◇幕間 憧れの姉(リオン視点)
シーリ姉さんのおかげで、畑作業に時間を掛けなくても飯が食えるようになって。
俺――リオンは孤児院の裏庭で、時間さえあれば木剣を振っている。
身体を大きくして、早く強くなりたい。……いつか俺も聖都に行って、騎士になるために。
「リオン、またこんなところにいた。もうお昼ご飯だよ?」
「……ああ、行くよ」
アミが建物の陰からひょこっと顔を出し、俺は壁に剣を立て掛けた。ロロももちろん腰にしがみつくようにして付いてきており、姉さんがすぐに行ってしまってよっぽど寂しかったことが窺えた。
「せっかく帰ってきたのに、またすぐ出て行っちゃったよね」
「……仕方ないだろ。姉さんは、すごい人なんだから」
タオルで汗を拭きつつ、俺は口をひん曲げる。
姉さんが聖都に行ってひと月くらいしてから、この街は大きく変わった。
王国から使者が来て、姉さんが正式に聖女として認められたことを町長に話したんだとさ。
仮にも聖女が排出された教会を、朽ちるにまかせとくわけにもいかなくなったんだろう。聖王国から命令が出てこのボロ教会も修繕され、院も立派な屋敷に建て直されて専門の世話係までついた。
今ではちゃんとした服も食事も与えられ、勉強まで教えてもらえる。そこでも、姉さんが暇を見つけて教えてくれた読み書きや計算の基礎がすごく役に立った。
この通り、今じゃ、逆に周囲の子供に孤児の俺たちが羨ましがれるぐらい劇的に待遇は改善されたんだけど――。
それだけじゃ飽き足らず業突く張りのシスター・ラミニは町長と組み、大々的に街のアピールと教会の宣伝に乗り出しやがった。おまけにその後姉さんが大活躍をしたもんだから、この教会は素晴らしい聖女を輩出したとして、近隣の観光客や聖女志望の女の子たちの聖地みたいになってさ。
「本当にシーねえはすごいよ……。あたしたちみたいなのといたのが嘘みたい。それに……えへへ、すごく綺麗になってたよね。服も髪とかもちゃんと整えて……なんか別人みたいだったなぁ」
アミは視線を遠くしながら羨ましそうに言ったが、俺はそれを一部否定する。
「姉さんは姉さんだよ。綺麗になって聖都でもてはやされようが、俺たちに対する態度は全然変わんなかったろ。あの人は、優しくて格好良くて、いつでも俺たちの自慢なんだ」
姉さんはたくさんのお土産と一緒に戻って来て、俺たちのことを笑顔で抱きしめてくれた。あの聖騎士団長のアルベールさんみたいな立派な知り合いがたくさんできて……俺たちのことなんて忘れたって構いやしないってのに。
「リオンって、シーねえの信者みたい」
「否定はしねー。だって、姉さんが助けてくれなかったら、きっと俺はどっかで……」
野垂れ死んでた――そんな言葉を呑み込み、ここに来た時のことを思い出す。
俺は小さい頃、遠くからこの街に辿り着いた両親に置き去りにされた。
多分、仕事がうまくいってなかったんだろうな。うっすらと覚えてる親父やお袋の顔は、喧嘩してる時のやつばっかりだし。
いつまでたっても、誰も迎えに来ない。行く宛てが無くて、俺は夜中に教会の壁を背にして座り込んでた。寒くて、寂しくて……泣きべそをかくことしかできなくて。世界中から無視されてるような気分になって……。
でもそしたら、姉さんが建物の中から出て来て、俺に手を差し出してくれたんだ。「もう大丈夫だよ。誰かが迎えに来てくれるまで、ここに居ていいから」って。
当時物心がつくかつかないかくらいの年だった俺は、それからほとんど姉さんに育てられたようなもんだ。シスターは俺が居つくのを許してくれたものの……食事の世話だの家事だのは全部姉さんにまかせっきり。しかも大きくなるにつれて、自分のやってた教会の仕事もどんどん彼女に丸投げしてった。
小金を渡されては街に買い物に出され、足りない分は街の人に頭を下げてツケ、あるいは仕事の手伝いで割り引いてもらったりしてさ。やりくり上手な姉さんを見る街の人たちの目は、柔らかかったな。無理して頑張ってるのが誰の目にも分かったから……。
ようやく畑作業とかを手伝えるようになって、俺が男に生まれたことに感謝するようになった頃。新しい孤児……アミとロロのふたりがやってきた。
国から支援金を多く引き出すには複数の孤児が必要だってんで、シスター・ラミニがどっかから引っ張ってきたんだと。アミは俺よりひとつ下、ロロはまだやっと立てるかどうかくらいの幼児だった。
それからまた姉さんは輪をかけて忙しくなって……。当時アミは分からずやで、よく俺と喧嘩してたし、ロロは赤ん坊みたいなもんだし……朝から夜までロロを負ぶってあちこち走り回ってたっけ。
でも、姉さんが俺たちに嫌な顔を見せたことはまるでなかった。
俺も必死になって手伝いをしたし、ぐれてたアミも世話焼きの姉さんに次第に心を開くようになって……少しずつ態度も落ち着いてって。
数年後には本当の家族みたいな感じで、いつも姉さんを真ん中にして一緒のベッドで寝るようになった。皆親がいなかったから、姉さんがその役割をしてくれて、いつでも孤児院の中心だったんだ……。
あのシスターでさえ、あんな風にイヤミな態度を取ってたけど……用事を言いつけるのは決まって姉さんだけだったんだぜ。なんだかんだ、信頼してたんだろうさ。
……でも、俺達には姉さんがいつかどこかに行ってしまうってのもわかってた。
ことあるごとに親からもらった黒い髪留めを見つめ、何かを思い定めるような目をしてたから。
俺は焦った。姉さんに置いて行かれてしまう……その時が怖くなって、だんだん笑っていられなくなっていったんだ。
せめて姉さんと同い年くらいなら、無理にでも付いて行って守るのに――そんなことを考えていた矢先、あの事件が起こった。
魔物の出現。よりにもよって聖女選別のその日に。
畑作業の最中に林の中から現れたそいつに……俺も姉さんみたいに、こいつらを守んなきゃって踏ん張ろうとした。だけど結局なにもできなくて……そしたらやっぱり姉さんが来てくれた。
血相変えて金ぴかの杖を振り回して、どうにもなるわけないと思ったのに……そこで姉さんは、奇跡を起こしたんだ。
(止められるわけないよなぁ……)
本当は引き止めたかった。アルベールさんが姉さんを連れてゆくと言ったあの時。
悩んだよ……だって、ここで何も言わなければ、姉さんは俺たちを気にして残ってくれるのがわかってたから。でも、困ったような顔をする姉さんの指先は髪留めに触れていて……結局、黙ってられなかった。
今でも、よかったと思う気持ちと後悔が半々だ。姉さんの姿を見れない生活はキツい……。任される仕事とかシスターのいびりとかは少なくなったってのに、なんか心から温かいものが抜けちまって、やる気がどうも出ないんだよな……。
(やっぱり俺、姉さんのことが本気で好きだったんだな――)
「それでどう? 本当にあんたみたいなのが騎士なんてなれんの?」
「……あん? さあな……」
横合いからアミが手応えを訪ねてきたが、俺は生返事で返す。
アルベールさんにちょっとだけ手ほどきをしてもらう機会があって、その時剣の筋は悪くないと言われた。あなたみたいな騎士になるにはどうしたらいいのか聞いたら、彼は聖都の住み込みで働ける剣術道場を紹介してくれると言ってくれた。騎士団にも、そういうところで研鑽を積んで試験に合格した人が少なからずいるらしい。
とはいえ……両親も行方知らずの俺には不可能ではないというくらいの狭き門。
それでも、挑戦すると心に決めた。
「今年で俺は十二だから……後四年で聖都にいく。それまでは外で力仕事でもして金を貯めるかな。アミ、お前はどうする?」
そこでロロが不安がってぎゅっと身体を寄せ、アミは苦笑した。
「あたしは……もう少しゆっくり決めるよ。この子が大きくなるまでは面倒みてあげたいし、今度新しい子たちも入ってくるらしいじゃない? 色んなことを覚えて将来ここで働くのもいいかもって思えてきた。ここだって姉さんが建ててくれた大事な場所だし、守る誰かが必要でしょ?」
「ま……そだな」
姉さんがいなくなってから、少しばかりアミから子供っぽさが抜けたように思う。今まで当たり前にあった大きなものが失われると、心がそれを埋めようとして、否応なしに人は変わっちまうのかも。大人になるって、そういうことでもあるのかもな……そんな実感を得ながら、俺は侘しさを噛み締める。
「リオにーにも、どこかにいっちゃうの?」
「もっと先の話さ。だから今は心配すんな、アミもいる」
今は俺が一番ここの年長だ。こいつらを心配させちゃいけないと、ロロのふわふわの金髪を撫でてやった。泣き虫のこいつだけど、姉さんに成長を見せようと最近は頑張ってる。でもひとりで過ごしたり、新しい兄弟の面倒を見られるようになるには、もう少しかかりそうだ。
他愛ない話をしながら院の食堂に戻ると、シスター・ラミニがギロリと睨んできた。
「遅いんだよ。ったく、気が短い年寄りをまたすもんじゃない」
「はいはい、申し訳ございませんね」
(先に食べてりゃいいのに。あたしたちに嫌味言うために待ってたわけ?)
シスターは、むっとした俺たちにケッと毒づき、とっとと食事に手を付け始める。
この人との関係だけは……姉さんがいなくなってもそう変わっちゃいない。
この婆さん、相変わらず教会への寄付金をちょろまかしたり、姉さんの名前を使って観光客に土産物を売りつけたりして、好き放題してやがる。なので、俺らもこの人のことは嫌いだ。
だけどさ……。時折誰かをシーリって間違えて呼んでは苦虫を噛み潰してるあたり、この人も人間だ。彼女にとっても姉さんは特別な存在だったんだなと思う。
帰ってきた姉さんは、シスター・ラミニと対等に喋れるようになってた。多分だけど……あの人はシスターを許してあげられたんじゃないかな。……俺たちとは比にならないくらいひどい仕打ちを受けていたってのに、どうしてそんなことができたんだろう?
「なんだい、人の顔をジロジロ見やがって。飯が不味くなるだろうが」
「別に……」
やっぱり、腹が立つ。俺は姉さんみたいにはできないな。
仕返ししてやろうとまでは思わないけど、たとえこの人が助けを求めて来たって、手を差し伸べようとは思えそうにない。嫌いな相手への無関心さ、それがこの生活で見つけた答えだ。
でも……アミはまた違うみたいだ。
「いい年なんだし、食べ始めるのくらい皆と合わせたら? みっともないわよ」
場がしんとした。がちゃんとテーブルを揺らして立ち、シスターを怒鳴りつけた彼女にびっくりして、俺もロロも体を固める。
だが、シスターだけは動揺せず、皮肉げにその態度を嘲笑った。
「はん。このあたしがどうしてお前らみたいなちんちくりんに気を遣わないといけない? あたしはね、一生あたしの好きなように生きるのさ。ガキの指図なんか受けないよ」
「なら、一生そのガキ以下のマナーで周りから嗤われていればいいわよ。あたしたちにはシーリ姉さんっていう立派な見本があるもの。あなたには合わせない」
「あんだって……?」
アミは真正面から言い返すと、しれっと「奇跡を」と――食事の祈りを捧げて静かに食べ始める。こいつが今まで表立ってシスターに反抗するようなこと、なかったのに……。
「チッ……あたしに偉そうな口を利くのは、デカくなって自分で稼げるようになってからしな」
当然シスターはとっとと食事を終えて乱雑に口を拭い、ナプキンを放り投げて席を立った。だがちらっと俺には、去り際口の端がわずかに上がっているように見えた。
「アミ、なんであんなこといったんだよ」
未だぴしっと固まっているロロを、ぽんと叩いて食事を始めさせてやると……俺はアミに尋ねた。
彼女は皿の上のハムをぐっと突き刺し、もぐもぐと頬張って告げる。
「あたしは姉さんみたいになれないもん。あの人には一生優しくしてやらない。喧嘩してやる……いつか、ちゃんと今までのことを皆に謝るまで……」
「……気持ちは分かるけど、ほどほどにな」
そんな風に言うと、アミはロロの食事の世話を優先し始める。
俺には、姉さんもアミも、どちらの考え方も正しいように感じた。
答えって、人によって全然違うんだな。
生きていれば、俺もいつか相容れない誰かと、意見をぶつけ合うこともあるのだろう。その時に、俺は自信を持って、自分が正しいと言えるようになれるんだろうか――。
(せっかく、姉さんに救ってもらったんだ。俺も……いつかこれでよかったと思えるように生きなきゃな)
いつの日か、憧れの人の足跡を追えるよう。
そして振り返った時、自分の歩いて来た道筋を肯定できるようになるために。
俺は……また午後も剣を振る。




