39話・帰国の日に
それは、青海も見たことがある物だ。
初めてこの世界に来て、アルテナに連れられエルドルトに赴いた時。
呪術師に城が襲われ、青海が城に駆けつけた時。
コッペリアの披露の儀の時、式典用の鎧を身に纏った騎士達にも。
エルドルトが背負う紋章は、どこにでもあり、見守っていた。
エルドルトの紋章は、円の中に辺が同じ長さの三角形から成り、それを彩るように模様があしらわれている。その紋章の輝きを城の人間は尊び、住民は希望として胸の中に抱いている。
それはこのエルドルトを象徴するシンボル。引いては、世界に誇るべきエルドルトのエンブレムだ。
「・・・え?」
最初、青海は何を言われているのか理解できなかった。
何に、何だって?
「この刀身に刻まれているのは、エルドルトの紋章だと言ったのだ」
深く、心の奥を直接指で触れるような言葉で、レゾンが言う。
数秒か数分か。果たして丸一日経ったのか。そう言われても青海は疑わない。
真っ白い視界の中、手掛かりである言葉の尻尾をなんとか掴み、青海は喉から力を絞り出す。
「・・・だって、これは光鍔の家にあったもので」
刀どころか、商店街はエルドルトとはなんら関係のない場所であるはずで。
レゾンの言い方はまるで。
この世界と青海の世界に繋がりがあるみたいではないか。
纏まらない思考が、さらに絡まり、複雑にする。
この刀は、玉田骨董店の倉庫に押しやられていた一振りで。
ドロテアに襲われた時、商店街を守りたい一心で飛び出た青海の愚かさを助けるように、光鍔が託してくれた刀だ。
子供の頃、勝手に玉田骨董店の倉庫を漁り、見つけた木箱を手に、源次に小さな身体が吹き飛ぶ程に怒られた覚えもある。木箱の匂いも、そに厳かに収められた鞘の色すらも。
「大丈夫ですか?アオミさん」
顔色の悪い青海を心配するように、ディアラが顔を覗かせる。
息をするのを忘れていた時のように、青海の心臓の鼓動が跳ねるのを感じ、口内を唾の水分で湿らせられることで我に返る。
はあ、はあ、と断続的に困惑の息が吐かれ、果たして呼吸しているのだと改めて認識する。
・・・この世界と、自分達の世界が繫がっている?
まだ、その事実が信じられない気分だ。
「考えられる可能性は、ふたつ」
レゾンはあくまで冷静に、言葉を乱すこと無く。
「この刀がこちらの世界で作られて、君の世界に運ばれた可能性」
青海がこちらの世界に来たのと同じく、こちらで作られた剣が、青海の世界の飛んだ。
レゾンは一息の後、次いで言葉を紡ぐ。
「君達の世界に、こっち世界の誰かが赴き、この剣に紋章を刻んだ」
もっとも、エルドルトの紋章をこの世界以外の第三者が刻んだ可能性はある。どちらにせよ、刀に紋章を刻んだ何者かは、エルドルトの存在を知っていることになる。それは、この世界に関わりのある人間か、エルドルトのことを知っている人間か。
だが、この刀が青海の世界とこの世界を繋ぐ、一筋の光となったのは確かなようだ。
壊れた柄と鍔。鞘も調べたが、エルドルトとの繋がりを示すものが出てきたのは、刀身のみだった。
青海は身体が弛緩したように椅子に腰掛け。ぼんやりとした目で、ただバラバラになった刀を見る。
以前、レゾンが言っていた言葉。
青海達が元の世界に戻る方法を探るよりも、何故青海達がこの世界に呼び寄せられたか。その理由を考えたほうが良い。それが現実味を帯びてきた。
青海達をこの世界に連れ去った何者か。それは確実にどこかに存在し、どこからか青海達が慌てふためくさまを見て喜んでいるのだろうか。
それとも、青海達に何かを課すために呼び込んだのだろうか。
それはまだ、誰も知らない。
青海は明日、ウォルテルスを発つ。元の世界に戻る手立ては何ら収穫出来なかったのを無念だが、最後にとてつもない事実が詳らかになった。
「・・・これは、みんなに言うべきことなのだろうか」
そういう旨の相談を、レゾンは青海から受ける。
「・・・まだ、胸に秘めておいたほうが良いだろう。普通の人間には意味のわからないことであるはずだから」
それに、まだ朧気を脱した確定した真実でもない。全然情報も足りてない。ここで決めるには早計だろう。
「だが、俺達は聞いちまった。少なくともこれは俺達の上司の耳には入れておくぜ」
クロノはこの事実を上に報告するだろう。アルテナ達ならば、こちらの事情も知っている。何か進展が起こるかもしれない。
ともかく、これは青海だけでは手に余る状況だ。変わらず、アルテナ達の手を借りて、一歩ずつでも前に進みたい。
そんな希望を胸に、青海は明日に備え、早々に眠りについた。
ろうそくの灯る薄暗い部屋で、レゾンは資料に向き合っている。
あの少年の存在が空間転移の操術の完成を劇的に進化させることはなかったが、確実に物、人を別空間に運ぶ術はあることを示していた。
何より。
あの少年が持っていた剣に刻まれた紋章。エルドルトとなんら関わりのない世界から訪れた少年が持っていた武器に、一国の象徴が刻まれ。
普通に考えたら、あり得ないことだ。
そのことを含め、レゾンは己が傾ける研究に、新たな日が灯った気がした。置いて尚、燃え盛る、探求の火が。
「お世話になりました」
青海はウォルテルスに来てから関わりのあったレゾン、そして昨日まで寝食の場として提供させてもらったクレイドルの研究員生の寮の空き部屋と、顔を合わせた程度の操術師にお礼の頭を下げた。
僅かな期間ながら、青海を見送るその顔に、惜別の思いが見えるのがありがたく、嬉しかった。
ディアラはこのままウォルテルスに残り、青海はクロノとポロンと共にエルドルトへ戻る。
ウォルテルスの正門を下って、山下に馬車を待たせてある。後は、来た道を元に戻る旅路を折り返す。
と、そこに思いもかけない人物が現れた。その人物の出現に、クロノはあからさまに表情を歪める。
ジョルシュだ。
「なんだ。俺はお前には用はねえぞ」
早速クロノが悪態で迎えるも、ジョルシュは、
「奇遇だな。私も貴様には用はない」
と、メガネを指で押し上げつつ答える。その態度に、クロノが噴出しそうなほどの怒りの感情を見せる。
ジョルシュは眼鏡越しに青海を見る。その手に何か、細い形状のものを携えて。そして、それを躊躇いなく、布にくるまれた布を剥ぎつつ、青海の前に突き出す。
「・・・これ、は?」
その行動の意味がわからず、青海はそれしか言えなかった。
「君の壊れた剣替わりだ」
見ると、それは鞘に収まった、騎士の振るうような剣だった。
「勘違いするなよ。ディアラさんに言われて調達しただけだ」
ディアラに視線を送ると、はにかんだ笑みと共に、小さく頷いた。
ジョルシュは、半ば剣を押し付けるように、青海にそれを渡す。
その剣は、刀と同様、固く、強い金属質の重さを示していた。
「次に合う時は、私のゴーレム兵もより強さに磨きを掛けている。もう、負けることはない」
・・・いや、もうあんなのと戦うのは勘弁してもらいたい。
「受け取って上げてください。アオミさんの剣の代わりにはならないかもしれないですが、帰りの旅には無駄にならないはずです」
ディアラに言われ、アオミはそれを自分の胸に引き込むことを決めた。刀のような安心感が、手の中に戻る。
ポロンもディアラを始め、知り合いと思しき仲間と別れを告げ。
行きよりも足の数を減らした三組の足がウォルテルスに背を向ける。
「アオミさん」
その時、ディアラの呼ぶ声が青海の背中に掛けられ。
「コッペリアのこと、よろしくお願いします」
そう言って、ディアラは深く青海に向かって腰を折り、頭を下げた。
コッペリアを守るのは、エルドルトの騎士だ。青海は常にコッペリアの側においそれとは居れない立場にある。でも、コッペリアに何かがあったり、困った時には力を惜しまないつもりだ。以前、コッペリアが青海に助けを求めに来た時みたいに。
だから。
「はい」
とだけ、しっかりと言葉で応えた。
「・・・クロノとジョルシュって、知り合いなのか?」
ウォルテルスを発ち、数分。青海はなんとなく聞いてみる。
騎士と操術師の軋轢は、どことなく漂ようそれをウォルテルスにいた時に察した。クロノとジョルシュの間柄には、それ以上のものが見え隠れしているように感じた。
「・・・昔、ちょっと顔を合わせただけだ」
と、クロノは青海の顔を見ずに答えた。
「エルドルトとウォルテルスは、友好条約を結んでいる」
ポロンがその後に続く言葉に、クロノはあからさまに不快感に顔を歪めるが、彼女は構わず言葉を続ける。
「何年か前に、そのための調印の更新に、数名の操術師がエルドルトに派遣された」
ウォルテルスは国ではない。もし、ウォルテルスを襲う何者かの存在があろうと、潤沢たる精鋭操術師の存在があれば、それを退けることも可能だろう。あのゴーレム兵がいい例だ。だが、ウォルテルスのスタンスはあくまでもその研究結果により世界の平和、安寧を護ることだ。
だから、何かあった時には友好国が助けにくる。そういう約束だ。その代わり、ウォルテルスはその研究技術を他国に提供する。
ジョルシュは、その派遣された操術師の中では唯一の反対派だった。ジョルシュはウォルテルスの平和が最優先であり、それすらも、自分たちで賄えると考えていた。他国の援助はいらない、と。
「そこで、クロノといざこざが起きた」
・・・その時の様子が目に浮かぶようだ。
「・・・自分達だけじゃなく、世界の人間が手を取り合わなきゃ、魔獣の脅威にも、愚かな考えを持つ人間の脅威にも対応できねえと思っただけだ」
自分は悪くない、と言わんばかりに、クロノは自己弁護を述べる。
「そんなもんまで渡して、これみよがしな野郎だぜ」
クロノは、新たに腰に下げた剣に目を向ける。
見せてみろ、とクロノが言うので、青海は鞘ごと剣をクロノに手渡した。ちなみに壊れた刀は、反対側の腰に下げている。
じゃりん、っと心地いい金属音の擦れる音と共に、美しい白刃が青空に輝く。
その刀身を、クロノは面白くなさそうに半眼で見る。
「・・・上質な白虹鉄の剣。大盤振る舞いね」
ポロンのその言葉から、この剣の価値がなんとなく分かった。
クロノは、ふん、と小さく鼻を鳴らし、剣を鞘に治める。
「自分の懐の深さを見せつけ、負けたことを無かったことにしているんだろうよ」
そのクロノの言葉に、ポロンは呆れたように嘆息する。
青海は、ジョルシュがこの剣を託したのは、逆に挑戦状のように思えた。これで武芸の腕を磨き上げ。同様にジョルシュも己の研鑽に時間も努力を惜しまないだろう。さっき言った通り、次に戦う時、負けないように。その時が訪れた時は、青海達が恐らくまだ、元の世界に帰れないことを示しているのだが。
途中から馬車に乗り換え、振動に背中を預け。
鼻に香る潮風が、懐かしく感じた。




