第55話 降りたあとの形
夜明け前に、俺はヴェインの天幕へ行った。
彼は、起きていた。
寝ていない顔だった。
「答えか」
「条件だ」
座れとは、言われない。
立ったまま、話す。
「捕虜の話は、断る」
「聞いた」
「その代わり、将を治す」
ヴェインの目が、少しだけ動いた。
「治せば、あの女は降りる」
「そうだ」
「あなたが、それを望むのか」
「望まない」
俺は、正直に言った。
「だが、治さなければ動けなくなる」
「動けない将は、旗になる」
「旗は、患者じゃない」
沈黙。
ヴェインは、火に木を足した。
この土地の男は、話す前に必ず火をいじる。
「条件を言え」
彼は、そう言った。
俺は、三つ出す。
「一つ。あの窪地を、残す」
「理由は」
「治した将が、降りて行く場所が要る」
ヴェインは、答えない。
「二つ。あそこに来た者の数を、数えるな」
彼の眉が、初めて動いた。
「……数えるな、か」
「数えれば、削られる」
「よく分かっているな」
「王都で、同じことをされた」
ヴェインは、少し笑った。
笑ったのは、これが初めてだった。
「三つ目は」
「順番は、俺が決める」
「誰をいつ治すか。理由は、説明しない」
「理不尽だな」
「そうだ」
俺は、頷いた。
「だが、理由を説明し始めると、そこが交渉になる」
交渉になれば、順番は力で決まる。
力で決まる順番を、俺は認めない。
ヴェインは、長く黙っていた。
火が、二度跳ねた。
「一つ、聞く」
彼は、俺を見た。
「あなたは、我々の側に立つのか」
「立たない」
即答だった。
「王国の側にも、立たない」
「では、何の側だ」
俺は、少し考えた。
考えて、答えた。
「壊れた奴の側だ」
ヴェインは、頷かなかった。
だが、否定もしなかった。
「窪地は、残す」
彼は、そう言った。
「数えないとは、約束しない」
「……そうか」
「数える。だが、報告しない」
俺は、その差を考える。
数えるのは、この男の性分だ。
報告しなければ、削られない。
それが、この男にできる最大限だ。
「なぜ、そこまでする」
俺は、聞いた。
ヴェインは、火を見たままだった。
「あの窪地を作れと言ったのは、私だ」
俺は、顔を上げる。
「……あんたが」
「二年前だ」
彼は、そう言った。
「戦線が伸びすぎた。休ませる場所が要ると、私が言った」
「効率の話か」
「効率の話だ」
「だが、あの女は違う理由で作った」
ヴェインは、そこで初めて口の端を動かした。
「私の計算より、長く保った」
――この男は、自分が間違う可能性を勘定に入れている。
「十分だ」
「三つ目は」
「順番は、あなたが決めろ」
ヴェインは言った。
「ただし、あなたがこの土地を出た後は――」
彼は、そこで言葉を切った。
「誰が決める」
「決める者を、置いていけ」
俺は、その言葉を受け取った。
受け取ったが、答えは持っていない。
技は、渡せない。
これは、感覚の技術だ。
教えて渡るものではない。
だが、順番を決める役は――
(……渡せるのか)
俺は、天幕を出た。
雨は、上がっていた。
東の空が、黒から灰になっている。
――治す。
降りたあとの形を、決めてから。
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