21・消えた髪留め
大聖殿での生活も三ヶ月以上が過ぎただろうか。
豪華になった食生活のおかげでやや胴回りがふっくらとしてきた自覚のある私が、サラダだけの昼食を突く前で。
「ふむ……聖女会の食事もまあ捨てたものではないな。我が王宮の誇るシェフのものと比べたら、格は落ちるが」
(そりゃそうでございますでしょうよ)
遠慮なく豪華なステーキを平らげ、食後のデザートまで召し上がった彼が華麗に口を拭う。
ちなみに、周りで交わされるひそひそ声での会話と、ちくちくと突き刺す痛い視線は間違いなく、対面に座るこの人のせいだ。
「――で、シーリよ」
眼前におわすのは金髪の美少年――言わずと知れたこの王国の第一王子・デュリス殿下。どうして彼と私がこんなところで昼食を共にすることになったのか……それは。
「そろそろ献策せよ、どうやって母上を救おうというのだ?」
この質問の答えが聞きたいがため。
たったそれだけのために、最近彼は王族特権で、割と頻繁に大聖殿に出没しているのであった。
「こないだも言いましたよね。その方法を見つけ出すには、まだまだ前提となる知識が足りてないって……」
何度も顔を合わすうちに、私もすっかり遠慮がなくなっている。
こっちだって聖女としてまだまだ未熟で、早期の昇進やらお仕事やらで余裕がないってのに、そう毎回遜ってもいられない。罰されたらされたで、その時考えよう。そのくらいの図太い精神でいないとこっちの身が持たないよ……。
――あの封書室での邂逅を経て。
私は改めて、ルイーゼ様から王妃ティリシャ様の現状と、聖女達が直面する問題について教わることになった。それによると――。
『先代の金盞花の聖女ティリシャ様は、国王様に嫁ぎ王妃となる以前から……。もうかれこれ十年以上も自らに宿る“封印”の力で、この【世界書】の劣化を防いできたのです』
封印とは、指定した物体をこの世の理から切り離す――つまりあらゆる変化を受け付けなくさせるものすごい力。
そして【世界書】とは――私が入室時に釘付けにされた、あの妙なオブジェ型の書物のこと。
分類としては特殊型にあたる奇跡の力で王妃様は【世界書】を――五百年近く前から存在し、世界の在り方と密接な関りがあるという例の書物を、ずっと保護してきたのだという。
だが、所詮この世にある万物は永遠たりえない。歴代の聖女が奇跡を駆使し維持してきた末、書はいよいよ限界に達しようとしていた。
元々、王妃様がいなければすでに風化していてもおかしくはなかったのだ。
そして……頼みの彼女ももう年齢が四十に近づき、聖女としての力も失われかけている。
それでも命を捨てる覚悟で、ここ数年は自らの身体と世界書、両方を封印の力で維持してきたが、いよいよ衰弱が激しくなってきた。このままでは……王妃様の命が尽きると同時に、世界書も封印から解かれて崩壊し、世界にどんな影響が起きるのかわからない。
最悪――世の中の全てが一瞬にして無に帰す。
そんな事態を起こさせないため、ルイーゼ様を始めとした限られた人たちは、一刻も早くこの状況を打開できる力、または技術を探し王国中をから知識を集めているというわけなのだった――。
(……焦っちゃダメだ。ひとつひとつ得られた知識から手がかりを見逃さないようにしないと)
近年の魔物の発生数の増加もそれに起因したものだと考えると……世界書の崩壊が、万物に影響を与えてしまうというのも、眉唾とは考えにくい。世界の命運を握るとんでも話に巻き込まれ――気を抜くと、身震いするような感覚に襲われる。
背筋から這い上りかけた悪寒を無視しようと、私は頭を左右に小さく振った。
「とにかく、数日後にある討伐業務の研修で魔物を実際に見て、何か掴んできます。間近で触れることでしか分からないこともあるでしょうし」
ミシェル班長には危険だと忠告を受けたけど、これに関しては参加するほかない。魔物の発生と世界書の崩壊は、関連する節がある。
魔物は突如何もない空間を裂くようにして現れ、周辺にあるものを吸収し、わずかずつ巨大化していく。その現象を解析して防げれば、世界書になんらかのよい影響を与えられる可能性は大だと思った。だからこそ、もう一度間近で魔物と接触してみないと。
そんな思惑でなんとかルイーゼ様に頼み込み、直近で一番早く開催される討伐業務の研修に捻じ込んでもらったんだ、そこでなんとかヒントを得ないとね。
泊りがけの危険な作業だけど、周りに話を聞くだけでも参考になるだろうし、尻込みしてはいられない。
「……どうかしましたか?」
微かな吐息の気配に顔を上げると、殿下は口元に小さな笑みを浮かべていた。
「気後れしているようには感じられなかったのでな」
「そんな暇ありませんよ。王妃様の命と、世界平和が掛かっているんですから」
「ふん……聖女の気概というやつか。だが、調子に乗るなよ。奇跡はお前らだけの専売特許ではないことを見せてやる。『――口を閉じよ』」
「――⁉」
殿下が席を立ちパチンと親指を鳴らす。それだけで、周囲から一斉に声が消えた。広い食堂の中から人の発する音だけが消えるという異様な体験。
なにせ急に自分の口が開かなくなったのだ、私もびっくりする。
周りでも同じことが起きているようで大勢が慌てふためく中、もう一度彼はパチンと指を鳴らした。
途端静寂が消え、元通りの喧騒を取り戻す食堂。
彼は文句を言いたてようという私の唇にそっと人差し指を突き出し呟く。
(この奇跡は、母上から受け継いだもの。聖王家に連なる男子は、長い歴史の末特別な才能を獲得した。奇跡が扱えることが王たる資質のひとつとして数えられるようになったのだ)
(そ、そうだったんですか)
たった数秒の行いに周りは偶然だと思ったのか、不思議な顔をしながら雑談に戻る。
今の出来事が信じられず、目を白黒させる私を前に殿下はおもむろに席を立つと、見下ろしながら言った。
「ふっ、お前の間抜け顔が見れて満足した。今日のところは帰るとしよう。ちなみに今回の件、失敗すればお前は一生オレの召使いだからな。扱き使ってやる……覚悟しておけ」
(げっ……)
「だがオレも悪魔ではない。代わりに成功すれば、オレの権限でなんでもひとつ望みを叶えてやろう。精進せよ……はっはっはっ!」
突然の宣言に顔を顰めた私。
それを見て輪をかけ楽しそうにすると、殿下は開けっぴろげな高笑いを上げつつ退室してゆく。
やっぱり、子供に見えても王族だ。鮮やかな去り際の背中は食堂の皆の目を釘付けにし、渋面を解いた私は頬杖を突いた。
まったく……元気になったのはいいけど、振り回されるこちらはたまったもんじゃ――。
「うひゃひゃ……王子様に目を付けられるなんて、災難だったねシーリ」
そこへかちゃりと……食事のトレイを携え戻ってきたのは、人の気も知らないで楽しそうな笑みを浮かべた、お馴染みのポピアであった。
◇
ポピアはすでに食事を食べ終わっていたようで、むくれ顔の私の隣でニヤニヤしながら頬杖をついている。
「――さっきの、殿下がやったの?」
「そうみたい」
「ふ~ん、よっぽどシーリにアピールしたかったんだぁ。この人気者~」
「お望みならいくらでも変わってあげるわよ?」
彼女ってば要領のいいことに、殿下が来るのを知った途端注目を浴びるのを嫌ってどこかに避難していったのだ。それでもどうして王子様と個人的に話をするような関係になったのかなど……深く尋ねてこないあたりずいぶんと察しの良い友人ではあった。
「それより、本当にポピアも付いて来るの? 討伐業務の研修」
「うん! ミシェル班長に許可貰ったもんね~。要は魔物退治でしょ? ババッとやっちゃえば問題ないって。それに今回は見学なんだし」
「絶対に危ないことはしないでよ?」
笑顔でピースするのは結構なのだが、遠足か何かと勘違いしてないといいけど。ポピアは今回のことにまったく関係ないのに。
好奇心旺盛な彼女のことだ。魔物を見て軽率な行動を取らないか心配だけど……。聖女は体内の聖力で虚無から身を守れるし、よほどのことが無ければ大丈夫なはず。
その辺り、彼女も弁えているのか――。
「あたしの奇跡ってさ、戦い向きじゃなさそうだもんね。まだシーリみたいに色んな変化を付けられるわけじゃないし、治療チームで大人しくしとく」
「……うん」
らしくなく、神妙な表情で瞼を伏せた。
魔物との戦いは大怪我の危険性もあり、貴重な聖女を失わなせいため専門の治療チームも同行する。ポピアはそちらに志願したらしく、得られる経験値も多いことだろう。
それに彼女だって、最近は生み出す包帯に軽い治療効果を持たせることができるようになったというし、なんだかんだで活躍しちゃうかもね。
正直私としても、見知った人間が近くにいるのは心強い。
最近ちょっと、個人的に落ち込む出来事があったもので……。
(どこで失くしちゃったのかな……)
首を揺らすと、右のこめかみから辺りから心許ない感触が返る。慣れ親しんだ重みをくれていたあの黒石の髪留めが、数日前から行方不明なのだ。
最近ばたばたしていて忙しかったせいで、どこで外したりしたのか覚えていない。仕事終わりに使う大浴場、就寝時に使うベッドの周りなども探したが、見当たらない。
「……髪留めのこと? 大丈夫だよ、どうせ誰かが届けるのを忘れてるだけで、その内返ってくるって。あたしも色んな人に声掛けしたし」
「うん、ありがとね」
ポピアの言う通り、まだ無くなって日も浅いためどこかで保管されている可能性は高い。
だけど、体の元の持ち主にとって一番の優先事項を見失い、別のことに奔走していたという罪悪感がどうも拭えない。
(ごめんなさい。約束が果たせるまで、もう少しだけ待って……)
それでも今は落ち込んではいられない。
もし髪留めが無くなったとしても、自力で素性を辿ってみせる。
そんな決意を胸に込めると……私は景気づけに殿下との会話で中断していた食事をバクバクと食べ始めた。
「ふふっ、その調子! あたしら新人が元気を無くしたら終わりだもん。さぁ、午後の仕事も張り切ろ~! あ、その前にあたし、デザート取ってこよ~」
「わひゃひも(私も)!」
カロリー制限も忘れ、ポピアと揃って追いデザートでたっぷりエネルギー補給すると……私たちは本日のお仕事をこなそうと聖都へと繰り出す。
――奥の席で、陰から誰かが会話に耳をそばだてていることも気付かずに……。
『討伐業務研修ね……おあつらえ向きの舞台じゃない。今度こそ、うまくやれるわよね? リナ』
『……はい。必ず――』




