39・ホルドキア領
窓の外に広がる庭園には光が射し、穏やかな陽気に誘われ蝶々が舞う。
まるで今、ふたつの国の間で戦争が起ころうとしているなんて、嘘みたいだ――。
「よいところであろう」
「え……あ、はい。とても素敵な場所で」
「ホルドキア領は景観もよく、飯も美味い。こんな状態だが、遠慮なく楽しんでいってくれ。好き嫌いなどはないか?」
「い、いえ。何でも食べられます……なんでも」
言葉少なに声を掛けてくれたのはこの魔帝国の指導者である魔女帝。私の好みを気遣ってくれたのが、あの魔帝国軍団長のラエルさん。よくよく考えればものすごい面子だが、ここ最近の生活で、すっかりそういう感覚は麻痺してしまった。
私は今、帝国のやや西よりに位置するふたりの故郷。このホルドキア領の領主邸へとやってきている。
ちなみに……隣にアルベール様の姿はない。
コルジェの街の付近の大河――ペストゥリ川を越えた私たちは、ヴィーナを巻いた後、さらに西進しホルドキア領へと向かうことに。
そこで彼が提案したのが、私たちとの別行動だったからだ――。
『ラエル、僕はこれからひとりでヴィーナを別方向へ誘導した後、その動向を見張っておくよ。彼女自身の存在も脅威だし、何か向こう側の動向に変化があれば、周りの様子から察知することもできるかもしれない』
『そんな……危険ですよ!』
いくらなんでも、単独行動なんて――。
当然それに異を唱えた私だったけど、アルベール様の決意は固かった。そして彼と既知のラエルさんも、引き止めることはせず……。
『……そうだな。メナが起こした帝国反乱軍に対抗する軍勢を揃えるには、まだしばらく時間がかかる。その間……あの裏切り者の注意を惹き付けてくれる者がいれば、帝都奪還の成功率も上がるだろう。だが……いいのか?』
友を思い遣る響きの言葉を受けながら、アルベール様は自信を持って頷いた。
『任せてくれ。今回の作戦の成功は、聖王国を守ることにも繋がる。大国同士で争いが起きれば、どれだけの人たちの命が奪われるかわからない。僕ひとりの危険で、わずかでもその可能性を抑えられるなら、尻込みなんてしてられない』
『で、でも……!』
そんなことをして、彼までメナたちの手に落ちてしまったら――!
だがアルベール様は……どうしたって不安な気持ちが治まらない私に屈んで目を合わせると、言い聞かせるような優しい声で諭す。
『シーリ、分かって欲しい。君に君の役割があるように、僕は、僕の役割を果たしたいんだ。それにあんまり僕を甘く見ないでくれよ? さっきの逃げ足だって見たろ……大抵のことじゃ捕まらない。あの厚塗り化粧顔をさんざん悔しがらせて、ひび割れだらけにさせてやるさ』
冗談も交えつつ、彼は単独行動の利点を説いた。潜伏もしやすく、聖騎士である彼ならば鷹のように遠くから敵陣を見渡せる。それにアルベール様の奇跡があれば、どこからでもヴィーナの存在を感じ取れ、見失うこともない。
あくまで遠くから見張るだけで、無理はしない……。
そう約束した彼を、私はそれ以上無理に引き止めることはできなかった――。
(いいのかな、こんなにゆっくりしてて……)
どうも気が急いて落ち着きが持てない私の前で……使用人の方々がカートに乗せたコース料理の数々を、順番に給仕してゆく。
「野菜は苦手か?」
「え? いえいえ、大好きです。いただきます」
ラエルさんからそう指摘され、つい「奇跡を」と聖女式の祈りを唱えてしまう私。だが、彼らは気にした様子もなく、優雅なナイフとフォーク捌きで食事を胃の中に収めていく。
前菜は、アスパラのクリームソースがけ、スープは森の奥の泉のように透き通ったコンソメ。それらを私は粗相のないようゆっくりと口に運びながら、つい彼らの反応を確かめてしまう。
少なくとも……私と違って緊張はなく、覚悟が決まっているのとはまた違う静けさが感じられる。それは少し、国王夫妻たちの佇まいにも似ていて……彼らのような立場の人は、得てしてそういう感情の制御法みたいなものを熟知しているのかもしれない。
ああ、ダメだ。じろじろ見続けるのは失礼だし……かといって美味しい食事に集中しようにも、いつものように気持ちが乗ってこない。
にしても……どうしてなのだろう。
記憶の奇跡を操る、金盞花の聖女マール様に一任されたとはいえ、なぜ魔女帝たちは私の同行を許可してくれたのか。他に実績のある聖女だっていくらでもいるはずだし……。彼らからすれば、こんな小娘の力など当てにならないと追い返されても仕方がないような気がする。
でも実際はこうしてホルドキア領に同行させ、数日後の帝都奪還作戦を前にこうして食事の席に同席させてくれたりして……。
(このふたりに、私はどう思われているのかな……)
「どうした? 無理にでも食べておかねば、この先持たぬぞ。そなたはルイーゼ殿の代わりに余の安全を守り、無事に帝都まで送り届けてくれるのであろう?」
「はっはい! 全力を尽くします!」
もっともなお言葉を魔女帝から頂戴し、私は急ぎ機械のように食事を口の中に放り込んでゆく。
数日後……メナに対抗するため募った軍勢の終結を待って、魔女帝率いる帝国正規軍はここから出陣する。おそらくその行動は、万が一帝都の奪還を失敗しようとメナに従う反乱軍の注意を惹きつけ、聖王国への攻撃の手を緩めてくれるはず。
加えてホルドキア領はふたりの故郷で支持も根強く、怪しい人間を締め出すことにも適した場所。ここに居る限り、とりあえずふたりの安全が脅かされることはない。
よって私は、時が満ちるまでここで、そわそわとした気分を持て余すことになりそうだ。
◇
魔女帝率いる正規軍の決起集会まで後三日。
その間、特に私に役割はなく……とりあえず魔女帝の傍に侍る、護衛の任務を申し付かることに。
けれど彼女の側ではラエルさんが常に目を光らせているわけで。
要人の護衛業務の経験なんてない私なんて、突っ立っているだけの置物以下だ。
「陛下、この度は無事に魔帝国に戻られ、我々一同安堵いたしました。帝都の奪還の折しはこの心血を注ぎ、粉骨砕身の働きを持って、長年のご厚情に応える所存」
「よきにはからえ。そなたらの働きを期待しておるぞ」
次々と、招集に従った臣下たちが、魔女帝にご挨拶に参る中……することのない私はたまにラエルさんに視線を送る。
上背は、アルベール様よりもさらに高いだろうか。がっしりとした体格だが、不格好というわけではなく、どこかギリシャ彫刻の男性像のように、力強さと美しさが両立しているように思えた。甘い笑みより、堅いキリッとした表情が似合う人である。
「……でかい男が珍しいか? アルベールともそう変わらんと思うが」
「あっいえ、そうじゃなくてですね……」
体は微動だにしないのにその唇がいきなり動き、私は彫像が話し出したような錯覚を受けた。幸い、今は参列者も途絶えたようで、私は遠慮しがちな小声で……少しだけ彼に気になっていたことを聞いてみることにした。
「すみません、軽々しく尋ねていいことなのかわからないのですが……。この国の魔女という人たちは、いったいどういった人たちなんですか?」
奪聖痕を刻まれた聖女が魔女となる、という事実は知ったけれど。
魔帝国の全ての魔女がそうなら、年間ものすごい数の聖女が聖王国から魔帝国送りにされていることになる。そんなことはあり得ない。
おかしいと睨んだ通り、ラエルさんは私に魔女の発祥と、帝国における魔女の定義を説明してくれた。
「源流は、大昔に邪なる力を持って追放された聖女たちだとされているな。迫害を恐れて新天地を求めた末、辿り着いた場所で現地の少数民族と生活する内に、その血脈が取り込まれ、やがて特別な力を扱う者たちが生まれてきたのだと」
そういえば……アルベール様もそんなことを教えてくれたような。
「では、彼女たちが操る魔法は……奇跡と同じものなのですか?」
それは、ある意味魔女を誇る魔帝国の重鎮にとっては失礼な質問だったのかもしれない。
けれど、ラエルさんは気を悪くせずに答えてくれる。
「……いや、それがどうも違うらしい。魔女の扱う魔法は、“怒り”、を元にしたものだそうだ」
「怒り……」
復唱した私に彼は鋭利なナイフじみた黒瞳を向け、頷きかける。
「そうだ。不満、憎しみ、嘆き……負の感情から発するそれらが、現状を変えるための望みとなって発露し、現実に作用する。ゆえに“祈り”を元にした奇跡とは違って、忌み嫌われる対象となった」
(そうか……アンジェリカの時も)
私への妬みや蔑みが……彼女の元々あった聖力を、黒く染めたんだろうか。そんなことを考えると、少し悲しくなる。
ラエルさんの瞳も、過去にあったであろう魔女たちへの迫害を悼んでいるのか、靴の先へとしめやかに落とされた。だが、彼は小さく首を振ると言う。
「だが、今の陛下はそれのみではないとお考えだ。確かに魔法の発現時にそういった感情が作用していることは多い……。しかしそれは自分の意志によって制御できるもの。打ち勝つことで、魔女たちは魔法を正しく扱い……同胞を守り国を支えるための力にしてきた。決して卑下するべきではなく、我らはこれを持って生まれたことを誇りに思うべきだと、いつもおっしゃっている。俺も同じ考えだ」
彼は力強く言い切った後、ふっと微かな笑みを口元に浮かべる。
「つい柄にもなく語ってしまったな。実は俺も少しだが魔力を宿しているんだ」
「えっ⁉ じゃあこちらにも、聖騎士みたいな方々がいるんですか?」
「ああ。魔法騎士という。主に陛下の親衛隊や、帝国軍各部隊のまとめ役を担っている。彼らは誠実で強い……俺の、自慢の仲間だ」
目付きは変わらないが、信頼の籠る瞳の輝きに、そういう人たちが彼の周りにいることが嬉しく思えた。そしてやはり、この人には何か近しいものを感じる……そんな思いで見つめていると。
「君は……孤児ということだったが、小さい頃のことを覚えているのか?」
「あ……はい」
願ってもないタイミングでその話題が上がり、私は……少し迷う。
今、この国は大きな瀬戸際に立たされ、彼らはその責任を背負うべき人たちでもある。もし私の個人的な事情を明かすことで、余計な感情を……彼らの心に一抹の惑いを与えてしまったら。
ここは気持ちを抑えて口を閉ざすのが、正解なんじゃ……。
そこで、立派な椅子に腰かけた魔女帝が告げた。
「想いは水底に沈む石のごとし。一度沈めばあとから積もりゆく時によって奥底に隠され、いつかは触れることさえ叶わなくなろう。その問いは……怯懦に迷い捨てし時、後悔を抱かざるものなりや? ちなみにそのうつけは、相手が黙すと一生押し黙る口下手男ぞ」
「いや、そんなことは……」
軽く咳払いしたラエルさんに、私はくすりと笑ってしまった。
……魔女帝の言う通りだ。私にとってこの疑問をはっきりさせることは、もはやこの先の人生と同じくらい、重大なこと。それを聞ける機会は、この先もう無いかもしれない。
彼女の助け舟で、ようやく決心がついた。正直、怖いけど……覚悟を決めて聞いてみよう。
「――ラエルさん。あなたはもしかして……私のお兄さんなんじゃないですか?」
スッ――と、息を吸い込む音だけがして。彼はしばらく瞳を閉じる。
「……………………」
呼吸の音だけが響く、静かな時間がしばらく流れた後。
彼女は魔女帝に顔を向けた。
「……陛下。明日少しばかりお時間をいただけないでしょうか。どうやら……真実を話さなければならないようです」
「よかろう。余も少しばかり座すのに飽いた。ここにこの娘が送られたのも天の配剤……そなたの意思を尊重することにしよう」
魔女帝から許可を引き出し、明日まで待つよう告げたラエルさんに承諾すると、しばらく待ってまた謁見が再会された。
ここで、ようやく知ることができる。
いったい私は、シーリはどこからやって来たのか。
どうしてあの父親は、シーリを聖王国に逃さなければならなかったのか――。
胃が痛くなるような焦燥と、恐怖のようなものを押し殺してその日を過ごし、眠れない時間をベッドで夜空を見ながら過ごした。
知らない国での不安な夜は、とても長く感じたけれど……窓の中から楽しげ星空を見ていれば、アルベール様が隣で色々教えてくれた時のことを思い出せる。
でも……ひとつだけ。遠くの空でぽっかりと開いた……星々の光も遠ざけるようなあの黒い円だけは、私の目にも寂しく孤独に映った。
◇
ホルドキア領で過ごした最初の一日の翌朝。
朝食の後で、ラエルさんはまずひとつの部屋に私を案内してくれた。
「ここは……女性の部屋?」
白の壁紙、薄紫のカーテンや家具の上に飾られた可愛らしい小物や花。趣味はいいけれど、余りにも女性的な雰囲気で溢れすぎて、彼の部屋だと言われたら腰を抜かすところだ。
ただ……一目でわかった。この部屋は――ずっと時が止まっている。
「ここは――そのままにしてある。俺の大切な家族が暮らしていた当時のな」
魔女帝は、何も言わずに後ろから私たちを見つめている。その視線は、ほんの微かに痛みのようなものを伴っていた。
ラエルさんが、そこにあったテーブルをそっと撫でた後、奥の壁に向かって歩いていく。そして――。
「ここで暮らしていたんだ……」
彼の手が、そこにかかっていた絵画に被さっていた覆いを外す。
そうして現れたのは……。
「クラリス・ホルドキア。陛下の妹であり……俺の、そしてお前の……母が」
部屋と同じように、私自身の時も止まったような気がした。
ずっと探し求めて来た人が……ここにいた。
目線が額縁に自然と吸い寄せられる。
そこでは……ひとりの女性が。
私と同じ白い髪をした『母』が、幸せそうに微笑んでいる――。




