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【第一巻】 第十三章「最後の一発」

 あの夜から、三日が過ぎた。


 暁嶺学院(ぎょうれいがくいん)は表面上、いつもの日常に戻っていた。授業があり、昼休みがあり、放課後の訓練がある。制圧弾(サプレスラウンド)の乾いた射撃音が射撃場に響き、グラウンドでは体力訓練の掛け声が上がる。何も変わっていないように見えた。


 でも凛は知っていた。何かが変わり始めている。


 結月が整理した証拠データは、三つのルートに分けて送信されていた。紫苑経由で聖樹館(せいじゅかん)の上層部へ。氷室経由で暁嶺学院の理事会へ。そして──凛が直接、鳴神区(なるかみく)外のジャーナリストに。沙耶の手帳に挟まれていた名刺。沙耶が最後に接触しようとしていた記者の連絡先だった。


 返信はまだない。外の世界が動くには時間がかかる。あるいは、握り潰されるかもしれない。


 でも凛は待てなかった。鏡夜が来ると知っていたから。


---


 四日目の夕方。


 千歳が作戦室に駆け込んできた。


「凛ちゃん──結月ちゃんが月詠(つくよみ)の通信を傍受した。鏡夜が動いてる」


 凛は整備していたP226から顔を上げた。スライドを戻し、マガジンを差し込む。十五発。チャンバーに一発装填。十六発。


「どこに向かっている」


「こっちに。──一人で」


 凛は息を吐いた。


「──来たか」


 楓が作戦室の隅から立ち上がった。M700を手に取る。


「隊長。狙撃支援を──」


「いらない」


 全員が凛を見た。


「一人で行く」


 瑠衣がシールドを壁から持ち上げかけて、止めた。


「……マジで言ってんのか」


「ああ」凛はMP5Kを肩に掛けた。予備マガジンをベストに四本。P226の予備マガジンを二本。「鏡夜は一人で来る。あの夜の約束だ。──一対一で決着をつける」


「約束って──あいつは暗殺者だぞ。約束なんか守る保証がどこにある」


「守る」凛は断言した。「鏡夜は、嘘をつけない人間だ。沙耶を殺した時の悲しみを隠せなかった。あの地下室で、私に背中を見せた。──鏡夜は、決着をつけたいんだ。自分自身と」


 瑠衣は凛を睨んだ。──それから、シールドを壁に戻した。


「……戻ってこなかったら、殴りに行くからな」


「ああ。覚悟しておく」


 千歳がコーヒーカップを机に置いた。


「場所は?」


 結月が端末を操作した。


「鏡夜の進路から推測すると──鳴神区第七区画。旧・鳴神工業団地です。管理局の警備巡回が最も手薄なエリア。建物の残骸と空き地が広がっています」


「鏡夜もそこを選んだということか」凛は頷いた。「遮蔽物が多く、狙撃もCQBも成立する。──戦場としては悪くない」


「凛ちゃん」千歳が静かに言った。笑っていなかった。「──勝って」


「勝つ。──約束する」


 凛は作戦室を出た。廊下に差し込む夕陽がオレンジ色に染まっていた。足音が反響する。一人分の足音。


 正門を抜ける時、楓が待っていた。


「隊長」


「ついてくるなと言ったはずだ」


「ついてきていません。──見送りです」


 楓は凛の前に立ち、敬礼した。暁嶺の正式な敬礼。背筋が伸び、右手がこめかみの横にぴたりと止まる。


「──御武運を」


 凛は一瞬だけ目を細めた。敬礼を返した。


「ありがとう、楓」


 暁嶺学院の正門を背に、凛は夕陽の中を歩き出した。


---


 旧・鳴神工業団地は、特区制度の導入時に住民と企業が退去した廃墟群だ。錆びた鉄骨の工場、崩れかけたコンクリートの倉庫、雑草に覆われた駐車場。人の気配はない。夕陽が長い影を引いていた。


 凛は工場の間の通路を進んだ。足元のアスファルトはひび割れ、隙間から雑草が伸びている。MP5Kを右手に構え、P226は腰のホルスターに。視線は常に前方と上方を往復する。狙撃手の習性を持つ相手だ。高所を取られたら不利になる。


 風が吹いた。錆びた看板が軋む音。それ以外は静寂。


 凛の通信機が鳴った。結月の声。


『鏡夜の通信信号、途絶しました。──電波管制に入ったと思われます。現在地は第七区画内。距離はおそらく三百メートル以内です』


「了解。ここからは通信を切る」


『──気をつけて、凛隊長』


 凛は通信機の電源を落とした。これで本当に一人だ。


 工場の角を曲がった。前方に広場が開けた。かつての荷捌き場だろう。コンクリートの床が百メートル四方に広がり、周囲を二階建ての倉庫が囲んでいる。中央にフォークリフトの残骸。左手にドラム缶の列。右手に崩れた足場のパイプ。


 遮蔽物は十分にある。──ここだ。


 凛は広場の端、倉庫の壁を背にして立ち止まった。MP5Kのセーフティを解除した。コッキングハンドルを引き、チャンバーに初弾を送り込む。三十発。予備マガジン四本。合計百五十発。P226が十六発、予備二本で四十六発。全弾合わせて百九十六発。


 鏡夜のVSSは十発装填の消音狙撃銃。射程と精度では圧倒的に向こうが上。だが発射速度と継戦能力はこちらが勝る。距離を詰めれば勝機がある。


 待った。一分。二分。五分。


 夕陽が沈みかけ、影が長くなっていく。空がオレンジから紫に変わり始めた。


 ──音。


 微かな金属音。上方。左側の倉庫の二階。窓枠に何かが触れた音。


 凛の身体が動いた。


 銃声より先に跳んだ。壁から離れ、フォークリフトの残骸の陰に滑り込む。背後の壁に弾痕が穿たれた。コンクリートの粉が散る。──音がない。VSSの消音された発射音は、十メートル以上離れると風の音に紛れる。


 弾着音だけが聞こえた。凛が一秒前まで立っていた場所、胸の高さ。殺す気だ。


「──鏡夜」


 凛はフォークリフトの影からMP5Kを構えた。左の倉庫二階、窓枠。暗い室内に人影は見えない。


 二発目が来た。フォークリフトのエンジンブロックに着弾。鉄の塊が鈍い音を立てる。──弾道を確認した。角度から逆算する。窓枠の左端、奥に三メートル。そこに鏡夜がいる。


 凛はMP5Kの照準を窓に合わせ、三点バーストで撃った。九ミリパラベラムが三発、窓枠の縁を抉る。抑え込み。鏡夜を窓際から引き剥がす。


 ──残弾二十七発。


 凛はフォークリフトの影から飛び出した。ドラム缶の列に向かって走る。距離を変える。同じ場所にいれば狙撃手の的になる。


 走りながら窓を見た。影が動いた。鏡夜が位置を変えている。凛はMP5Kで窓枠に向けて二連射。六発。コンクリートと木材が砕ける。


 ──残弾二十一発。


 ドラム缶の陰に滑り込んだ。息を整える。心拍が速い。でも手は震えていない。


 三発目の着弾。ドラム缶の上端を掠めた。金属が歪む甲高い音。──鏡夜が新しい射点を確保した。窓ではない。倉庫の壁の穴。崩れた外壁の隙間から銃身だけを出している。


 狙撃手としての判断が正確すぎる。射点を次々に変え、こちらの位置取りに合わせて角度を修正してくる。正面から撃ち合っても勝てない。距離を詰めるしかない。


 凛は深く息を吸った。


 ──走った。


 ドラム缶の列を盾にしながら、左の倉庫に向かって真っ直ぐ。走りながらMP5Kを撃った。壁の穴に向けて。三点バースト、三点バースト、三点バースト。九発が壁を抉り、コンクリート片を飛ばす。


 ──残弾十二発。


 倉庫の壁に辿り着いた。壁を背にする。上に鏡夜がいる。ここなら狙撃角度が取れない。死角だ。


 入口を探した。錆びた鉄の扉が半開きになっている。凛は扉の横に身を寄せ、内部を覗いた。暗い。工場の機械の残骸が散在している。奥に階段。


 鏡夜がこの階段で二階に上がったなら、凛もここから上がれる。だが──階段は狙撃手にとって最高の殺しの場だ。上から撃ち下ろされれば逃げ場がない。


 凛はMP5Kを構えたまま、倉庫内に滑り込んだ。暗さに目が慣れるまで三秒。機械の残骸の影に身を潜めた。


 上方に物音。かすかな足音。鏡夜が移動している。凛の侵入に気づいたのだろう。


 階段は二つあった。正面の鉄骨階段と、奥の非常階段。凛は非常階段を選んだ。鏡夜の足音は正面階段寄り。──裏をかく。


 非常階段を駆け上がった。コンクリートの壁に囲まれた狭い階段。足音を殺す余裕はない。速度を優先した。二階に出る扉を蹴り開ける。


 ──広い空間。倉庫の二階は仕切りのないフロアだった。窓から差し込む夕陽の残光。コンクリートの柱が等間隔に並んでいる。床には埃と瓦礫。


 そして──正面、三十メートル先。


 鏡夜が立っていた。


 月詠の制服の上に、黒いタクティカルベストを着ている。VSSを構え、スコープ越しにこちらを見ている。その姿は夕陽の逆光の中に浮かび上がり、影絵のようだった。


 銃口が凛を向いていた。待ち伏せされた。非常階段の扉を開ける音で位置を特定された。──いや、最初からここに誘い込まれたのかもしれない。一階で鏡夜の足音がしたのは、凛を非常階段に向かわせるための罠だった。


 凛は扉の枠に身を隠した。VSSの弾丸が扉の枠を抉る。金属片が飛ぶ。──9×39mm。亜音速重量弾。拳銃弾とは比べ物にならない貫通力。薄い鉄板では防げない。ドアの蝶番が弾丸で千切れ、鉄扉が傾いた。


 凛はMP5Kを突き出し、鏡夜の方向に撃った。残弾を惜しまない。三点バースト。二回。六発。弾丸が柱とコンクリートの床を叩き、埃が舞い上がる。


 ──残弾六発。


 弾幕の間に身を出し、最も近い柱まで走った。十メートル。柱の影に滑り込む。コンクリートの柱は太い。9×39mmでもすぐには貫通しない。


「──御崎凛(みさき りん)


 鏡夜の声が響いた。感情の薄い、透明な声。あの地下室と同じだ。


「一人で来たのね」


「お前も一人だ」


「ええ。──約束したから」


 凛は柱の影からMP5Kを構えた。鏡夜の姿は柱の向こう、二十メートル先。VSSを構えたまま柱の影に身を寄せている。


「鏡夜。──投降しろ。お前は証人だ。管理局の犯罪を証言できる唯一の人間だ」


「投降?」鏡夜の声に微かな笑いが混じった。笑いを知らない人間が、笑い方を思い出そうとしているような声。「私が証言台に立つと思う? 三歳から人を殺す訓練をしてきた私が?」


「沙耶を殺した時、悲しかったと言ったのはお前だ。──お前はもう、ただの兵器じゃない」


 沈黙。


 ──VSSの弾丸が柱を抉った。コンクリート片が頬を掠める。


「おしゃべりは終わり」


 鏡夜が柱から身を出した。VSSを腰だめに構え、凛に向かって歩いてくる。消音された銃声。フロアの空気が揺れる。二発。三発。凛の柱を正確に狙い撃つ。移動しながらの精密射撃。──化け物じみた技量だ。


 凛は柱の反対側に回り込み、MP5Kの残弾を撃った。六発。全弾。


 ──マガジン空。


 マガジンを落とす。ベストから予備マガジンを引き抜き、叩き込む。コッキングハンドルを引く。三十発。手が自動的に動く。二秒のマガジン交換。


 凛は柱から飛び出した。次の柱まで走りながら撃つ。三点バースト。距離は十五メートルまで縮まった。鏡夜も柱に身を隠す。


 互いに柱を盾にした、短い距離での撃ち合い。凛のMP5Kと鏡夜のVSS。発射速度は凛が圧倒する。だがVSSの弾丸は一発一発が重い。柱が少しずつ削れていく。


 薬莢が床に落ちる音が、リズミカルに響いた。凛の九ミリの軽い音と、鏡夜の9×39mmの重い音。テンポが違う。凛は速く、鏡夜は遅い。──でも鏡夜の一発が柱に当たるたびに、コンクリートが拳大の塊になって砕け散った。三発も当たれば柱は遮蔽物としての機能を失う。


 一つの柱に留まっていては死ぬ。凛は柱から柱へ、二発撃っては移動する戦法に切り替えた。鏡夜の射線を予測し、その逆側に回る。訓練の成果だ。──沙耶と一緒にやった、対狙撃手の演習。あの時は沙耶が狙撃手役で、凛が接近する役だった。


 沙耶。お前が教えてくれた動き方で、お前を殺した相手に迫っている。──皮肉だ。


 凛は三点バーストを三回放ちながら、距離を詰めていった。十五メートル。十二メートル。十メートル。


 鏡夜が動いた。柱から柱へ移動する。凛は追うように撃つ。三点バースト、二連続。六発。鏡夜の足元のコンクリートを砕く。


 鏡夜が隣の柱に滑り込んだ。その直後、VSSが三発、凛の柱を叩いた。コンクリートの表面が剥落し始めている。あと数発で貫通するかもしれない。


 ──MP5K、残弾十五発。


 柱を変えた。走りながら三発撃ち、新しい柱に飛び込む。距離八メートル。ここまで来ればMP5Kの精度でも確実に当たる。


 鏡夜がVSSのマガジンを交換した。マガジンを落とし、新しいものを差し込む。その隙。


 凛は柱から身を出し、鏡夜に向かってMP5Kを撃った。フルオート。残弾全てを叩き込む覚悟で引き金を引き絞った。


 九ミリ弾が連続して柱を、壁を、床を叩いた。鏡夜が身を伏せる。VSSを抱えたまま床に転がり、柱の影に滑り込む。凛の弾丸が鏡夜の直前のコンクリートを砕いた。破片が鏡夜の頬を切った。


 ──カチン。


 ボルトが後退位置で止まった。マガジン空。


 凛はマガジンを落とし、三本目を叩き込んだ。──三十発。残りの予備マガジンは二本。あと九十発だ。


 鏡夜が柱の影から身を出した。VSSではない。──拳銃。腰から抜いた小型の自動拳銃。VSSの弾が尽きたか、あるいはこの距離ではVSSが不利と判断したか。


 八メートルの距離で、二人は拳銃とサブマシンガンを向け合った。


 凛が先に撃った。三点バースト。鏡夜が横に跳ぶ。拳銃を撃ち返す。凛の左腕を弾丸が掠めた。制服の袖が裂け、血が滲む。


 ──痛い。でも動ける。


 凛は歯を食いしばり、MP5Kを鏡夜に向けた。三点バースト。鏡夜の影を追って撃つ。弾丸が柱を削り、壁を穿ち、窓枠を砕く。


 鏡夜が走った。柱の間を縫うように。猫のような身のこなし。凛の弾幕を紙一重でかわしながら、距離を──詰めてくる。


 凛もまた走った。撃ちながら。互いに距離を詰め合う異常な銃撃戦。普通なら距離を取る。距離は防御だ。だが二人とも相手に向かって走っていた。


 五メートル。


 凛が三点バーストを撃った。鏡夜が身を伏せながら拳銃を撃つ。弾丸が凛の右の耳の横を通り過ぎた。風圧を感じた。


 ──MP5K、残弾を確認する余裕がない。


 三メートル。


 凛はMP5Kのトリガーを引いた。──カチン。


 空。


 最後のマガジン交換。手がベストに伸びる。マガジンを掴む。MP5Kに叩き込む。コッキングハンドルを引く──その隙に鏡夜が跳んだ。


 鏡夜の回し蹴りがMP5Kを叩いた。凛の手から銃が弾き飛ばされた。MP5Kが床に落ち、滑っていく。


 凛の身体が訓練通りに動いた。銃を失った瞬間、左手で鏡夜の蹴り足を掴み、引き寄せる。鏡夜のバランスが崩れる。凛は右肘を鏡夜の側腹に叩き込んだ。


 鏡夜が呻いた。──声を出した。痛みの声。この少女がこんな声を出すのを、凛は初めて聞いた。


 鏡夜が体勢を立て直し、凛の顎に掌底を打ち込んだ。視界が揺れる。凛は後ろに下がり、鏡夜の追撃の蹴りをギリギリで躱した。つま先が凛の鼻先を掠めた。


 近接格闘。二メートルの距離で、二人は拳と蹴りを交換した。凛のCQB格闘──実戦的で無駄のない動き。鏡夜の格闘──暗殺者の技術。急所を的確に狙う。互いに打撃を与え合い、互いに致命傷は避ける。


 凛の右拳が鏡夜の頬を捉えた。鏡夜の膝が凛の腹に入った。凛が屈む。鏡夜が凛の襟を掴む。凛が鏡夜の手首を掴み返す。


 もつれ合うように、二人は床に倒れた。──そこで凛は咄嗟にP226を抜いた。鏡夜の胸に向ける。鏡夜も床に転がりながら拳銃を拾い上げていた──いつの間にか落とした自分の拳銃を。


 二メートル。互いの銃口が互いを向いている。


「──やっと、この距離ね」鏡夜が言った。息が乱れている。初めて見る鏡夜の乱れた呼吸。


「お前も──人間だな」凛は肩で息をしながら言った。「息が上がるんだ」


「当たり前よ。──私を何だと思っていたの」


「兵器だと思っていた。最初は」


「今は?」


「──沙耶と同じ、この檻に囚われた少女」


 鏡夜の目が揺れた。拳銃を構えた手が──一瞬だけ震えた。


 その隙を凛は撃たなかった。代わりに言った。


「鏡夜。──もう一度だけ言う。投降しろ」


「──できない」


「なぜ」


「私が投降して、何が変わる? 管理局を告発しても、特区制度は残る。別の学校が作られ、別の少女が銃を持たされる。──構造は変わらない」


「だから変える。お前の証言が──」


 鏡夜が撃った。


 凛は首を傾けた。弾丸が右耳の横を抜けた。反射でP226を撃ち返す。鏡夜が横に跳ぶ。凛の弾丸は鏡夜の髪を掠めた。銀髪が数本、切れて舞った。


 銃撃が再開した。


 二メートルから五メートルの距離で、二人は拳銃を撃ち合った。柱を盾に、瓦礫を盾に、互いの弾丸を躱しながら。P226の反動が手首に響く。一発、二発、三発。鏡夜の小型拳銃が応射する。壁に弾痕が重なっていく。


 凛のP226──残弾八発。


 鏡夜の拳銃が乾いた音を立てた。スライドが後退位置で止まる。弾切れ。鏡夜がマガジンを落とし──ポケットに手を入れる。予備マガジンがない。ポケットは空だった。


「──弾が、ない」


 鏡夜が呟いた。凛のP226が鏡夜の胸を向いている。八発残っている。──ここで撃てば終わる。


 鏡夜が空の拳銃を落とした。金属が床に当たる音が広い空間に響いた。


 それでも鏡夜は立っていた。凛を真っ直ぐ見つめていた。


「──撃ちなさい」


 凛の指がトリガーにかかっていた。P226の照星が鏡夜の胸の中心を捉えている。八発。一発で十分だ。この距離なら外さない。


「沙耶を殺したのは私。あなたの親友を。あなたの大切な人を。──この銃で」


 鏡夜が自分のVSSを──遠くに落ちているVSSを一瞥した。


「だから撃ちなさい。それが──正しい」


 凛のP226が鏡夜を向いたまま、三秒が過ぎた。五秒。十秒。


 夕陽の最後の光が窓から差し込み、二人の影を床に伸ばしていた。影は重なっていた。


 凛は鏡夜の目を見ていた。あの地下室と同じ目。深い灰色の瞳。感情が希薄に見えるのに、今はその奥に──何かが揺れている。恐怖ではない。諦観でもない。それは──期待だった。凛に撃たれることを。ここで終わることを。この檻から出られることを。


 沙耶の手帳の言葉が脳裏を過ぎった。


 ──「それでも、守りたいものがある」


 沙耶。お前なら──どうする。


 お前を殺した相手が目の前にいる。銃は手の中にある。弾もある。撃てば沙耶の仇が取れる。一年間ずっと追いかけてきた真実の、最後の一ページを閉じることができる。


 でも──。


 凛の脳裏に、あの日の記憶が蘇った。一年前の裁定戦(アービトレーション)。沙耶が撃たれた瞬間。倒れていく沙耶の身体。赤く染まる制服。凛の名前を呼ぶ唇。そして──「大丈夫」と言った、あの微笑み。


 沙耶は最後まで笑っていた。自分を撃った誰かを恨む言葉は一つも残さなかった。


 凛の指がトリガーから離れた。


 P226を、下ろした。


 鏡夜が凛を見ていた。撃たれる覚悟をした目が──揺れた。困惑が浮かんだ。


「──なぜ」


 凛は答えなかった。まだ答えを言葉にできなかった。──でも、答えは既に凛の中にあった。


 P226の重みが、手の中で変わった気がした。殺すための重みではない。もっと別の──何かを守るための重み。


 二人は暮れていく倉庫の中で、向かい合ったまま立っていた。


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