37・国境脱出
「ぷはっ! は~っ、息苦しかった……」
「お疲れ様。ここからは普通に歩いて進んでいけると思うよ」
茂みに隠れた大きな穴から顔を出した私を、アルベール様の手が引き上げてくれる。
ここは、聖王国の東部国境……ではなく。その向こう側に当たる、魔帝国西部国境の端っこ。
つまり……国境を抜け、私たちはついに隣の国へと潜入したのである。
聖王国と魔帝国とは、長い城塞を築き合って、お互いの領土を線引きしている。なので当然、私たちが向こうの国に入るためには、あちらからの許可をもらって城塞を通してもらうか、どこかから忍び込むしかない。
しかし今は戦争寸前。当然、私たちがすんなりとあちら側に入れてもらうことなど出来るはずもなく。なんらかの方法を見つけてあちら側へと辿り着かなければならなかった。
そこで、マール様が国境に辿り着く頃に連絡をくれた。魔帝国側から聖王国に抜ける隠し通路が存在するらしいのだと。
どうも……元は関税逃れの密貿易のために使われていたらしく、そうした通路を魔帝国側も聖王国側もいくつか押さえているのだとか。その内、向こうには知られていないものを一箇所教わり、私たちは十数キロにも及ぶ長い地下通路を通って二国間の緩衝地帯を越え、あちら側に侵入することに成功したというわけだ――。
狭い洞窟をところどころ這って進んだりしたせいで着いた土を、お互いに払い合う。
「こんな長い抜け道、いつの時代に作ったんでしょう」
「さあね……。最後に魔帝国と戦争があったのが二百年以上前だというから、その後かな。内部が保たれているのは、おそらく奇跡や、魔法のおかげだ」
内部は剥き出しの土ではなく、赤レンガなどで補強されていた。戦争時にこうしたものが使われていたら、国境線は今と違う形になっていただろうね――アルベール様はそんな風に話すと、私たちがやってきた西の方角を見据えた。
他の人員を連れてくることもできたのだが、結局魔女帝たちの救出要員は、私とアルベール様だけとなった。そういう指示が魔女帝たちの方からあったことと……抜け穴がかなり狭く、多くの人を同行させられなかったことが原因だ。まあ、あまり大人数でこそこそすると人目に付くし、これでよかったのかもね。
「そういえば、私魔帝国についてほとんど知りません……教えてもらってもいいでしょうか?」
まだ太陽が目に眩しく、私はしきりに目を瞬かせアルベール様に尋ねかける。
周りに人の姿がないか警戒していた彼は、コンパスで方角を確かめ、目的地に向かいながら話し始めた。
「僕も話に聞いた程度だけど……この帝国を作ったのは、魔女に堕ち、聖王国を追放された元聖女たちなんだってさ。元々大陸のこちら側は、山岳地帯や荒野が多くて人の住みにくい場所で、隠れ住むにはちょうどよかった。そこで……彼女たちは力を使い、長い時間をかけてこの場所を住みやすいように改良していったんだ」
「へえ~……」
だからか、国土こそ聖王国とほぼ対等なくらいに広いが、実際に住んでいる人口は聖王国の半分にも満たないらしい。ただ、帝都周りは王国に引けを取らないほど発展しているそうだ。
「あの場所には、月映宮という建物があってね。聖王国で言えば、いわば王宮のようなものなんだけど……実は魔女たちが建造したものじゃないらしい。なんでも、彼女たちがあちらに住み始める前から存在したという話なんだ。そして、その中には沢山の古代の遺物が存在していて……そういった品物が、魔道具という道具の原型になったんだとさ」
アルベール様が言うには、魔帝国の魔道具技術というのは、聖王国の法具技術以上に発展しているらしい。一説には、聖王国の聖女たちが法具を開発することができたのも、大陸のどこかから発見したそうした古代遺物に着想を得ることができたおかげである、などとも言われるほどなのだとか……。
「国としての歴史は聖王国より浅いかもしれないけれど、やはり侮れない力を持っているよ、魔帝国は。できることなら、戦いたくはない相手だと思うね」
「そうですよね……」
話の方向が暗くなったのを気にしてか、それから彼は、魔帝国の国民の暮らし向きに話題を変えた。なんでも、土地柄かあまり農耕での生産力は高くないらしく、小麦やお米などは貴重品で、いも、豆などが主食なんだって。家畜もヤギやラマなんかが多くて、牛や馬は数が少ないらしい。
「う~ん……このまま西に進むにしても、どこかで移動手段は手に入れたかったんですが、馬が手に入りにくいのは困りましたね。私の奇跡で飛んでいきますか?」
「いや……さすがにそれだとどこかで帝国兵に見つかってしまうだろう。帝都へと直接つながる経路には、多くの監視兵がついていそうだし。大きく迂回するか、やはりここはどこかの街で、足になるような動物を手に入れたい」
少ないとはいえ、ちゃんとした街に付けば馬の一頭や二頭くらいは手に入るはず。そんなややアバウトな考えで私たちは、最初の目的地であるコルジェという街に向かう。
フードを目深に被り、姿を隠しているとはいえ少し不安だ。ここからも見える城塞には、真っ赤な帝国旗が何本も翻っている。怪しまれれば、あそこから即座に追手が送られてくるかもしれない。
そんな中、アルベール様は冷静かつテキパキと方針を決めてゆく。
「とにかく、捕まらないことが最優先だ。街に付いたら怪しまれないように情報を集めよう。そうだな……僕らは旅の夫婦っていう設定でどうだい?」
「わ、わかりました」
まあ、いざとなれば君を背負って走るよ――なんてアルベール様は笑ってくれたが、さすがに聖騎士とはいえ体力の限界はあるだろう。ルイーゼ様救出作戦の前に消耗しては本末転倒。彼も私も、なるべく聖力は温存すべきだ。
にしても、本当にうまくやれるかなぁ……。
私たちで魔女帝たちを守り抜き……再び帝都まで連れていくなんて。緊張で、震えてきて――。
「ほら、手」
「…………?」
立ち止まったアルベール様が微笑んでこちらの手を取る。
「君の力が必要となるのはまだ先だ。それまでは軽い観光気分でいるといい。僕が必ず魔女帝たちのもとへと送り届けるから。こうしてれば、さすがに周りが見ても聖王国からの救出要員だなんて誰も思わないさ」
「はあ……」
仲良し夫婦を偽装する練習だと言うアルベール様に、私は恥ずかしながら手を引かれていく。
でも同時に、なんだか安心もしていた。ひとりじゃない……何もかもを自分だけで背負わなくていいんだと、教えてもらえたから。
「ありがとうございます」
「こんなくらいで君の信頼が得られるなら安いものさ。さあ、魔帝国観光旅行の始まりだ」
彼が一緒に来てくれて良かった。
そのことを痛感した私は……慎重かつ、少しだけわくわくした気持ちを胸に帝国の領土内を進み始めた。
◇
「綺麗な川があってよかったですね」
「ふう……。帝国内は山岳が多くて、鉱物資源の産出や水資源が豊富らしい。おかげで喉が渇く事態は避けられそうだね」
清流に手を浸した私が言えば、タオルで顔を拭いていたアルベール様が豆知識を教えてくれる。
魔帝国への潜入から数時間。上からは見つかりにくい木々の間を歩き、街道に出た私たち。
もう目と鼻の先に街の姿が見えている。
「この先には……大きな川があるかもしれない。まずいかもな。馬を買うのは得策じゃない……か」
遠くまで目を凝らした彼の予想では、どうもいくつもの川から支流が合流していそうな雰囲気らしい。さすが騎士団長ともなると、たくさんの兵を率いて戦うこともあり、周辺情報から地形を読み取る術にも長けているみたい。
「河を渡ることになると船を手に入れるか……もしくはやっぱり飛ぶかですよね!」
「飛びたそうなところ悪いけど、なるべくその方向はなしで。戦争開始直前の今、自国への報復も考えて、こういうところには侵略を防ぐための予備兵たちも結構駐留しているはずだ。どこかで船を手に入れて、こっそり向こう側に渡るのがベストだね」
いや別に飛びたくは……まあちょっとはその気持ちもないことはないんだけど。
こっちの国も空から見る景色は綺麗だろうし。でも、渡河中に軍隊から一斉攻撃を受けて真下にドボン、なんてことになったら目も当てられない。
ここは慎重を期すべきだが、合流するのに時間がかかりすぎるのも好ましくないと、アルベール様は難しい顔をしていた。
ともかく、現地へ急ごうということで――喉を潤し、休憩を終えた私たちは目指す街へと向かう。
コルジェという水辺の街に辿り着くと……そこはずいぶんひっそりとしていた。
「静かですね。魔帝国って、どこもこういう感じなんでしょうか?」
「う~ん、僕もこっちに来たことはほとんどないからなぁ。話をラエルから聞いただけでね」
ラエルさん。魔女帝と共に姿を潜めている……魔帝国の軍隊を率いるというあの男性だ。アルベール様とも親交があるらしく、彼は一時期聖王国に留学していたらしい。
「メナの方じゃなく、今の魔女帝が帝位を継承する以前に少しごたごたがあったらしくてね……。彼はその時に家族を亡くしてるんだ。魔女帝の甥にあたることでそれに巻き込まれ、大変な思いをしたらしい。あまり口達者な方じゃないけど、義に厚い、信用できる人間さ」
「そうですか……」
私は謁見の時を思い出して考え込む。どうしてラエルさんにあんなにも懐かしさに近い感情を覚えたのか。その答えも、彼らと合流すれば、明らかになるのかもしれない。
そこでアルベール様が……意を決したように尋ねて来た。
「あの……聞いていいかな? あの時君はどうして泣いたんだい?」
「へ? あぁ、あれはその……」
真剣な目で見つめられ、つい照れながら私は髪を弄る。うまくは説明できないけど……誤解のないよう、とりあえず恋愛感情ではないことだけは、伝えておいた方がいいのかな?
「な、なんとなくといいましょうか。懐かしい感じがしたんです……よく思い出すと、死んだお父さんに雰囲気が似てましたし。ひ、一目惚れとかじゃないですよ。恋とか好きとか、あんまり分からないし……」
「そ、そうなんだ。じゃあいいや。とりあえず、街の人に噂話でも聞いてみよう」
「はい」
何がじゃあいいやなのか――とりあえずほっとした様子の彼と一緒に先を歩く。なんだか一瞬変な雰囲気になっちゃったな。
しかし、初めて見る魔帝国の街って、陰があるっていうか……遠慮なく言うとなんだかちょっと寂れてる。家屋の色は黒ずんだものが多くて、人々の纏う服も、グレー、茶色、紫とか……こういっちゃなんだけど結構怪しげ。
「魔帝国では、聖王国とは反対に、黒や灰色が親しまれている。その中でも、光を映さない漆黒は、真の黒として、魔女たちや貴族たちが好んで纏う色だ。国民も暗い色調の方が落ち着くみたいだね」
いわばここは、逃亡者たちの土地だから――そう言われると少し共感が湧かなくもないかな。私も目も眩むように派手な聖都には未だに完全に慣れ親しんだとは言い難いし。意外と魔帝国民さんたちとは気が合うのかも。
そんなおかしなことを考えつつも訪れたのは、一件の酒場だ。店内は薄暗く、酒とたばこの匂いに満ちている。ここもどちらかというと、静かにゆったりお酒を楽しむ人が多い。
(わあ……聖都でもこういうところには来たことがなかったな)
(兵士らしき人間がいる。シーリは、なるべく話さず大人しくしておいて)
耳打ちに頷きで答えると、アルベール様はシェイカーを操るバーテンダーに話しかけた。
「こんばんは。少し訪ねたいことがあるんだけど、いいかな」
「ここは酒場だぜ。まずは酒を頼みな」
「……そうだね。じゃ……僕は麦酒、彼女にはレモン水を」
「あいよ」
カウンターに腰掛けると、一分もかからずに飲み物が用意され、私はちびちびとそこに口を付けながら成り行きを見守る。うっすらと蜂蜜の甘さがして、それがレモンの酸味とマッチし、旅の疲れを癒してくれる。
「あんたら、ここらのもんじゃないな」
「あ、うん。僕らは旅の夫婦でアルとシェリー。国境付近の村に住んでたんだが、最近情勢がどうもきな臭いじゃないか……今のうちに妻だけでも帝都の方、安全な実家に非難させたいと思ってね」
ふうん……そういう筋書きなの?
話を合わせて偽の素性を語る彼が、バーテンに渡そうとあるものを取り出し、私はそれを必死で止めた。
(ちょっ、アルベール様⁉)
(なんだい?)
(まさか代金を宝石で払うつもりで? 高すぎますってば!)
(そ、そう?)
彼が取り出したのは小粒のサファイア。私もお酒の値段に詳しくはないけど、街酒場の安酒の一、二杯にこんなものが見合うはずない。絶対怪しまれると……私は急遽トランクの中のお財布から愛想笑いと共に銀貨を数枚渡した。
「へえ……珍しい。聖銀貨かい。ここいらじゃ聖王国との貿易商人くらいしか持ってないが」
「すみません。あー、旅の準備で家財を買い取ってくれた交易商人がですね、そっちでしか払ってくれなくて」
「ま……いいがね。戦争の噂を聞いてあっちから帰ってきてるやつらも多いからな」
(アルベール様……こっちでの支払いは私がしますから)
(ごめん……)
ふ~、バーテンさんが素直に受け取ってくれたおかげで、事なきを得た。
王国と帝国じゃ流通貨幣も違うなんて知らなかったよ。怪しまれてなさそうでなにより。
「んで、何が聞きたい?」
「ああ……帝都に行く前に大きな川を渡るって聞いてね。定期便みたいなのは出てるのかな?」
「出てるっちゃ出てるが……」
相場より多めに支払ったからか、バーテンは機嫌よくこちらの話を聞いてくれようとしたのだが……彼は表情は曇らせると、声を潜めて酒場の一角を指差した。
「今はやめておきな。ほら……都の方からお偉い帝国騎士様たちが来てよ、河の通行を制限してやがんだ。聞いたとこ、少しでも怪しい素振りがあると、しょっぴかれて拷問されちまうって話でな――」
そうやって帰って来なかった者が何人もいるんだと、バーテンは苦々しい顔を作る。
やはりアルベール様の言った通り、聖都に近づく人間に対し警戒網を敷いているのだ。黒甲冑の帝国騎士たちは暗い雰囲気でもくもくと食事をとっている。ちらっとその表情を見たが、なんだか元気がないというか、生気に欠けたような……。
バーテンは不満そうに、グラスを磨きながら愚痴を囁く。
「いきなりの戦争で、この街のやつらも皆困惑してる。国境に近い街からはごっそり人が兵士に徴収されてよ……おまけに帝国兵を食わすために、街の食糧庫から食い物をあらかた巻き上げていきやがった。ったく、なんだってこのご時世に戦争なんざ。隣国同士仲良くしてりゃいいのによ」
「同感だ。僕らも争いなんて――いや、なんでもない」
微かにバーテンさんの眉がぴくっと動いたたが、彼は聞かなかったというように背を向けた。
「ま、今は川を渡るのはやめとけ。俺から忠告できるのはそれぐらいだ。他に聞きたい話があるんなら、追加で飯でも頼むか?」
「いや……ありがとう、もう十分だ」
暗に元いた国へ引き返せと言われた気がして、私たちはそのまま酒場を後にする。
どうも、今回の事態を国民もあまり歓迎してはいない様子だった。
「あの大義名分に欠けたやりようではね。民の不支持も無理はないことだ。よっぽどメナが、国の上層部をうまく抱き込んだのかな」
「でも……困りましたね。このまま真っ直ぐ川を渡れないとなると……どこかから迂回しますか?」
「う~ん……僕も帝国の地理にはそこまで明るくないし。なんとか監視を続ける帝国兵の隙を突けないかな……」
アルベール様は相当悩んでいる。
当然だ、今回の作戦には時間的制約もあり、移動に無駄な時間は割けないもの。あーだこーだと意見を交わしつつ、とにかく現地の様子を確かめようという運びとなった。
ついでに街の市場で割高になっている食料品を買い込んだりしていると――アルベール様がぴくりと顔を上げた。
「どうしたんですか?」
「っ……まずいな、囲まれてる。シーリ、逃げるぞ!」
「ええっ⁉ ちょっ、すみません、これ支払い!」
突然こちらの腕を引いて彼が駆け出したものだから、私は店主に数枚の金貨をぶん投げるハメに。
しかし、その判断は少し遅かった。
「――これはこれは。とんだネズミ、いや、さしずめかわいいかわいい王家の金糸雀様が紛れ込んでいらっしゃるとはねぇ。それにそっちはアンジェリカを潰してくれた紙のやつじゃないか。メナ様にいい土産ができそうだよ」
市場の通りを埋め尽くすような、黒甲冑の兵士たちが前を塞ぎ。
その先頭では――。
「よくも……堂々と姿を表せたものだな。元“力”の乙女、ヴィーナ!」
アルベール様の糾弾をものともせず。
紅の髪を結い上げた豪奢なる美女……裏切り者のヴィーナ様が、私たちを見てニタニタと笑っていた。




