33・あの雪の日のこと
結局……街がそんな状態なので、孤児院に戻ってきた後もゆっくりできたとは言い難く。
私が帰ってきたと知ったら、こぞって観光客が教会に押しかけて来て、大変な騒ぎになってしまった。
ずさんな対応は聖教会のイメージダウンにもつながる。
それからの数日は、教会での礼拝に参加させられるわ、町長に頼まれて街の広場でスピーチめいたことをさせられるわ、もう本当に恥ずかしい思いをすることに。
これじゃ聖都で普通に聖女として働いていた方がまだ気が楽だったよ。
あらかたの対応を終える頃には、私は新しい孤児院のテーブルにぐったりと突っ伏し疲れ果てていて……。
(うう……一週間の滞在予定の半分がこんなイベントで消費されてしまうなんて)
「ご苦労様。お茶を淹れてもらって来たよ」
「……すみません。聖騎士団長のお手をわずらわせて」
「いやいや。君が隠れ蓑になってくれたおかげで、僕はゆっくりできたから」
お盆を携えて来たアルベール様が、私の前にお茶とお菓子を置いてくれる。お土産として聖都でたくさん買い込んできたバルミィ・プリーズ堂のフィナンシェは子ども達にも大好評だった。バターの味が濃くて美味しいんだよね、これ。
彼も同様に席に着くと、紅茶を啜り始める。うーん、やはり王宮暮らしの騎士様の仕草はうんと絵になるな。
ちなみに、アルベール様は私が観光客に追っかけ回されている間、色々リオン達の世話を焼いてくれていたみたい。皆早速懐いたらしく、優しくしてもらったと笑顔で話していた。貴族にはアンジェリカたちみたいな人もいるけど、彼は本当にそういう偉ぶったところがない、善い人だ。
「うん、皆いい子たちで、礼儀もしっかりしている。それにこんな境遇にもめげず、ちゃんと将来に向けて前を見据えられている感じだった。君の教育の賜物かな?」
「いえいえ。あの子たち自身の頑張りですよ」
アルベール様は窓の外で兄弟のように仲良く遊ぶ三人の孤児を優しく見つめている。
ロロとアミは女の子らしくお花摘みをしていて、生真面目なリオンはそれに気を払いつつ、木剣を振っている。境遇が改善したことでちゃんとした教育を受けられるようになり、彼は余った時間で身体を鍛え、王国騎士を目指すことにしたんだって。
なんだかんだ大変な目に遭ったけど、でも……私が聖女になったことが、少しでも彼らの未来を拓く助けになったのなら嬉しいかも。
「ふう……ここにいるとちょっとだけ、母の実家のことを思い出すよ。あの頃は、僕は将来何になるんだろうと思ってた」
アルベール様のご実家であるセイモア家は、代々武門の子爵貴族だという話だ。ティリシャ様の兄君に当たる方が当主を務めているが、そこまで家格は高くなく……王宮に移ってからもあちらの暮らしに馴染むまで大変だったみたい。
「チクチク行儀作法を指摘されてさ。顔がこんなだから、わざとお嬢さんなんて呼ばれたり。そういう悔しさもあって、見返してやるぞって鍛えて騎士団長の座を掴めたんだ」
「私も孤児院でいた頃は大変でした……」
今思い出しても、厳しい生活だった。冬は寒さで死にそうになるし、夏は暑さで食べ物が上手く手に入らなかったりして、ひもじくて……リオン達が居てくれなかったらきっと逃げ出していた。
「もし……こんな自分じゃなかったら、なんて想像したりしませんでした?」
そんな風に私が尋ねると、アルベール様は大きく頷く。
「もちろん。僕はこう見えて、楽器を弾くのが好きでさ。吟遊詩人になって、ハープやリュートを担いで旅をしたいって思ってた。シーリは?」
「あはは、似合いそう。私は――」
シスター・ラミニのお世話でそれどころじゃなくって。なんて答えようとしたところで後ろでギイと扉が開く。
「おやおや……若いもんがふたりして、老人の悪口に花を咲かせてんじゃないだろうねぇ」
まだ彼女のことは話題にすら出していないのに――そこには悪女の勘でも働いたか、唇をニヤリと歪めてこちらを威圧するシスター・ラミニが。
でも……今は不思議と前ほどの恐ろしさが感じられない。以前は少しどなられただけでびくついていたものなのに。私もあれからちょっとは成長できたのかもしれないね。
「そりゃあ、十数年以上もさんざん扱き使われ続けたんですもの。ちょっとぐらい文句を言ったってかわいいものじゃありません?」
気付けば自然と口から愚痴が出ていた。それを聞いたシスターは一瞬目を剥くと、なんと大笑いした。
「ヒャハハハハ! あのいじけた小娘が言うようになったじゃないか! ヒヒ……少々腹は立ったが、あれだけ儲けさせてくれたんだ、今回くらいは許してやるよ。もう老後の暮らしに困るこたぁないしね」
彼女はポケットから取り出したいくつもの金貨をジャラジャラと弄ぶ。
それを見て私と顔を見合わせたアルベール様が、呆れた顔で問いかけた。
「それで、何か用事ですか? あいにく僕ら若者は、老人の与太話に付き合う暇はないんです。それともなにか年寄りらしく、耳寄りな智慧でも授けてもらえるんですかね?」
「ったく、最近の若いもんは敬意が足んないねぇ。気に入らない相手だろうが、世間話のひとつやふたつ、黙って聞いてやるのが世渡りのコツってもんだろうに。ま、男にでも貢がせられそうなお前さんにゃ、あたしらみたいなもんの苦労は分からんだろうが……」
「っ……何が言いたいんです」
流石シスター・ラミニ。的確に嫌らしいところを突いて来る。普段温厚なアルベール様を怒らせるんだから大したものだ。
しかし彼女も喧嘩するつもりはないらしく、すぐに鼻を鳴らすと背中を向けた。
「別にあんたに言いたいことなんざないよ。だが、そっちの小娘にはデカイ借りを作っちまった。気持ち悪いんだよ、そういうのは。付いてきなシーリ。あんたが知りたがりそうなことを、教えてやるよ」
「え…………っ⁉ それって――」
立ち上がりざまに大きく膝をテーブルにぶつけてしまう。
実は、ここでの十六年間……。シスター・ラミニは私がどうやってここに預けられたか……父親がどうなったのか一切教えてくれなかった。渡してくれたのは、あの髪留めだけ。
姓を知らされた時も思ったけれど……やはり、まだまだこの老婆は私に隠し事をしていたんだ。
それも、特大のやつを――。
◇
「僕も付いて行って構わないんですか?」
「見せもんじゃあないが、まあいいだろ。ほれ、グズグズすんじゃないよ。あたしの気が変わんのが嫌だったら、きびきび付いてくるんだね」
いつものガミガミ婆さんっぷりは変わらず、前をゆくシスターの後に私とアルベール様は続いていった。
屋敷を出、以前魔物を倒した後も子供たちが手入れを続けてくれている畑を通りすぎ、林の中へ。この先は獣が出るからって、孤児院にいた頃は近づかせてもらえなかったっけ。
シスターは目印でもあるのか、その先をずんずん歩いていくと……やがて出っ張った崖の下に辿り着いた。
そこには……盛られた後のある土の上に、木材で作られた簡素な十字が立っている。かなり、古いもののようだ。
「……誰か、ここで亡くなったんですか?」
何も考えずそう尋ねた私にシスターは珍しく目を細めると、崖の上に覗く青空を眺めながら言った。
「お前の親父の墓だよ」
「――――!」
雷に打たれたように身体が硬直したのは、果たして今の自分の心が発した命令だったかどうか。
気付けば、私は駆け寄ってそのお墓の前にぺたんと座り込んでいた。
脳裏に、初めてこの世界に来た時の記憶が……まるで昨日のことのように思い浮かぶ。
そうだ……精悍な顔をした、でもとても優しい目付きをした人だった。お父さん――私は今まで彼がどこかで生きていると勝手に信じ込んでいた。
でも……冷静に考えればそんなはずないんだ。彼はあの時、血が滴るほどの大傷を受けながら、必死の思いで私を……この赤ん坊を誰かに託そうとしていたのだから。
「う、う……ぁ」
ごめんなさい……。そう言おうとしたのだが、言葉にならず私は両手を顔で覆う。
私はこの人が亡くなったことも気にせず、何も知らずに……この場所で安穏と暮らさせてもらっていた。彼が命を懸けて私の生を繋いでくれた、その意味も考えずに。
少しして背中に温かい掌が置かれ、しばらく悲しみに寄り添ってくれた。アルベール様だろう。
おかげで、私は大きなショックを受け止めることができた。息を整え、溢れる涙を何度かに分けて拭った後……立ち上がり、シスター・ラミニに尋ねる。
「教えてください。私の……お父さんのこと」
するとシスターはハッと、乾いた笑いのようなため息を吐き、手近にあった岩の上に腰掛けたまま思い出話をしてくれた。
「たいしたことは知らないさ……ただ、あまりにも必死だったからねぇ。あれは、しこたま吹雪く寒い日だったよ――」
……シスターによれば、その日彼女はあの教会で飲んだくれていたのだそうだ。
商売が上手くいかず、別の街から逃げるようにして流れ着いたその場所は打ち捨てられていて、彼女のような社会のあぶれ者が身を寄せるにはうってつけだった。
「チッ……まあ当座のねぐらが見つかっただけましか」
今は冬場、移動するのも厳しい。買い込んだ食糧を口にしながら暖炉の火に当たっていたところ……扉からノックの音がしたではないか。
(なんだってんだい。ったく、こんなひでえ雪の日に神様に拝みに来たってわけでもあるまい……)
シスターは最初は無視を決め込んだ。
だが……煙突からの煙で人がいるのを察したのか、執拗に扉は叩かれ続けた。仕方なく彼女は油断しないよう刃物を片手に戸を薄く開ける。
「ここはあたしのねぐらだ、宿にするなら他を当たりな! ――っ⁉」
「ああよかった……。やはり人が、いたな」
ぞっとした。なにせ、その男は口元と服の下半分を血で濡らしながらも、笑っていたのだから。
厄介ごとはごめんだ――急いで扉を閉めようと思ったが、できなかった。男が扉を片手で掴み、何かを自分の手に押し付けようとしてきたからだ。
「頼む……この子を育ててやってくれ。私にはもう、その時間は残されていない」
「はぁ……? ざけんじゃないよ、このあたしのどこが子守りに見えるってんだ! 他所を当たるんだね!」
そも赤ん坊の顔は真っ青で、生きているようには見えなかった。外から吹き込んで来る吹雪はこうしているだけでも凍りそうな冷たさなのに……この男は、こんな体でどれだけ長い距離を歩いて来たのか。
扉が動かない。男がすさまじい力で固定して離さないせいだ。自分を見据えるその瞳に、シスターは気圧された。死に体のこの男の、どこからこんな力が……。
「金はある。私が死んだ後はどうしてくれようと構わん。だが……この子のことだけは、頼む」
断ればこちらが殺されそうに思った。気付けばシスターは、その気迫に頷かされていた。
「ちっ……わかったよ、やってやる! ちょうどあたしも金が欲しかったところだ、つってもそこらのお嬢様みたいに上品に育てられはしないがね。だからその手を……」
すると男はふっと表情を和らげ、感謝を告げた。
「十分だ、ありがとう。その子の名前はシーリ。シーリ・アンテノアという。どんな形でもいい、必ず大事に育ててやってくれ……。そうすればきっと、その子は自分の運命にも、立ち……向かえ、る」
「お、おいっ、あんた!」
男の身体がぐらりとかしぐ。どっと外で横倒しになり、雪に埋まった。
シスターは慌てて揺り起こそうと肩に手をかけ、その冷たさに驚いたそうだ。氷のようだった……本当に、ついさっきまで生きていたのか疑うほどに。
「……でもねぇ。あんた、言っちゃ悪いが無駄死にだよ。もう……この子は」
ここまで辿りついた男の執念を感じたが、手の内の赤ん坊も同じように冷たく、苦虫を噛み潰したように顔になったシスター。
てっきりもう亡くなったものだと思い……彼女はせめて後で親父と一緒に埋めてやろうと、赤ん坊をお包みごと暖炉の傍のテーブルに置いた。そして、雪が止んだ後埋葬するために男の遺体を検めようとした時――。
「……ほぎゃぁ」
「――⁉」
ほんの微かな鳴き声が聞こえ、振り向いた。
急いでテーブルに駆け寄り、真上から赤ん坊の姿を覗きこむ。すると――微かに手足が動き、赤ん坊が伸ばしたシスターの指を掴んだではないか。
「…………ヒッ、しぶといね。親も親ならってわけかい。いいだろう、あんたはあたしが育ててやる」
さすがにシスターも、死にかけた赤ん坊を放置できるほど悪党でもなかった。鍋で湯を沸かし重湯をつくると、身体を温めるため抱き抱えた赤ん坊に、少しずつ与えてゆく。すると赤ん坊はしばらくして寝息を立て始めた。
「シーリ、か」
その後数日で吹雪は止み……シスターは赤ん坊を背負ったまま、街の人間に見つからぬよう男を近くの林の奥、この崖に埋めた。男の身なりはそれなりに高貴で、揉め事の匂いがしたためだ。
そして確かに男は大金を持ってはいた。が……赤ん坊とふたりこの先遊んで暮らしていけるほどではない。そこでシスターは考えた。打ち捨てられた廃教会と子供……この状況を利用できないかと。
その後彼女は聖教会の人間を装って町長に働きかけ、教会の傍に立っていたボロ小屋を改装し……こうして孤児院を開くことになった、というわけだ――。
「それぐらいかね……。そういや、一度別の男があんたを訪ねてきやがったが、白を切ってやった。ヒヒヒ、どーも王国の人間じゃないような感じがしたねぇ」
話を締めくくったシスター・ラミニは、私の顔を懐かしむように眺める。
正直戸惑いは隠せないけれど、私はまず、命を助けられた感謝を彼女に告げた。
「あ、ありがとう……。じゃあ私、この国の生まれじゃないの?」
「多分ね。お前の親父の持ちもんは衣服とそいつ以外処分しちまったが、アテになりそうなものはなかったよ」
「そう……なんだ」
痩せ細った指が私の髪留めを指差す。父のこと、私の出自のこと。まだしばらくは、自分の中で咀嚼するのに時間がかかりそうだ。
「あの……どうして?」
シスターは損得勘定の人間だ。私にこんなことを伝えても得をするとは思えないのに。
すると彼女は、腰をとんとんと腰を叩いて立ち上がりながら言った。
「さあねぇ。あたしももう年だ、地獄にまで面倒くさいお荷物をしょっていきたくはなかったんだろうさ。さあ、こいつで話は終わった……あたしは戻る。あんたらは好きにしな」
皮がめくれた大ケヤキを目印に――そう伝えるとこちらの答えも待たず、シスターは歩いていってしまう。その背中にたまらず私は再度、大きな声で呼びかけた。
「あの……ありがとう! 助けてくれて」
「感謝なら、あんたの頑固親父にでも言うんだね。あたしはただ、あんたを利用しただけさ」
そううそぶいて去ってゆく老女の姿に、私はアルベール様となんともいえない表情を浮かべ合った。人の善悪の割り切れなさを学んだような気がする。
私の――シーリの家族に関して大きな手掛かりは得られなかった。
けれど、お父さんが彼女のことをなによりも大切にしていたことは知れた。生きて再会させてあげられず残念ではあるけど……それでも話を聞けてよかった。
隣で佇むアルベール様に尋ねる。
「もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」
「心ゆくまで。いくらでも待つよ」
それからしばらく、私はお墓の前に跪いて目を閉じた。
(あなたが繋いでくれた命のおかげで……私はこうして大きくなれました)
胸を張って娘だとは言えないけど。それでも尽きない感謝の気持ちをこめてそうしていると……。
『ぱぱ……。まだ、ままには会えてないよ』
なぜだか、悲し気な少女の声が耳の奥を揺らした気がした……。




