50・希望はいつもそこに②
騎士たちに背を押され、そのままの勢いで飛び出した私たち。
すぐさま、皆の身体が攻撃の余波で嬲られる。
一方……メナに攻撃を当てた私の手のひらは、その柔らかい腹部に力が突き抜けた感触を残していて。
「……う……ぐ」
一歩、二歩。
白髪の魔女はザッザッとたたらを踏むと後ろに下がり……。
「――こん、な……」
背中から、身に纏う膨大な穢れた聖力を空に噴出させて。
どう、と……大きく仰向けに倒れ込んだ。
「ハァ、ハァ……ハッ」
ダメだ、もう、立ってられない。私もぐらりと身体を揺らし、地面に膝をつく。
でも……生きてる。皆も……。
肩で息をしながら振り返ると、そこには全員の笑顔がある。
よかった……それに笑みで返すと、私は髪留めを外し手のひらに乗せた。
さらさらと……それは役目を終えたかのように端から粒子になって崩れてゆく。
元のシーリともこれでお別れだ。彼女のおかげで歩むことになった二回目の人生は、辛いこともあったけど……なによりたくさんの人たちに出会えて、楽しかった。
寂しい、けれど――ありがとう。ただひとつ感謝の念だけを込め、私はそれを空へと放した。
しばらく、息を整えた後……。
私たちは倒れたまま動かないメナへと近づいていく。
「道理だな……。所詮、憎しみに身を焦がし堕落した聖女。君のような特別な存在に敵うはずもなかった」
メナは口元を皮肉気に緩め、足掻こうとせずに告げる。
「煮るなり焼くなりお好きに。私はもう、終わらせたい。……わかっていた。再び会えたとしても兄は……私のこんな姿を見て、喜んでくれはしないだろうと」
「………………」
メナを倒したところで、世界の崩壊は止まっていない。
少しずつ、割れた空が黒い月に呑み込まれて行っている。あれが地上に達すれば、端から徐々に呑み込まれていくのだろうか……。
でも、それよりも。私は目の前のこの人に、どんな言葉を掛けたらいい……。
迷う私の横を、ふわりと青い髪がすり抜けて――。
「もういいわ……」
ルイーゼ様がメナの身体を起こし、そっと抱きしめた。
「あなただって、本当は分かっていたんでしょう。ロバートを……妹を助けるために自分の人生を捧げ、禁忌までも侵したあの人を……たとえどれだけの魔力を費やしたって、作り出そうなんてできるはずないって。あんな、奇跡みたいに優しい人……」
「それでも、私はっ……!」
ルイーゼ様の背中が、小さく震えている。
メナの手が、何かを堪えるように、ぎゅっと握りしめられた。
そんなふたりを見ているのは、目が背けたくなるほど辛くて……。
そこで、私の胸元でちかっと、何かが光った。
そうだ、忘れていた。旅立つ前に預けられていたもののことを……。
「ルイーゼ様、これを……」
「なあに……?」
私はそれを、泣き濡れたルイーゼ様が抱える、メナの胸元に置いた。
マール様から託された、サンホワイトのブローチ――。
どうして、そんなものをあの人が私たちに預けたのかはわからないけれど……。
「あっ……」
いきなりのことでびっくりした。
なにせ、それがいきなりきらきらと光の粒を放ちだし――ルイーゼ様とメナの近くに、ぼんやりと何か人型の揺らぎのようなものを出現させたから。
(……誰か、いるの?)
私たちには聞こえない何かが聞こえたように、ふたりはしばらく目を閉じ、耳を澄ませ。そして――。
一瞬、私はその光の中に男性の姿を見たように思う。ちょっとだらしない髪型だけど、眼鏡をかけていて、こちらを安心させるように笑うそんな人。
愛おし気にふたりを見つめていた彼は、すぐにその後解けるように光の粒となり、ふたりをとりまくと消えていく――。
「……大丈夫ですか」
静かに涙を流すふたりに私が近づくと……ルイーゼ様は瞼を拭い、大きく目を開いた。
「あの人に……もう一度だけロバートに会うことができたの。在ったかも知れない未来の中で……。私たち、とても幸せそうにしてたわ」
「私も、ロバートさんが見えました。ほんの一瞬ですけど」
――ずっと、ふたりのことを見守ってくれていたんじゃないでしょうか。
私がそう言うと、ルイーゼ様は「そうかもしれないわね」、と微かに口元を綻ばせ……そして立ち上がる。
「さあ、後はあれを……世界の再構成を止めないと。ヴァシリーサ様にはこちらで虚無の在処を停止させる方法を調べてもらい……それでだめなら、今からでも聖都に戻って世界書に干渉できれば、なんらかの手立てが見つかるかも」
「時間的には厳しいですが、やるしかないですね。最悪、聖女と魔女協力し、虚無の在処を破壊してみるか……?」
「どうなってしまうか分からんし、最後の手段だな」
こうした対策は、世界に影響を与えるため軽々しく行えない。
現状で考えられる手段を元に……慌ただしく動こうとした私たちの前で。
それまでじっと沈黙していたメナが言葉を放った。
「どうにか……できるかもしれない」
全員の視線が彼女に集まる。
そんな中、メナは身体を起こすと、失われたものと思っていた紫のハードカバーを再び生み出し、私たちに説明した。
「あの破壊を……ベセルへ送られた分の魔力を上回る、創造の力で押し返せば……」
「虚無による破壊と対になる創造の力を月に送り込み……あの現象を塗り替えようというの?」
ルイーゼ様が継いだ言葉にメナが頷くが、そこで彼女を糾弾したのは厳しい声。
「ふん……殊勝なことじゃが、どうして急に協力する気になった? 贖罪だとでもいうつもりか?」
魔女帝が放つ不信感を、メナは首を振ることで否定する。
「……こんなことで、やったことが帳消しになるとは思わない。でも、さっきので昔を……兄さんが居てくれた時のことを思い出したんだ。顔向けできなくなるようなことは、もうしたくない」
メナは、兄を想うように光の消えたブローチを握りしめ、それきり何も言わなくなった。魔女帝は冷たい表情で彼女をじっと見つめていたが、ここは矛を収めると決めたらしい。
「ふん……どの道そなたの処遇に掛ける時間など今はないか。じゃが問題は……虚無の在処が機能不全に陥ってしまっていることじゃ」
世界を変革するほどの装置だ……一度きりの使用で壊れてしまったとしてもおかしくはない。鍵となる漆黒の桂冠も失われ、今まで魔力で満たされていた空っぽの器の部分にも、ところどころ亀裂が入っている……。
「距離を隔てた黒い月への経路を開き、蓄えた膨大な魔力を移すための送信装置――これが使えねば話にならん。一か八か再起動を試みる他ないじゃろうな。名うての魔道具師に装置を検めさせ、すぐに準備を――」
「いや、その代わりを私にやらせてくれ。原初の魔女の模倣だと言われし、私の本の奇跡は……想像し得るほとんどの事柄を再現できる。それで、ベセルのコピーを、生み出し――……っ」
「……そのていでか」
胸に手を当て重要な役目を買って出たメナだったが、身体をぐらりと揺らすとルイーゼ様に支えられた。やはり、先刻のダメージが大きいのだ。
「でも……ロバートに会えて心の力は回復しましたから。さあ皆さん、こちらへ」
ルイーゼ様がそう声を掛け、私たちの身体を、水の奇跡で作り出した癒しの霧で覆う。傷が塞がり、疲労の濃かった皆の顔色が、かなり改善していく。
「メナの補助には私が。必ずふたりで役目は全うします――ここにいないロバートのためにも」
「ルイーゼ……感謝する」
「ならば……任せよう。後は……どれだけの力をあの月へと送り込めるかじゃが」
それ以上魔女帝はなにも言わず、方針をこちらに委ねたようだ。
アルベール様と私は顔を見合わせ……考え込む。
「どうするかな。今から聖王国に援軍を要請しても、ここに辿り着くまでには時間がかかりすぎるだろうし……」
「ですね……」
数百年に渡り、代々魔帝国が溜め込んできた力を、上回る力を放つには……このメンバーの余力だけでは、全然足りない。
そこで……大きくて分厚い手が、私たちの肩を叩く。
「ふたりとも……ここがどこだか忘れていないだろうな? 長年聖王国と覇を競い合ってきた、大陸第二の強国だぞ。少し待っていろ……」
ラエル兄さんは魔女帝に頷きかけると、なぜか私たちに耳を塞ぐよう指示して、月映宮の端に立った。その眼下には、深紫の覆いに囲われた、大帝国の都が広がっている――。
その場で息を整え、首に掛けていたダスクムーンのペンダントを抜き出すと――彼は耳をつんざくような大声で言い放った。
『――緊急報告! 新魔女帝を僭称していたメナは倒れ、帝国は秩序を取り戻した! 我々はこれより、誤って起動された虚無の在処の働きを止めねばならん! そこで魔女帝代理の権限において招集を命ずる! その身に魔の力を宿すものは、月映宮に今すぐ集え……我らが魔帝国とこの世界を崩壊から救うのだ!』
凄まじい音量で、耳がキーンとしていたけれど……。
ついで、起こった現象に私たちは驚く。
「わぁ……!」
「人が……集まってくる! あれは魔女たちか⁉」
それからいくらも間を置かず。
眼下の帝都や、それよりもっと遠くのあちこちに生まれた黒い点が……どんどん大きくなる。
一瞬鴉の群れかとも見間違うが、それぞれの方法で空に浮かんでくるのは、黒衣にとんがり帽子を被った、魔帝国の魔女たちだ。
「よう集った……。今は恩讐は捨て、ただこの世の存続に力を尽くすのみ。皆の者……この者が作りし器に、己が未来に望む希望ごとその力を注ぎ込むのだ!」
「「御意!」」
魔女帝の号令に従い、魔女おのおのが、自身の魔法の発動を準備する。
中には、メナによる精神支配を受けている者もいたようだが……さすがの統率力に、それを今問う者はいなかった。
機が満ちたことを察し、メナが静かに聖力を放ち始めた。
「では……始めよう。ルイーゼ……私が倒れてしまわないように支えていて欲しい」
「わかったわ」
極度の集中が必要なのだろう。壊れたベセルに手を添えたメナがその場に座り込み、目を閉じる。
その背中を隣でルイーゼ様が支え……それは始まった。
「――――…………くっ」
宙に浮いた紫の表紙が激しく明滅し――メナの傍に、虚無の在処の模造品が、幻となって浮かび始める。
だが、よほど具現化が難しいのか、中々それははっきりとした形を成さない。
「頑張って……。あなたが聖女でいた頃のことを、思い出して」
ルイーゼ様の背中を支える手から、大きな力がメナに流れ込んでゆく。少しずつ……模造品の輪郭がはっきりとしたものになってくるが……まだ、足りない。
そこで、その背中にもうひとつ、魔女帝の手が置かれた。
「不甲斐ない……余の地位を脅かした者として、少しは意地を見せよ」
「……言ってくれる」
さらなる力が受け渡され、薄っぺらい板のようになっていた本の頁が順次復活してゆく。
ぐっと、模造品の存在感が増し、器の下に影ができた。完成……したらしい。
そこでメナは、私に目配せして呼び寄せ……あるものを託した。
「これを、鍵にしよう。君が……これを動かすんだ」
「いいの?」
「ああ……あの記憶はもう、私の心の中にあるから」
メナはこくりと頷く。手の中に置かれたのは、ロバートさんとの記憶が宿ったサンホワイトのブローチ。彼女がそう言えたのなら、躊躇うことは何もない。
私はすうと息を吸い込むと……周りに浮かぶ、大勢の魔女たちを見渡す。
かつて、聖王国から排斥され、逃げるようにこの地にやってきた者たちの子孫……魔女たち。きっと私たちに思うところのある人もたくさんいるはずだ。でも今だけは……。
「今は、聖女だの魔女だの考えないで……。ここに生きるそれぞれの命として、それぞれの大事なものを守るために――やりましょう!」
答えは声ではなく、視線、頷き、意志……そういったもので私のもとに彼女たちの想いが一気に届く。それは私にかなりの重圧を与えたけれど、同時に心地よく背中を押してくれる。
「行きます!」
そして……私はブローチを掴んだ手を、一気にベセルの中に突き入れた。
光が――昇る。今も空に亀裂を伸ばし続ける真っ黒な月へと。
「今だ! ありったけの魔法を、あの光の柱に向けて放て!」
兄さんの叫びが魔女たちに届き……天を穿つ白い柱に向けて全方位からありとあらゆる魔法が乱れ撃たれた。それを光の柱は吸い込むが……。
「く………お……」
噛み締めた口の間からメナの吐息が零れる。私も感じていた……この出力でも、全然虚無を広げるベセルの力には、拮抗できていない。
直接コピーの中に聖力を注いでいる私にも、その感触はまるで何十トンもの鋼板を素手で持ち上げようとしているみたいに感じられる。こんなの……本当に押し返せるの⁉
「魔法を絶やすなっ! 魔力が切れた者は交代で休み、城から回復用の魔道具を取ってこい!」
「相性のいい魔法を見つけ、その威力を相乗させて! 下を向いてる暇はないわよ!」
――ここに集まった人たちは……それでも誰ひとり諦めようとはしない。皆……きっと自分で思っているより、ずっと強い心を持ってるんだ。そしてそれは、隣に誰かがいてくれることで、何十倍にも――。
「僕らも微力だけど、力にならせてくれ」
「……魔力は少ないが、気持ちだけはお前たちと同じだからな」
アルベール様やラエル兄さん……それから、いつの間にか崩れた階段から上がってきた騎士たちが、メナの作り出したコピーに手を添え、お互いを鼓舞し合う。
そしてその力の手綱を握り、虚無を押し返す奇跡の力として光の道に束ね合わせるうちに、いつしか私の中にはこんなイメージが生まれていた。
……この世界に最初、虚無だけがあったとするなら……いや、その虚無さえもどうして生まれてきたのだろう。距離も高さも存在しない無色のどこかへ、ぽつりと浮かんだほんの小さな黒点。
その内部にもまた、無限ともいえるような広さがあって。
いつしかそこへ、何かが生まれた。
白? 赤、青、黄? または……今私たちが知るどんな色にもそぐわないようなものたち。それらが生まれたり消えたりしながら、真っ黒な世界に少しずつ彩を与えてゆく。
それらは時には混ざったり、分離したり……無限回もの掛け合わせと継承の果てに……いつしか星と、光を生んだ。後はまた、同じことの繰り返しが膨大な時の間に行われ……。
いずこかの星より大地や水、空が生まれると、また途方もない時間をかけて新たな可能性が生み出されてゆく。草花や鉱石……はてに後に動物と呼ばれたりする……。そう、命は……真っ暗闇が産んでくれた。
――そういえば幼い頃、宇宙について描かれた絵本を読んだとき。
そんなに広い場所があるのなら、どうして私たちはそこで暮らさなかったんだろう――なんて妙なことを考えていたりしたっけ。
人は星という大地が整えた気候があって初めて存在していられるなんて当たり前のことを、小さい頃はまるで分かっていなかったから。
でも、あのずっと遠い星の海の合間にも……私たちが虚無と呼ぶ暗闇の中にも、私たちと同様に希望と可能性を求めて手を伸ばす存在が生まれたりするのなら。
私は語り掛けてみることにした――この身体に宿る闇の魔力に想いを委ねて。
――聞こえますか? 私たちは、あなたたちと奪い合いたいわけじゃない。
――ひとつの行き違いが重なって、この場所を作り直そうとした人がいたけれど……。もう、彼女の想いは叶ったから。だからどうか……この世界を消してしまわないで。
――そしてどうかあなたたちも、この世界の一部として、どうか私たちと共に支えて欲しい。
――このちっぽけだけど、たくさんの可能性に満ちた、素敵な場所を……。
答えは返らない。
でも少しずつ、手のひらから感じる圧力が、弱まっていく……。
「あっ……空が!」
誰かが叫んだ。
今まで影が落ちたように暗くなりかけていた大地が、地平線が……鮮やかさを取り戻してゆく。
私も見た。
空に伸びた亀裂が止まり、光の柱から飛び立った小さな光がそれを癒していくのを。
それは……どこか互いを認め合うような、穏やかな変化で。
「黒い月が……消えてゆく」
その内に、さは感じなくなり、ベセルから伸びていた光が吸い込まれるように細くなっていった。もう、誰も魔力を供給してはいない。けれど……黒い月はどんどんその色を薄れさせ。
そして最後は……青い空に透けるようにして、姿を晦ました――。
◇
皆しばらくの間……ぼんやりと空を見上げては、不安そうな呼吸を繰り返していたけど。
ある時、魔女帝がツカツカとラエル兄さんのもとに歩いていき、ダスクムーンのペンダントをひっ掴む――そして大声。
「決着じゃ‼ 誰が何と言おうと、我々は運命に勝利した! さあ、皆の者……新たな未来に向けて動くまえに、祝杯を! 国を挙げ、宴の準備を行おうぞ!」
遅れて、わっ――と歓声。
あたりに華やかな雰囲気が溢れ出す中、私はふっと気が抜けて後ろに倒れ込み……。
「ご苦労様でした」
「あ……どうも」
後ろから抱き留めてくれたアルベール様の顔を頭の上に見上げ、ぼそりと呟いた。
「はぁ~……。なんだか……終わったという実感が湧かないです。でも……」
私は身体にぐっと力を入れ直して立つ。歓声に沸く周囲を見れば、大勢の魔女たちは清々しい笑顔を浮かべていて――。
メナと目が合った。彼女はしばし瞼を震わせた後、済まなかったと呟き……こちらに深く頭を下げる。私は首を振る。
もう誰も……私の周りに敵だと思えるような人はいない。それが、答えなんだと思ったから。
「帰ろうか、聖王国へ」
「はい――」
私はアルベール様が指差した方向を見て、笑顔で頷くと、羽織っていたマントを外し、両手で大きく旗のようのバサバサと振る。
「ポピア、マール様、殿下、孤児院や聖女会の皆~! やったよ~! これから帰るからね~…………!」
また、皆と一緒に生きていける。その無上の喜びが……遥か彼方にいる皆にも届けばいいと、願って――。




