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回復魔法が効かない世界で、元鍼灸師の俺が経絡を視て命を救う ~治せないと言われた患者に、鍼一本で向き合う治療師~  作者: 蒼野凪


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42/61

第42話 使者は、頼みに来たのではない

ここから第二部です。

第一部を読んでくださった方、ありがとうございました。

初めての方も、ここから読めるように書いています。

 灰の谷の朝は、静かだった。


 焚き火の煙が、まっすぐ上がる。

 風のない日は、灰も舞わない。


 俺は、鍼を並べていた。


 列は、五人。

 それ以上は、来ない。


 この場所を、そういう形にしたからだ。


「治療師さん」


 最初の患者は、年配の女だった。


 右の肩から、流れが滞っている。


 視る。


(……古いな。半年、いや、もっとか)


「座って」


 鍼を打つ。

 深くは入れない。


 一度で治す気はない。

 治らないからだ。


「三日後に、また来てくれ」


「はい」


 女が去る。


 次は、若い男だった。


 王国の兵だ。

 鎧は、置いてきている。


 この谷では、それが決まりだった。


「……夜、眠れません」


「いつからだ」


「一月ほど」


 視る。


 経絡が、胸のあたりで固まっている。


 体の傷ではない。


(……見たものが、抜けていないな)


「打つが、治らない」


「え」


「これは、時間で治る種類だ」


 男は、少し困った顔をした。


「じゃあ、なんで打つんですか」


「今夜だけ、眠れるようにする」


 鍼を、一本。


 それだけだ。


 男は、頭を下げて去っていった。


 これが、俺の一日だ。


 王国兵も、魔族も、同じ列に並ぶ。

 誰も、それを不思議に思わなくなった。


 昼過ぎ、リリアが帳簿を持ってきた。


「今日は、五人ですね」


「多い方だ」


 彼女は笑わない。

 数字を数えているときの顔だ。


 その横顔を、俺は視る。


(……まだ、戻っていない)


 彼女の循環は、細いところで無理をしている。


 あの日、俺が診なかった人を、

 彼女が回復魔法で支えた。


 その分が、まだ残っている。


「レン」


 顔を上げると、彼女が谷の入口を見ていた。


 人影が、ひとつ。


 黒い外套。

 小さな角。


 魔族の使者だった。


 俺は鍼を置いて、立ち上がる。


 使者は、境界の旗の手前で止まっていた。

 入ってこない。


 礼儀なのか、迷いなのかは、分からない。


「久しぶりだな」


「……はい」


 声が硬い。


 前に来たときと、同じ男だ。

 胸に、白い布を巻いている。


「将が呼んだのか」


 俺は、そう聞いた。


 いつか来ると思っていた。

 あの日、彼女はそう言って去ったからだ。


 ――その時は、頼む、と。


 だが、使者は首を振った。


「いいえ」


 沈黙。


「将は、治療を拒んでおられます」


 風が、灰を少しだけ動かした。


「拒んでいる」


「はい」


 使者は、俺を見ない。


「ですので……私が、勝手に来ました」


 空気が、変わった。


 これは、依頼ではない。

 命令でもない。


 一人の兵が、独断で境界を越えてきた。


「戻れば、罰せられるな」


「はい」


 即答だった。


 俺は、少し笑いそうになる。


(……似た顔をする)


「将は、なんと言っている」


「まだ戦える、と」


 俺が、あの日、彼女に言った言葉だ。


 リリアが、俺を見ている。


 何も言わない。


 言えば、俺が行くと分かっているからだ。


「谷を、頼めるか」


「……はい」


 彼女も、即答だった。


 俺は、鍼をしまう。


 呼ばれてはいない。

 頼まれてもいない。


 ――だから、行く。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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