第44話 傷は、隠すもの
境界を越えると、地面の色が変わった。
灰が減り、
黒い土が出てくる。
向こう側。
俺たちは、その場所をそう呼ぶ。
名前を、知らないからだ。
使者は、前を歩く。
振り返らない。
早足でもない。
ただ、迷わない。
半日ほどで、陣が見えた。
天幕が、いくつも並んでいる。
思っていたより、静かだった。
人の声がない。
鉄を打つ音もない。
ただ、風の音だけがする。
(……生活の音がない)
王都には、生活の音があった。
水を汲む音。
子どもの声。
誰かが誰かを呼ぶ声。
ここには、それがない。
すれ違う魔族は、俺を見る。
だが、止めない。
何も言わない。
視線だけが、体を撫でていく。
「……皆、あなたを知っています」
使者が、前を向いたまま言った。
「そうか」
「将を治した男だと」
「褒め言葉じゃないな」
「はい」
「そこは、否定するところだ」
「……はい」
この男は、嘘をつかない。
嘘をつかないことと、気を遣うことは、別の技術らしい。
それだけで、少し楽になる。
天幕の間を歩く。
俺は、視る癖を止められない。
流れが、視える。
どの体にも、必ずどこかに滞りがある。
古い断裂を、そのまま塞いだ跡もある。
誰も、治していない。
(……全員が、壊れたまま歩いてる)
王都の治療棟にも、似た光景があった。
だが、あそこの流れは「塞がれた跡」だった。
回復魔法で、無理に閉じた跡。
ここは、違う。
塞いだ跡すら、ない。
壊れた場所が、壊れたまま、
その形で体が回るように作り替えられている。
人の体は、そこまでやる。
やらせては、いけないのだが。
一人の男とすれ違った。
左腕が、動いていない。
肩から先の流れが、完全に止まっている。
俺は、思わず足を止めた。
「その腕」
男が、こちらを見る。
そして、外套を引き上げた。
腕を、隠した。
それだけだった。
何も言わずに、歩いていく。
「……見ては、いけません」
使者が、小さく言った。
「なぜだ」
「傷は、隠すものだからです」
俺は、その言葉を頭の中で置き直す。
「恥なのか」
「違います」
使者は、首を振った。
「見せれば、相手に――」
そこで、言葉を探した。
「……荷物を、渡すことになる」
沈黙。
俺は、少し分かった気がした。
この土地では、傷を見せることは、
相手に「どうにかしろ」と言うのと同じだ。
誰も、どうにもできない。
だから、最初から見せない。
優しさの形が、違う。
「治療、という言葉は」
俺は、聞いてみた。
「ありません」
「近い言葉は」
「……ありません」
二度目の即答だった。
俺は、空を見上げる。
この土地には、鍼を打つ理由を説明する言葉がない。
鍼を打つ道具が何かを知る者もいない。
俺は、たった一人で、
誰にも通じない技を持って立っている。
――ここからが、本番だ。
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