27・堕ちた聖女
少しずつ……体の感覚が蘇えり、寒々しかった視界に、彩りが戻ってくる。
「アルベール様……?」
同時に、先程の力は体の中からふっと消え……私は後ろに立っていたアルベール様を見上げた。握り締めていた刃も、手から消えている。
「うん」
彼は優しく頷きかけると、その手を離した。そして一転険しくなった表情で辺りを見回す。
「――だ、団長! い、一体これは、どういう状況ですか?」
「ま、魔女たち! 貴様ら、この聖王国で何をしでかしている!」
後から到着してきた聖騎士たちが驚きの声を発し――。
「おや……どうやって嗅ぎ付けたのか。尾行している様子はなかったはずなんだけれど」
メナが、彼らの登場に首を捻る。そこでこれ幸いと、まさに意識を失おうとしていたアンジェリカが復活し叫んだ。
「す、すべてそいつのせいよ! そのシーリが、魔女と結託して私を殺そうとした! 今の行動を見ていたでしょう、セイモア卿!」
確かに、形勢のひっくり返ったこの場では、そう見えなくもない。だが、アルベール様は惑わされることなく、アンジェリカを強く睨みつけた。
「いや……王妃救出の件に集中していたシーリが、友人を巻き込んでまでそんなことをするはずはない。それに魔女たちとの関りがあるとすれば……ジーレット侯爵令嬢、あなたでは? その胸元の痕は間違いなく奪聖痕――聖女が力を求め闇へ心を染めた証だ!」
「くっ……」
それはよっぽど忌むべきものなのか。
まさか堕ちたのか――囁き合う聖騎士たちに肩口の痕を見咎められ、アンジェリカがさっと隠す。
その仕草を見て、アルベール様は重苦しい口調でアンジェリカの糾弾を進めた。
「それを得ること自体が、この王国で最も重く咎められる罪のひとつなのはあなたなら知っておいででしょう。残念ながら、拘束しなければならない。魔女たちと共に大人しくしていただこうか」
「そんな……」
アンジェリカの顔が色を失う。そんな中、アルベール様の宣言にいち早く反応したのはメナたちだった。
「言い逃れは効かなさそうだ。お前たち、いくよ」
「逃がすな! おそらくやつらは反帝国派だ、何をしていたのか聞き出す必要がある!」
命令に従い、その場から離脱しようとする魔女たちを追撃する聖騎士たち。戦闘が始まる最中……ひとりこの場に留まり、余裕の表情で騎士をあしらうメナがこちらを見つめた。
「邪魔が入って残念だけど、目的のものは回収したしよしとするよ。ふふ……それにしても、先程の力は見事だったね、シーリ。君がそれをどう使うのか、先が見られないのが残念ではあるが。ああ、そうそう……別れる前に教えておいてあげないと」
彼女は大仰な仕草で、一冊の本……紫色のハードカバーを取り出すとページを一枚破り捨てた。
その結果に私は目を見張る。
「――⁉ どうして」
なんとメナが変身したのだ。頬に傷を拵えた、赤い髪を後ろで纏めたあの美女へと。
「ラトラ、さん……?」
「そういうこと……。あのグループは、この国での活動のいい隠れ蓑になってくれてね。ああ、別に残ってる子たちは私たち魔女の目的には何も関与していない。これからも面倒を見てやってくれると助かる」
姿を変えた魔女はそんな風に微笑むと、ぱっと魔法を解いた。
その間、聖騎士達が彼女を捕えようと攻撃するも、シェルウッドの剣は、妙なバリアのようなものを壊せない。
次にメナは懐から、真っ黒な栞を取り出すと、上空へ放り投げる。
「バカなお偉方の内輪争いに乗じて予想以上の力が集まったし、一枚くらいは、お遊びで使ってもいいかな。君たちのお手並み拝見と行こう」
長方形の黒い紙片は、風化するように塵へと変わり風に混じって消えた。
その時――とてつもなく嫌な感じがして……。
「今、何をした⁉」
「ふふ、あの恵まれなかった王様の息子は、騎士団長になったんだね。ルイーゼによろしく伝えてくれるかな。あの時の続きを始めよう……って」
「くっ――⁉」
陣地の方……今まさに戦いの場となっている方角へ私たちが向いた隙に、メナは声だけを残し忽然と消えた。手をこまねいていた騎士たちがたたらを踏み、左右を見やるが気配はない。
「堕ちた聖女……。どうしてだ、彼女は三年前に……」
アルベール様の呟きがひっそりと耳に届くが……私はこの場で起きたことに混乱するばかりで、呆然とその場に佇んでいることしかできずにいた。
◇
「団長……我々でやつを追跡いたしましょうか?」
「いや……おそらく、あの女の対処は君達でも厳しいだろう。それよりも……今はこちらの事態の収拾を優先しよう」
あの後すぐ、指示を仰いできた騎士たちに、黙考していたアルベール様は顔を上げた。
メナはアルベール様のこともよく知っている口ぶりだったが……彼は秘密を胸に抱えたまま、彼らに号令をかけ直す。
「とにかく……皆、ご苦労だった。犯罪者を拘束したら、一旦陣地に戻って状況を整理しよう。討伐はもう終わっている頃合いだが、やつが言ったことが気掛かりだ」
「「ハッ!」」
「シーリ、怪我はないか?」
「あ……はい、大丈夫みたいです。ポピアとリナの方を……」
数人の魔女が聖騎士たちにより捕えられ、アンジェリカも力を使い果たしたか、暴れながらも拘束された。
不思議なことに、私のお腹にはアンジェリカに貫かれた痕は残っていない。破れた服を気にしたアルベール様がマントを貸してくれ、それで身体を隠す。
「貴様ら……私をこんな目に遭わせてどうなると思う? 今に見てなさい、明日から王国では満足に眠れないようにしてやるから」
アンジェリカはそんな風に聖騎士たちに毒づいたが、罪人認定された彼女の言葉に聞く耳を持つ者はいない。そうだ、大事なものを取り返すのを忘れていた――私が近づくと、彼女はびくっと身を竦ませた。
「な、なにするつもりよ。まさか、やっぱり私を殺すつもり……?」
「違うわよ。でも、これは返してもらうわ」
私はアンジェリカの髪から黒い髪留めを抜き取る。これだけは、彼女に預けておくわけにはいかない。
「触るな、それは私のだっ!」
「いいえ。私の大事なものよ」
この髪留めを普段から私が付けていたのは、大勢の聖女が知っているはず。リナも、今なら必要であれば本当のことを話してくれると思う。
酷く抵抗していた彼女を見ながら、どこからが本来の彼女の意思だったのかと考えてみたが、答えは出ない。虚しくなった私は罵詈雑言を放つアンジェリカを憐みの目で見ると、髪留めを元の位置に戻した。
そして改めて、助けに来てくれたアルベール様に感謝の視線を送る。
「ありがとうございました」
「いや……。ここへ来たのは僕の勘だが、実はそれまでに兵士たちが侯爵令嬢と怪しげな人物との会話を見ていたんだ。済まない、もう少し早く辿り着いていたら……」
「そんな。十分助かりました」
そういえば、彼は探し物を見つけるのが得意なんだっけ――アルベール様の謝罪に慌てて首を振った私。
彼が来てくれなかったら、この手は確実に血に染まっていた。私を信じてくれたルイーゼ様や殿下、そして彼自身にも顔向けができなくなっていたことだろう。
(でも、あの力は……)
あの時の自分は、明らかに正気じゃなかった。……というより、アンジェリカを圧倒した力に、頭の奥深くから身体の全てに沁み込んでいったあの声は――多分。
「戻ろう。僕も自分の責任を放り出してきてしまった。指揮官失格だな……。とはいえ、向こうを出るときにはもうほぼ決着はついていた。さすがにあれから何か起こることは考えにくい……シーリ?」
「い、いえ。なんでもありません。行きましょう」
馬に乗れる者は乗り、捕虜と怪我人を連れて元の場所へ急ぐ私たち。幸いポピアもリナも命に別状はなさそうだ。アンジェリカは、聖力の発生を防ぐ特別な刻印がされた縄で縛られ、項垂れている。
「……妙だな。戦いの音がする」
軽いからと私を前乗りさせてくれたアルベール様が、耳を澄ませた。確かに……陣に近づくにつれ大きくなってくるこの物音は勝利の喜びなんかじゃない。恐怖と怒りの入り混じった、争いの響き。
「あ、あれ――!」
森を抜けた瞬間、ぞっとするような光景を見て、私は斜め上を指差す。
というか、誰もが目にしただろう。
「なんてことだ……急ぐぞ!」
アルベール様が馬を操り一気に速度を上げた。他の騎士たちもそれに倣う。
目指す方向に見えたのは……。
「あれが中型⁉ でも、せいぜい家一軒くらいだって……!」
「大きすぎる! 普通のやつじゃない!」
今までの小物とは一線を画した――それこそ、ランシルエルト王宮にも匹敵する大きさの黒い塊……!
そんな化け物が、聖王国の陣容に一気に雪崩れ込もうとしていたんだ。




