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【第一巻】 第十一章「黄昏の領域戦」

 午前二時。暁嶺学院(ぎょうれいがくいん)北門。


 凛は闇の中に立っていた。黒のジャケットの下に防弾制服。腰にSIG P226、右太腿にMP5Kのドロップホルスター。背中のバッグには予備弾薬とスモークグレネード。


 千歳が隣に立った。M4A1を肩から提げ、顔にカモフラージュペイントを塗っている。普段のお気楽な表情はどこにもない。


「全員揃ってる?」


「ああ」凛が答えた。


 楓が少し離れた場所でM700のスコープを確認していた。ボルトを引き、薬室を覗き、ボルトを戻す。音を立てない、滑らかな動作。左肩の包帯はきつく巻き直され、制服の下でわずかに盛り上がっていた。


 瑠衣がベネリM4を肩に担ぎ、左腕に折り畳みの防弾シールドを装着していた。シールドの表面には細かい傷がある。裁定戦(アービトレーション)の勲章だ。


 結月は端末を抱えて凛の後ろに立っていた。戦闘装備ではなく、軽量のバックパックに通信機材と解析端末を詰め込んでいる。腰にはGlock 26。使わないことを祈りながら。


「出発する。──声は最小限。ハンドサインで動け」


 五人は闇の中に消えた。


---


 合流地点は暁嶺から北西に約三キロ、丘陵地帯の入口にある廃バス停だった。


 午前三時。指定の時刻ちょうどに、廃バス停の影から三つの人影が現れた。


 先頭は白百合紫苑(しらゆり しおん)。黒いタクティカルジャケットに、いつもの白いカーディガンはない。右手にG36Cを提げていた。


 紫苑の背後に二人。一人は長身の女──短い黒髪に鋭い目。アサルトライフルを持っている。もう一人は小柄で──ショットガンを背負い、暗視ゴーグルを額に上げていた。


「紫苑」凛が声を抑えて呼んだ。


「時間通りね」紫苑が近づいた。「──紹介する。鶴見薫。白薔薇(しろばら)の二番手。それと、安曇さくら。近接戦闘担当」


 鶴見薫が無言で頷いた。安曇さくらが小さく手を振った。


「凛ちゃんだー。話は聞いてるよ。紫苑がすっごい褒めてた」


「褒めてない」紫苑が即座に否定した。


裁定戦(アービトレーション)で一対一をやった相手が怖かったって──」


「薫、黙って」紫苑の声が一段低くなった。鶴見薫が肩をすくめた。


 千歳が小声で笑った。「あ、この感じ、うちと似てるわ」


 凛は安曇と鶴見を観察した。二人とも銃の持ち方に無駄がない。構え、指の位置、トリガーディシプリン──全てが訓練された戦闘員のそれだ。紫苑が連れてきただけのことはある。


「無駄話は後だ」凛が言った。「──状況確認する。結月」


 結月が端末を開いた。画面の光が弱く顔を照らした。


月詠(つくよみ)の通信を傍受中です。現在、黄昏エリア内部から定時通信が発信されています。パターンは通常の巡回報告と一致。──異常なし、つまり私たちの接近には気づいていないと思われます」


「北側ルートの監視カメラは」


「十五分前の偵察で確認しました。カメラは一台、北北西を向いています。死角は──北西側の斜面沿いに、約二十メートル」


「予定通りだ」凛は全員を見渡した。八人の顔。暁嶺五人、聖樹館(せいじゅかん)三人。


「作戦行動に移る。ルートは事前の打ち合わせ通り。先頭は私と紫苑。次に瑠衣、千歳、鶴見。楓は後方から狙撃支援。安曇は遊撃。結月は最後尾で電子戦支援。──誰か質問は」


 沈黙。


「行くぞ」


---


 山道は暗かった。


 月は雲に隠れ、懐中電灯は使えない。暗視ゴーグルを持っているのは安曇だけだったが、凛たちは目が闇に慣れていた。夜間訓練の成果だ。


 獣道のような細い道を、八人が一列で進んだ。足元の枯れ葉を踏まないよう、一歩ずつ確認しながら。風が木々を揺らす音だけが、周囲を満たしていた。


 二十分。丘陵の中腹まで来ると、凛は手を挙げて停止を命じた。


 全員が膝をつき、周囲を警戒した。虫の声が遠くに聞こえる。風が冷たい。二月の夜の山中は、指先の感覚を奪うほど冷え込んでいた。凛は息を白く吐きながら、前方を見た。


 前方──木々の間から、黄昏エリアの輪郭が見えた。


 暗い丘の上に建つ校舎群。窓は塞がれ、灯りはほとんどない。ただ一つ、中央の講堂と思われる建物の屋上に、赤い点滅灯が見えた。


 凛は双眼鏡を取り出した。校舎周囲を確認する。


「──監視カメラ確認。二時の方向、電柱の上」


 紫苑も双眼鏡を覗いた。


「あれね。回転式。──周期は」


「約三十秒で一回転。死角は北北西方向、カメラが南を向く瞬間に十秒ほど」


「十秒で二十メートル。走れば間に合う」


「一人ずつ、だ」


 凛はハンドサインで全員に指示を出した。一人ずつ、カメラが南を向く瞬間にダッシュ。間隔を空けて。


 凛が最初に出た。


 カメラのレンズが南を向いた瞬間、凛は斜面を駆け下りた。枯れ葉を蹴散らさないように爪先で着地し、低い姿勢のまま──旧校舎の北壁に張り付いた。


 心臓が速い。呼吸を整える。背中に壁の冷たさを感じる。コンクリートの壁。ひび割れた外壁。ここがかつて学校だったとは信じがたい。


 壁越しに振り返る。


 次は紫苑。紫苑は凛よりも速く、音もなく走り抜けた。まるで影が滑るように。凛の隣に着地した時、呼吸一つ乱れていなかった。


「──速いな」


「あなたが遅いのよ」


 凛は反論しなかった。事実だった。裁定戦(アービトレーション)で戦った時も感じたが、紫苑の身体能力は凛より上だ。


 一人、また一人。瑠衣は体格の割に驚くほど静かに走った。シールドを体に密着させ、重心を低くして。千歳が続き、鶴見が続いた。楓は狙撃位置として丘の中腹に残り、木の根元にギリースーツの代わりに枯れ葉をかぶって伏射姿勢を取った。安曇は西側に回り込んだ。


 最後に結月。結月は走るのが得意ではなかった。十秒ぎりぎりで壁に到達し、肩を上下させて息を整えていた。


「セーフ……」


「よくやった」凛が小声で言った。


 旧校舎の北壁。六人が壁に張り付いている。


「結月。センサーは」


 結月が端末を確認した。


「人感センサー反応あり。──旧校舎の裏口ドア周辺、赤外線式です。ドアを開ければ確実に検知されます」


「無力化は」


「今やります。月詠の内部通信に侵入して──センサーの誤作動を偽装します。ただし時間がかかります。三分ください」


「三分。──その間、動くな」


 六人は壁に張り付いたまま、結月の指がキーボードを叩く微かな音だけを聞いていた。凛は周囲を警戒した。旧校舎の窓は板で塞がれ、中の様子は見えない。建物の角から漏れる微かな光──講堂の方向。


 百八十秒。


「──できました。センサーを誤作動モードに切り替えました。月詠側には『野生動物の誤検知』として処理されるはずです。有効時間は約十分」


「十分。──充分だ。行くぞ」


 凛がドアのノブに手をかけた。鍵はかかっていない。月詠は内部への侵入を想定していなかったのか──あるいは、必要ないほど監視体制に自信があったのか。


 ドアが静かに開いた。


 内部は暗い。廊下。壁のペンキが剥がれ、天井の蛍光灯は切れている。床に薄く埃が積もっているが──足跡がある。複数の。ここを使っている人間がいる。


 凛はMP5Kを構えた。紫苑がG36Cを構え、凛の背後につく。瑠衣がシールドを展開し、先頭に出た。千歳がM4A1のセーフティを解除した。小さな金属音。鶴見が後方に目を配る。


「瑠衣、前。紫苑、右。千歳、左。鶴見、後方警戒。結月、最後尾で通信傍受を続けろ」


 凛の声は低く、平坦だった。訓練で何百回も繰り返した指示の声。ただし今日は──制圧弾(サプレスラウンド)ではなく、実弾が飛んでくるかもしれない。


 六人が廊下を進んだ。足音を殺して。呼吸を殺して。壁に残された掲示物が見えた──古い時間割表。数学、国語、体育。ここがかつて普通の学校だった痕跡。今は銃声と硝煙が支配する場所。


---


 異変は、二つ目の角を曲がった時に起きた。


 凛の耳に──かすかな金属音。


 ワイヤー。


「止まれッ!」


 凛の叫びと同時に、廊下の天井から閃光弾が落ちた。──フラッシュバン。凛は反射的に目を閉じ、腕で顔を覆った。白い光が瞼の裏を灼く。耳鳴り。世界が白く飛ぶ。


 訓練が体を動かした。目が見えなくても、耳が聞こえなくても──壁の位置を体で覚えている。凛は右に飛び、壁に背を預けた。


「トラップ! 敵は侵入を想定してた──!」千歳が叫んだ。視界が少しずつ戻る。輪郭が揺れている。


 光が収まる前に、銃声が響いた。


 乾いた、抑制された発砲音。消音器付き。廊下の奥から。二連射。間隔が短い──訓練された射手の指。


 弾丸が壁に当たり、コンクリートの破片が飛んだ。凛の頬を破片が掠めた。温かい──血が一筋、顎を伝った。


「接敵! 正面、距離三十!」


 瑠衣がシールドを前に出した。弾丸がシールドの表面を叩く。連続。二発、三発、四発。


「口径は9mm! SMGだ!」瑠衣がシールドの陰から叫んだ。


 凛はMP5Kを構え、廊下の奥に向かって短く射撃した。三発。壁際を狙い、敵の射線を遮る。


 暗い廊下の奥に、影が二つ。黒い制服──銀と深藍の校章。月詠。


「千歳、制圧!」


「了解!」


 千歳がM4A1を肩付けし、廊下の奥に向かってバースト射撃を放った。三点射。コンクリートの壁に弾が食い込み、粉塵が舞う。月詠の二人が壁の陰に退いた。


 その隙に凛が前に出た。瑠衣のシールドの横を抜け、右側の教室のドアを蹴り開ける。教室内は空。窓が板で塞がれた暗い部屋。


「紫苑! 右側面から回り込め!」


「わかった」紫苑がG36Cを構えたまま、教室を横切った。壁際の別のドアを開け、並行する廊下に出る。


 挟み撃ち。


 月詠の二人はそれに気づいた。一人が後退し、もう一人が凛に向かって集中射撃を浴びせた。弾丸が教室のドア枠を叩く。 凛は壁に身を隠し、マガジンを確認した。残弾二十二発。使える。


 紫苑が凛の隣に身を寄せた。髪に埃がついていた。


「連携は悪くない。二人組の戦闘班──裁定戦(アービトレーション)とは違う、実戦慣れした動き」


「ああ。退き際が早い。深追いしない。──プロだ」


 紫苑のG36Cが側面から火を噴いた。短い連射。三発。月詠の一人が被弾──防弾制服に弾かれたが、衝撃でよろめいた。もう一人が仲間を引っ張り、さらに後退する。


 千歳が叫んだ。「楓ちゃん! 窓の外、二時方向に動きがある!」


 通信機から楓の声。冷静で、低い。


『確認。旧校舎の屋上に一名。──狙撃手です。こちらで対処します』


 数秒後、遠くで銃声。重い音。ボルトアクション。楓のM700。


『屋上の狙撃手、制圧弾(サプレスラウンド)で制圧。動きが止まりました』


「ナイス楓!」千歳が言った。


 戦闘の余韻で耳が痺れていた。廊下に硝煙が漂っている。凛はマガジンを確認した。残弾十七発。MP5Kのマガジンを一本消費。予備は二本。


 瑠衣のシールドに弾痕が四つ。九ミリ弾。制圧弾(サプレスラウンド)ではなく──実弾だった。月詠は最初から殺す気で撃ってきている。


「全員無事か」凛が確認した。


「無傷」千歳。

「問題ない」紫苑。

「シールドが凹んだだけだ」瑠衣。

「こ、こっちも大丈夫です」結月。


 凛は廊下に飛び出した。月詠の二人はすでに後退を始めていた。一人を追い、角を曲がった瞬間──


 廊下の先に、鉄製の両開き扉が見えた。


 講堂への扉。


 月詠の二人は扉の向こうに消えた。扉がバタンと閉まり──内側からロックする金属音。


「止まるな!」凛が叫んだ。


「凛、待って」紫苑が追いついた。「講堂に入るなら、正面から行くべきじゃない。中がどうなってるかわからない」


「わかってる。──結月」


 通信機越しに結月が応答した。


『講堂内部の通信を傍受しました。──凛隊長、中にいるのは三名です。二名は今の戦闘員。もう一名は──通信の声紋から、指揮官クラスの人間です』


「鏡夜か?」


『──わかりません。声紋データと一致する記録がないです。でも、通信の内容から判断して──この人物が月詠の『影』を統括している可能性が高い』


 凛は扉を見た。この向こうに、答えがある。


「紫苑。側面の入口は」


「講堂には窓がない。入口はこの正面扉と──舞台裏に通じる搬入口が一つ。搬入口は西側」


「安曇は西側にいるな」


「ええ」紫苑が通信機に手を当てた。「さくら、搬入口を確認して。合図を待って」


『了解ー。もう着いてる。搬入口のドアは──鍵かかってないっぽい』


 凛は作戦を組み立てた。正面から瑠衣のシールドで突入。同時に安曇が搬入口から側面突入。千歳と紫苑が射撃支援。凛が制圧。


「鶴見は後方で退路確保。結月は通信を傍受し続けろ。──楓」


『待機中です』


「講堂の屋上に動きがあったら報告しろ。敵の増援を許すな」


『了解しました』


「──行くぞ。瑠衣、扉を」


 瑠衣がシールドを正面に構え、扉の前に立った。凛がその背後につく。千歳が左、紫苑が右。


「三、二、一──」


 瑠衣がシールドごと扉に体当たりした。鉄扉が内側に弾け飛び──


 講堂の中は、暗かった。


 広い空間。舞台と客席。天井が高い。照明は落ちていて、唯一の光源は舞台上の非常灯だけ──赤い光が、広い空間を不気味に照らしている。


 客席は全て取り払われていた。代わりに、テーブルと通信機材が置かれている。作戦指揮所。壁にはホワイトボードがあり、鳴神区(なるかみく)の地図が貼られていた──各学園の位置に赤いピンが刺さっている。暁嶺にも。聖樹館にも。


 テーブルの上に書類が散乱していた。慌てて持ち出しきれなかったのだろう。凛は素早く目を通した──通信ログのプリントアウト、人物の写真、行動パターンの記録。


 凛の目が止まった。写真の一枚。


 ──沙耶。


 橘沙耶(たちばな さや)の写真が、テーブルの上にあった。裏に手書きのメモ。「処理済。9×39mm。実行:K」


 凛は写真を手に取った。指が震えていた。──処理済。沙耶の死を、彼らは「処理」と呼んでいる。


「凛」紫苑の声が凛を引き戻した。「──証拠品は確保して。感情は後で処理して」


 凛は写真をジャケットの内ポケットに収めた。


 他の書類も確認した。暁嶺学院の風紀部隊(ヴィジランテ)の編成表──これは内部資料だ。外部に漏れるはずがない。誰かが流している。管理局経由か、それとも──。


 紫苑がホワイトボードの前に立った。


「凛、見て」


 ホワイトボードに書かれていたのは、日付とコードネームの一覧だった。最も古い日付は二年前。最新は──三日前。


「この日付──」凛が息を呑んだ。


「そう。沙耶さんが殺された日も入っている。コードネームは『処理-07』。──七番目の標的」


 七番目。沙耶の前に、六人の犠牲者がいた。


「紫苑。この情報、全部持ち出せるか」


「端末のカメラで全て撮影する。──結月さんに解析してもらいましょう」


 紫苑がスマートフォンで書類やホワイトボードを次々と撮影していった。凛は周囲を警戒しながら、テーブルの引き出しを開けた。弾薬のストック。通信機の予備バッテリー。そして──


 一冊のノート。黒い表紙。中を開くと、几帳面な文字で任務記録が綴られていた。


 凛は最後のページを見た。


 「御崎凛(みさき りん)──監視対象。第三分隊隊長。橘沙耶の死に関する調査を独自に行っている。排除優先度:B。──A昇格を検討中」


 凛はノートをバッグに詰めた。


 人影は──なかった。


「……いない?」千歳が呟いた。


 凛は銃口を左右に振った。舞台の上。袖幕の裏。客席だったスペース。──誰もいない。


 反対側から安曇が搬入口を抜けて入ってきた。


「こっちも誰もいないよー」


「結月」凛が通信機に言った。「通信は」


『──消えました。三十秒前から、講堂内部の通信が完全に途絶しています。……逃げた?』


 紫苑が舞台上に歩み寄り、テーブルの上を確認した。


「通信機材はまだ温かい。直前まで使われていた。──逃走用のルートがある。地下か、あるいは──」


 紫苑がテーブルの下を覗き込んだ。


「──ここ。床板が一枚外れる。地下通路」


 凛が駆け寄った。床板の下に、古いコンクリートの階段が伸びていた。暗い。深い。壁に手すりが付いているが、錆びて半分崩れている。


 凛は階段の入口に立ち──匂いを嗅いだ。


 硝煙。微かだが──銃身に染み付いた硝煙の匂い。つい先ほどまで火を噴いていた銃が、この通路を通っている。


 凛の心が早鐘を打った。この先にいるかもしれない。沙耶を撃った人間が。


「追う」


「凛、待って」紫苑が凛の腕を掴んだ。「罠かもしれない。地下通路は相手のホームグラウンドよ。ここで待ち──」


「待てない。──ここまで来たんだ」


 凛は紫苑の手を振り払い──しかし、振り払いかけて、止まった。


 冷静になれ。感情で動く兵士は、味方を危険に晒す。氷室の言葉が頭に響いた。


「……全員は行かない。私と瑠衣、紫苑の三人で地下に入る。千歳は講堂を確保。鶴見と安曇は退路警戒。楓と結月はそのまま支援を続けろ」


「了解」千歳が頷いた。「──でも凛ちゃん、十分経って戻ってこなかったら突入するからね」


「十五分にしろ」


「十二分」


「──わかった。十二分だ」


 千歳は笑ったが、その目は真剣だった。凛の背中を見ながら、M4A1のグリップを握り直した。


 凛は階段を降り始めた。瑠衣がシールドを構えて先行し、紫苑が後ろに続いた。三人の足音が、階段のコンクリートに反響した。


 十段。二十段。三十段──予想以上に深い。地下五メートルほどか。空気が変わった。湿り気を帯びた、古い建物の匂い。


 地下通路。コンクリートの壁。天井は低く、蛍光灯が一本だけ──細く、青白い光。通路は真っ直ぐに伸び、先が見えない。空気が冷たく、湿っていた。どこかで水が滴る音がする。


 瑠衣がシールドを前に構え、通路の幅いっぱいを塞ぐようにして進んだ。凛がその右後方、紫苑が左後方。三人の足音だけが壁に反響した。


 足跡。新しい。三人分。靴底のパターンが違う──二人は軍用ブーツ、一人は軽量のタクティカルシューズ。


「足跡が二種類ある」凛が小声で言った。「さっきの二人と──もう一人」


「指揮官」紫苑が応じた。「タクティカルシューズ。機動性を重視する人間。──近接戦もやる」


 凛は銃を構えたまま歩いた。心臓が鳴っている。指先が冷たい。──でも、P226のグリップは温かかった。自分の体温で。


 通路が曲がった。左に折れた先に──ドア。金属製。半分開いている。


 凛は壁に身を寄せ、ドアの隙間から中を覗いた。


 薄暗い部屋。六畳ほどの狭い空間。机と椅子。壁に地図と、何枚もの写真がピンで留められていた。写真の被写体は──暁嶺の生徒たち。凛の顔もある。千歳も。楓も。


 監視されていた。ずっと。


 その向こうから──声が聞こえた。


 低い。静かな。少女の声。


「──来たか」


 凛は足を止めた。


 ドアの向こう。薄暗い部屋。机と椅子。壁に地図。


 椅子に座って──いや、椅子の背もたれに軽く腰を預けて、凛を待っていた。


 銀色の短髪。深藍の制服。膝の上にVSSを乗せて。


 凛の心臓が一拍、止まった。


「──烏丸、鏡夜」


 鏡夜は凛を見た。感情のない目。──いや、違う。よく見れば、その奥にかすかな光があった。


「御崎凛。──沙耶の、友達」


 その名前を聞いた瞬間、凛の指がP226のトリガーガードの上で震えた。


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