38・裏切り者と遠吠えと
聖女服から改められた、帝国風のレッドドレスが、炎のように翻る。
帝国兵たちを後ろに従え……ゆったりと近づいて来たヴィーナ様――いや、元力の乙女ヴィーナは、私たちに嫌味たっぷりに告げた。
「居所がバレたのが不思議だって顔だねぇ。予め、この辺りにはいくつか、姿見の魔道具を設置しておいた。怪しい動きをしているアンタたちの探すのなんて、わけはなかったのさ」
監視カメラのようなものを街中に仕掛けられていたのか。そこまでの準備があるとは思っておらず、背中に汗が滲む。
しかし、いっそ清々しいくらいの寝返りよう。まるで最初から帝国軍側であったかのように、ヴィーナは私たちを強く睨みつけた。
「ククク、逃げた魔女帝たちの手引きがあったんだろ? たかが聖騎士ひとりと成り上がりの聖女風情、見逃してやってもよかったんだが……メナ様のご命令とくればね。さあ、お前たちには大人しく捕まってもらって、魔女帝の居所を吐いてもらおうじゃないか」
彼女は趣味の悪い黒扇子を掌にバシバシ叩きつけると、こちらへと迫る。
アルベール様も私を背に庇い白い剣を抜いた。
「力の乙女の称号を手にしながら……聖王国をなぜ裏切る?」
「ふん……あんたらは何も知らないようだね。あたしがこうしなけりゃならなくなったのも、そっちの小娘が余計なことをしたからじゃないか。本当はね……アタシが王妃を回復させ、その功績でルイーゼを追い落として……二代目の大聖女となり聖女会を牛耳る段取りだったんだよ‼」
「なんだって……⁉」
聖王国の裏側で進んでいた計画に衝撃を受ける私たちに、ヴィーナはべらべら自慢げに語りだす。どうやら、私たちがティリシャ王妃を救おうと動いていたその頃、ジーレット侯爵は国王に大聖女制度の復活を迫っていたのだとか。
だが、王妃の封印が解かれ、すんでのところで意識を取り戻したことで、制度の復活はお流れ。その後計画を主導していたジーレット侯爵は失踪……彼女たちの企ては破綻することとなった。
「そして結局、聖王国から逃げ出したベレニュスはメナ様直々に始末された。あんたのせいだ……シーリ・アンテノア! アタシも三年前の事件で目を付けられちまった……ここでひと働きして媚びを売っとかないと、命が危ないんだよ! アンタは正しいことをしたつもりなのかもしれないけどねぇ、こっちにしちゃ大迷惑だ! せめて大人しく、アタシが生き残るための生贄になりな!」
「バカな……。メナの目的はこの戦に先駆けて聖王国を大きく混乱させることだったはず。たとえシーリに成り代わり、お前たちが聖王国の変事を収めたところで……確実に彼女はどこかでお前たちを排除しにかかっていたさ。彼女の活躍は関係ない!」
アルベール様がその主張を切って捨てると、ヴィーナはまるで子供のように顔を赤くし地団太を踏んだ。
「うるさいうるさいっ! アタシがこの地位に上り詰められたのはベレニュスのおかげなんだ! あいつがいなけりゃもうどうしていいのかわからないんだよっ! 至高の聖女の座に手が届くところまで来ていたのにっ……。お前らは捕えて、アタシに逆らったことを存分に後悔させてやる!」
「ヒッ……ヴィーナ様! おやめください、ここでは!」
彼女の身体が、ぼうと炎に包まれ燃え上がった。側に居た兵士たちが悲鳴を上げ、我先に遠ざかる。噂に聞いていたけど……力の乙女ヴィーナは“火”の奇跡を扱うらしい。
彼女にも彼女の言い分があるだろうけど……さすがに金盞花の聖女として恵まれた生活を送っておきながら、犯した罪への復讐から逃れたいがため、王国全土を身代わりに差し出すなんて許されない。
この人は……倒すしか!
だけど、そう簡単にはいかなさそうだ。
アンジェリカと戦った時と同様……いやそれ以上のピンチだ。いかに密度を上げても相手が火では、簡単に燃やし崩されてしまう。こちらの攻撃もおいそれとは通じないだろうし……。
対応に迷う私に、アルベール様が囁いた。
(シーリ、大丈夫だ。彼女には弱点があるって、マール様から聞いてる。今から、僕の言う通りに――)
(……なるほど、やってみます)
私たちは頷き合うと、アルベール様が立てた作戦を実行に移し始める。
「や~い、このヒキョー者。どうせ金盞花の聖女になれたのだって、まわりのお貴族様の口利きがあったからだったんでしょ? そんな見掛け倒しの人が私たちに敵うわけないんだから~」
「そうだそうだ。小耳に挟んだぞ、実は最近額の小ジワが増えてきたのを気にして、日に日に化粧の厚さをかさ増ししてるそうじゃないか~。そんなことじゃ、魔帝国に寝返っても嫁の貰い手がいないぞ~」
「キーッ……こ・む・す・め・ど・も・がぁ~……!」
すなわち精神攻撃。まあ、所詮私もアルベール様も人をディスるのが得意ではないから、おままごとみたいなものだけど……。それでも十分気に障ったか、ヴィーナは手にしていた黒扇子をバキとブチ折り、地面へと叩きつけて激怒した。
もし、ここで火炎放射的な遠距離攻撃をされようものなら防ぎようがないのだけど――彼女はなんと素手で飛び掛かってくる。
「もういい! お前たちはメナ様に引き渡すでもなくここで始末してやる!」
その速度は聖騎士並み。
私の目には彼女の姿が掻き消えたようにも見えた。けど……。
「――っと。舐めてもらっちゃ困るな。これでも一応聖騎士たちの長でね」
「くっ⁉」
気付けば私はアルベール様に抱えられ、近くの民家の屋根の上に移っていた。彼は私を横抱きにしたまま眼下のヴィーナを一瞥する。
「やっぱり、抱き抱えるのはこういうかわいい子でなくちゃな。白粉で粉だらけにされても困るし、あんたみたいなやつと遊ぶのはごめんだね。それじゃ!」
「むきぃぃぃぃぃっ! お前たち、全員であいつらを追い詰めろ! とどめはアタシが刺す!」
「し、しかし……さっきのヴィーナ様の攻撃で街に火の手が!」
「うるさいねっ! そんなのぼんくらの国民どもに任しときゃいいんだよっ!」
そうして――たちまちひとりの聖騎士対帝国兵数百の追いかけっこが始まった。アルベール様もここでの交戦はコルジェの街に被害を広げかねないと、場を変えるつもりなのだ。
(だけど……この流れはまずくない?)
アルベール様の走り始めた方角は、帝都側。
さっきバーテンが話してくれた通り大河が……しかもそこにはうじゃうじゃの帝国兵が見張っているはず。かといって他の方向に逃げれば、帝都へとたどり着くまで大幅に時間を浪費する。
「シーリ、大丈夫。計算通りだ」
だが、彼は何か考えがあるのか口角をクイと引き上げた。
(何か……聞こえる?)
耳に人の話し声のようなものが届き、ハッと顔を上げる。
アルベール様の横髪の間で揺れる緑のイヤリングが、しきりに点滅していた。
◇
予想以上に広大な大河が、目の前に姿を現した――。
差し渡し二、三キロといったところか、水底が見えず深さもかなりありそう。普通に船で渡っても、向こう岸に辿り着くには十分以上はかかりそうな規模……しかもあちこちに帝国旗を掲げた帆船が遊泳している。
「ククク……あれだけ挑発しておいて、ずいぶんあっさり追い詰められたもんじゃないか」
「くっ……」
私を抱えたアルベール様の足が止まり……岸側にじりじりと近づいていく。
周囲も続々と集まってきた帝国兵たちで、真っ黒に染まりつつある。
進退窮まったと見たか、そこでヴィーナは威勢のいい掛け声とともに飛び掛かってきた。
「死ねぇぇぇぇっ!」
貴族令嬢の矜持はどこへやら。火炎を纏った拳が思い切り叩きつけられ、地面が砕け散る。恐ろしい威力だけど――まったくもって聖女らしさのかけらもない。
でもやはり……マール様が教えてくれた通り、ヴィーナは直情傾向型のおバカさんで間違いない。
その聖力は確かに、力の乙女と称されるにふさわしい膨大さで、聖女会の中でも指折り。ただ……聖力の扱いや知識に関しては下級の聖女にすら劣る有様で、いわゆる脳筋に過ぎないのだ。火炎を噴出させたり飛ばしたり、操るといったことはできず、身体に纏うという聖騎士寄りの使い方しかできない。
そんな彼女が成り上がれたのも実家やジーレット侯爵たち貴族連合のおかげ。
ゆえに、できる戦い方は限られている――。
「こそこそと逃げ回りやがって……。だが、もう後はないよ!」
二撃、三撃とアルベール様は躱したが、徐々に包囲は狭まり、踵が岸の縁を掴む。
そこでヴィーナはククッと喉を鳴らすと、アルベール様に提案した。
「フフフ、しかしアンタ……間近で拝めば本当に聖都でも滅多に見ないほどの男前だねぇ。どうだい、そんな小娘捨ててアタシに尽くさないか? そうすれば……情夫としていい目を見させてやるよぉ?」
真っ赤な唇をぺろりと舐め、彼女がアルベール様を誘惑する。
「ハッ……」
だが彼は……それを一笑に付してみせた。
「生憎と、下品な女は好みじゃなくてね。君に買われるくらいなら、舌を噛んで死んでやるさ」
「言ったねえ! ヒヒ、その意地、どこまで通せるかふん縛って試してやる!」
すでに帝国兵の囲いも私たちの数歩圏内にまで近づいている。それがじりじりと迫り……。
嬲るように近づいて来たヴィーナの指先が……私を抱えたアルベール様の頬に触れようとした刹那――。
「君らにも聞こえるように、少し音量を上げてあげようか。……シーリ、耳飾りのリングを右に回して」
「なにぃ?」
何らかの攻撃の予兆かと思ったヴィーナが半歩退き、私は戸惑いながらも言われた通りに手を伸ばした。すると……アルベール様の耳から垂れる緑の宝石、そこから……何か聞こえてくる?
『――ずいぶん好き勝手に余の兵を動かしてくれておるようじゃな。力の乙女とやら』
「なっ……! まさか、貴様……」
ヴィーナが刮目し……バッと横を向いたアルベール様が顎で対岸を差す。
そこには……確かにはっきりと、黒衣のふたつの人影が確認できた。
私たちにでも分かるくらいだ。なおさら帝国兵たちにはその正体が容易に知れただろう。
「「魔女帝(陛下)――!」」
『痴れ者どもが。そのような裏切り者に軍の舵取りを任せるなど、魔帝国の恥と心得よ!』
「おぉ……お許しを」
厳しい叱咤に畏怖したか、兵士たちの多くがその場に跪く。
その様子を見て舌打ちしたヴィーナだったが……その後すぐ甲高い笑い声を上げた。
「……アハハハハ、バカが! 狙われてるのが分かってて、のこのこ姿を現すか。ほら、お前らとっととこいつらを縛り上げ、船でやつらを捕えに行くぞ!」
「ですが……!」
「ですがもなにもない! 逆らってみろ、今ここで燃えかすにしてやる!」
ゴッとヴィーナの手から火が噴き、恐れ慄く兵士たちが再びこちらににじり寄る。
「魔女帝の出現でこっちに隙を作ろうって魂胆だったろうが、甘かったねぇ。さあ、そろそろ観念しな……」
「君らの方こそ、僕らを甘く捉えすぎじゃないか?」
状況は変わらず、余裕を滲ませたヴィーナの鼻先に……アルベール様は不敵に笑いを突き付けた。そして――。
「きゃぁぁぁぁっ⁉」
何も知らない私の喉が放つのは悲鳴。
だってなにせアルベール様が何もない水面目掛けて身体をぐらりと傾かせたんだもの。
その行動を頭上からの嘲笑が追う。
「アハハハハッ、残念だね。その川は冷たく流れも速い! たとえ潜ろうったって息が続かず溺れるのがオチさ! 死んだ魚みたいに浮いておいで!」
だが……水面に水飛沫は上がらなかった。
代わりに――。
「頼みます!」
アルベール様が向こう岸へ言い放った瞬間。
ビュオッ――背中側から猛烈な北風が吹きつけて。
「なんっ⁉」
「それじゃ、失礼!」
見渡す限りの広大な大河が、なんと一斉凍結されてしまった。
ヴィーナが岸を覗き込むその間に、アルベール様は軽いウインクを残してその場から駆け去ってゆく。
「お、お前ら川におりてやつらを捕まえろ! 船のやつらもだ、逃がしたら承知しないぞ! ぎゃっ!」
そう命じながら、自らも氷の上に降り立つヴィーナ。だが彼女はその途端滑ってバランスを崩し、盛大に後頭部を打ち付けた。
一方アルベール様は、スイスイと滑るように氷上を駆け、あっという間に川の半分を渡り切る。
「す、すごい……滑らないんですか⁉」
「急峻な崖を下ったりもするから、聖力を留め具のように扱う技術も習得済みだよ。さすがに彼女では、そんな繊細なコントロールはできないはず。もう追ってこれないだろうね」
なるほど、さすが聖騎士団。さっき民家の上にを警戒に移動したのもそのあたりの鍛錬の賜物なのかも。河に浮かぶ船も船底が凍結しているのか動かせず、慌てて駆け降りこちらに向かう兵士たちも、誰ひとり追いつけそうな者はいない。
「きっ、貴様ぁぁ……待ぁてぇぇぇ! あぎゃっ!」
「……っぷぷっ」
ちょっと走ってはごろごろ転んで身体をあちこち打ち付けるヴィーナに、私は不謹慎ながらも笑ってしまう。だってあのハイヒールじゃ絶対氷の上を走るの無理だよ。まるでスケートを覚えたての子供みたいで、綺麗にセットした髪や化粧がもうぐっちゃぐちゃ。
そろそろ視界の前方では、無表情で佇む魔女帝と、腕組みした軍団長のラエルさんが見えて来た。
ふたりには微塵の動揺もなく、さすがの貫禄って感じ。
「最初からこうなるよう打ち合わせてたんですか?」
「時間調整が必要だったけど、なんとかなったね。でなくば……そうだな。シーリの奇跡で頑丈な船を作ってもらうっていう手もあったかもしれないけど」
確かにそうすれば、ヴィーナが無茶して追ってこない限りはなんとかなったかもしれない。よくこんなに次々作戦を思いつくものだと感心していると、だてに何年も騎士団で務めてないから――とアルベール様は謙遜しつつ華麗に微笑んで見せた。
そうこうしているうちに、アルベール様の足が大河の端を踏む。対岸からは、続々と大勢の兵士たちが追って来ようとしているが、金属鎧が不利に働いたのか、多くはまだ真ん中にすら到達していない。
魔女帝の前で腕から降ろされた私は、アルベール様の隣で跪く。
「ご協力傷み入ります、魔女帝陛下。このご恩は、あなた方を無事に送り届けることでお返しできればと」
「構わぬ。追撃に備え、余もここで少しばかり兵たちの戦意を削いでおく必要があったのでな」
彼女は涼しい顔で首肯すると、すっと私たちの横を通り抜け、岸際で宣告した。
「無礼者どもよ、聞け! 今からそなたたちに見せてやろうぞ、真の魔女帝に逆らうということが、どういうことなのかをな!」
彼女は手にした長杖を、地面にトンと突く。
するとたちまち、先程よりも冷気を増した氷嵐が川面を取り巻いていく。
「「ぎゃあああぁぁっ! お助けぇっ!」」
「チッ、こんなもの奇跡で! っ――⁉」
ヴィーナは、奇跡で火の守りを展開したけど――ああ、そんなことをしたら。
「はぶうっ! ひぃ、冷たいっ!」
溶けた氷の下の川に、じゃぼんと飛び込むハメに。
「ふざけっ……こんな、すぐに上がってやる! うぅ、こ、氷が……氷が溶けて上がれないっ⁉」
うーん、無限地獄。奇跡を解けば氷に包まれ、かといって奇跡で身を守っていたら、永遠に水の中から上がれないという。しかもヴィーナは余り泳ぎが達者でない様子。
「き、貴様ら! 許さないから……がばっ! こんな氷、すぐに……。ドレス、重っ! だ、誰か助けろ、誰か――!」
「ほほほ、楽しそうだこと。まあ、この陽気でならじきに氷も溶けよう。それまでしばらく氷と戯れ、余に歯向かった浅慮を悔いておれ」
そうして――ころころと機嫌良さそうに笑うと……水上にたくさんの帝国兵を釘付けにした魔女帝はくるり背中を向けた。とことん鮮やかな手際だった。
「陛下、馬を曳いてきました。三頭しかないので……アルベール、お前はその聖女と一緒に乗れ」
「ああ、助かる」
その内に、ラエルさんが近くに止めていた馬の手綱を渡してくれ、私たちはコルジェの街に添う大河を後にする。私たちを取り逃したヴィーナの遠吠えもすぐに途絶え――ふたりと無事に合流できた私たちは胸を撫でおろした。
しかし、これからどうするんだろう。まさか……このまま帝都に突撃するつもりじゃないんだよね?
そんな私の不安を読み取ったのか……速度を落とし並走しながら、ラエルさんが今後の動きを説明してくれた。
「ここから我々は一旦、ホルドキアという領地に向かう。そこは陛下の故郷で地盤も大きく……今頃魔帝国中から多くの賛同者が集まってきているはずだ。それらが集うのを待ち、率いて帝都を奪還する」
「なるほど……。さすがに陛下の力が絶大だとしても、多くの魔女や兵隊たちと、メナを同時に相手どるのは厳しいものな」
「そういうことだ。ホルドキア領までは半日もすれば着く。急ぐが、振り落とされずついて来い」
ラエルさんはアルベール様と頷きを交わすと、馬に鞭をくれ魔女帝の前に出て道を先導し始めた。
ふう……ここからが正念場。
ヴィーナの追跡から一時逃れたとはいえ……この後帝都に突入、ルイーゼ様を救出し、メナの計画――二か国の戦争を止めなければならない。
だけど……そんな大きな目標を前にしながらも、私の目は前方を進むラエルさんの姿につい惹かれる。
やっぱり、似てる……あの雪の日の夢で見た、大きな背中と。
(少しだけでいいから……彼と、話をしてみたい――)




