【幕間】 第四章 カレーと硝煙
すっかり日が落ちた頃、第三分隊の分隊室には、スパイシーな香りが充満していた。
無機質な空間の中心に置かれた折り畳みテーブルには、大盛りのカレーライスが盛られた四つの皿が並べられている。
「はい、おまたせ! 第三分隊特製、快気祝いビーフカレー!」
「ネギが折れてたのは許せないけど、肉は特売とは思えないくらいいい匂いしてるよな」
千歳が両手を広げて大袈裟に宣言し、瑠衣が豪快に笑いながらスプーンを配る。
テーブルを囲むパイプ椅子に、凛と楓も腰を下ろした。
「……いただきます」
楓が小さく手を合わせ、スプーンを口に運ぶ。
無言で咀嚼するその様子を、千歳と瑠衣が固唾を飲んで見守っていた。
やがて、楓はコップの水を一口飲み、ゆっくりと顔を上げた。
「……美味しい、です」
「よっしゃー!」
「そりゃよかった! さあ、食うぞ食うぞ!」
千歳がバンザイをし、瑠衣が自分の皿に豪快に食らいつく。
凛もまた、静かにカレーを一口運んだ。
カレールーの甘口と辛口だけでなく、様々なスパイスが混ざり合った、家庭的でありながらもどこか不器用な味がした。だが、それが今の分隊の空気とよく合っているように思えた。
「で、結局応援行く前に東雲隊長に持ってかれたんだって?」
「ああ。黄昏エリアの境界で、旧月詠の物資を漁る連中と遭遇したが……今回は東雲隊長に手柄を譲る形になったな」
「無事でよかったけどさー。もう、買い出しの『ついで』に戦闘なんて、凛らしいっていうか」
千歳のからかいに、凛は肩をすくめた。
その視線は、部屋の隅にあるスチール製のガン・ラックに向けられていた。
そこには、楓の相棒であるM700が、丁寧に手入れされた状態で立てかけられている。
あの見事な部位破壊狙撃の後、楓の手から震えは消えていた。
トラウマという呪縛から解き放たれ、再び「先輩を守るための狙撃手」として完成したのだ。
「……先輩」
不意に、隣りに座る楓が、小声で凛に耳打ちしてきた。
「どうした?」
「……おかわり、してもいいでしょうか」
普段は無表情な楓の、微かに恥じらうような声。
その言葉に、凛は思わず吹き出しそうになるのを、咳払いで誤魔化した。
「……鍋にまだ残っている。好きなだけ食え」
楓は小さく頷き、皿を持って立ち上がった。
カレーの匂いと、微かに残る硝煙の匂い。
戦闘と隣り合わせの非日常の中にある、このささやかな日常。
凛はスプーンを握りながら、この騒がしくも穏やかな時間が、ずっと続くことを願わずにはいられなかった。
弾は嘘をつかない──だが、この手の温もりもまた、真実だ。凛は静かにそう思った。
その夜のカレーの味を、凛はきっと思い出す。
やがて来る、残酷な喪失の瞬間にも、その記憶だけは決して消えることなく、この先の世界を照らす光となるのだと、今はまだ誰も知る由もなかった。
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同じ頃、鳴神区の東部──「旧市街」の暗がり。
「そうですか……西の廃倉庫の物資回収部隊が、暁嶺に見つかって制圧されたと」
月光の射し込まない路地裏で、灰青のセーラー服を着崩した少女が、携帯端末からの報告を聞きながら冷たい息を吐いた。
腰に巻かれた白いスカーフと、左腕に付けられた『蒼風再興』の腕章が、闇の中で不気味に浮かび上がっている。
神代凪沙。
かつて名門であった蒼風高等学校の生き残りであり、没落した生徒たちを束ね上げるカリスマ。
「……構わない。あれは所詮『月詠からの簒奪者』への牽制に過ぎないし、物資など後からどうとでもなる」
凪沙は携帯端末をポケットにしまい、背後に控える武装した生徒たちを振り返った。
その瞳には、弱き者が踏みにじられるこの特区制度の構造そのものへの、深く燃えたぎるような憎悪が渦巻いていた。
「大手の学園どもが、自分たちだけの平和を貪っている間……私たちは、私たちらの『正義』の準備を進めよう」
彼女が腰のホルスターから愛用のCZ 75を抜き放つと同時に、背後の少年少女たちが一斉に銃のボルトを引いた。
百を優に超える武装の金属音が重なり合い、旧市街の廃墟に重低音の和音を響かせる。
「鳴神区の空を、私たちの風で塗り替える」
──第二巻『灰色の正義 ─ Ashen Justice ─』へ続く
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