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【幕間】 第一章 的の中央

 鳴神区(なるかみく)の十二月は、少しだけ火薬の匂いがする。

 学園自治特区という特殊な環境下ゆえか、三学期への年越しを控えた各校の風紀部隊(ヴィジランテ)が、気合を入れるためのデモンストレーションも兼ねて派手な公開訓練を行うからだ。

 暁嶺学院(ぎょうれいがくいん)が管轄する南部の「朝凪エリア」でも、乾いた発砲音が冬の風に乗って時折響いてくる。


 しかし、御崎凛(みさき りん)の居場所は今、その喧騒から遠く離れた場所にあった。

 第三分隊の分隊室。使い込まれたパイプ椅子が四つと、コーヒーメーカー、それにスチール製のロッカーが並ぶだけの無機質な空間。

 凛はパイプ椅子に深く腰掛け、手元のクリップボードに挟まれた書類と睨み合っていた。


「……また、弾薬の申請書が差し戻された」


 深い溜息とともに書類をデスクに放り出す。

『第二種制圧弾(サプレスラウンド)の過剰請求。先月の特区内規約違反に関する審査期間中のため却下』と、赤字で無機質に記されていた。

 先月──すなわち、聖樹館女学院せいじゅかんじょがくいんとの裁定戦(アービトレーション)において、凛が総隊長である氷室雅(ひむろ みやび)の命令を無視し、独断で月詠(つくよみ)の黄昏エリアへ突入した件だ。

 月詠の解体と政府の介入という巨大な結末をもたらしたとはいえ、軍隊組織を模した風紀部隊(ヴィジランテ)において「命令違反」は最も重い罪のひとつに数えられる。

 結果として、凛は第一線から外され、こうして書類仕事や安全地帯の巡回ばかりを命じられる「謹慎」のような扱いを受けていた。

 だが、凛自身はその静けさを、どこか安堵に近い気持ちで受け入れている部分があった。


「凛ー? まだ書類と格闘してんの?」


 不意に分隊室のドアが乱暴に開き、桜庭千歳(さくらば ちとせ)がひょっこりと顔を出した。

 ウェーブのかかった茶髪をハーフアップにまとめ、防弾制服の上からいつものタクティカルベストを羽織っている。手にはスーパーのレジ袋がいくつか提げられていた。


「千歳。……それは?」

「今日の夜の部の仕込み! 瑠衣とふたりで買い出し行ってきたの。ジャガイモと玉ねぎと、お肉は特売の牛コマ!」

「特売って……。瑠衣は?」

「後から長ネギ抱えて戻ってくるよ。あいつ、カレールー甘口と辛口で揉めてさー。結局中辛にしたんだけど」


 千歳の言う「夜の部」とは、先月の裁定戦(アービトレーション)で負傷した久瀬楓(くぜ かえで)の快気祝いのカレーパーティーのことだった。


「楓の様子は?」

「さっきまで一緒にいたけど……。今は、射撃場じゃないかな」


 千歳の言葉に、凛は小さく眉をひそめた。


「射撃場?」

「うん。怪我が治ったその足で『感覚を取り戻さないと』って。ストイックだよねえ、あの子も」


 凛は手元の書類を揃え、立ち上がった。


「見てくる」

「ああ、うん。あんまり無理させないでね。怪我は治ってても、気持ちのほうはわかんないから」


 千歳の気遣うような言葉に短く頷き、凛は分隊室を後にした。


---


 暁嶺学院の地下射撃訓練場は、ひんやりとした空気に包まれていた。

 コンクリート打ちっぱなしの壁に、等間隔に並んだ射座。電子音とともに標的が手前に引き寄せられる音が、静かな空間に響く。

 一番奥の射座に、見慣れた小柄な背中があった。

 久瀬楓だ。銀色がかった黒髪のショートボブが、イヤーマフの縁からわずかにこぼれている。

 彼女の細い腕には、分不相応なほどに長く重いボルトアクション狙撃銃──Remington M700が抱えられていた。


 凛は足音を殺して楓の後ろに立ち、無言で彼女の射撃を見守った。

 楓がスコープを覗き込む。ゆっくりと息を吐き、トリガーに指をかける。

 ──ダンッ!

 地下室の空気を震わせる乾いた発砲音。

 ボルトを引き、空薬莢を排出する金属音が続く。手慣れた、流れるような動作だ。

 しかし、引き寄せられてきた標的の紙を見て、凛はわずかに目を細めた。


「……ブレてるな」


 思わず口に出た言葉に、楓が肩をびくっと震わせ、振り返った。

 イヤーマフを外し、無表情のまま、しかし確かな動揺の色を目に浮かべて凛を見上げる。


「凛、先輩……」

「右下に、五ミリ。お前にしては珍しい」


 凛の指摘に、楓は唇をきゅっと結び、視線を落とした。

 楓の使用するM700での射撃において、五ミリの着弾点のズレは、彼女の本来の腕前からすれば「あり得ない」ミスだった。


「……申し訳ありません。まだ、感覚が戻りきっていなくて」

「謝る必要はない。病み上がりだ。焦らなくていい」


 凛はそう言いながら、楓の手元のM700を一瞥した。

 手入れは完璧に行き届いている。銃身に埃ひとつなく、ボルトの動作も滑らかだ。

 銃の問題ではない。問題は、引き金を引く側の「指」にある。

 実弾の恐怖──凛は内心でそう呟いた。

 先月、楓は射撃訓練場で練習中に、学院の敷地外から実弾での狙撃を受けた。

 左肩を掠めたその一発は、防弾制服の肩パッドに阻まれて貫通こそ免れたものの、楓の心に深い傷を刻み込んでいた。

 スコープの向こう側に、自分を殺そうとする本物の殺意──レンズの反射光を見た瞬間の恐怖。それが、無意識のうちに楓の指を硬直させ、トリガーを引く瞬間のわずかなブレを生んでいる。


「……私のせいです」


 ぽつりと、楓が呟いた。


「私が撃たれたせいで、先輩たちに心配をかけてしまった。私がもっと早く敵の狙撃手に気づいていれば……」

「よせ」


 凛の声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。


「誰のせいでもない。あれは不可抗力だ。それに、お前は生きている。結果がすべてだ」

「でも……ッ!」

「銃の手入れを怠るな」


 凛は楓の言葉を遮り、冷徹な上官としての顔を作って言い放った。


「指のブレは、気の迷いだ。迷いがあるうちは、戦場に立つな。今はただ、銃と向き合え」

「……はい」


 楓は深く頭を下げ、再び射座に向き直った。

 凛はその背中から目を逸らし、足早に射撃場を後にした。

 不器用な慰めしか言えなかった自分に苛立ちながら。

 冷たいな、私は──階段を上りながら、凛は自嘲気味に息を吐いた。

 沙耶を失った時、自分を救ってくれたのは千歳の温かい言葉だった。

 だが、今の自分は楓に同じことをしてやれない。「弾は嘘をつかない」──その言葉通り、感情を切り離して「事実」だけを突きつけることしかできない。

 それは、楓を守るための不器用な優しさでもあったが、同時に、凛自身の弱さでもあった。


 地上に出ると、冬の冷たい風が頬を撫でた。

 見上げれば、鳴神区の空は重い雪雲に覆われ、どこか所在なげに灰色に霞んでいた。


---


 昼休みの余韻が残る中庭のベンチで、東雲恭介は缶コーヒーのプルタブを引き抜いた。

 短く刈り上げられた黒髪に、実戦で使い込まれた傷だらけのタクティカルベスト。暁嶺学院最大戦力である第一分隊の隊長を務める彼は、三年生という立場もあってか、常に落ち着いた、どこか達観したような雰囲気を纏っている。

 だが、その手元にある分厚いバインダーには、彼の生真面目さが象徴するかのように、各分隊から上がってきた大量の報告書が几帳面にファイリングされていた。


「お疲れ様です、東雲隊長」


 控えめな足音とともに声をかけてきたのは、同じ第一分隊の副隊長・藤宮朱音だった。

 彼女は二年生ながら、物静かで事務処理能力に秀でる優秀な補佐役だ。東雲の後方指揮を完璧に支えている。


「藤宮か。お前も休んでおけと言ったはずだが」

「隊長が休んでいないのに、副隊長が休むわけにはいきませんよ。……それに、少し気になる報告がありまして」


 朱音は手にしたタブレットを操作し、東雲に画面を見せた。

 表示されていたのは、黄昏エリア──旧月詠管轄圏における、最新の不審者目撃情報だ。


「ここ数日、エリア南西部の廃倉庫群周辺で、所属不明の武装した生徒らしきグループが何度か確認されているようです」

「所属不明、か。また蒼風(そうふう)の連中か?」

「腕章や制服の特徴からは、そう断定できません。ただ、制服を着崩し、統率の取れていない動きからして、どこかの学校の正規の風紀部隊(ヴィジランテ)ではないことは確かです」


 東雲は微かに目を細め、缶コーヒーを一口飲んだ。

 苦味が舌に広がる。


「月詠が潰れて、あのエリアは今、真空地帯だ。統括事務局が新たな管轄の割り振りをモタモタしているせいで、各校のチンピラどもが『月詠の遺産』──隠された武器弾薬や裏金目当てに、ハイエナのように探りを入れているんだろう」

「早急に、第一分隊(うち)で制圧に向かいますか?」

「いや」


 東雲は首を振った。


「今は手を出さないほうがいい。下手に動いて、他校の正規部隊と『偶発的な交戦』にでもなってみろ。ただでさえ先月の裁定戦(アービトレーション)でうちは目をつけられているんだ。氷室総隊長も、今は波風を立てるなと仰っている」


 東雲の言葉に、朱音は小さく頷いたが、どこか納得しきれていない表情を浮かべていた。


「ですが、このまま放置すれば、いずれは朝凪エリア(うちのシマ)にも被害が及ぶ可能性があります。それに……」


 朱音の視線が、中庭の端、少し離れた場所を歩いていたふたつの人影──凛と楓の姿に向けられた。


「第三分隊の御崎隊長。彼女なら、放置できないと言って、また単独で動くのでは?」

「……御崎か」


 東雲は低く呟き、凛たちの背中を見つめた。

 二年生にして隊長を任され、確かな実力を持つ少女。前任の隊長であった橘沙耶(たちばな さや)の死という重い過去を背負いながら、自らの信念を曲げようとしない不器用な生き方。

 第一分隊の隊長として組織の規律を重んじる東雲にとって、彼女の独断専行は容認できるものではない。だが同時に、彼女の危うさに、どこか目を離せないのも事実だった。


「あいつには、しばらく書類仕事と安全地帯の巡回だけを命じてある。弾薬の追加申請も俺の権限で差し戻した。動きたくても動けないはずだ」

「だといいのですが。彼女の『正しさ』は、時に組織の規律を容易に飛び越えますから」


 朱音の懸念に、東雲は答えなかった。

 ただ、手元の冷えかけた缶コーヒーを見つめながら、静かに息を吐いた。


「……規律がなければ、組織は崩壊する。だが、規律だけでは、救えないものがあるのも事実だ」


 それは、東雲自身が、これまでの実戦の中で幾度となく直面してきた矛盾だった。


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