【幕間】 第二章 黄昏のパトロール
放課後の気配が学園に満ち始めた頃、凛は防弾仕様のタクティカルベストのバックルを締め直し、分隊室のドアノブに手をかけた。
「じゃあ、ちょっと東の方まで回ってくる」
「あー、凛! ちょっと待って!」
千歳が慌てて声をかけ、手元のメモ帳の切れ端を凛に押し付けた。
「あの辺りに行くなら、ついでに駅前のスーパー寄ってきてよ。カレールー、やっぱり中辛だけじゃ物足りないかなって思って。辛口のルーと、あと福神漬けもお願い!」
「……買い出しか」
「パトロールの『ついで』だよ、ついで。パトロール七割、買い出し三割。よろしくね!」
ウインクして見送る千歳に、凛は小さくため息をつきながらもメモを受け取った。
すると、射撃場から戻り、部屋の隅で愛銃をライフルケースにしまって背負おうとしていた楓が、小走りで近づいてきた。
「凛先輩。私も、ご一緒してよろしいでしょうか」
「お前は休んでいろと言ったはずだが。それに、ただの買い出……パトロールだ。一人で十分だ」
「いえ」
楓は首を頑なに横に振った。
「分隊長の単独行動は、本来の規定に反します。それに……少しでも、外の空気を吸っておきたくて」
その言葉の裏にある「訓練場での失敗を取り戻したい」という焦りを、凛は読み取っていた。
だが、ここで無理に引き留めれば、楓はますます内へと籠もってしまうかもしれない。
少し考えた後、凛は短く頷いた。
「わかった。ただし、後方警戒を怠るな」
「はい!」
楓は無表情のまま、しかし微かに声のトーンを上げて返事をした。
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鳴神区の東側、駅前の商店街を抜けると、旧市街と黄昏エリアの境界線が見えてくる。
かつて月詠女子学園が支配していたこのエリアは、今はどこか薄暗く、空気が淀んでいるように感じられた。
商店街のスーパーで買い出しを終えた凛は、スーパーのレジ袋(ネギがはみ出している)を左手に提げながら、境界線の鉄柵の手前で足を止めた。
夕暮れが迫り、西の空が赤く染まり始めている。
「……静かですね」
背後で、ライフルケースを背負った楓がぽつりと呟いた。
「嵐の前の静けさ、というやつだ。統括事務局が新しい管轄を決めない限り、ここは誰のものでもない『餌場』になる」
凛が黄昏エリアの奥、シャッターの閉まった廃倉庫群へと視線を向けた時だった。
微かな金属音が、風に乗って耳に届いた。
カチャリ、という、銃のスライドを引くような硬質な音。
「……っ」
凛は即座にレジ袋を足元に置き、腰のホルスターから愛銃であるSIG P226を抜き放った。
楓もまた、瞬時に背中のライフルケースからM700を取り出し、ボルトを引いて装填を完了させる。
「前方、十一時の方向。廃倉庫の陰」
凛が低く告げると、楓がスコープ越しに前方を確認した。
「視認しました。……三人。いや、四人です。武装しています。手にはアサルトライフルと、サブマシンガン。制服は……統一されていません。着崩したセーラー服と、私服にタクティカルベストを重ねて……」
「蒼風の下部組織か、それに便乗したチンピラどもか」
凛は廃倉庫の壁沿いに身を隠しながら、舌打ちをした。
彼らが何をしているのかは明白だった。旧月詠が残した物資を漁っているのだ。
本来なら、東雲の第一分隊に連絡し、正式な手順を踏んで制圧を要請すべき状況だ。
今の凛は「謹慎中」の身。ここで自ら戦闘の引き金を引けば、氷室からの怒りを買うだけでなく、東雲たちからの批判も免れない。
『各校のチンピラどもが探りを入れているんだろう』
先ほど分隊室を出る前に耳に入った、東雲たちの噂話を思い出す。
だが。
「……見過ごして帰れば、あの武器は明日の朝凪エリアを脅かすことになる」
凛のグリップを握る手に、力がこもる。
正しさとは何か。組織の規律を守るために悪事を見過ごすことが、風紀部隊の正義なのか。
沙耶なら、どうしたか。
「凛先輩」
凛の躊躇いを察したのか、楓が凛の横顔を見つめた。
彼女の手は微かに震えていたが、その瞳には強い光が宿っていた。
「私の……初弾で、威嚇します。その隙をついてください」
「馬鹿を言え。お前の今の腕じゃ……」
「外しません」
楓は断固とした口調で言い切った。
「先輩の居場所は、私が守ります。……私の銃は、未だそのためにあるんですから」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるような響きを持っていた。
凛は楓の瞳を真っ直ぐに見返し──やがて、短く息を吐いた。
「……了解した。私は下から右翼に回る。威嚇発砲と同時に突入する。左翼はお前に任せる」
「はいっ」
凛は通信機のスイッチを入れ、本部(分隊室)への回線を開いた。
『第三分隊から本部。黄昏エリア境界、ポイントDにて武装した不審者グループに遭遇。これより自衛的制圧行動に移行する』
『は!? 交戦!? ちょっと凛、まさか二人で突っ込むつもり!?』
千歳の慌てた声が耳元で響く。
『カレーのおかわりが欲しければ、瑠衣を起こして応援に備えろ』
『もぉーっ、相変わらず無茶苦茶なんだから! ……了解、すぐ行くから死なないでよ!』
通信を切り、凛はP226のセーフティを外した。
そして、横で据銃姿勢を取る小さき狙撃手に向かって、静かに命じた。
「──撃て、楓」
夕闇の空気を引き裂くように、一発の銃声が鳴り響いた。
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