聖力で身体が発光することで、その症状に気付くんだ。昔は妖精だとか天使だとかの生まれ変わりってことにされて、敬われたり迫害されたりしたらしい。おかげでうちでも父は喜び、母は悲しんだ……。まあそんなものだ、普通の中流家庭の出だったしね」
身に余る聖力が光となって外に漏れだし、噂になって将来聖女会への入会が決まったところまではよかった。けれどそのことを国に報告して以降……ペーレ室長は容態の経過観察のため、親元を離されて王国の管理下にある病院に移されることになったそうだ。
「孤独な生活だった。親もそうそう会いに来てくれるわけじゃなかったし……丁重に扱ってもらえるからってなにが楽しいわけでもない。なにより、当時治療薬の効果が薄かった聖女病は、大きく私を苦しめた」
高熱で何日も眠れない日が続いたかと思えば。反対に異常に身体に力が漲る興奮状態を持て余したりと……そんな日々は彼女の精神をゆるやかに痛めつけ、追い詰めていく。次第に塞ぎがちに過ごすようになった少女の目に……だがある日、一本の希望の蝋燭が灯った。
「状況が変わったのは、ある若い先生が現れた時だ。その人が、未熟な私に寄り添い、色んなことを教えてくれた。どうも……彼の妹さんも同じ症状で、聖女会に入会できたはいいが苦労しているらしい」
大変な時代の思い出を語っているはずなのに……なぜだか彼女の表情は、いつになく嬉しそう。
「先生はこういって励ましてくれたよ。『いつか僕が必ず聖女病の治療薬を完成させてみせる。そのために今、法具開発研究所というところに出入りさせてもらっているんだ。君もいつか見学に来るといい』ってね。未来ではきっとこんな病、寝てれば治るようになるって明るく笑い飛ばしてくれたんだ」
室長は、その時はそういう場所があるのかとぼんやり興味を持っただけだったそうだ。
でも、その先生と何度もあって話をするにつれ、次第に法具――聖力を糧として動く道具のことをもっと知りたくなってきたのだとか。
「彼が聖力で動くおもちゃを作ってプレゼントしてくれてね。今でも、自分の部屋に大事に飾ってある。あれは私の身体に燻る聖力をわずかなりとも発散させてくれ……なにより、大きな気持ちの支えとなったから。やがて私は彼と同じ研究がしたくなり、法具の学術書をせがむようになった。聖女会に入会するまでの苦しい三年余りをそれに没入し、情熱を注ぐことで乗り切ったんだ」
そして三年後……濃いブルーだった髪色がほとんど灰色に変わってしまった頃。彼女は聖女会に入会した。最近は姿を見せなくなったあの医師と再会できるかも。そんなささやかな願いを心に秘めて……ところが。
「私は、早速法研に出向いてここで働きたいと申し出た。聖女会はどこも人手不足……当時の室長は喜んで快諾してくれたよ。そこまではよかったんだけどねぇ。でも……残念ながら二度と会うことはできなかったんだ、先生とは」
「えっ……」
どうも、室長が入会する前に、何か大きな事件があったらしく……。
色々な人から聞き出した噂によると、医師がここで研究を行っていた事実は抹消され、その妹の籍も聖女会から消えてしまっていたそうな。
強大な権力よる隠ぺい……その気配を肌で感じ、真相にはたどり着けなくなった彼女は薬で聖力を抑えながら働き続ける陰鬱な日々を送ることになった。
「そんな時期が半年ほど続いてね……。私がようやく見習いの翠双葉の階級を脱した頃。ある出会いがあったんだ……」
当時を思い出したか、彼女は気だるげな瞳を手元に向け、ひっそりと言う。
法研で酷使する身体が、次第に重たく感じ始め……。
外出を控えるようになっていった室長のもとをある日訪れたのは……なんとあの聖女会の最高位、金盞花の心の乙女で――。
当時から若き指導者として聖女会を率いていたルイーゼ様は、どうして自分のような者のもとにと訝しがった彼女に、医師の身の回りに起きた一部始終を明かしてくれたそうだ。
「医師と妹の死の真相が、私に衝撃を与える中……彼女は、まだ未熟な私に頼み込んだ。自分と共に、もう二度とこんなことが起こらないよう……医師の研究を受け継いで欲しい。あの病の克服に熱意をもって当たれるのは……身近であの人の影響を受けたあなたのような人しかいないはずだからと。まったく……当時は私もひねていて、階級なんて構うもんかと彼女を滅茶苦茶に詰ったりもしてしまったさ。でも……中々諦めてくれなくてね」
しつこい勧誘にしばらく悩んだのち、室長は自らルイーゼ様のもとを訪れ、協力を申し出たのだそうだ。そうして……新たに開示された情報に、彼女は慄然とした。
「詳しいことは教えられないが……その時ルイーゼ様にはひとつの目論見があったんだ。なんでも、先生の妹さんは死の前に聖女病を克服していたらしく。その鍵は……ここからは遠く離れた異国――魔帝国と魔女たちにあるのだとそう言った」
「……あ、あの恐ろし気な人たちの国に?」
先日出席していた表彰式でも見かけた魔女たち。
聖王国の人間はこぞって、自分たちを脅かしかねない彼女たちに畏怖を抱いてる。目にするどころか、その名を呼ぶだけでなんだか不運に見舞われそうな、ろくでもない存在としてだ。
だが、室長の瞳からはそんな怯えは微塵も見られない。
「驚いたけど……将来に対する切迫感と、異国の技術に対する興味が勝ってね。私はルイーゼ様の申し出を受け、法研で働く傍ら彼女と秘密の研究に取り組み始めたんだ。色々機密に当たる部分も多いから、内容ははしょるけれど……。それから一年ほどで聖女病を治すための新薬の完成になんとか漕ぎつけた。それが、私たちが今飲んでるこれだね」
彼女はポケットから、白とも黒ともつかない微妙な色合いの錠剤を取り出し、その名前を教えてくれた。“無窮薬”……そう名付けられたこの薬は、聖女病により聖女が過剰に体細胞から生み出す聖力を減衰させ、常人の身体に近づけていく効果をもつのだとか。
「ま……おかげで私が発揮できる聖力も、その期間も普通の聖女よりは大分少なくなってしまうんだけれど。死んでおさらばよりかは全然いいさ。別に聖女としての力が振るえなくなったって法研の在籍許可が取り消されるわけじゃなし。あははっ」
ずいぶん重たい内容を、まるでつまらない小噺のように軽く笑い飛ばすと、彼女はそこで話を締めくくる。
「よって、世に役立つ功績を収めた私は蒼薔薇の称号を手にし……今はこうして室長として皆々の尊敬を一心に受けるようになった、というわけなのです。はーっはっは、すごいだろ? 君もこれから、敬う心を忘れないようにね?」
(面倒くさい人……)
実際まあ、すごい話だけども……。
素直に自分を褒めさせたいのなら、まずその人を食った態度を改めよと忠告した方がいいのだろうか。
いや……今はそんなどうでもいいことより、薬の話だ。
母の死後、聖女病に対する特効薬が開発されていたなんて私は欠片も知らずにいた。
(どうして……)
憎い……湧き上がるこの勝手な想いが。
薬を完成させた彼女の苦労を労う以前に、どうして、と――。
もし母の生きていた時代にそれを完成させてくれていたなら……そんな的外れな苛立ちを募らせてしまう、自分の醜さが。
そこで……気を抜くと愚痴をぶつけてしまいそうになっていた私の心を、肩にぽんと乗った手のひらが鎮めてくれた。
「ごめんね、間に合わせることができなくて。でも……こんな私でも、今後なるべくティオの花を有効活用することで、お母上の功績はこの世に残していけたらと思ってる。それが少しでも君への慰めになるといいんだけれど……。なんて、柄にもないか」
「…………いえ。私こそ、母に何もしてあげられませんでしたから」
いつもの声色の中に紛れた、深い思慮にやっと思い至る。
もしかしたら、この人はそのことをずっと気に病んでいて、こんな話をしてくれたのだろうか。母をただ看取ることしかできなかった私に、誰かを責める資格なんて、あるはずないのに。
恥ずかしい――。
「ここから……」
「ん……?」
唐突に、区切りをつけたくなった。
これまでの自分とさよならして……シーリさんたちや室長、仲間として迎えてくれた他の聖女たちと一緒に、誰かの幸せのために力を尽くしていけるように。
母に、この力をもらえたことを心の底から感謝できるように。
「私も……なれるでしょうか。お母さんや、私を助けてくれた人たちみたいに……」
「さあね」
そんな私の質問に彼女は素っ気無い返事で返す。
けれど室長は立ち上がると、振り向いて笑いこう尋ねた。
「誰かに無理だと言われたら、大人しく諦めるかい?」
「――いいえ」
答えは、もちろんノー。
そろそろ私は、自分の生き方を何かや誰かのせいにするのを卒業しなきゃ。
足にぐっと力を入れて、その場から立ち上がると……。
でも私は、気持ちよくその場を立ち去っていこうとした室長を呼び止める。
さっきの話はちょっと感動したけど、それとこれとは話が別。
「ちょっと待ってください。脱水症状から助けた分……しっかりお花の水やり手伝ってもらいますよ!」
「ええっ⁉ 私は頭脳労働専門なんだが⁉」
「口答えしないっ!」
重たい荷車だって、一生懸命押していれば、少しずつでも動き出す。
手伝ってくれる人が居るのなら、なおさら。
渋々握りに手を掛けた室長とゆっくりと荷車を押し出した時……向かいから誰かが駆けて来た。
『室長~! 国境線の方から連絡が……! どうやら戦争が取りやめになったみたいで、皆無事で帰ってくるらしいですよ!』
「「なんだって(なんですって)⁉」」
法研勤めの聖女が明るい報せを持って来てくれ、私たちの間に一気に笑顔が広がる。
さあ、進もう。
雨の日の後には……いつか晴れ間が差すもの。しっかりと足元は固まった。
前よりもずっとしっかりと、今、私の足は大地を踏めている――。




