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極貧孤児に転生したので、親を探して文句を言おうと思う  作者: 安野 吽
後編・魔帝国編

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42/66

◇幕間 堕ちた花弁(ルイーゼ視点)

「――う…………。こ、ここは?」


 目覚めた私は、まず自分が何者であるかを確認しなければならなかった……。気を失う前に背中から受けた爆発のような衝撃はそれほど大きく、記憶が残っているか不安だったのだ。


 そうだ、私――金盞花の乙女ルイーゼ・ラフィーメは……。

 魔女帝を魔帝国内へと送り届ける最中、帝国兵たちに待ち伏せされ……油断した隙にヴィーナに背後から攻撃され、気を失った。


 重大な任務を、任されたのに……。どうにかして、戻らなければ――。

 身体を起こす際に、キイ、キイと耳障りな音が鳴る。

 手のひらに感じるこの冷たく滑らかな感触は……。


「……鳥……籠?」


 どうやら寝かされていたのは、金属製の円い土台の上……。それも鎖で上からつられた不安定なもので……周りを見れば上部に向けて一箇所で繋がる太い鉄柵が、何本も立ち並ぶ。


「ふふふ……捕まえた小鳥は、檻に入れるものでしょう」

「――⁉」


 薄暗かった室内に照明が灯り、人影が浮かび上がった。薄闇に溶け込む黒い衣装の中身――白い髪や目、素肌などが、幽霊のようにぼやけた雰囲気を醸し出している。


「メナ……あなた、生きていたのね!」


 私はきしむ身体を庇いつつ、柵を両手で掴み叫んだ。


 メナ・アルシェーヴ。かつて親しかった頃の面影を残す彼女は、当時と変わらぬようににこやかに微笑んでいる。永遠の別れを、その身に手ずから刻んだはずの、三年前と……。


「生憎と、ずいぶんしぶとい身体になってしまってね。ふふふ……あんなに病弱だったのが、嘘みたいだろう?」


 彼女はそう言うと肩口にある痕を指先でつついてみせた。その仕草に、私は懐かしさと、耐えがたい胸の痛みを覚える。私を追い詰めたのはお前だろうと、そう主張しているようにも思えたからだ。


「どこだと聞いていたから答えてあげる。ここは魔帝国の中枢、帝都に聳える月映宮の最奥、祈りの間だ。皮肉が効いたものだよね、負の感情を糧に事象を起こす魔女たちの総本山に、そんな名前が付けられた場所を作るなんて」

(そうだったわ……あなたは)

 

 聖女が犯した罪の証――奪聖痕。私は視線をどうしてもそこから外すことができない。なぜなら、彼女のあれは……。


「つい先日、この宮殿を乗っ取らせてもらった……根回しが面倒で仕方なくって。ふふ、でも終わってみれば意外と再会までは短かったね。私の見込みではもう少しかかる予定だったけど、わからないものだ。多くの人の欲が味方し、今度は……私の方がこうして君の命を握っている」

「…………」


 周囲を見渡し奇跡の発動を試みたが……。まるで体に栓をされたかのように、聖力が生み出せない。

 どころか、どこか力を吸われているような感覚が付きまとう。おそらく、この籠が聖力の発生を抑えると同時に、力を奪い何かに利用しているのだろう。


 情けないがとにかく今は、身体の回復に努めることしかできない。そう判断し私は籠の中に座り込むと、彼女に問いかけた。


「声明に書かれたあなたの署名を見た時、まさかと思ったわ。魔女帝になるなんて……」


 どうやって生き残ったの。なぜ、魔女たちの信用を得ることができたの。訪ねたいことはたくさんあった。でも……いったい口火を切れば、渦巻いた感情を抑え切れない。私は痛む喉を押さえてわめいた。


「いったい何を考えているの! 以前のあなたは、こんな大勢の人を巻き込んで、戦争なんて起こせる人じゃなかった! そこまでして……ロバートの復讐を遂げたいの⁉」


 私にとっても大切なその人の名に、微かにメナの表情が揺れる。そのまま彼女は笑みを湛え、私の言葉を肯定する。


「そうだね……それもある。私の王国貴族たちに対する怒りは微塵も消えてはいないからね。でもね……わかってもいるんだよ。今さらそんなことをしてもどうしようもないことは。……あの日々は、何をしようともう永遠に帰ってくることはない。戻れもしない」


 彼女は視線を落とし訥々(とつとつ)とこぼす。その寂しげな表情に、確かに感じてしまった……。彼女は、私の知るメナという人間の根元は変わっていない。


 捻じれた運命に翻弄されようとする、あの頃のまま――。



 金盞花の乙女の恋愛は難しい。


 なぜならば、聖王国内での利権が大きく絡んでくるからだ。時代が許せば、国王の妃として選ばれる場合もあるが、しばらく前にティリシャ様が国王様と結ばれている。当時、次期国王と目されるデュリス殿下もまだ十にも満たない子供で、年齢的に釣り合いがとれるものでもなく、私自身そこまでの地位を望むつもりもなかった。


 毎日、実家には多くの縁談が届いているそうだ。だが、そのほとんどが私の地位を利用して聖女会に取り入ろうとする貴族たちのもの。それからまともな人を見極めて交際しつつ、同時に聖女の役目をこなすような器用さなど、持ち合わせていない。私は早めに結婚を断念し、仕事に人生を捧げようと考えていたのだ。


 その決意が……まさかこんなに簡単に揺らぐことになろうとは、思ってもみなかった。

 あの出会いまでは。


 ロバート・アルシェーヴ……医師として働く彼とは、大聖殿の法具研究室にて出会うことになった。彼はあそこに度々出入りし、独自の研究を行っていた。聖力には物質を修復する力がある……。それを、怪我人や身体の弱い人に対して使うことで、病気や怪我の治療に利用できないかと考えていたのだ。


 その頃の私は授かった金盞花の乙女の号に慣れるため、寸暇を惜しんで色々な仕事に手を出していた。称号に相応しい人間にならないとと必死で、法研にも頻繁に出入りし知識を高めようとしていたその折、彼とは出会うことになったのだ。


 頭はいつもぼさぼさで、力の抜けた笑いと眼鏡が似合う人だった。でも、その瞳の奥にはいつも他者に対する慈しみが宿っていた。


『将来治療用の法具が開発できたら、僕はその専門医として、現代の医術では治せない人たちに希望を与えたいと思ってる。もっともそれには君たち聖女の協力が欠かせないけれど……僕たち普通の人間にだって、脳みそくらいはついてるんだ。特別な力はなくたってできることはある。それを多くの人に見せられたら、たくさんの勇気が生まれるよね、きっと』

『……そうなるといいわね』


 休憩所のくたびれたベンチに座る彼と話すうち、少しずつ心惹かれていく。

 努力を惜しまず、よく夜遅くにまで研究してから街へ帰る姿を、大聖殿の窓から見かけ眺めていた。誰彼構わず気さくに接し、いつ見ても笑顔でいる、そんなところも好感が持てた。


 妹であるメナのことは、彼と付き合い始める前から知ってはいた。彼女は優秀な聖女として聖女会に入会して頭角を現し、二年と少し経つうちにはすでに青百合の称号をまでを手に入れるところまで来ていた。私から見ても彼女の才能は明らかで、活躍を聞くとうかうかしていられないという気持ちになったものだ。


 次の金盞花の乙女となる最有力候補――そうとまで言われたメナに悲劇が訪れたのは、彼女がロバートに紹介された私と丁度少しずつ打ち解けて来た頃だった。体調が思わしくない日が増え、任務の最中に頻繁に倒れるようなる。


 ある時、元々子供の頃から熱を出して寝込むことも多かったのだと、医務室に駆け付けたロバートに聞いた。なのに、憧れの聖女となった嬉しさで……ずっと体調の悪化を押し殺して働いていたことも。


 ロバートと正式に付き合うようになる頃には、メナは、もうあまり長い時間起きていられないようになっていた。なんの悪戯か、その原因は優れた聖女特有の病気。意図せずに過剰な聖力を身体が生み出してしまうことで、体細胞に大きな負荷を与え弱らせてしまうというもの……。


 治癒の奇跡で一旦は症状が収まろうとも、生きている限り彼女の身体は自動的に余分な聖力を生み出し、自己を破壊してゆく。聖筒などによる、聖力を移す技術を使おうと症状の進行は抑え切れず、メナの病状は目に見えて悪化した。


『どうして……メナが。代われるものなら、いくらでも代わってやるのに……』

『ロバート……』


 元々持っていた金髪と碧眼も次第に色素を失い、まるで人形のように痩せ細っていく彼女の儚く美しい姿に、ロバートは病室を出ると、しばしば堪え切れずに泣いた。

 そしてメナの方も……。


『ルイーゼさん……私がいなくなったら、兄をどうかお願い』

『ええ、わかってる……』


 死の恐怖に立ち向かいながら、それでも彼のことを案じるメナに私は誓った。たとえこの子が兄を置いて逝っても、必ず彼は私が支えると……。


 あまりにも浅はかで、何も分かっていなかったことを知らされたのは、そのひと月後。


(最近、ロバートが会ってくれない。大丈夫かしら……)


 日毎に衰弱していくメナと、少しずつ瞳から余裕を消していくロバートのことを、私は心配することしかできずに日々の仕事をこなしていた。

 彼は寝食を忘れて法研の一室に籠ると、たまにしか姿を見せてくれなくなった。噂では、誰にも理解できない研究に取り組み始め、周りも呆れているようだ。


 私はもう言葉すら紡げなくなったメナの見舞いに訪れつつ、ここにも来なくなったロバートをどうしようもないことなのだと見過ごしていた。どうすることが正解なのか……妹を救うために必死になる彼の気持ちも分かっていたからこそ、メナと最後の時を一緒に過ごすべきだと説得することもできず――。

 時間が解決することを……ただ祈る毎日。


(やはり……このままじゃダメだわ。彼と話をしなければ)

 

 聖都外での日を跨ぐ勤務の間に、心を決めた私は大聖殿に戻ると、ロバートと話をするため法研に赴いた。だが……そこで私はマールから、驚きの報告を耳にしてしまう。


『ロバート・アルシェーヴは……聖王国法務部に拘束され、王宮の地下牢に幽閉された。おそらく、一生あそこから出てくることはないだろう。……おいルイーゼ、どこへ行く!』


 私はその話を聞くなり王宮へと走った。金盞花の乙女の権限を駆使して法務部へと掛け合い、その日の内に強引にロバートとの面会を果たす。彼はげっそりやつれながらも、しかし……嬉しそうな目でこちらを見つめた。


『ルイーゼ……施術は成功した。メナはもう大丈夫だ』

『……いったいあなた、何をしたの』


 確かに、メナが回復したという知らせは私の心を少しばかり落ち着かせた。ただ、その後に彼の口から聞いた内容には、再び愕然とした。


 彼は……恐るべき手法でメナを治療――いや、変化させた。なんとそれは……人為的に彼女の身体に奪聖痕を刻むことだったのだ。


(そうまでして……。いや、私でも方法を知っていたらそうしたかもしれない。けど……!)


 魔女となった者が持つ奪聖痕。聖力と相反する魔力を発するそれを、何者かの協力を経て生み出した特殊な魔道具で、メナの身体に直接刻み込んだ。それは、彼女の膨大すぎる聖力と混ざって安定させ、新たな力を与えると共に病状の進行を完全に抑え込んだ。


 だが、それは……この国での重大な禁忌。奪聖痕を発現した聖女は、例外なく魔帝国送りにされる。


『僕はもう一生ここから出ることはできないだろう。でも、メナを救えただけで満足だ。頼むルイーゼ、僕の代わりにあの子の側に居てやってくれ』

『わかってる。待っていて……必ず、あなたのこともどうにかしてみせるから』


 それほどの決意をもってロバートは妹を助けた。ならば私も……ふたりを助けないと。

 幸い、メナの処遇に関しては、王国でも意見が割れているようだ。彼女自身に罪はないし、その聖力は膨大で、彼女の操る本の奇跡は汎用性も高い。マールの示した予言のこともあり、使いようによっては聖王国にとって莫大な利益を生み出すはずだ。


 私はメナに再会すると、ロバートのことで悲しむ彼女を諭した。


『焦らないでメナ。これから私たちでたくさん功績を上げ、聖王国にロバートの恩赦を申し込みましょう。あなたが金盞花の聖女となれば、その言葉は誰も無視できなくなるはずよ。必ず数年後には、ロバートを牢から出してあげられる機会を作れるわ』

『ええ、ルイーゼさん……いえ、ルイーゼ姉さん。私は兄から貰った力で、必ずあなたと同じところまで上り詰めます。そしてまた……三人で過ごした幸せな時間を取り戻しましょう』


 メナもそう言い切って笑顔を見せ、私たちの歩む未来には、確かに光が射したように思えたのだ。

 そして、それから少しの時を隔てて――事件は起きた。



『……ロバートが、どうして!』


 法務部の知り合いからの手紙でその話を知った私は、陽が落ちているというのに身支度を整え、大聖殿を飛び出した。


 血が凍るような思いだった。なにせ、急遽ロバートの処刑が秘密裏に決められたという話だったのだ。知り合いの話によれば、貴族連合から大きな圧力がかかり、そちらと関係性の強い法務部の長が独断で決定したとのこと。

 

 罪状は、異端の技術を使って奪聖痕を人為的に再現し、聖女の血を濁らせたこと――。

 この事実が他国に漏れれば、大きく糾弾の対象となる……よってこの知識ごと彼を葬り去る。


 そんなバカな決断を止める為、私は聖女の自負もかなぐり捨てて着の身着のままで王宮へと向かった。だが……すでにそこでは。


『遅かったじゃない、姉さん』


 静かに笑うメナの背中の向こうでは……。

 王宮の一角が、煌々と燃え盛っていた。



『メナ……あなたがこれをやったの?』


 私は声を震わせながら辺りを見渡した。地下牢へと続く建物は半壊し、周囲には、多くの王国兵や騎士たちが倒れ伏している。

 そんな中でひとり無傷で立つメナは、まるで悪びれた様子もなく私に告げる。


『当然でしょう。私を助けた兄に不当な判決を強い、命を奪おうとするこんなやつら、死んだ方がいい』

『やりすぎよ……!』


 メナはこの短い期間の間に、特例で白薔薇級への昇級を果たすほどの大きな実績を立てていた。だが、その裏で少しずつ粗暴な言動や、国民に対しての配慮に欠ける行動が目立つようになったとも相談を受けていた。それが奪聖痕のせいなのかはわからない……。しかし、今の彼女は明らかに常軌を逸している。


 私は彼女を立ち止まらせようと必死に語りかけた。


『メナ……ここまでにしておいてちょうだい。ロバートのことは絶対に私がなんとかするから! あなたが彼を大事に思う気持ちは分かる……けれど、人を傷付けてまで目的を達成しようとすれば、それは必ず報われない結果を産むわ!』

『そんなことをいって、ルイーゼ姉さんにも分かっているはずでしょう。この数ヶ月で、王国は私たちに何をしてくれた⁉ あげく、こんなことに……。私はこいつらを殺してでも兄さんを連れ出す、そこをどいて!』


 “本”の聖女であるメナは、自らの持つ本に記述した内容をそのまま奇跡によって具現化できる。彼女は破り捨てたページから発生した稲妻で、私を貫こうとした。慌てて水で壁を作り出し、背後に受け流す。


『――っ! なぜ……』

『この国は、兄さんを裏切った。兄さんは苦しむ人々のためにその力を振るおうと、あんなにも頑張っていた……なのに、あなた以外は誰も庇ってはくれなかったじゃない! 私はもう……いやだ。こんな国で暮らしたくない! 自分の命を擦り減らして、こいつらのために尽くす聖女なんか、もうまっぴらよ!』


 メナの右肩が強く光り出す。そしてそれはゆっくりと、彼女の聖力をより深い色へと濁らせてゆく。灰から、重たげな鋼鉄の色を経て、すべてを塗りつぶす、黒へと。


『もう、兄さん以外はなにもかもいらない! 聖女の力に固執するあなたも! いっそこんな街、すべて滅ぼしてやる!』


 彼女の指が紫の本の上で閃いた。夜空に無数の黒剣が召喚され……それは、倒れ伏した大勢の人々に照準を定め、落下する……!


『ダメ!』


 私は“水”の奇跡で水膜の半球を生み、それらを遮った。重たい衝撃が飛沫を辺りに飛び散らせ、恐ろしい密度で攻撃が繰り返される。


 やはり……彼女の実力は金盞花の聖女級にまで達している。そのことを確信し、私は再度呼びかけようと……。


『――死んで!』


 叶わなかった。気が付けば、メナが一握りの剣と共に私の目の前に迫っており――鈍い音と衝撃が、私の身体を揺らし。


『がはっ!』


 刃から遠ざけられて(・・・・・・)いた。

 私は倒れ込みながら、目の前の光景に釘付けになる。


『『どう……して』』


 その言葉は、メナと私の口から同時に放たれていた。


 誰よりも……私たちの争いを見せたくなかった人が、そこにいたから。


『――仕方ない、妹だなぁ……』

『あ……ぁ』


 背中から、血が溢れ出している。ロバートの。

 地下牢が倒壊して……私たちの声を聞いて来てしまった……?


 剣はその身体の中心を完全に貫いていた。しかし彼は……指先までも硬直している妹を、優しく抱きしめる。


 そして振り向かずに言った。


『ルイーゼ……本当にごめん。でも……こいつは僕の妹だから、何があっても最後まで……悪いことをしたなら、止めて、やらなきゃ。それにこいつをこんな風にしてしまったのは、僕だ……』

『……兄さん。兄さん、ごめんなさい! どうしよう、死なないで、ねえ!』


 ロバートの身体がぐらりと揺らぐ。それを必死に支えながら、メナが泣き叫んでいる。彼の瞼が少しずつ下がり、まるで眠たくなったかのように力を抜いた。


『許してくれ……。こんな方法でしか、お前を助けられなくて。お前がたくさんの人に囲まれて幸せになるところを……見たくてさ。それだけだった――』


 ロバートの手が、彼の血でメナの頬を濡らす。それが最後。

 あっけなく、彼の身体から力が失われて……メナは、叫んだ。


『いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』


 メナが奇跡で黒い翼を生やし、王宮を飛び去ってゆく。ロバートを抱えたまま。

 彼は最後まで、妹のことばかりを心配していた……そのことに虚しさと悲しみを覚えつつ、私も奇跡で水の天馬を呼び出し、跨って彼女を追った。

 追走はどのくらい続いたのか――やがてメナは、激しい急流に面した崖の前で止まる。


 そして無言で兄の亡骸を地面に横たえると、私と向かい合った。


 言わずとも知れた。彼女の胸には、兄を失った悲しみと世界への憎しみが――そして、私の胸には愛する人を目の前で奪われた彼女への憎しみが……互いに煮え滾っているのが。

 それはもう、ぶつけ合う以外にどうしようもないもの。


 それから――。

 私とメナは昼と夜が三度繰り返されるまで――力が尽きるまで戦い続けた。


 やがて、幕は落ち……。

 

『ルイーゼ姉さん。いや、ルイーゼ。兄さんだけは、あなたにも渡さない』


 メナは息を荒げながらそう言うと……紫の本を、側で凍らせていたロバートの遺体へと直接当てる。するとそれは光の粒となって薄れ、少しずつ本の中に吸い込まれてゆく。


『返して!』


 私は残りの力で作った巨大な水の槍を彼女へと打ち出した。さっきの奇跡が最後の力だったのか……メナはそれを防ごうともせず腹部を貫かれながらも、笑いながら後ろへと跳んだ。そう、眼下で迸る激流へと。


『……またね、私のお姉さんになってくれるはずだった人。これで終わりじゃないよ……どこかで、いつかこの物語の続きを――』


 そう言って、彼女は大河へと飛び込み姿を消した。

 私も瀕死に近い状態だが、彼女も相当な出血をしていた。あれでは……助かりはすまい。

 終わったのだ……。


『ルイーゼ‼』

『……マール。ごめんなさい、私……』


 ――ロバートを道連れに、メナは死んだ。


 私は必死の表情で後を追ってきたマールにそれだけを伝えると、長い眠りについた。


 現実を直視したくなかった……。あまりにも私にとって、辛い出来事が重なりすぎて……立ちあがるどころか、この先生きていける気すらしなかったのだ……。



 だが悲しいことに、これほどの苦しみも時間は緩やかに癒し……。


 聖王国の裏側ではティリシャ様が命を擦り減らし、崩壊寸前である世界を支えている。そして聖女会に邪なる欲望を抱く者……ヴィーナのような存在も食い込んできている。


 なら誰かが、秩序を守らなければ。

 私は再び動き始めた……この身を焦がす感情の行き場を求めて。

 あんな悲劇を、二度と起こしてはならない。見つけ出そう、この世界を託せる次の世代の希望を、必ず――。




「――メナ、あなただったのに! どうしてこんなことを……。戦争なんかけしかけて、いったい何が目的なの、答えて!」


 私は再び、柵を握りしめては揺らした。

 メナはそんな私にゆっくりと近づいてくると、顔をその隙間に寄せて囁く。


「あなただけには教えておいてあげる。これは――――――ための、装置なんだよ」


 私はその言葉に目を見開く。


「……まさか、本気で? そんなこと、できるはずが……」

「そのための奇跡であり、魔法だろう? 可能なはずだ……これまで私が集めた力と、この月映宮に封じられていた……この力を借りればね」


 私の視線が、彼女の背後に置かれた……物言わぬ黒い球体に突き刺さる。

 ガラスで周囲を覆われたようなそれは……魔物と似ている。この世の全てを己が色に染め上げ、塗り変えてしまう、漆黒の箱舟。


「これは卵。これが開かれる時、私の望みは遂げられる。その時はもう近い」

(止めなければいけないのに……)


 成す術もなく、私は冷たい鉄の床に膝をつけた。


 だが、そこで私は思い出した、私たちの希望――シーリのことを。そして、祈る。


「君の願う奇跡は起こらない。そんなことくらいわかっているだろう?」

「いいえ、彼女ならやってくれる。だから私は、信じることを止めない」

「……シーリ・アンテノアか」


 蔑むメナに対し、私は頑としてこの姿勢を崩さない。私たちにできなかったことをやってくれた彼女なら……すべてを託せる。

 

「勝手にしろ。あなただけには、私と一緒にその時を見届けてもらうよ」


 それだけ言い残すと、メナはこの場を去っていく。

 だが私は、その姿が消えこの場所が闇に包まれた後でも、両手を合わせ続けていた。


「どうか、あの子に救いを……」


書く機会があるかどうか分からないので。


手の者を使って、ロバートに魔道具の知識を与えたのも、法務部に上から手を回してロバートの処刑を決定させたのも、ジーレット侯爵でした。侯爵は貴族側に力のある聖女を増やすための手段を探していて、ロバートに人体実験を行わせようとしたのです。それは成功しましたが、ロバートはその技術をジーレット侯爵に渡すのを拒んだため、処刑されてしまうことになりました。メナは魔帝国に流れ着いた後、ある筋からその情報を手に入れ、ジーレット侯爵を利用しつつ復讐を行うことに……という流れです。

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