第49話 勲章としての壊れ方
その夜、俺は窪地の外に座った。
中には入らない。
入れば、来る者が来なくなる。
焚き火は、小さくした。
顔が見えない程度に。
最初の夜は、誰も来なかった。
二晩目に、足音がした。
老兵だった。
背が丸い。
右の膝から下が、まっすぐ流れていない。
それだけではない。
左の肩。
腰。
首の付け根。
全部、古い。
全部、繋がっていない。
(……よく、立っている)
老兵は、俺を見た。
驚かなかった。
「座っていいか」
「どうぞ」
彼は、火の反対側に腰を下ろした。
下ろすまでに、時間がかかった。
しばらく、二人とも黙っていた。
「治療師だそうだな」
「ああ」
「治すのか」
「治せるものは」
老兵は、鼻から息を吐いた。
「私は、どうだ」
俺は、視る。
視てから、正直に言った。
「膝は、戻る」
「ほう」
「肩は、半分」
「腰は」
「無理だ」
老兵は、笑った。
声を出さずに、肩だけで笑った。
「正直だな」
「嘘をつくと、後で困る」
「そうだな」
彼は、膝に手を置いた。
置いてから、そのまま撫でた。
「これは、二十年前だ」
「戦場か」
「橋の上だ」
彼は、火を見ている。
「三人、通した」
「通した」
「私が塞いだ。三人が渡った」
沈黙。
「膝は、その代わりだ」
俺は、何も言わない。
言うべき言葉が、ない。
「治せば」
老兵が言った。
「三人は、どこへ行く」
「……三人は、渡ったままだ」
「そうだ」
彼は、頷いた。
「だが、私の膝から、あの日が消える」
俺の中で、何かが止まった。
この人にとって、壊れた膝は、
傷ではない。
あの日、三人を通したという事実の、
唯一の証拠だ。
「治さないでくれ、と言っている」
「いや」
老兵は、首を振った。
「治すな、とは言わない」
「じゃあ、何だ」
「治す理由を、聞いている」
――俺は、答えられなかった。
苦しそうだから。
いつも、それだけで打ってきた。
だが、この人は苦しんでいない。
痛みはある。
不便もある。
それでも、この人の中で、それは筋が通っている。
「打たない」
「理由は」
「あんたが、俺より筋が通ってるからだ」
老兵は、また肩で笑った。
それから、ゆっくり立ち上がる。
立ち上がるのに、また時間がかかった。
「治療師」
「ああ」
「膝は、いつか動かなくなる」
「なる」
「その日に、また来る」
俺は、頷いた。
「その日は、打つのか」
老兵が聞いた。
「あんたが、理由を持って来たら」
打つ。
老兵は、しばらく俺を見ていた。
「治療師」
「なんだ」
「あんたは、なぜ打つ」
二度目の問いだ。
同じ問いを、二度する人間は少ない。
「苦しそうだから、と答えてきた」
「それは、答えではないな」
「ああ」
俺は、頷いた。
「今日、それが分かった」
老兵は、闇の中へ歩いていった。
足音が、片方だけ重い。
俺は、火を少しだけ大きくした。
――治す理由を持っているのは、いつも患者の方だ。
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