42・帝都奪還戦
視界の向こうに捉えたそれは、今まで見て来たどんな建物よりも異質な……街。
魔帝国、帝都……。まるで竹籠のような網目状の紫の板が、柵として都市全体を包むように覆い……中心から突き出た漆黒の宮殿は、いかなる素材で建てられたのか陽の光をほとんど弾いていない。
青空にぽっかりそこだけ亀裂ができているようだ。
「あれが月映宮だ。今から我々は帝都に入り、内部から最上階を目指す」
「あ、あの~……ラエル兄さん。思ったのですが、メナを倒すだけなら、空から乗り込むという手段は?」
洗濯物、乾きにくそう……そんな雰囲気ぶち壊しな感想は胸にしまい、私は提案してみる。
なんせこちらからみても、その巨大な覆いに包まれた都市の前面には反乱軍が集結している。あれと正規軍がぶつかり合えば、双方ともただでは済むまい。
だが、魔女帝もラエル兄さんも揃って首を振った。
「月映宮周辺には大規模な魔法障壁と、迎撃用の魔法陣が貼られている。生半可な奇跡や魔法ではそれらを破る前に地面に叩き落とされて終わりだ」
「それに居城の周りをおろそかにする城主もいまい。必ず強力な魔女たちが周囲の護り手を担っておるであろう。それらを相手するより、戦闘の混乱に乗じて直接宮殿内に乗り込んだ方が早い」
「そ、そうですか……」
あちらを本拠地とする人たちに差し出がましい口を利いた私は反省した。こうなったら、覚悟を決めて挑むしかなさそうだ。
ホルドキア領を出る直前……私は魔女帝御自らが主催された反乱軍を倒すための決起集会にて、どうしてこの場に私がいるのかを話すことになった。母と父により聖王国に逃がされ、孤児として育ち、その後聖女となってここに戻ってくるまでのあらましを。
そして、母と共に私を守ってくれたホルドキア領の人たちに感謝を告げ、友好を結んだはずの二国間で国民の血が虚しく流れる事態を止めるため、ぜひ力を貸して欲しいとお願いした。
その気持ちは少しでも届いたのか……ラエル兄さん率いる魔帝国正規軍の皆は歓声で答えてくれ――以後皆は、私が聖女だということを気にすることなく接してくれている。
この人たちをできるだけ傷つけたくない。
そう思う反面、この作戦に使える時間も多くは残っていない。
たとえ犠牲を出したとしても、なんとか魔帝国の主導権をメナから取り戻し、国境線で戦争開始を待つ反乱軍の侵攻を止めなければ――。
「やつらが聖王国との国境側に大軍を集結させたせいか……思うより戦力差は縮まったな。道中でも幾人かの領主が協力を申し出てくれた。いい傾向だ」
ラエル兄さんの言うように、魔女帝の元には想定以上の兵力が集まった。意思の力がメナの魔法を上回ったか、反乱軍へ参加する前に違和感に気付き、引き返して正規軍に加入してくれた者たちもいたようだ。
「うむ。ここは真っ向勝負といこう。メナの魔法の効果も、さすがに末端の兵士たち全てには及ぶまい。この戦いに疑念を抱いている者も多く、説得に応じる可能性もあろう。数は多くとも、制圧すること自体は困難ではないはず……だが」
魔女帝はきつく目を細めた。
「問題はその後じゃ。やつらが帝都民を盾にこちらに降伏を迫る展開も考えられる。籠城となれば、あの堅い外壁を崩すことは難しくなるであろう。そうなる前に、我々は少数精鋭で城壁を各自突破、宮殿へと潜入する」
ラエル兄さんが開いた帝都の地図、そこに描かれた月映宮を魔女帝の黒い爪が差す。
「内部で強力な魔女が待ち構えていようと……交戦は免れん。先程言った通り、足手まといになるような者は置いてゆく」
たとえ自分ひとりだけでも残ろうと、メナを倒しに行く――魔女帝はそう宣言し、そこからの言葉をラエル兄さんが継いだ。
「内部にいく人選は絞る。陛下、俺、シーリ……そして、アルベール。この四人を中心とし、それと魔女と魔法騎士からなる精鋭を二十ほど。大規模な魔法の行使は場所を選ぶ……入り組んだ城内では俺たち騎士の出番もあることだろう。準備はいいな、アルベール」
「ああ、もちろん」
私の隣で胸を叩くのは、先日ヴィーナの監視を無事終えてこちらに合流したアルベール様。
ティリシャ様から受け継いだ奇跡でこの軍勢の場所を探り当てた彼だったが、数日間の諜報活動でも疲れている様子はなく、いたって元気。
「僕も、シーリとの出会いで自分の秘めていた力に気付かされたんだ。そこいらの魔女に遅れはとらないよ。安心して矢面に立たせてくれ」
「頼もしいことだ……。だが無理はするなよ、例の決着も控えているしな。そして、それまではあまり妹に近づくな」
「ケチるなよ。心が狭いぞ」
なにやら彼はラエル兄さんと親密そうなやり取りを交わした後、私に向き直る。
「というわけで、君のことはなるべく僕が守るから。なにかあったら、荷物持ちでも盾でも遠慮なく任せてくれ」
「はい、頼りにしてます」
「ちっ……」
ラエル兄さんの方から小さく舌打ちが聞こえた気がしたけど……表情も変わってないし気のせいだよね。しかし、アルベール様のにこやかに細められた目はすぐに鋭くなった。
「後は……気になるのがヴィーナたちの動向だな」
事前の報告通り、彼女たちもすでに反乱軍への合流を確認済みだ。ヴィーナの部隊は反乱軍の前方に大きく展開している。まるで、私たちが来るのを誘い込むように。
「挑発的な行動も見せているし、なにかきな臭い。とはいえ、無視することはできんな」
「そうだね……いくらなんでも、一般の兵士たちには荷が重すぎる相手だよ」
陣営の奥で用意された椅子にどっかりと座り込む彼女の姿は、遠くから見ても大きな自信に包まれている。この間の敗北が、彼女に何らかの成長を促したのかもしれない。もし彼女が、自分の奇跡を使いこなせるようになっていたとしたら――。
そこで私は、恐れながらも申し出た。
「あの……彼女の相手は私に任せてもらえませんか?」
目には目を、ではないけれど……聖女には聖女の力で対抗すべきと、私は居住まいを正す。
「なにか、策はあるの?」
紙と火――彼女と私の相性の悪さを見抜いたのだろう、アルベール様のもの問いたげな視線に、私はしっかりと頷き返す。
「はい。私……実はホルドキア領で、少しだけ魔女帝に魔法のことを教わったんです――」
◇
この数日間の移動中、少しでも作戦の成功率を高めようと私は、本来のシーリが持つ闇の力について相談した。アンジェリカとの対決で、魔女堕ちした彼女の奇跡を無効化した時みたいに……あの力をどうにかして制御できれば、来たる決戦の時に大きな力になる。
だが、その考えを聞いた魔女帝は難しい顔を見せた。
『魔法、奇跡共に源となるのは魂の力。そなたが例外的にふたつの力を併せ持っていたのは、元のシーリの魂の一部が体の中に残っていたからと考えられる。しかし……』
ふたりにも、母が埋葬された花畑で、元のシーリの魂が両親と巡り合えたであろうことは伝えてある。となると……今、彼女の魂はもうこの身体の中にはないはずで……。
『見込みは少ないじゃろうな……。だが、ひとつの身体に魔女と聖女の魂を保つなど、この世に例のないこと。そのつもりがあるなら、余が直々に教えて進ぜよう。ホルドキア領でクラリスと学んだやり方をな』
無駄になるかもしれない。それが分かった上で、彼女は貴重な時間を割いて教え役を担ってくれ……。そこで私は魔法の源――つまり“怒り”のコントロールに勤しむことに。
『魔法の元となる怒りは、確かに自身の心を大きく負の方向に引きずり込む。だが、その扱いを心得れば、反面大きな力を生み出す。シーリ、お前は何に怒る? 記憶を頼りに、内から湧いたそれを感情ではなく純粋な力として感じ取れ。腹の底から噴き出すその衝動は、熱いか、冷たいか? 鈍いか、刺々しいか……色は、形は? それをよりはっきりと頭に浮かべよ』
魔女流のアンガーマネジメント的なもの――。
怒りをエネルギーとして認識し、それを元に様々な事象を起こす術、魔法。本来なら、習得には長い時間がかかるのだろう。でも、私の場合はすでにイメージは固まっている……。
私は、暗いテントの中で揺れる蝋燭の火を見つめながら、意識を落ち着かせた。
本来のシーリの魔法の元となったのは、おそらく恐怖と悲しみ。生まれついてまもなくたくさんの人からその身を狙われ、故郷や周りが傷つけられていく過程……そして、大切な人と無理やり引き離された経験が、元々母親から受け継いだ彼女の魔法の才をさらに強くした。
私は、あの雪の日のことを想像する。薄暗い視界、取り巻く吹雪……。冷たくなりかけた父親の腕の中で、ただ母の温もりを求める赤子の気持ちを。この世でただふたり消えてゆく、痛切な孤独感を。
それに引きずられ過ぎては……いけない。怒りを向ける場所は他にある。
私は、こういうことを起こさせないためにこの力を使おう。自分の中で、磨き、昇華させるのだ。あの時のシーリのような、絶望と悲しみを誰にも味わわせないために――。
その感触は……奇跡とは違ったひんやりと冷たい黒霧として、私の手を覆った。
『やはり……神が与えたもうた才よの』
ぼそりと魔女帝が呟き、私は目を開ける。以前扱っていたものよりはまだまだ薄いが、手のひらの上に黒い膜が揺らめいて踊る。
『それがそなたの魔法……“闇”。強大な力ゆえ、ゆめゆめ振り回されぬことだ。魔法をしっかりと己のものにするには、なにより負の感情に負けぬ強い精神を培わねばならん』
『……はい!』
一歩目は踏み出した。ならば後は、その時が来るまで出来る限りのことを……。
そうして訓練は続き、付け焼刃に城私はある程度魔法を使えるようになったつもりだ。それは今回の戦いで大きな力となってくれるはず。
「火の奇跡の使い手であるヴィーナなら、紙を扱う私など簡単に倒せると油断することでしょう。そこを突けば、最小限の被害で倒せるかもしれません。あの様子から見て、前回の雪辱のことで頭が一杯みたいですし」
「ふむ……頭に血の昇った猿に軍を任すとは嘆かわしいこと。だが、そなたにやつを任せられれば我々も動きやすくはなる……」
それでもやや不満げな魔女帝だったが、そこでアルベール様も説得に加わってくれた。
「シーリなら大丈夫です。彼女はこれまでも、多くの困難を自分の力と工夫で潜り抜けてきました。その勝利のイメージと、苦境を跳ね除ける力は信頼できる。ご心配なら、僕にお任せを……シーリの活躍を見届け、責任を持って帝都の内側まで送り届けます」
「ふむ……聖騎士団長殿がそこまで言うならば異存はない。ではラエル、我らは別動隊で突破口を開き、後に続きやすいよう平らに道をならしておくとしよう」
「御意」
迷わず兄さんはその決定に従い、指揮官となる他の領主たちに方針を伝えだした。
そんな中、魔女帝は私の頭に手を乗せた。
「不思議な気持ちだ。姪とこのように肩を並べて戦うことになるとは。そなたが余の前に顔を見せた時は頼りない子供だと思ったが、違ったな……。必ずや、あの裏切りの乙女を打ち倒し、無事に合流せよ。そしてメナを打ち倒した暁には、共にゆっくりとどこかで美酒を味わうとしよう」
「ええ、必ず」
さわさわと頭を優しく撫でられ、なんだかくすぐったい。でも、この人のことがより身近に思えるようになった気がする。
まだお酒なんて飲める年齢じゃないけど……魔帝国でなら少々ハメを外したっていっか――そんなことを考えてくすりと笑い、私はアルベール様と動き出す。そして……。
――数時間後。
帝都郊外の平原に出揃った反乱軍兵士たちの前に、紅い髪の聖女が自信満々で進み出る。
「へえ、よく逃げなかったもんだね白髪娘。そしてアルベール、ようやくアタシに捕まる覚悟ができたのかい?」
「バカな。僕たちはお前を倒しに来たに決まってるだろ」
こちらも背後に正規軍を従える中。珍しくアルベール様がやや顔を顰め、私は彼を庇うように前に進み出るとヴィーナに言い放つ。
「ヴィーナ様……いえ、聖王国の裏切り者ヴィーナ。これが最後の機会になるでしょうから、一度だけ聞かせてください。こんな無駄な戦いはやめて、聖王国に戻りませんか? 聖女の力をもって私たちが争えば、周りに甚大な被害を及ぼすはず。それをあなたは、何とも思わないのですか?」
「ずいぶんな偉そうな口を利くじゃないか。アタシと対等にでもなったつもりなのかい? 孵ったばかりの雛鳥程度のお前が。気に入らないねぇ……だが」
不気味な笑みを湛えながら、ヴィーナは両手を広げて言った。
「考えようによっちゃ、その話に乗ってやらんでもない。アタシの持つ望みをひとつだけ叶えてくれたらね」
「望み……? なんです?」
その不審な態度に、私は考えを巡らせた。望みとはいったい……今回の罪を問わずに、金盞花の乙女に復帰することとか? あるいは金銀財宝とか、憎らしい私を聖女会から排除するとか……?
だが、そこでヴィーナが放った要求は、私の目が飛び出すくらい意外なもの。
「よく聞け! 裏切り返して欲しかったら、そいつの身柄をこっちによこしな! アルベール、アンタは一生アタシのものになるんだよ!」
「…………。え……えええぇぇぇぇぇっ⁉」
「――ハァ⁉ いきなり何を言い出すんだあなたは!」
それは私たちだけじゃなく、周囲の帝国兵までをどよめきに包み込む。
なんせ何万人もの人目を憚らぬ、お互い敵同士という局面での、ある意味ロマンたっぷりの愛の告白で――。
(か、風向きが変わっちゃった。ど、どういう方向に持っていったらっ……⁉)




