第57話 空いた席
※この話だけ、エルシアの視点で書かれています。
鎧を着ない朝は、寒い。
エルシアは、そのことを初めて知った。
二年、着たまま眠っていた。
布だけの肩に、風が直接あたる。
それだけのことが、落ち着かない。
中央の火は、もう焚かれていた。
席は、七つ。
彼女の席には、誰も座っていない。
空いたまま、置かれている。
それが、この土地の作法だった。
降りた者を、追い出しはしない。
ただ、座れなくする。
「来たか」
ヴェインが言った。
彼は、自分の席にいる。
まだ、中央には移っていない。
「立って聞く」
「座っていい」
「座れない」
エルシアは、そう答えた。
ヴェインは、それ以上言わなかった。
彼は、無駄を嫌う男だ。
エルシアは、火の手前に立った。
二年、この距離から兵を見てきた。
同じ距離なのに、見え方が違う。
鎧の重みがないと、火が近い。
近い分だけ、熱い。
熱いと感じることが、久しぶりだった。
すれ違った兵に、二度見された。
鎧がないと、誰も彼女だと分からない。
三人目には、道を譲られた。
将だと気づかれたのではなく、
ただの痩せた女だと思われたからだ。
どちらが屈辱かは、決めかねている。
「体は」
「動く」
「では、確認する」
ヴェインは、火を見た。
「あなたは、もう将ではない」
「そうだ」
「灰の谷の約束は、どうなる」
エルシアは、答えを用意していた。
用意していたのに、口に出すのに時間がかかった。
「約束をしたのは、私だ」
「そうだ」
「私が降りれば、約束も降りる」
言った。
言葉にすると、思ったより軽かった。
軽いことが、腹立たしい。
「破るのか」
彼女は、聞いた。
「破らない」
ヴェインは言った。
「守るとも、言わない」
――同じことだ。
彼女は、そう思った。
この男は、嘘をつかない。
嘘をつかずに、扉を開けたままにする。
開いた扉は、いつか誰かが通る。
「窪地は」
「残す」
「約束したそうだな」
「約束はしていない」
ヴェインは、彼女を見た。
「消さない、と言った」
その差を、この男は必ず守る。
守るからこそ、たちが悪い。
「一つ、聞く」
ヴェインが言った。
「あなたは、なぜあの場所を作った」
エルシアは、火を見る。
答えは、ずっと前から自分の中にあった。
ただ、誰にも言っていない。
「戻らなかった三人がいる」
「聞いている」
「私は、切った」
「聞いている」
「切った日に」
彼女は、言葉を切った。
「……眠れなかった」
沈黙。
火が、跳ねる。
「それだけだ」
エルシアは、そう言った。
ヴェインは、頷かない。
だが、否定もしなかった。
「治療師は、いつまでいる」
「知らない」
「あの男は、我々を弱くする」
「知っている」
「あなたは、それでいいのか」
エルシアは、空いた席を見た。
自分が二年座っていた場所だ。
あそこに座っている間、
彼女は一度も「弱い」という言葉を使わなかった。
使えば、誰かが死ぬからだ。
「ヴェイン」
「なんだ」
「私は、あの男に治された」
「知っている」
「治されて、初めて」
彼女は、自分の胸に手を当てた。
今度は、隠さなかった。
「息を吸うのが、こわくなくなった」
――弱くなった、とは思わなかった。
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