第53話 倒れる
八日目は、雨だった。
この土地の雨は、音が違う。
黒い土に落ちて、跳ねない。
俺は、窪地の天幕を借りていた。
昼でも、誰も来ない場所だ。
昼過ぎ、使者が走ってきた。
走る、という動きを、この土地で初めて見た。
「治療師」
息が上がっている。
「将が」
最後まで、聞かなかった。
俺は、荷を掴んで出た。
雨の中を歩く。
走らなかった。
走ると、判断が荒くなる。
中央の天幕に、人が集まっていた。
十人ほど。
誰も、中に入っていない。
入り口で、止まっている。
見ないことが、礼儀だからだ。
俺は、その間を抜けた。
誰も、止めなかった。
中で、エルシアは座っていた。
倒れて、いなかった。
座って、壁に背を預けている。
その姿勢を保つのに、全部使っている。
「……騒ぎすぎだ」
彼女は、そう言った。
声が、細い。
「何があった」
「話していた」
「誰と」
「ヴェインと」
彼女は、そこで一度、息を止めた。
止めてから、また吸った。
「途中で、言葉が出なくなった」
それだけだ。
倒れたのではない。
喋れなくなった。
俺は、膝をつく。
「鎧を、外すぞ」
「触るな」
「触らないと、視えない」
「嘘をつくな」
彼女は、そう言った。
「あなたは、触らなくても視える」
――ばれている。
俺は、手を引いた。
視る。
(……ああ)
視た瞬間に、分かった。
あの日、俺が繋いだ場所。
肩から胸にかけての、無理な接続。
あれが、限界を越えている。
繋いだ糸が、他の場所から引っ張って持っている。
その引っ張られた先が、今、切れかけている。
背中側だ。
二年かけて、じわじわ削れた。
削れる速さは、体の使い方で決まる。
この人は、いちばん速い使い方をした。
鎧を着て、背筋を伸ばして、
人前で息を整えないという使い方だ。
「言え」
エルシアが言った。
「嘘は、いらない」
「今夜か、明日だ」
「何がだ」
「動けなくなる」
沈黙。
雨の音だけがする。
「死ぬのか」
「死なない」
俺は、正直に言った。
「死なないが、二度と立てない」
彼女は、目を閉じた。
それから、開いた。
「治せるか」
「治せる」
即答だった。
俺は、それを言うために来た。
「打てば、戻る」
「どのくらい」
「元に戻る。八割は」
エルシアは、笑った。
笑ってから、咳をした。
「……面倒な、男だ」
三度目だった。
「打つぞ」
「待て」
彼女は、手を上げた。
その手が、震えている。
「打てば、私は」
俺は、待つ。
「壊れていない体に、なる」
「なる」
「壊れていない者は」
彼女は、天幕の入り口を見た。
人の影が、雨の向こうに立っている。
「将では、いられない」
――俺の手が、止まった。
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