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回復魔法が効かない世界で、元鍼灸師の俺が経絡を視て命を救う ~治せないと言われた患者に、鍼一本で向き合う治療師~  作者: 蒼野凪


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第56話 頼む、と言った

 朝の光は、黒い土をただ黒く見せる。


 俺は、天幕に戻った。


 エルシアは、同じ姿勢で座っていた。


 一晩、そのままだった。


「決めてきた」


「そうか」


「窪地は、残る」


 彼女の目が、少し動いた。


「ヴェインが、認めたのか」


「数は、報告しないと言った」


 エルシアは、しばらく黙った。


「……あの男らしい」


「ああ」


「認めるとは言わない。だが、消さない」


 彼女は、壁から背を離した。


 その動きだけで、息が乱れる。


「打つぞ」


「待て」


 また、それだ。


「なんだ」


「一つ、聞く」


 彼女は、俺を見上げた。


「あなたは、私を治したいのか」


 俺は、答えに詰まった。


 詰まってから、正直に言う。


「分からない」


「分からない、か」


「治せるから、打つ」


「それだけか」


「それだけだ」


 エルシアは、笑った。


 今度は、咳をしなかった。


「……それでいい」


 俺は、鎧に手をかける。


 彼女は、止めなかった。


 留め具を外す。


 外した鎧を、床に置く。


 思っていたより、軽かった。


 この重さで、二年立っていた。


 俺は、鍼を出す。


 視る。


(……一手目は、ここじゃない)


 繋いだ場所は、いちばん派手に壊れている。


 だが、そこを先に触ると、引っ張られている側が切れる。


 先に、引っ張っている側を緩める。


 背中。

 脇の下。


 二本。


 エルシアの肩が、落ちた。


 落ちた分だけ、呼吸が深くなる。


「……妙な感じだ」


「喋るな」


 三本目。


 肩から胸へ抜ける線の、途中。


 ここが、繋ぎ目だ。


 深くは、入れない。


 ほどくのではなく、思い出させる。


 あの日、この体は自分で流れていた。


 その流れを、体に思い出させる。


 四本目。


 背中側。


 二年、引っ張られ続けた場所だ。


 ここは、慎重にいく。


 ほどきすぎれば、繋ぎ目が一気に開く。


 息を、合わせる。


 彼女が吐いた、その終わりに刺す。


 エルシアの指が、一度だけ動いた。


 それで、終わりだった。


「終わりだ」


「早いな」


「三月、かかる」


「今日は、通しただけだ」


 彼女は、息を吸った。


 深く吸えることに、驚いた顔をした。


 あの子どもと、同じ顔だった。


 将も、子どもも、体は同じことをする。


「立てるか」


「立てる」


 彼女は、立った。


 ふらつかなかった。


 そして、床の鎧を見た。


 長く、見ていた。


 拾わなかった。


「……これは、置いていく」


「そうか」


「持っていても、着られない」


 俺は、何も言わない。


 言えることが、ない。


 エルシアは、天幕の入り口へ歩いた。


 外には、まだ人が立っている。


 夜通し、立っていたのだろう。


 彼女は、立ち止まった。


「治療師」


「ああ」


「あの日、私は言った」


 俺は、覚えている。


 ――その時は、頼む、と。


「言ったな」


「言い直す」


 彼女は、振り返った。


 金色の瞳が、朝の光を受けている。


「……ありがとう」


 ――将でなくなった人間の、最初の言葉だった。

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