11・歌う少年
日中の大聖堂の三階――高位聖女の居住区画は、まるで水を打ったような静けさだ。時折、ハウスキーパーの方とすれ違って挨拶するけど、響く声はそれくらい。
(班長、相変わらず忙しそうだったな……)
そこに私みたいな下っ端が何をしに来ていたのかだけど……今日は第五班のミシェル班長へ、活動報告を上げる日だったんだよね。
聖女会では、週に一度自分がこなした訓練や仕事の成果を書面にまとめ、所属班の班長へと提出する規則がある。
出す側も受ける側も大変だけど、この積み重ねがデータになり、後の聖女の育成に生かされたりするから、おそろかにはしてはいけないんだとか。
ちなみに同室の聖女ポピアは、先週活動実績の提出を忘れて反省文をくらい、二重の地獄を味わっていた。ミシェル班長は規則を守らない聖女にはすこぶる厳しい。
「ふう……。さて、後は特に用事もないし、今日はどうしようかな」
今回の休み、ポピアは実家の用事で外出していてひとりだし。街に出て買い物しようにも、特に今必要なものも……なさそう。
(やれやれ。部屋に戻って奇跡の訓練でもしますか……)
この間の治療業務で、聖力の扱いに関しいくつかヒントをもらえた。
見る限りベル先輩はウイスキーを純度の高いアルコールに……リアナ先輩は植物のアロエを、治癒力の高い軟膏に変換していた。
どうやら創造型の奇跡は、元となる素材が主体であれば、ある程度加工されたものも生み出せるみたい。後で話を聞いたけど、ふたりとも実際に手作業でそれらをなんども作ってイメージを固め、奇跡で再現するというやり方で会得していったのだとか。
(となると、相当にできることの幅が広がるな。悩ましいな~……)
つまり作り方を知っていてイメージさえ掴めれば、何でも再現可能ということ。これは現世での知識の生かしどころだ。
「ふふっ……楽しみになってきたかも。……ん?」
新たな発想が次から次へと浮かび、るんるん気分で昇降装置へと向かうと、微かな音声が聞こえてくる。
乗り口に近づいた私の目が、視界の端にある光景を捉えた。
ひとりの、窓際に頬杖を突いた美しい少年。歌声はその口から放たれているようだ。年のころは十と少し……くらいか。やや切なげな、成長過程の涼やかな声に思わず耳を傾けてしまう。
“おお民よ 唱えよ我が聖なる祖国を
何度膝をつこうと 旗を仰ぎ前を見よ
守れ大地を 輝く未来を次に譲らん
真白き光 胸に絶やさず ”
聖王国の国歌を……金髪碧眼の彼は浮かない顔でひっそりと歌い続ける。本格的に声楽でもやっているのかという見事な歌声といい、高貴なオーラや服装といい、一般家庭の出じゃないことは明白。
(う~ん……ここに住む誰かの兄弟、かな? でも大聖堂には普段、家族の人でも入れないはず)
聖女は人数が少なく貴重なため、結婚後もお役目を果たすことは可能だ。
だが、本部に住むことはできずに外部からの通いとなる。なので誰かのお子さんということはない。
門や受付で怪しい人間は弾かれるし、昇降機を使うにはサンホワイトの紋章が必須。一応階段もあるにしろ、奥まったところだから関係者でないと近づけないはず。
子どもだし、不審人物ということもないだろう……けど、一応声をかけてみるか。
「あの~……君、どうかした?」
「――――っ! なんだ、アル……あいつじゃなかったか。何者だお前」
うっわ、間近で見るとなおさらかわいい……。女の子みたいに睫毛が長くてキレイな顔。
過敏に反応され、機嫌も悪そうだけど放ってはおくことはできない。
私はやや語気を強めて再度尋ねた。
「何者だ、じゃないでしょ。どうして君こんなところにいるの? ここは聖女の住む場所だから一般の人は立ち入り禁止だよ。ご家族とはぐれたりしたなら、一緒に探してあげるけど?」
こっそりお姉さんの聖女が連れて来て、何かの拍子にはぐれたとかなら合流させれは話は終わる。
詳しい事情を聞こうと近づいた私を彼はなんと……歳に似合わぬ皮肉気な眼差しで見下してきた。
「オレを知らぬ? まったく最近の聖女はどうなってる……。それにお前、翠双葉など一番下っ端の雑魚ではないか。どうせこの上にある封書室のことも知らんのだろ?」
「……ふーしょしつ?」
初耳の言葉に首をかしげてみると、彼は興味を失くしたように顔を背けた。
「消えろ。所詮聖女など、どいつもこいつもさしたる力を持たん偽物ばかりだ」
「っ――あのね~」
さすがにその態度にカチンとした私は、頬に手を当て苦虫を噛み潰す。
聖女に対してどんな印象を抱こうが別に彼の勝手なんだけどさ。
どう見たってこの子の方が年下なんだし、ここは聖女の本拠地。時と場を弁えねば大変なことになるというのは、一度忠告させてもらおう。
「お言葉の通り私はただの下っ端ですけど。他の先輩たちのことをそんな風に言わないでよ。皆国の人たちをたくさん助けてる、立派な人たちなんだよ」
まだこの会に入って日が浅いにしろ、先輩たちが身を粉にして働いてるのは私だってよく知ってる。貶されるのは心外だと胸を張ると。
「うるさいっ!」
ギッと歯を噛み締め、彼はいきなり怒りを露わにした。
「ならどうして、未だに母上の代わりが現れない! お前らが不甲斐ないせいで……」
「――様、どちらですか?」
誰か……来る。あれ、背後からする、この声は。
「くっ⁉」
いきなり少年が焦り出し、身を翻す――。
◇
遠くから足音と共に人を呼ぶ声がし、美貌の少年は気が逸れた瞬間に走り出す。
追うか迷う間に、見覚えのある人物が姿を現し私は思わず仰天した。
「……アルベール様⁉」
「……シーリか。ここで会えるとは思わなかった。元気そうでなによりだ」
現れた彼はいつも通りの穏やかな表情だったが、そこにほんのりと哀愁が乗るのは気のせいか。だけど彼がなぜここに……?
「ちょっとした用事でね、特例で聖女会からも大聖殿へ入場する許可はもらっている。ほら……君たちのとは違うけど」
疑問を察した彼が指差す白い隊服の上――聖女のものとは異なるサンホワイトの紋章が輝く。加工の仕方が違うのか、パールめいた虹色の輝きが美しい。
「ここに金髪の少年が居たと思うけど……あっちに逃げたか」
「えっ、どうして分かったんです?」
少年の姿も目にしていないのに。分かれ道の内、逃げていった方を正確に指差すアルベール様。
私がそれに驚くと、彼は困ったような笑みを浮かべてこう説明した。
「まあ、ちょっとした特技みたいなものでね、探し物の場所を当てるのがうまいのさ。それで、あの孤児院に君が居たことも分かったんだけどね」
「そうだったんですか……」
まるで奇跡みたいだと……そんなことを言う前に。彼はここでどんなやりとりがあったかを見通すと、軽く頭を下げてきた。
「それよりも。彼が心無い言葉を掛けたなら、僕からも謝らせてもらうよ」
「いえ、そんな。子どもの言うことですし」
そしてその後、ぷっと小さく吹き出す。
「ごめん。でも僕からしたら、君だってまだそう変わらない年齢なんだけどな?」
そう言われればそうかもしれないけど。
前世プラスなら彼より余裕で年上な私が思わずムッとすると、あろうことか――距離を詰めたアルベール様に、頭の上に軽く手を乗せられてしまう。
「いくら大人びていても、まだ君は誰かに守ってもらえる年齢だ。くれぐれも、それを忘れないこと。じゃ、僕は彼を追わないといけないから、またどこかで」
今度ゆっくり、お茶でも飲もう――それきり彼は去ってゆく。
当の私はというと……そこで完全に固まっていた。
「あ……頭、撫でられてしまった……」
異性に頭を撫でられることが、こんなに恥ずかしいとは。
話の流れで他意はなくとも、悔しいというか……本当にびっくりだ。
孤児だった私は人からの優しさを受けた記憶があまりない。
とりわけどうしたって警戒対象な男性からの接触なんて、いつもであれば反射で防げていたはず。
その分厚い心理的防壁を、容易くすり抜けるなんて――。
(くっそ~……アルベール様って、思ったより危険な存在なのかも)
これもあの女性的な容姿と穏やかな雰囲気がなせる技か、それとも。
(はあ……気を緩めすぎ。よくないね)
聖都に来てから思う他たくさんの人によくしてもらい、猜疑心が弱まってしまった弊害か。それは歓迎すべきと同時に、私にとって恐ろしいことでもある。
無条件に人を信用してはならない。いざという時、自分を守れるのは自分だけ。
繰り返しそれを肝に命じつつ……触れられた時間近に感じた香りと、大きな手の感触を思い出さずにはいられなくて。
「あ、シーリお帰り~。ん~……どうかしたの?」
「なんでもない」
部屋に戻ると、用事を済ませたポピアがベッドにごろんと転がっていた。
火照った顔を見られまいと、私は窓を開け風に当たる。
――家族が居なかったから、経験不足でちょっと刺さっただけよ。
そう思いつつ、サイドテーブルにあった水差しでハンカチを濡らし、額に当てる。けど――。
(思ったより子供なんだな、私って)
嬉しいような、逃げ出したくなるような――そんな気持ちは中々消えてくれず。
私はそっと、溜め息を都会の喧騒に隠した。




