第45話 まだ戦える
いちばん奥の天幕に、彼女はいた。
鎧を着ている。
座っているのに、背筋が伸びていた。
「……面倒な、男だ」
エルシアは、俺を見てそう言った。
「久しぶりだな」
「呼んでいない」
「知ってる」
彼女は、使者を見た。
使者は、床に膝をついた。
何も言い訳をしない。
「罰は、後だ」
エルシアは、そう言っただけだった。
使者が下がる。
天幕の中に、二人が残った。
俺は、彼女を視る。
視るまでもなかった。
(……ひどいな)
金色の瞳は、変わらない。
だが、その下の流れは、あの日よりも細い。
肩から胸にかけて、無理に繋いだ跡がある。
繋いだのは、俺だ。
あの日、戦場の真ん中で。
あのときは、それしかなかった。
崩れた経絡を、別の線から引いて繋いだ。
応急だ。
応急は、いつか返ってくる。
二年、持った。
持ちすぎた、とも言える。
「……視えているのか」
彼女が言う。
「視えてる」
「そうか」
彼女は、目を伏せた。
「では、言わなくていいな」
「言え」
「……面倒な、男だ」
二度目だった。
俺は、荷を下ろす。
鍼を出そうとして、手を止めた。
「診るぞ」
「断る」
間を、置かなかった。
俺は、彼女を見る。
「理由は」
「まだ戦える」
――言われた。
その言葉を、俺は知っている。
あの日、灰の谷で、
俺が彼女に言った言葉だ。
治せるのに、治さなかった。
まだ戦える、だから今は治さない。
延期だ、と。
彼女は、それを覚えている。
覚えていて、そのまま返してきた。
「意趣返しか」
「違う」
彼女は、笑わない。
「同じ理屈だ」
沈黙。
風が、天幕の布を揺らした。
「私が降りれば」
エルシアが言う。
「あの場所は、消える」
あの場所。
灰の谷ではない。
彼女が、こちら側に作ったという場所のことだ。
「まだ、根がない」
「知ってる」
「根がないものは、支える者が要る」
彼女は、鎧の上から胸を押さえた。
押さえてから、その手を離した。
見せない、という動きだった。
「だから、私は将でいる」
「壊れたままでか」
「壊れたまま戦うのが、私たちだ」
俺は、答えられない。
「一つ、聞く」
「なんだ」
「あんたは、それを正しいと思ってるのか」
エルシアは、初めて目を逸らした。
「……思っていない」
「なら」
「思っていなくても、そうなっている」
「それを変えるのは、私の仕事じゃない」
「じゃあ、誰の仕事だ」
「知らん」
即答だった。
この人は、こういうときだけ子どもみたいな答え方をする。
それは、この土地の生き方だ。
俺が否定していい種類の話ではない。
「言っておく」
エルシアが、顔を上げた。
「あなたを呼んだのは、私ではない」
「知ってる」
「帰れ、とも言わない」
「そうか」
「勝手に来た者に、勝手にされるのは慣れている」
その言い方が、少しだけ可笑しかった。
俺は、鍼をしまい直す。
今日は、打たない。
打てないからだ。
(……立場が、入れ替わってる)
あの日、俺は「まだ戦える」と言って治さなかった。
その理屈が、今度は俺の前に立っている。
――今度は、俺が言われる番だった。
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