45・私の選択
なんたることだろう……。魔女帝の氷の魔法により、一瞬で決着はついてしまった。
反乱軍側には百余名の魔女と魔法騎士が集っていたと思われるのに、彼女には傷ひとつ付けられなかったなんて。
あらためて、一国を率いる帝へと選ばれた彼女の魔力の凄まじさに恐れ入るとともに……それに勝るとも劣らない実力をもっていたという母クラリスに想いを馳せた。いったい、どれだけすごい人だったんだろうか。
「僕たちの出る幕はなかったね」
「まあ、我ら騎士は国を裏で支える役目、でしゃばることもなかろう。よし、まだ動けそうなやつらから捕縛していけ」
安堵にアルベール様が息をつき、状況を見たラエル兄さんが素早く指示を下してゆく。とはいえ、ほとんどが地面に倒れて意識はないようで、このまま放置しておいても問題なさそうだ。
その様子を眺めていた魔女帝は黒い桂冠を乗せた頭を左右に軽く振ると、ため息を吐いた。
「情けない……この魔帝国より集められし有数の魔女たちが、このような醜態を晒しよって。……しかし、どこか本来の力を残していなかったようにも思う……。こやつら、一体何をさせられていた?」
私には判断がつかなかったが、部下達といつも接している彼女からすれば、なにやら思うところがあった様子。
「メナに操られていたせいで、本来の実力が出せなかった、とか……」
「それもあるやもしれぬが……こやつらの身体からは、あまり魔力が感じ取れぬ。目の前の戦いを前にして、休ませる暇もなかったというのか。メナとやら……なにを企んでおる?」
疑問を残しながらも反乱軍の拘束は完了し、再び私たちは上層を目指すことに。しかし……。
「ちっ……昇降機の稼働が止められている。面倒だが、階段で歩いて昇るしかないようだな」
「……上まで結構あったぞ。まあ、何かあったら僕たちでふたりを運ぶしかないな」
スイッチからは光が消えており、押してもうんともすんともいわない。
聖力で飛んでいくことも手段の一つだけど、今後を考えるとわずかな消耗も省きたいというのは同感。兄さんが周囲を見渡し、同行していた精鋭たちに告げた。
「済まないが、ここ以降はお前たちは連れていけない。残る相手は強大だ……ここで後続を断ち、もしもの時の退路を確保しつつ無事を祈っていてくれ」
死を恐れない精鋭たちからは不満の声もあったが、そこは魔女帝がちらりと目線をくれただけで口を閉ざした。彼らの内にも魔女帝の戦いに割り込めるような手練れはいないようだし、まだ宮殿の中には、避難できていない人もいるようだ。もしもの時のため、彼らを誘導したり救出したりする人員が必要となる。
指示に従い、きびきびと動き出した配下を見送ると、ついに兄さんは目指す場所を指差した。
「では行こう。ここからは一本道で長い階段が続く。その間敵に遭遇した場合は……。わかるな」
「ああ、僕たちで足止めし……魔女帝とシーリを先に、だね」
「わ、私もですか⁉」
「当たり前だろう? この場の唯一の聖女なんだから」
そういうことになるのか……と、今さらながら緊張がぶり返してきた。あの時……途方もない実力の片鱗を見せ、巨大な魔物を呼び寄せて消えたあのメナと……この先確実に対峙することになる。
「――はい。覚悟は、できました」
でも、ここまで来たら……どうなろうと全力を尽くすほかない。
その想いで顔を上げ、私が月映宮の階段へ歩を進める彼らに続こうとした時――。
「待ってください!」
呼び止める声に振り返る。
すると……建物の陰に隠れていたか、十数名の集団が恐る恐る姿を現す。
質素な衣服を身に纏い、どうにもやつれた暗い顔をしている人たち……。
年齢層もばらばらだけど、その中のひとり……。見知った少女の姿を目にし、私は声を詰まらせた。
「ア、アンジェリカ……」
◇
そう……ここで再会することになったのは、私と元同期だった、ジーレット侯爵の娘アンジェリカ。
その肌と髪からは、以前の輝くような艶は失われ、瞳から力も消えている。彼女と行動をともにする人たち、ということは――。
「聖王国から追放されし、堕ちた聖女か。お前たちは懲罰の間にて、魔力供給の任を命じられていたはずだな。なぜここにいる」
ラエル兄さんが刃を仕舞い、平坦な口調で問うた。その態度からして、魔帝国で彼女たちを特別虐げていた様子はなさそうで、ややほっとする。でも……どうして、今ここで?
アンジェリカはこちらをちらりとも見ず、声高に叫んだ。
「ま、魔女帝閣下に軍団長とお見受けします! こ、この度はご奏上申し上げたきことがございまして御前に姿を現しました! じ、じつは私たち……新魔女帝、いや、あのメナとかいう女の命令で……例の装置に魔力を延々と注がされていたのです。それはそこで転がる魔女たちの多くも同じ! 同時に、城の兵士たちの密談から、金盞花の乙女が月映宮の最上階に囚われていることも聞きました!」
ルイーゼ様が……⁉
よかった、ちゃんと無事でいてくれたことにほっとする。
彼女は、その後がばっと他の聖女たちとともに、魔女帝の目の前で跪く。
「こ、この情報をもって、どうか恩赦を賜り、聖王国へと帰還する許可をいただきたいのですっ! わ、我々は己の罪を悔い、日々心を痛めながら生きております。どうか、どうかご慈悲を!」
「……そういうことか」
ぴりっと空気が張り詰め、魔女帝の背中からただならぬ気配が漏れる。
「メナ・アルシェーヴ。そうか……やつが魔女帝の座を欲したのも、あれを操る術を得んがためか」
「陛下…………」
魔帝国側のふたりの緊迫した表情からするに、よほどの大ごとらしい。
そこで、アルベール様がぼそりと声を掛けた。
「陛下、それはもしや魔帝国に伝わるという……世界書と同格とも言われる秘宝のことなのでは。噂には聞いたことがあります。誰が作ったも分からぬ太古の恐るべき力を持った魔道具が、一度も使われぬままこの宮殿に現存していると」
「さよう。月映宮の最上階、黒い月より最も近き祈りの間に存在せし至宝……その名も“虚無の在処 (ヴォアベセル)”。この世が生まれしその時から、沈黙のまま大地を睥睨せしめる魔の器なり」
魔女帝はいきなり直立不動の甥の首からすぽっとペンダントを抜き出す。
「その機能を利用して作り出されたが、このダスクムーンよ。この石は魔力を生みし折に怒りの感情を促進させ、より魔法の強度を高める効果を持つ。ろくに精神訓練を行わんだ魔女が手にすれば、己が感情に呑み込まれ我を失うほどにな。国が認めし魔女にしか与えることが許されぬ逸品なのじゃ」
そういえば……アンジェリカがこれを身に付けた際、残忍な性格がより助長されていたっけ。私の場合は元のシーリがいたおかげで、その影響を分けて受け取り、徐々に慣らすことができたのかも。
思ったよりも危険物だったんだね、これ。
「これの原石は……虚無の在処に魔力を与え続けることで副産物として生ずる。それは奪聖痕により変質した聖女の力によっても可能じゃ。ゆえに我らは罪を侵した聖女どもを預かり、この地下で、ベセルへと繋がる魔力送信器に力を注がせていた」
「……中々に後ろ暗い話だ」
「殺しはせぬだけマシであろう。他の聖女に逆恨みし、罪を侵した根暗どもにきっちり衣食住、睡眠を与え人らしい暮らしをさせてやっておるのじゃ……文句は言わせぬ」
眉をしかめたアルベール様も魔女帝の言葉には口を噤んだ。彼女たちは四十前後を迎えて聖力が生み出せなくなると、ある程度の支度金を与えられて市井に放たれる。その頃にはめっきり人格が強制され、帝国民に混じって普通の生活を送るのだそうな。
「ん……副産物? ということは、虚無の在処の本来の効能がわかっているというのですか⁉」
そこでアルベール様が何かに弾かれたように顔を上げ、魔女帝は神妙な表情で頷く。
「おそらくメナの目的もそちらの方じゃろう。聞くが、そなたたちは、この世界に月というものがあることについて考えたことはあるか?」
魔女帝の質問に、アルベール様と私は揃って上を見上げ、その遥か向こうを想像する。
そもそもこの世界の空は、原初の聖女が作り出した紛い物。つまり……毎日上る太陽も、夜空を巡る星々も、世界の器の内側に描かれた、ただそこに映し出されているだけの幻影である可能性が高い……。
では……月も?
そういえば……私はこの世界に来て月を見たことがない。
多くの星々が賑やか過ぎて気付かなかったけれど、前の世界で見たようなまん丸な満月や、お洒落な三日月は、どこにも再現されてなかった。月の存在が知られているとしたら、それは……なぜ?
「月は確かに空に在り、姿を見せておる。しかしそれは日が暮れた後顎を開くのじゃ……。我らが目には映らぬよう……虚無の色を纏いて、ひっそりとな」
「――っ。それは、まさか……」
私はぞっとした……そのイメージはあまりにも、魔物たちの出現時と似通っていたから。
あんな亀裂よりもっと巨大な穴が、人知れず今もこの世界の上空で、夜な夜な口を広げているんだとしたら……。
「急ぐぞ。あれは魔帝国の発展のため長い年月をかけて魔力を蓄えておる。それを利用されれば――」
「お、お待ちください魔女帝! 先に私たちの処遇を、どうか! こ、こんな生活、もう耐えられません。心や体の調子を崩している者たちが何人もいます!」
踵を返そうとした魔女帝が足を止めた。
もはや……堕ちた聖女たちをどうこうという事態じゃなくなってきたのだけど……。
目の前で懇願する彼女たちを前に、彼女は軽く息を吐き出し――。
「シーリ、そなたが決めよ」
「ええっ⁉」
なんと私に処遇を丸投げなさるとは……。
「そこな娘はそなたや友人たちの殺害を企て、その過程で奪聖痕に目覚めたと聞く。ならば、その裁きを被害を受けた本人に任せることも解決法のひとつじゃろう。今、ここで判断せよ」
「う……」
そんなことを言われても、という感じだけど……私はアンジェリカをじっと見つめた。どうなのだろう……その外見や態度からは、正直言って罪を悔いているのかはよく分からない。
「シ、シーリなのよね。どうしてここにいるのかは分からないけど、お願い、私たちの解放を魔女帝に進言して! 家族に会えず、将来に絶望して食事が喉を通らない者も多くいるの。何カ月に一度でもいいから、私たちをどうか故郷に返して……!」
その必死の態度を見せられれば、検討はすべきなのかと思う。
だが一方で私の心からは、なんとなくアンジェリカに対する不信感が拭い去れなくて……。
だからひとつだけ、卑怯だと思いつつも彼女に質問を投げ掛ける。
「ねえ、知っている? 実はあなたのお父上のジーレット侯爵は命を取り留め、魔帝国のコルジェという街で暮らしているの。でも、身寄りがなくて……生活にも困窮しているらしいわ。そこで彼の面倒をあなたが見てあげるというのはどうかしら? それを約束できるなら、他の聖女たちは聖王国に返してもらえるよう、私からもお願いしてみる」
つまり……他の人たちのために自らが苦汁を飲む覚悟を、彼女が持てるか。
もちろん私が言った内容は嘘だ。ジーレット侯爵はもうすでに亡くなっているから、そんなことはもし彼女がいくら望もうとできない。
多分……私は期待したかったんだと思うんだ。どんな人でも辛い目に遭ったり、痛みを知ることで誰かに優しくできるようになる。変わることができるんだって……。
「お、お父様が? そ、そんな……」
話を聞いたアンジェリカは、動揺するようにきょろきょろと目を動かし、爪の先を噛んだりした。私はそのまま彼女の返答を待つ。
やがて彼女は、ひどく慌てた様子で口元に媚び笑いを浮かべて言い募った。
「じゃ、じゃあ……お父様も一緒に聖王国に戻してくれない? それくらいいいでしょう? 私たちは、どうせあちらに戻っても、きっと貧しい暮らししかできないわ。誰にも迷惑はかけないし、ふたりで慎ましく生きていくって約束するから」
「ダメよ。さっき言った条件は変えられない。このまま全員でこちらに残るか、あなただけが大変な条件で頑張るか……どちらかを選んで。私たちにも時間がないから、後、十を数えるうちに――」
ここで考えを曲げてはダメだ。心が痛んだけれど、私はきっぱりと彼女の申し出を断ると指を折り、時を刻む……。
……数え切った後も、少しだけ待つ。
……けれども、やっぱり。
「…………」
アンジェリカは突っ立ったまま地面を見て、それきり何も言わなくなった。周りの聖女たちは、どうしてと、お願いだから私たちだけでも故郷に返してと掴みかかるが、ピクリとも動かない。
「行きましょう、皆さん。……アンジェリカ、ごめんね。あなたのお父さんが生きているって言ったのは嘘だったの」
「――⁉ なによあなた、騙すなんて聖女の風上にもおけない! 最低だわ!」
その表情が、私を殺そうとした時のものと重なってしまい――なんだかどっと疲れてしまった私は、顔を背け歩き出す。
もし、彼女が……父親のことを案ずる気持ちや、仲間たちのために身を差し出そうという覚悟を見せてくれたなら。……いや、もう考えるまい。
「いい加減にしてもらおうか。お前たち、こいつらを捕えどこかに詰め込んでおけ……決して混乱に乗じて逃がすような真似はするなよ」
「「ハッ」」
ラエル兄さんが命令を出し、配下の方たちが聖女たちを拘束していく。皆がアンジェリカを罵倒し、彼女は泣き叫ぶ。
「わ、私が悪いんじゃない! あいつが、シーリが……! あいつこそ悪魔のような女よ、人の人生を滅茶苦茶にして! 許さない、一生許さないから! うわぁぁぁぁぁぁ!」
「騒ぐな、貴様らもだ! 痛い目に遭いたいのか!」
「きゃぁぁぁっ! やめてぇっ!」
悲鳴が耳に痛く……ぐっと唇を噛んでいると、アルベール様がそっと両耳を手で塞いでくれる。そのまま彼は私を階段のほうまで連れて行くと、肩を優しく叩いて言った。
「君は正しいことをした。君が示した可能性を自ら捨てた彼女は、きっとこの先も自分を省みることはしないだろう。どこかで断ち切ることでしか終わらない問題も、世の中には存在するんだ……」
「……はい」
「酷な判断をさせたが……下を向くなシーリよ。あの場でああせねば、あの者は聖王国に戻れたとて同じような罪を重ねていたであろうな。そなたは、それによって傷つけられる多くの者を救ったのじゃ。それができた正しさと強さを誇るがよい」
「大丈夫だ。あんな性悪女、明日にはけろっとしてお前のことなど忘れているさ。それよりも、今は俺たちが守るべき人たちのことを考えろ。聖王国にはいるんだろう、たくさんの仲間たちが」
「……ありがとうございます、皆さん」
私は少しだけ目頭を押さえた後、ひとつ大きく息を吸って顔を上げた。
自分で決めたことだ、絶対に後悔なんかしない。
それにいつまでもこの出来事に囚われてる場合じゃない。私は、もっと大事なものを……私の大切な人たちを守るために、ここまで来たんだから。
そう思い直すと、重たくなっていた足はようやく動き出す。
私は待っていてくれた皆の後ろから、一段ずつ階段を踏みしめていった。




