20・お世継ぎ様の願い
「……母上」
(……へえっ⁉ それって――)
デュリス殿下が力ない足取りで寝台に近づく。
微かな声音でこぼしたその言葉に私は大きな衝撃を受ける。
この方の母親ということは、ここで寝かされている人物の正体は――。
それについては、殿下の背後に寄り添うアルベール様から説明があった。
「この方は――殿下の実母であり、ランシルエルトの現王妃、ティリシャ・ソラス・ランシルエルト様だ。数年前から体調不良のため療養に専念していると国は説明しているが、あれは実は、正しい情報ではないんだ……」
そういえば、そんな噂を私も耳にしたことがある。
稀代の聖女だったこの国の王妃様は、王子を出産したのち次第に病に臥せり、城の奥から出られなくなったとか。
その彼女が、どうして大聖殿の奥でこんな状態に?
「もしや……呪いのようなものを掛けられ、その治療のためにとか?」
悪い魔女に呪いを掛けられた女性が眠りにつく――元の世界でもさんざん目にしたそんな陳腐なストーリーを想像してしまう私だったが、アルベール様は曖昧に微笑んだだけ。
それを否定したのは、殿下の苛烈な叫びだった。
「違う!」
彼は悔しそうに震わせた背中を振り向かせ、激情の籠る瞳でこちらを見つめた。
「なにも知らずにいい気なものだな、下々の聖女は。ルイーゼ……少しばかり教育が足りていないんじゃないか。こいつら他の聖女がのほほんと平和を貪る裏で、母上は――!」
これはちょっと聞き捨てならない物言いだ。
私たちだってそれぞれ、王国民のために必死に頑張っている――。
そう口答えできたのにしなかったのは、殿下の瞳の奥に強い悲しみを感じたからだ。ルイーゼ様も瞼を伏せがちにしたまま、何も言わない。
そして彼が次に告げた内容に、私は息を呑んだ。
「母上がこんな目に合ってるのも、貴様らが不甲斐ないせいなんだぞ!」
「……え?」
時が凍ったように。
私は硬直したまま、視線だけをベッドの上に移す。
王妃の表情は苦痛そのもの。額に皺をよせげっそりと痩せこけたその様は……まるでどうしようもない何かに、ずっと立ち向かわされているような。
ルイーゼ様が静かに口を開いた。
「殿下。どうか咎めは私に。全ての聖女の力不足は、統括する立場の我々に責任がございます。彼女たちにはそのことを思い遣るどころか、知る権利すら与えられていないのですから」
だが、そんな諫めも殿下の怒りを激しくさせてしまうばかりだった。
「うるさいうるさい! そこの能天気なお前にも教えてやる! 今のこの世界の平和を守っているのはなぁ……聖女会の聖女じゃない! 母上なんだ……! 母上が人知れず命を擦り減らして魔物の出現を封印し――世界の崩壊を抑えてるんだ!」
(ど、どういうことなの……? 封印、それに世界の崩壊? 意味が分からない)
母の窮状に耐えられず、妄想と現実を混同している……?
いや。他のふたりを見ても、そんな感じじゃない。
「殿下、そこまでで――」
「黙れ!」
止めようとしたアルベール様を殿下は赤い目でギロリと睨み、聖女会に対しての糾弾を続けていく。
「無知な下っ端聖女め、知れ! 世の中に魔物が増え、各地で問題になっているのは……母上の力が衰え尽きかけているせいなのだ! なのに、いつまで経っても代わりの聖女は見つかりやしない。このままじゃあ母上は……くそぉっ!」
「待っ――」
デュリス殿下の顎をすっと涙が伝い、彼は私たちを突き飛ばすと部屋から走り去る。
私は反射的にそれを追い、封書室を飛び出す――。
◇
「待ってください!」
「しつこいっ!」
一生懸命追うも殿下は意外と身軽で、飛ぶように三階、二階と階段を駆け降りていく。
私は何も知らない部外者だけど、泣いている子どもを放ってはおけない。何より、ちゃんとした事情を知りたいのに……この機会を逃せば彼とまた会える保証なんてないんだ。
「止まってください!」
「付いて来るな!」
ダメだ。足は彼の方が早く、こうしていても追い付ける気がしない。
階段を駆け降りる彼の背中がだんだん遠ざかり、このままじゃ、見失う――。
(ええい、どうとでもなれっ! 現役聖女を舐めないでよ!)
私は恐怖を押し殺して手すりからジャンプ。
螺旋階段の中心の空隙に飛び込むと、急速な落下感が身体を襲った。
だが、私には奇跡がある。
途中で出した紙のシートを足場に跳ね、殿下の背中目掛けて飛びついた。
「――捕まえたっ!」
「き、貴様っ!」
丁度踊り場になる部分で、彼を捕捉し、馬乗りにするようにして押さえ付ける。
う~、なんたる不敬。牢屋行きでも文句は言えないぞ。
「く、くそ……離せ! 未来の王にこのような無礼、いかに聖女といえど許せん! 田舎に飛ばして一生戻って来れぬようにしてやる!」
「そんなことより、ちゃんとさっきの話聞かせてください! 王妃様を助けたくないんですか!」
でも、こんなものまで見せられたら……何も知らないままではいられない。
私が並みの聖女だからとか、彼らが王族だからとかは二の次だ。目の前の苦しむ人を助けようとしないで、聖女だなんて名乗ってられるか。
「私にも王妃様をお助けする手伝いをさせてください!」
「お前なんかに……なにができる」
奥歯を噛み締め、煮え切らない様子でいる殿下に、私は再度強く呼びかける。
「試してみなければわかりません! それに、王妃様はあなたにとって大事なお母さんなんでしょう! だったら、意地を張ってないでできることはすべてやらなきゃ……!」
殿下の瞳は絶望に凍えている。
最初は彼も誰かが母親を救ってくれると信じていたのかもしれない。
しかし、時が経ち彼女の容態が追い詰められるに連れ、母の命と彼女が課された何か大きな役目の間で板挟みにされたのだ。それはまだ幼い殿下の心に、とても大きな重圧を与えたんじゃないだろうか。
「オレだって最初は、誰かがどうにかしてくれるって思っていた! でも……いつまで経っても、母上を助けられる者は現れやしない。もう、どうしようも……」
「……だとしても、下を向いていてはダメです」
殿下の肩を掴み、強引に目を合わさせた。
彼が今抱えている苦しみの大きさは、親の顔も知らない私には計り知れない。
でも、ここでこうやって自分の殻に閉じこもり……弱りゆく母親を看取るまで他人に背を向けていたら、その後悔は彼の将来に必ず暗い影を落とす。
「まだ時間はあるはずです。ルイーゼ様達と一緒にできることを探しましょう。私にも、できるだけのことをやらせてください。突飛な発想と諦めの悪さには、結構自信があるんです」
私は殿下の身体の上からどくと、なるだけ明るく見えるよう笑みを浮かべて見せた。
どういう未来の元、ルイーゼ様が私をこうして彼らと引き合わせたかはまだ分からない。けれど、そこには何かの希望の種があるはずだ。だったら今はそれを探り当てるだけ。
「――――……ふんっ、確かに図太そうな顔をしておる」
しばらく顔を俯けたままだった殿下だが……ある時しっかりとこちらを見ると、尊大さを取り戻した様子で言う。
「だが、お前の言葉は不思議と心に響いた。お前、シーリと言ったな。どうか……何もできないオレの代わりに母上をお救いして差し上げてくれ。この通りだ」
そしてその後、ぐいと袖口で涙を拭い、真摯な表情で頭を下げてくれた。
「――はい。諦めずに全力で、方法を探しましょう」
約束すると、私は彼の手を引いて立ち上がらせ、しっかりと握手した。
結末はわからない……でもやらなくちゃ。例え私なんかの手に負えない難題でも、色んな人の知恵を借りることができれば、何かの活路はきっと開ける。
誰かが言っていた。想像できることはすべて実現可能なことだって。
ならば……聖女が奇跡を起こせるこんな世界なんだ、希望のヒントは絶対にどこかに転がってるはず。
突破口を見つけ、絶対に起こしてみせる……本物の奇跡を‼




