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【幕間】 第三章 弾は嘘をつかない

 楓の放った制圧弾(サプレスラウンド)は、狙っていた敵の足元ではなく、大きく逸れて廃倉庫の鉄扉に命中し、甲高い金属音を響かせた。

 指の震えが生んだ致命的なミスだったが、皮肉にもそれは、統率の取れていないチンピラたちの過剰な反撃を誘発するには十分だった。


「な、なんだ!?」

「撃ち返せっ! やっちまえ!」


 パニックに陥った彼らは、構えたアサルトライフルとサブマシンガンを無差別に乱射し始めた。

 パパパパパ──!

 無数の弾丸が黄昏の空気を引き裂き、凛と楓が隠れているコンクリート壁やアスファルトに突き刺さる。

 制圧弾(サプレスラウンド)とはいえ、殺傷力こそ落とされているものの、直撃すれば骨折や内臓破裂を免れない威力がある。


「散開しろ!」


 凛は廃倉庫の右側面に広がるコンテナ群の陰へと駆け込みながら、楓に叫んだ。


「左翼の鉄骨の足場を取れ! そこから敵の射線を限定しろ!」

「……了解!」


 楓は背を低くして左側へと駆け出し、身軽な動作で錆びついた階段を駆け上がっていく。

 凛はコンテナの隙間に身を潜め、P226のスライドを引いて薬室に初弾を送り込んだ。

 敵は四人。対するこちらは二人。

 数では劣るが、練度の差は歴然としていた。敵の射撃はフルオートでのバラまきばかりで、照準などろくについていない。

 ただの烏合の衆だ──凛はそう判断し、コンテナの陰から飛び出して反撃に転じようとした、その時だった。


 カンッ!


 凛の頭のすぐ横──数センチの距離にあったコンテナの鉄板が、激しい火花を散らして弾け飛んだ。

 甲高く、重い炸裂音。

 ばらまかれたフルオートの射撃音の中にあって、それだけが異質で、冷酷な「殺意」を帯びた単発の音。


「……ッ!」


 凛は反射的に身を屈め、舌打ちをした。

 狙撃手がいる──ただのチンピラに毛が生えた程度ではなかったのか。凛は慌てて通信機に手を伸ばした。


「楓! 敵に狙撃手がいる! お前の位置から見えるか!?」

『……見え、ます。奥の倉庫の屋根。……こちらとおなじ、ボルトアクション……』


 楓の通信の声が、微かに震えていた。

 凛は即座に状況を理解した。楓の目に、敵スナイパーのスコープの反射光が映っているのだ。

 それは、かつて楓自身が実弾で狙撃された時に見た光。死の恐怖を刻みつけた、トラウマの根源。


『凜、先輩……私……』


 通信越しに聞こえる楓の息遣いが荒くなっているのがわかる。

 過呼吸の初期症状。恐怖が彼女の指を硬直させているのだ。


「落ち着け、楓。深呼吸しろ」

『でもっ、あの光が……! また、私を……!』


 普段は無表情な楓の、泣き叫ぶような悲鳴。

 凛はコンテナの陰で拳を握りしめた。

 飛び出してあのスナイパーのヘイトを自分が稼げば、楓は撃たれずに済むかもしれない。だが、そんなことをすれば凛自身が制圧弾(サプレスラウンド)の餌食になる。

 ここは楓に撃たせるしかない。しかし、どうすれば彼女の硬直を解けるのか。

 優しい言葉など、今の凛には思い浮かばなかった。

 だから。


「……撃て、楓」


 どこまでも冷たく、静かな声で凛は命じた。


「お前は狙撃手だ。狙撃手の恐怖は、引き金を引くことでしか越えられない」

『そんな……無理です! 指が、動かなくて……!』

「なら、的に当たるかどうかなんて考えるな」


 凛の声は、通信のノイズを通して真っ直ぐに楓の耳に届く。


「弾は嘘をつかない。それは、お前の指先にも言えることだ」

『え……?』

「お前が毎日丁寧に銃を手入れし、射撃場で何千発と引き金を引いてきた事実。その筋肉の記憶だけは、絶対に嘘をつかない。お前の目は、とっくに敵を捉えているんだろ?」

『……』

「恐怖を抱えたままでいい。震える指のままでいい。ただ、今までやってきたことを、そのまま出力しろ」


 凛の言葉は、崖から突き落とすような厳しさを持っていた。

 だが、その底にあったのは「久瀬楓(くぜ かえで)という狙撃手への絶対の信頼」だった。

 通信回線の向こうで、数秒の沈黙が落ちる。

 やがて──小さく、しかし力強い息を吐く音が聞こえた。


『風速、二メートル。距離、百四十。……照準、合いました』


 楓のその声には、もう震えはなかった。

 直後、黄昏の空気を切り裂くような、M700の発砲音が響き渡った。


 ダンッ!


 放たれた一発の制圧弾(サプレスラウンド)は、見事な放物線を描き、奥の倉庫の屋根に伏せていた敵スナイパーの「銃身」そのものに直撃した。

 銃身がひしゃげ、スコープが砕け散る。

 狙撃手は悲鳴を上げて銃を落とし、屋根の上に蹲った。

 完璧な部位破壊。相手の命を奪わず、かつ物理的に無力化する──久瀬楓でなければ不可能な、超精密狙撃だった。


『……クリア。先輩、突入を』


「よくやった」


 短い賞賛と共に、凛はコンテナの陰から躍り出た。

 スナイパーという最大の脅威を失い、動揺している残りの三人のチンピラたち。

 凛にとっては赤子を捻るよりも簡単な相手だった。P226を構えながら、滑るようなステップで距離を詰める。


「な、なんだこいつッ! 速──」


 一人がライフルを向けるより早く、凛の拳銃が火を噴いた。

 制圧弾(サプレスラウンド)がその肩を打ち抜き、男は吹き飛んで悶絶する。

 そのまま流れるように二人目の膝を撃ち抜き、最後の一人には弾を使わず、懐に潜り込んでからの足払いでアスファルトに叩きつけた。


「終わりだ。大人しく寝ていろ」


 数分後。

 完全に制圧され、呻き声を上げる四人を前にして、凛は小さく息を吐いた。

 すると、足場の階段を下りてきた楓が、小走りで近づいてきた。

 その頬は微かに紅潮し、目はうっすらと涙ぐんでいたが、表情には確かな達成感が浮かんでいた。


「先輩……! 私、撃てました!」

「ああ。見事だった」


 凛がそう答えた時だった。

 背後から、ブレーキの軋む音と、何人もの軍靴の足音が響いてきた。


「……そこまでだ」


 静かだが、威圧感のある声。

 振り返ると、装甲車から降り立った東雲恭介と、数人の第一分隊の隊員たちがこちらに銃口を向けて警戒態勢を取っていた。

 その中の一人、佐伯遼が迅速に四人のチンピラを拘束していく。


「東雲隊長……」

「お前、買い出しに行くと言って分隊室を出たそうだな」


 東雲は呆れたように大きなため息をつきつつ、凛が落としていたレジ袋(ネギが折れ曲がっている)を拾い上げた。


「……パトロールのついでです」

「ネギが折れてるぞ。千歳に怒られるな」

「……」

「今回は、偶発的な遭遇による『防衛行動』として処理してやる。だが、次は本隊を呼べ。お前たちの独断専行のせいで、俺の書く始末書の量が増えるんだ」


 皮肉めいた東雲の言葉に、凛は小さく頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました。……助かりました」

「フン。さっさと帰って、カレーでも食ってろ」


 東雲はレジ袋を凛に押し付け、踵を返した。

 その背中を見送りながら、凛と楓は顔を見合わせ──二人は同時に、微かに、本当に微かにだけ、口角を上げた。


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