35・魔帝国の侵攻
聖都に戻って来てすぐに訪れた王宮の会議場は、緊迫感に張り詰めていた。
用意された巨大なテーブルについた臣下たちが、資料を手にそれぞれ活発に意見を交わし合う。
「戻るのが遅れて申し訳ありません。ある程度の話は耳に入っています」
「まったく、こんな時に騎士団長が不在とは弛んでいる――あうっ!」
「うるさいぞ、わしが頼んだことじゃ。よく戻って来てくれた、アルベール、それに聖女シーリよ。あちらの席に着くがよい」
そこへ合流することになった私たち。
入室に際し愚痴ろうとしたデュリス殿下は拳で黙らされ……アルベール様は王妃様の隣に、そして私は軽く目礼した後、マール様の隣に着席する。
それを合図に国王様はひとつ咳払いをすると立ち上がって告げた。
「主要な人間も揃ったようじゃし、軍議を再開する。議題は彼の――魔帝国の宣戦布告と、三週間後に控えた侵攻についてじゃ――」
――そう、それが私たちが聖都に急遽帰還することになった理由だったのだけど。
(……あの、マール様。ひとついいですか。そもそも……魔女帝は予定ではまだこの国に滞在中だったはず。それがなぜ、こんなことに……?)
私はアルベール様ほど今回の出来事について詳しくないから、そこのところあまりよく聞けていないのだ。確か、彼女たちの訪問日程は後数週間ほど残っていたはず。大国の指導者の不在時にそんなことが起こってしまうなんて、それはもう……。
会議の侵攻を妨げまいと、小声で隣に座る知の乙女に尋ねかけた。すると――。
「……私の不明だ。お前からメナ生存の報告を受けた際に、頭の隅にこの可能性を考えておくべきだったのかもしれん」
「……え?」
隣で小さくそんな風に呟いたマール様。言葉の意味が分からず目を見張っていると――。
「ではまず、この出来事の発端となったあの報告から確認しよう。書記官、頼む」
「ハッ」
国王様の号令と共に一枚の書類の写しがこちらに回されて来た。同じ内容を、書記官の男性が復唱していく。
その重要部分を抜粋してみると、以下のような内容になるだろうか。
【――年×月〇日付けを持って、魔女帝ヴァシリーサ及びに魔帝国軍団長ラエルの任を解き、新たに以下の人物を本国の指導者に掲げることを認めるものとする――『新魔女帝メナ・アルシェーヴ』
加えて、我らが魔帝国と数百年に渡り大陸の覇を競い合ってきた貴国……聖王国の征伐をここに宣戦布告する。
貴国は本来万民の生活の礎となるべき聖女を独占。諸外国からの侵略がないことに専横の限りを尽くし、周辺国を虐げた。新生魔帝国はそれらを是とせず、掣肘の意思を示すためここに名乗りを上げる。
貴国の利益に偏った不平等な和平条約は破棄。来たる一月後に侵攻を開始とする。これまで奢侈を貪り尽くした邪悪な王国民は一掃され、聖王国は滅亡の憂き目を見るであろう。時は来たれり。
――魔帝国ドナムーン 月映宮評議会――】
「ふざけるな! 聖女の独占⁉ それを言うなら魔女を抱える貴様らの方もだろうが!」
「我々が、これまでどれだけ世界平和のために他国の争いの仲裁を取り持ってきたと思っているのだ!」
割れんばかりの勢いで複数の臣下たちが机を叩き、怒号が場に満ち溢れた。
そりゃそうだ。今まで聖王国は魔帝国と仲良くしようと手を尽くしてきたのに、指導者がすげ替わった途端、急に手のひらを返してお前たちは悪魔だ、殲滅する……だなんて言い出したんだから。国をこれから率いようという人たちがこんなことをしでかすなんて、気が触れてるとしか――。
……っていうか、だからどうしてメナが魔女帝になってるの⁉
「皆様方、お鎮まりを。各々の憤慨はもっともなれど、今は冷静に対抗策を組み立てる時です。そのことについて、まず騎士団長アルベールから説明をもらいましょう」
ティリシャ様の厳かな一声により、一旦議場は冷静さを取り戻す。注目が集まる中、隣に座るアルベール様が一礼する。
「現在、東部国境砦からの報告によりますと、魔帝国はすでに国境沿いの大平原に兵を集結させつつあるようです。我々も現在、国内の兵力をそちら側に集中するとともに、対抗する声明を発表。国際的に魔帝国の暴挙を糾弾するとともに、いくつかの国に支援を頼んでいます。とはいえ……助力は中々に厳しいでしょうね」
馬車で聖都に帰り着く際にも、アルベール様はしきりに連絡用のイヤリングで向こうとやり取りし、指示を送っていた様子だ。そのことに関しては、法具の聖力を補充できる私が乗り合わせていてよかったといえる。
しかし問題は……国家規模の大戦争が、今まさに始まらんとしているということだだろう。
この大陸の二大国家、聖王国と魔帝国の争い。その勝敗を分かつのは、通常の兵士同士の争いではなく、国家の主力を担う聖女と魔女たち。つまり奇跡と魔法が飛び交うなんでもありの戦場が、この大陸のど真ん中で開かれるなんて。
おそらくそこに聖女や魔女がほとんど所属しない他国軍の介入は望めない。つまり、聖王国は、ほぼ独力でこの窮地を脱しなければならないということになる。
私はといえば……もちろん戦争なんてものに従事した経験もないし、その話を黙って聞いていることしかできなかった。国王様の目線が、この場での聖女側の責任者であるマール様の方へと向く。
「どうジャマール。お主らの力で魔帝国を押し止められると思うか」
「……できるかどうかではなく、せねばなりません。やつらの侵略を阻止できねば……王国民の多くが魔帝国の攻撃に晒される。それを防ぐことこそ、私たち聖女の本懐です」
マール様はしかと国王様の言葉を受け取り、自信のほどを示してみせた。
しかし……テーブルの下で握る彼女の拳は、小さく震えている。
当然だ……これまでの聖王国は数百年間、聖女の絶対的な力を盾として他国からの侵略を抑え込んできた。魔物との戦いはあったにせよ、近年の聖女達は同族の血を流すような事態に遭遇したことがない。
それでもマール様は、金盞花の聖女として立派に皆の視線を受け止め、責務を果たそうとしている。その姿を見て私も気が引き締まった。ひとりの聖女として、出来るだけ彼女を支えよう――。
だが、そう思う傍らでどうしても気にかかることがある。なぜここに他の金盞花の聖女たちがいないのか……。筆頭聖女のルイーゼ様も、力の乙女ヴィーナ様も。
その違和感と、こちらに訪問していた魔女帝の動向の答えは、次の国王様のお言葉で同時に解消することとなった。
「うむ、マールよ。頼もしい言葉じゃ、聖女たちの統括はそなたに任せたぞ。そして、ここにおる者のほとんどが知っておろうが、想定外の事態により、魔女帝ヴァシリーサ殿と軍団長のラエル殿は王国を発たれた。ふたりには元々帝国から連れて来た親衛隊、並びにルイーゼとヴィーナの両名を護衛に付けておる」
その言葉を聞いて、ようやく納得がいく。今魔帝国がどういう状態かわからないけれど……彼らを守り抜き無事帝都にまで到着させることが最優先なのだ。それが叶えば、戦わずして今回の反乱を終息に導ける可能性があるのだから。
話を聞いた人たちから安堵の声が漏れる中、国王様は臣下たちを厳しく諭した。
「決して楽観視はするでないぞ。未だやつらが、どのような方法でもって魔帝国全軍の支持を得たのかが判明しておらんのじゃからな。噂に名高き魔女帝の腹心……双魔の賢女も新たな魔女帝に忠誠を誓ったと聞く。ヴァシリーサ殿が今回の騒乱を鎮めることを視野にもいれつつ、我々はあちらの進行に対し十分な備えをしておくべきじゃろう。よいな、皆の者」
「「ハッ!」」
国王は号令に応えた臣下たちを見回すと、再度マール様に焦点を当てた。
「ここでひとつだけはっきりさせておかねばならんことがある。マールよ、そなたも知っておろうが、三年前聖女会は……今回新たに魔女帝に立ったという、メナ・アルシェーヴを……金盞花の乙女の候補者であった“本”の聖女を抹殺したと……そう報告したな?」
「はい……その通りです」
「わしはこの国の王として、お主にその経緯を問わねばならん。死んだと報告した者が生きていた。その過ちは、王国に背信の意思があってのことか?」
「そうだそうだ! お前たちがやつの死を見届けていればこんなことには……!」
「まさか、聖女会は裏で反乱を起こした者たちと繋がっているのではないだろうな! それに聖騎士団もだ。先日も、やつと聖王国内で遭遇し、取り逃がしたと聞いているぞ!」
(そんなはずないじゃない……皆は)
そんな声が上がり、私は悔しさの余り、立ち上がってしまいそうだった。聖女会や聖騎士団……彼らがどれだけ王国に尽くそうとしているかをよく知っているから。だがマール様は一瞬の目線で私を制すと、立ち上がり深く頭を下げる。アルベール様も立ち上がってそれに倣う。
「そのことに関しては、深謝させていただきます。ルイーゼが仕留め、瀕死で大河の激流に巻き込まれて姿を消し、命亡きものと判断いたしました。私たちは王国へ叛く意志など、微塵もございません」
「それについては、騎士団も謝罪と共に、証言させていただきます。先日やつらしき人物の姿を認め交戦しましたが、強力な術を使い我らでは太刀打ちできませんでした。その後やつが呼び寄せた巨大な魔物の対処にしても、聖女会の力がなくば相当な被害が民間に発生していたでしょう。彼女たちの力なくしては、魔帝国に対抗することは叶いません」
静かに反省の意を示すふたりに、それでも不信感を示す人たちはいたが、そこはぴしゃりと国王様が遮った。
「うむ……過ぎたことは仕方がない。その謝罪の意は、今回王国を無事守り切ることで示してみせよ。皆も、以後この事実に拘泥せず、聖女会・聖騎士団両方にに惜しみない協力を捧げることを命ずる。では、軍議はこれで終了する……各位、役割をまっとうせよ!」
「「オォッ!」」
さすがだ、国王がこう言えば誰も文句は言えない。さっきの問答は両組織へのの追及を避け、全員の意思を統一するために必要な通過儀礼だったのだろう。
王妃様の回復により、大きく判断力を取り戻した国王様の指示の下、私たちは一丸となんて声を合わせ士気を高め合う。
そして軍議は終了し、皆が慌ただしく動き出す中……私はしばらくそのまま席に留まっていたマール様に呼び掛けた。
「マール様……? この後はとりあえず、大聖殿に戻られますよね?」
「……そうだな。すまん、少しばかりぼうっとしていた。行こう」
「あの……大丈夫ですか?」
「……ああ、ありがとう」
席を立とうとしてふらついた彼女が、らしくない気弱な笑みを見せる。他の金盞花の乙女が居ない中、ひとり残された彼女の重圧はいかほどだろう。顔色もかなり悪い。
「無理しないでください……私にできることがあれば、手伝いますから」
「お前は優しいな……だが、私にもプライドがある。この事態は我々の代が築いた負の遺産だ。後進のお前たちに背負わせたくはない。せめてルイーゼが戻るまでは、聖女達の代表としてしっかりと責務を果たしてみせるさ」
宣言すると彼女は支えていた私の手を離し、先に立った。その後ろ姿から、誰かの手を借りるわけにはいかないという強い意志が感じられる。
(大丈夫、信じなきゃ。ヴィーナ様のことはよく知らないけど、ルイーゼ様なら……きっと無事に魔女帝たちを守り通して帰ってくる。マール様だって頭のよくて頼りになる人だ、戦いになっても私たちをうまく率いて無駄に死なせたりはしない。今は早く、皆が元の生活に戻れるよう祈ろう……)
きっと、戦争なんて起こらない。そう思い込むように……私もせめて自分の役割を果たそうと後に続く……。
――その数日後。
私たちはまだ聖都にいた。約一月後の開戦に備えいくつかの班はすでに東側の国境線に赴いたところだ。ミシェル班長の率いる第五班の面々も次々と休暇から帰還し、数日後には都を発つ。
どうやら、前線への補給に使う山道の一箇所が災害により通行止めとなり、そこを奇跡で補修してから砦に合流するとのこと。その準備作業に追われつつ夜を迎え、寮の窓辺から静かになった大聖殿の敷地を見下ろし、不安を紛らわしていると……。
(誰か来た? こんな時間になんだろ?)
ポピアはもうシーツに包まって寝ちゃってるし……。起こさないように私はそうっと足音を忍ばせて、控えめにノックされた扉を開けた。すると……。
「マール様……?」
気の抜けたような顔で彼女が、ぼんやりとこちらを見ていた。
「あの……どうしました? ご相談でもあるなら、お茶でも……えっ⁉」
そのまま、マール様の身体がぐらりとかしいで。
私は縋りついた細い胴体を受け止めながらびっくりする。彼女は膝を崩し、動揺する私を前に弱々しい掠れ声を漏らしだした。
「すまない……! でも……どうしたらいいか、わからなくて……」
「と、とにかく……中でお話を」
どうにか立ち上がらせ、部屋のテーブル席に座らせようとした私に、顔を上げた彼女が明らかにしたのは……。
「……報せが来たんだ。ルイーゼが……帝国側に捕まったと……。力の乙女、ヴィーナの裏切りで……」
信じたくない最悪の事実。
困惑する頭の中で……今立っている足場ががガラガラと崩れ去っていく――。




