34・王国の変事
『いい子で遊んでなさいね――』
『うん!』
誰かの声と足音が遠くなっていく。もう二度と会えないのに、私は――。
「――待っ……! はぁはぁ…………なんなのよ、今の夢」
飛び起きた。
背中が嫌な汗を掻いていて、心臓がどくどく動いてる……。
何か、ものすごく寂しい夢を見たような気がする。けど思い出せない。多分こっちじゃなく、前世の出来事だ――それも物心もつかないような頃の。
(…………ふぅ)
隣で涎を垂らし眠るロロをぎゅっと抱き締める。
せっかく今夜は数カ月ぶりに女の子ふたりとベッドで一緒に寝てたのに(ちなみにリオンはお年頃なので拒否された)。
幼子の体温を腕に抱え、隣ですやすやと寝息を立てるアミの頭を撫でていると、ようやく少し気持ちが落ち着いてくる。
(なんで今さら、向こうでの家族のことなんか思い出すのよ)
うんと小さい頃……施設に預けられた時の記憶が蘇ったんだろうけど。そんなものまで心の底に残っていたなんて、つくづく子供の記憶も侮れない。
(ふう……覚えておくことは自分で選べたらいいのに)
なんだか目が冴えてすぐには寝付けそうになく、私は考え事を始めた。
その中ですぐに頭に浮かんだのは、長期休暇の直前に出会った、あの人たちについて。
(魔女帝と……魔帝国軍団長、か……)
――王妃回復の宴の最中、いきなり私は自分の感情を制御できなくなり、泣いてしまった。
軍団長のラエルさんを見た時に芽生えた……喜びと懐かしさの入り混じる、言い尽くせない想い。あれはいったい、なんだったのか。
幸い王妃ティリシャ様が間に入ってくれたことで、失礼な行為に対してのお咎めはなかったけど……。『私のことを知っていますか』なんて……あんな自意識過剰な発言、なんでしてしまったんだ私ったら。
そりゃ軍団長様も呆れて否定で返すよと……恥ずかしさが込み上げて密かに足をバタつかせたくなるくらいだ。
それから、ティリシャ様は私の黒い髪留めについても――もしや魔帝国でしか出回らない、ダスクムーンという珍しい鉱石ではないのかと尋ねようとしてくれたんだけど。
魔女帝はそこでも一言ばっさり。
『あり得ぬ。ダスクムーンは、そなたの国のサンホワイトと同様、魔女たる資格者にしか与えられぬ国の宝。元となる鉱石の産出、加工ひとつとっても厳格な規定で制限を行い、その流通記録も正確に追跡しているのだ。国外に引き渡された記録などないし、ましてやそのような半端な形では存在せぬ』
これほどきっぱりと帝御自らが明言すれば、もうそれ以上の追及は敵わない。
望みは断たれ、あの石の正体については振り出しに戻ってしまった形だ。
その後、彼女は王妃といくつか世間話をすると、メナのことを切り出す暇もなく去ってしまった。
彼女の言葉を信じるなら……あの白髪の魔女の言った言葉はまやかし、ということになってしまうが……。
(う~ん、やっぱり……ラエルさんを懐かしく感じたのは、私の一方的な勘違いだったのかな? そりゃ、格好いい人ではあったけどさ)
どうして私は……彼のことがあんなにも気になったのだろう。
ごろんと寝返りを打つと、黒衣の軍団長のことを思い返す。
アルベール様とは違う、服の上からも分かるがっしりとした身体つきに、笑顔が想像できないような鋭い眼差し。彼のいで立ちは、人の形に研ぎあげたような重たい金属を感じさせた。まさに戦士って感じ。
でも私は、別段そういう男らしい人が好みっていうわけでもない。
なのに、それこそこの子たちに持つような愛情を……離れていてもどこかで繋がりあっているような、心の連帯感みたいなものを彼からは感じ取れた気がしたのだ。
(もう一度……話せないかな)
さすがにふたりが傍にいる状態ではろくに寝返りも打てず、足の上下運動でままならない気持ちを発散させる。
他国の使者でガードも堅そうな彼と、今後個人的に会う機会は中々ありそうにない。いわば、あの場が唯一のチャンスだったのかも。
惜しい機会を逃してしまった。今気づいたけど……彼は、似てたんだ。私が最初にこの世界に来た時に見た、シーリのお父さんに。
(今さらうだうだと……あぁ、私って大マヌケだ!)
頭を掻きむしりたい衝動に駆られたが、終わってしまったことはしょうがない。このことを説明し、なんとか王家の方々に協力を仰いで再び彼らと顔を合わす機会を得るしかないな。
他国のトップがこちらに訪問している期間もそう長くはないだろう。帰ったらすぐに、アルベール様に相談してみよう。そんな決意を固めた時だった。
――コツ、コツ。
(…………? 何の音だろ。こんな夜更けに)
部屋の外から、扉を叩く音がする……。
◇
以前と部屋が変わったから気付くのが遅れたけど、硬い音はノック音だ。遅い時間だし何かの間違いかと思ったけど、しばらく経つと、外から私の名前が呼ばれた。
「シーリ、起きているかい?」
「え、アルベール様……?」
私はロロたちを起こさないようベッドから降り、カーディガンを羽織ると扉を開ける。するとそこには長い髪を降ろしたアルベール様の姿があった。その表情は、やや暗い。
「どうかしましたか……?」
「夜分に済まない。緊急で話をしたい」
「は、はぁ……」
求めに応じ、階下のリビングに移動すると……彼は緑の石をテーブルの上に置いた。これはいつぞやの通信用のイヤリング型法具。
そして彼は、のっぴきならない事情を告げはじめる。
「つい先ほど、王国から連絡があってね。僕はすぐさま聖都に帰らなければならなくなった。休暇中すまないが、君にも戻ってきて欲しいとマール様から要請が出ている」
「ええっ⁉」
せっかく聖女としての面倒な用事が済んで……明日からはロロたちとゆっくり遊んであげられるなと、楽しみにしてたのに……。
けれど、目の前の彼の引き締まった表情を見れば、そんな文句はぴたりと収まる。なにか、非常に重大なことが起きたのだ。
「さすがに、夜駆けは危険すぎるからね。出発は明日の早朝に……君も今夜はゆっくり休み、強行軍に備えてほしい」
「はあ、わかりました……」
すまないが、理由は明日話す。そう言い残すとアルベール様は自分の部屋へと戻っていった。私はその後ろ姿を見送り、寝ぼけ顔のアミに謝ると、再びベッドに潜り込む――。
そして翌朝。陽も昇らない内に、私は荷物をまとめると玄関に立った。
結局、移動に費やした時間の半分も滞在できなかったな――そんな愚痴を胸に、ちょっと拗ねた様子の孤児たちを抱き締め別れを告げる。
「ごめんね皆。また休みができたら顔を出すから」
「……ロロ、ねーちゃともっとあそびたかったのに~」
「それは私もだけどさ。無理言っちゃダメだよロロ、シーねえはこれから大事な聖女としてのお仕事があるんだから」
最近物分かりがよくなってきたアミが、ロロを抱き上げ機嫌を取ってくれる。その成長が嬉しくもあり、寂しくもある中……私は今も仏頂面のここの唯一の男の子、リオンへとお願いした。
「リオン、何かあったらふたりのこと頼むわね。あ、でも……前みたいに無茶はしちゃダメだよ?」
「その頼み方がすでに矛盾してる思うけど。まあなんとかやるよ、姐さんこそ気を付けて。はぁ……ちゃんと見張っておいてくださいよアルベールさん。この人、自分の身の危険に関しちゃ本当疎いっていうか」
「わかってる。僕も側にいるし、あれからシーリもずっと強くなったんだ。心配はいらないよ」
聖王国の騎士団長のその言葉に納得したのか、大人しくリオンは後ろに下がった。アミとロロが別れを惜しんでくれる中、嗄れ声で愚痴を言うのは意外にも見送りに出て来てくれていたシスター・ラミニだった。
「ケッ……この聖王国もいったいどうなってんだか。こんなケツの青い若造や小娘の手でも借りんと、なにもできんのかね……」
ただし、片手には酒瓶があり赤ら顔だ。一応聖職者っていうていで暮らしてるんだし、もうちょっとその辺り改めてよと思うけど……。きっと説教するだけ時間の無駄だね。
そんな彼女の顔も、しばらくは見られない。そう思った私はちょっとした仕返しも兼ねて、お酒を口に含んだシスターに言ってやった。
「それじゃあ体、大事にね。お婆ちゃん」
「ぶふっ……!」
すると予想通りシスターは盛大にそれを噴き出し、口を拭いながらこちらを憎々し気に睨みつけた。
「げほっ、げほっ……笑わせんじゃないよ小娘、気色悪い! あたしがいつあんたのババアになった! 老いぼれ扱いすんのも大概にしな、このバカタレが!」
いぇ~い作戦大成功!
それに私は、お腹を抱えて大笑い。他の皆もそれぞれあらぬ方向を向いて、笑い出すのを堪えている。
「あはははははっ。それじゃあねーっ、皆!」
ふふ……やっとシスターに自分で一泡吹かせてやったぞ。思い残すことはないって気分。
私はアルベール様が呼んでくれた馬車に乗り込み、大きく手を振って住民に別れを告げる。街中を移動する間にも、できるだけ笑顔を絶やさずに不安を見せないように……。
この国の聖女としての役目は果たせただろうか。農場主のお爺さんに見送られた後――私は居てもたってもいられずアルベール様の袖を掴んだ。
「だ、大丈夫なんですよね王国は? だって、こんなに平和で……。いきなり状況が変わったりなんて……あるはずが」
「シーリ、気を強く持って……。そうさせないために僕らがいるんだ」
共にこの国を守ろう――そう言いつつも、無事を断言できないアルベール様に、私の胸の微かな不安は居座り続ける。
こうなれば一刻も早く聖都に戻り、詳細を知ることだ。
祈り、そして力を尽くすしか……大切な人たちの命が、軽々しく奪われないように。
昨晩、私たちを恐怖に落とし込んだたったひとつの事実。
この聖王国を――これから数百年越しの恐ろしい戦禍が包もうとしていた。




