47・メナ・アルシェーヴ
――虚無の在処。
白髪の魔女の頭上の一点。
まるでそこだけが、明かりの消えた暗闇のように光を吸い、ぽっかりと穴を開けている。
その下で倒れた魔女帝は、ピクリとも動かない。
「……シーリ! 来てくれたのね!」
手前に立つ柱にくくりつけられた鳥籠の中から波打つ美しい髪を振り乱し、ルイーゼ様が叫ぶ。指先は血が滲むほど傷付いており、おそらく捕えられた籠から幾度も脱出を図ろうとしたのだろう……。
それらを見た私は、怒りとも恐れともつかない感覚に背中を粟立たせ、ぐっとメナを睨んだ。
「メナ……お願い。今やろうとしていることを止めて!」
「ふふ……どうやら魔女帝や賢女たちから、要らぬ入れ知恵をされたかな?」
ここに訪れただけでも……メナの様子と後ろの器具が放つただならぬな気配から……とんでもないことが起きようとしているのは容易に分かる。
おそらく、魔帝国・聖王国の大戦争を越える、おぞましき事態が――。
「ふふふ……。まあ、帝都くんだりまで来させて何のもてなしもしないようでは礼儀に欠けるし、特別に君には私の目的を話してあげることにしようか。その感じだと、知の乙女辺りにおおまかな経緯は聞いているね?」
私はメナを見据えコクリと頷く。
すると彼女は両手を広げ、自身の胸中をつまらなそうに明かしてゆく。まるで、腐るほど読み漁った物語の結末を語るかのように。
「ふたつの国の戦争なんてのは、せいぜい私を動きやすくさせるための目晦ましに過ぎなかった。ただ、本来の目的を果たすために、かなり準備に手間はかけたけれどね」
でなければ、自国の動静に詳しい魔女帝やラエル兄さんが察知していたはず。
巨大なふたつの国を巻き込み、大勢の人々の命を秤にかけて叶えたい事柄が彼女にあるとすれば……やはり。
「お兄さんの……ロバートさんのこと?」
「ああ。話を聞いていれば自然と行きつく答えだね。私の目的は、最初からそれだけ。聖王国での暗躍や、ジーレット侯爵の手を借りて魔物騒ぎを起こしていたことも……魔女帝の名を借り、今回の戦争を起こしたことも、全て……」
「……でも、お兄さんは」
その先を言うことが憚られた私に対し、メナの口調は軽かった。
「うん、死んだ。私が殺したよ……この手で三年前に。あの時のことは――いくら悔やんでも悔やんでも悔やんでも……一生分悔やんでも悔やみきれない」
どこかいつも飄々とした印象のある彼女。けれど……その後悔の言葉だけは真に迫っていて。
だからこそ……私は彼女の次の言葉を聞いて、いっせいに血の気が引いた。
「今こそ、私がこの手で兄さんを蘇らせるんだ! 世界を生贄にして!」
「――っ!」
汗がぶわっと身体中から噴き出す。
この特大の嫌な予感は……間違いじゃなかった。
メナは……魔帝国とか聖王国とか、そんな国ひとつひとつという規模じゃなく。この私たちが住む世界そのものを壊してしまうつもりなんだ……!
「そ、そんなこと、できるはずっ! し、死んだ人間を生き返らせることなんて……」
「果たして、本当にそうかな?」
メナの目は怪しく光る。
「失われた命は戻らない……それはこの世の理だ。けれど私たちはなんだってできる――そういったものを捻じ曲げるための力を授かったじゃないか。奇跡、魔法――それらを使えば、死んだ者を蘇らせることだって、可能なんじゃないか?」
私は、なんと言ってメナを諭したらいいのかわからなくなった。
確かに……そんな力があったなら。そしてもし愛しい人を不慮の事故か何かで亡くしたならば、多くの人がそれを望むはずだ。
その意思自体は間違っているとは言い切れない――ただし、そのやり方が最悪なだけで。
「一応私も探しては見たんだよ。直接死者蘇生を可能とする方法、及び人物を。けれど……そんなのはこの世界のどこにもありやしなかった。ならば……仕方ないだろう? 自分でやり方を見い出すしか……だって、兄さんを殺したのは、私なんだから。何を犠牲にしたって、生き返らせなきゃ……」
真っ白なその平静な瞳が……逆に恐ろしい。
普通なら、諦めるしかないところを……。なまじ奇跡の力というものがあるせいで、微かな希望の光をメナは追わずにはいられなかった。例え、その周りが屍の山で満ちていたとしても。
彼女は本心から、お兄さんを生き返らせるためなら何もかも犠牲にして構わないと思っている。仮にここで私が、大勢の人の命を盾に責めても、メナは決して聞き入れない……。心がそうした狂気ではっきりと定まっているのが感じ取れる。
「それに、他にも色々努力はしたんだ。私の授かった本の奇跡はかなり融通が利いたからね。でも……兄さんを作り直すことはついぞできなかったな。おそらく……魂というか、心という部品が現実の理を越えて精製されているんだろう。ふふふ、ガワだけならいくらでも組み立てられたんだけどね?」
はははははははは――地の底から湧き上がる様な乾いた笑いに背筋がぞくっとする。
この人には、もう誰の言葉も届かない……。そう確信してもなお、私は何か言わずにはいられなかった。
「メナ……お願い、諦めて。私にだってほんの少しは分かるよ、大切な人が側に居ない寂しさは。わかる気がするけど……」
まだ対話が通じるなら……そんな一本の藁にすがり、私は自分の想いを伝える。
「無くなってしまうからこそ、大切だって感情が強くなっていくんでしょう? いつか会えなくなるから、この時だけでもって……そんな気持ちを抱えたまま私たち、手からこぼれ落ちる何かを必死に搔き集めて生きてくんだ。そんなことでお兄さんを生き返らせられたとしても……きっと、彼がかつてあなたに向けてくれた必死な想いとかが、違うもので塗りつぶされてしまう気がするよ。それで、いいの?」
上手く言い表せないまま……私はそれでもこの胸にせり上がるもやもやをなんとか言葉にした。けれど……。
「ふふ……美しい綺麗事だ。君はその正しさで、多くの人を救うことができるんだろう。でもね、私には残酷な言葉にしか聞こえないよ。誰もが、同じ時、同じ幸せを過ごせるわけじゃない。君も分かっているはずだ、この世はとても不平等なんだって……」
空々しい拍手とともに、ほんのわずかに、メナの言葉に赤黒い感情が灯った。
「それを無理やり呑み込み、同じ痛みを共有した誰かで失ったものを薄めて……これでいいって自分を慰めながら生きていく? そんなの……ごめんだ。私は自分よりも大切なものを殺した私と、そうさせたこの世界を、許さない」
メナはそれきり踵を返し、奥にある虚無の在処へと近づいてゆく。ルイーゼ様が叫んだ。
「シーリ、今すぐメナを止めて! 彼女はあれを使って、世界を作り直そうとしてる! 虚無の在処は、闇の月を発動させるための――世界書で作り出されたあらゆるものを再構築するための起動装置なの!」
「――っ⁉」
私はその言葉に従い、聖力を生み出して大地を蹴った。だが――。
「ああ、その通りだ。私は……兄さんが失われたこの世界を一度無に帰し、あるべき時の形へと生みなおす。空、海、大地、木々……そして兄さんを。この虚無の在処の――あの黒い月の力を使ってね」
間に合わない。夥しい数の黒いページが、ゆく手を阻む。
この黒ページはおそらく虚無の再現、私の闇魔法とほぼ同じ力――。
紙の奇跡は吸い込まれて消え、私はやむなく闇を圧縮させた剣で、それらを切り裂いていく。
「……さすがに、本物の闇の力は強力だ。この時、この場所でなければ私は君に敵わなかったろう。ふふふ、聖王国にて長い時間溜め込んだ虚無の力が、国を守ろうとする君を阻むのさ。そして……」
今さら、彼女の手に何かが握られているのが気付いた……。それは魔女帝が被っていた、あの漆黒の桂冠。それを彼女は、虚無の在処へゆっくりと近づけていく。
「驕ったね、魔女帝。代々の帝に授けられる継承の証、これが必要だった……。さあ、虚無の在処よ、私たちの時を戻してくれ! 兄さんが死なないですむ世界を、今度は私が作り出すから!」
(ダメ!)
フラスコのような漆黒の球体の外殻が、ぐるりと渦を巻いて穴を開けた。そこに、ゆっくりとメナの腕が突き入れられ……。
「――ッ⁉」
そこでメナが目を見張り、飛び退る。
バキッと耳に痛い音を立てベセルの一部が氷結したのだ。桂冠を中心として――。
メナが振り向く……倒れ伏した状態から起き上がろうとしている魔女帝の方を。
「氷の封⁉ これは……貴様時間稼ぎか――」
「ぐ……無様を晒したが、せめてこのくらいはしてやらんとな。戴冠の儀も得ぬ小娘風情が、我が魔帝国の秘宝を好きにしようなど決して見過ごせぬこと。……そしてすまぬ、ふたりの聖女よ」
彼女は苦しそうな息を吐きながら氷の円盤を生み出すと、ルイーゼ様を閉じ込めていた鳥籠に投げ放つ。それは檻を両断し、彼女が出られる隙間を作った。
「聖王国に属するそなたらに、魔帝国の未来を預けねばならぬとは……なんたる恥辱。だが……どうか頼む。やつにどんな理由があろうとも……そのような悍ましい実験に、世界を、巻き込むわけには……」
それきり魔女帝は意識を失い、聖女の力を取り戻したルイーゼ様が、私の隣に降り立った。
「ふん……残り魔力を集中させ、どうにかベセルの起動を抑えたか。無駄なことを……。それで今度は、君たちで協力して私を打ち倒すつもりかい?」
「ええ。あなたたちだけのためにこの世界は存在する訳じゃない……なにより、きっとそんなことをロバート自身は望まないわ」
愛する人を目の前で失った今でも……ルイーゼ様の瞳に宿るのは憎しみよりも、苦しみと痛み――。目の前の悲しい連鎖を一刻も早く終わらせたいという意思だ。
「シーリ……私たちの責任を押し付けるようで無様だけれど、今度こそ……この子を止める力を貸してちょうだい」
「はい……私にも、守らなければならない大事なものが、たくさんあります」
――世界の再構築。
それは今を生きる人々が築いた努力や絆を根こそぎ奪い去り、空っぽの偽物で満たそうとする行為に他ならない。
例え、元は原初の聖女が作り出した容れ物に過ぎなかろうと、今はこうして何百年以上も数多の命が血と汗を流し、築き上げた社会が存在している。誰であろうとそれを奪い去っていいはずがない。
「ルイーゼ……君だけはそのまま共に次の世界に連れてゆくつもりでいた。兄さんのためにもね。でも、君自身がそれを望まないのなら……もういい。不要なものは全部棄てて……作り直した世界で私たちは全てを忘れて幸せに過ごすよ。さあ……過去よ、消えてくれ」
もう、会話による説得は通じない……。
すっと――メナの瞳に残る微かな人間性が消え。
これから始まる凄惨な戦いの予兆が、死の気配として背中に吹きつけられた気がした。




