第54話 治せば、降りる
雨は、夜になっても止まなかった。
俺は、天幕の中に残った。
エルシアは、壁に背を預けたままだ。
横になれ、とは言わない。
横になれば、楽になる。
楽になったところを、誰かに見られる。
それが、この人には耐えられない。
「説明しろ」
「何を」
「将でいられない、という話だ」
彼女は、少し黙った。
「掟ではない」
「じゃあ、なんだ」
「誰も、ついてこない」
その答えは、掟より重い。
「壊れながら戦う者に、兵はついてくる」
彼女は言った。
「壊れていない者が上にいると、兵は死ぬ理由を失う」
俺は、火を見る。
小さな火だ。
この土地の火は、いつも小さい。
「私が治れば」
エルシアは続けた。
「席は、空く」
「ヴェインが座るのか」
「座る」
「あの男は、悪くない」
「知ってる」
「切るべき時に、切れる」
「……ああ」
「だから、あの場所は消える」
窪地のことだ。
天幕が四つ。
旗のない、休むだけの場所。
夜にだけ、人が来る。
多い夜で、六人。
「ヴェインは、あそこを認めない」
「なぜだ」
「数えられるからだ」
俺は、意味を掴み損ねた。
「六人来た夜は、六人が休んだ」
エルシアは言った。
「数えれば、六人ぶん弱くなったと言える」
そういうことか。
あの男は、全部を数字で見る。
数えられるものは、いつか削られる。
「あなたが打てば」
彼女は、俺を見た。
「私は生きる」
「そうだ」
「あの場所は、死ぬ」
沈黙。
雨が、天幕を叩いている。
俺は、灰の谷でこれをやった。
場所を守るために、人を減らした。
新しく来る者を、断った。
閉じることで、続けた。
だが、今度は逆だ。
一人を治すことが、場所を壊す。
「打たなければ、どうなる」
俺は、聞いた。
「私は、動けなくなる」
「それでも将か」
「三月は、務まる」
「動けない将を、兵は担ぐ」
「……担いで、どうする」
「戦場に出す」
俺は、目を閉じた。
この土地は、どこまでも一貫している。
壊れているほど、上に立てる。
動けなくなった将は、旗になる。
「三月あれば、根が張るか」
「張らない」
彼女は、笑った。
「だが、名前はつくかもしれない」
名前。
あの窪地に、まだ名前がない。
休むことを、弱さ以外の言葉で呼べていない。
俺は、鍼の袋に触れる。
打てば、一人が生きる。
打たなければ、場所が三月だけ延びる。
どちらも、失う。
「一つ、確かめる」
「あんたは、どっちがいい」
エルシアは、答えなかった。
長い間、答えなかった。
「……聞くな」
彼女は、そう言った。
「聞かれると、答えてしまう」
「答えろよ」
「答えれば、あなたはそれに従う」
図星だった。
「私の答えは、私の都合だ」
彼女は、目を閉じた。
「都合で決める役は、私ではない」
――押し返された。
この人は、弱っていても将だ。
(……選び方そのものを、変えるしかない)
あの日、灰の谷で思ったことだ。
思っただけで、まだ形にしていない。
俺は、顔を上げた。
「エルシア」
「なんだ」
「明日の朝まで、待て」
「待てば、何かあるのか」
――俺が、決めてくる。
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