32話・船上の戦い
潮の香りが鼻に抜ける。
港町ローデイル。
ここは、各大陸へと向かう船の始発点。
夕暮れが闇に変わる頃、青海達はローデイルに辿り着いた。
商店街とも、エルドルトとも違う街の様相に、青海は新鮮な気分で足を踏み入れる。
各地から流入、そして旅立つ地だからなのか、エルドルトよりも視界に見える人種は雑多だ。
ここでまず、青海達は食事を摂り、船旅の前に英気を養った。入った食堂は、『銀竜亭』も裸足で逃げ出す程の熱気で包まれており、荒くれ者でひしめく、さながら魔境のようであった。
屈強な男が肉を喰らい、酒を煽る。その光景が、もはや懐かしく思うのは、この世界に順応してきたからなのだろうか。
「これが舟券です」
アルテナに手配してもらった船のチケットを受け取る。出航時間と目的地が打たれた、長方形の紙片を青海は受け取る。
港には、豪華客船とはいかないまでも、巨大な船が係留されていた。
現実世界で見る漁船よりも大きく、客船とカテゴライズされるものは、生まれて初めて見る。
船へと続くタラップに、続々と人が吸い込まれていく。この場にいる人間も、ここから別の大地へと旅立つ人間なのだろう。
青海も、その板に一歩を乗せる。
初めて商店街を出て、他の街に行く時のような、幼い頃の思い出が蘇る。今みたいな壮大な旅などではなく、駅前に行く程度のものだったけど、幼心に、前人未到の大地を踏破した時のような達成感を手に入れたような日と重なった。その時は、実野梨も一緒だったっけ。
「私とポロンちゃん、アオミさんとクロノくんが同室です。運良く近くの部屋を取れたので、何かあったら何でも言ってください」
船内通路の、横に連なる船室。その内の続く部屋が、青海達のこの船での身を落ち着ける場所であるようで。
木の扉を開き、入る。
室内は当然、ここで永住するために設計された訳では無く、簡素な手狭な室内に、二段に連なるベッドがあるのみだった。
クロノはそのベッドの上下どちらかを取り合う気は無いらしく、早々に荷物を下の段に投げ入れる。そして、クロノ自身もベッドの中に収まった。
「・・・休んどけ。旅は船に乗って終わりじゃねえぞ」
そう言いながら、クロノはベッドの中で、目を伏せた。
青海もその言葉に倣い、荷物を先にベッドの上に乗せ、傍らの心もとない梯子を伝い、上段に登る。
二段ベッドとは物は言い様で、ほとんど隙間のような空間だ。天井が目と鼻の先。これが嫌でクロノは上を譲ったのではないのか。
しかし、何から何まで手配してもらって、文句を言うわけにもいかない。
窓も無い部屋なので、外の様子を伺うことは出来ないが、出航の合図であろう汽笛が鳴り響き、船体が揺らいだ感覚で、港を出たのだと悟った。
船室のベッドは横になるためにあるだけで、寝るためには無いような気がする。
固いベッドは容赦なく背中にダメージを与える。それを僅かでも緩和するために、持参した布という布で少しでも重ね、柔らかさを作る。
リュックの中から根こそぎタオルやらを纏めて、せめて頭を乗せるのに苦ではない丘を作っている時、ふと手を止める。
商店街を出る時に、実野梨に持たされた包みだ。
広げると、温かさこそ無くなっていたが、別の温もりがそこにはあった。
その包みの中のクッキーは、動物を模したであろう物と、幾何学模様のような物と綺麗に二分されていて、それが制作者の性格を如実に現しているようで、青海は小さく口元を綻ばせた。
動物の方は十中八九で実野梨作で、几帳面を体現した模様の方は光鍔作だろう。
実野梨は感性が豊かなのに対し、光鍔はああ見えて現実的というか。その点は祖父の血を受け継いでいると言える。
・・・光鍔は嫌な顔をするだろうが。
だが、きっちり統制された既製品のような幾何学模様を見ていると、そんな気にもなる。
青海は、それを数枚別の紙に乗せ、下にいる同居人に差し出した。
クロノはそれを胡乱な目で見ている。
「実野梨と光鍔の作ったやつ」
それだけを言うと、クロノは黙ってそれを受け取り。犬かクマかわからない動物クッキーを口の中に一枚放り込んだ。
しばらく、咀嚼する音が聞こえ。
「・・・こんなんも銀竜亭で売ったらいいんじゃねえのか」
それはイコール、悪くない味だと言われているようで、青海は安心と共に少し嬉しい気持ちになった。
青海も、幼馴染みが持たせてくれたクッキーを頬張る。口の中に広がる優しい甘み。
船室の中には、しばし懐かしい甘い香りで満たされた気がした。
船内が慌ただしくなったのは、船室の外から声が飛び交っていることに気づいた時だ。
「・・・何だ?」
青海の疑問の声に、下で緊迫感を宿したクロノが傍らの剣に手を掛けながら、扉を開ける。
廊下には怒号が飛び交い、乗客に混乱が見える。
「何があった!?」
船員らしき姿を捕まえて、クロノが問いかける。顔を青くした船員が、上を指差しながら、
「ま、魔獣だ。今、護衛が対応している」
その船員が、クロノの服装を見て、「あ、あなたも騎士ですか」
その言葉が期待する意味を汲み取り、クロノは剣を抱え直す。
「数は」
「わからない。夜というのもあって」
戦いに慣れていないか、数が多いか。
クロノは背後を振り返り。
「お前はここで留まって・・・」
そこまで言って、呆れたように嘆息した。
「そんな言うことを聞くヤツじゃねえよな」
青海はクロノ同様。刀の鞘に手にしていたからだ。
クロノは廊下の対面の扉を無遠慮に数回叩いたのを免罪符に、すぐさま扉を開く。
廊下の騒がしさを気付いていたのか、ポロンもディアラも、その表情をのんびりとした船旅を楽しもうと言う気持ちはなかった。
「魔獣が出たとか言う話だ」
本来客であるクロノ達にそれに対処する義務はない。だが、この船を護衛する戦士が苦戦しているのなら、それに手を貸すのはやぶさかではない。それにより、船旅が滞るのは困るからだ。
船内に避難する客に逆らうように、クロノ達は甲板へ向かうべく走る。
仄かに明かりが灯る船内とは逆に、外は月の光る夜だった。
それが、甲板にいる怪物の奇妙性を際立たせている。
例えるのなら、全身が鱗に覆われた緑色。
「魚人と呼ばれる怪物だ。呼び名は各地色々あるが、大体はそれで統制されている」
言いながら、クロノは躊躇いもなく剣を抜く。
「ディアラさんはここから動かず後方支援。ポロンはアオミのフォローだ」
クロノは鋭い目つきを青海に飛ばし。
「魚人は俺達人間を獲物と見ている。海中に引きずり込まれたら、抵抗する間もなく仕留められるぞ」
その警告に、青海は喉を鳴らす。
「体表は粘性の体液で保護されている。剣を使う時は躊躇うな」
甲板は、阿鼻叫喚の一歩手前。
護衛の剣士が剣を振るっている。乗客の姿は見えない。恐らく船内に避難しているのだろう。
「船上だ。あまり協力な操術でのサポートは期待するな」
クロノが月光に煌めく剣を、異形に向けて構える。
それこそ、まるで魚の頭部が人間の頭とすげ替えられたような。
やや猫背気味なその体躯は、人の四肢を模しているものの、およそ人には見えない。両足は細く、腕は腰ほども長い。衣服なんてものは身につけておらず、手足共に海で過ごす生物だと容易に想像出来るように、水かきがある。
ぎょろり、と動く目は、何尾も頭を落としてきた魚の怨念かのように。
「いくぞ!」
クロノが吠え、駆ける。
疾風のように走る足が、容易に魚人までの距離を詰め。
振りかざした銀光が。緑色の鱗を軽々と斬り裂き。
夜目の所為で、その色が曖昧な飛沫が甲板を汚し。切り離された片腕が甲板に転がり。
魚人が、腕に走る痛みに軋む声を上げている間に、クロノはその胴体に一太刀を入れ、間髪入れずに蹴りを放ち、その緑色の肢体を柵の向こうの海へと叩き落とした。
背後で大きな飛沫を上げるのを大人しく聞くよりも早く、クロノは二太刀目を別の個体へと放っていた。
電光石火の動きで、次々と魚人を斬り伏せていく。
青海も息を吐き、闘争本能を高ぶらせている個体と対峙する。
怪しく体表が光る翡翠色。青海の息は鼓動と連動するように、断続的に口から吐き出されている。
今までの魔物と違い、人のシルエットを成した相手だ。
頭こそ違えど、四肢は人のそれだ。それに対して刃を向ける。
相手は人を襲う、怪物だ。剣を躊躇う理由はない。
青海は駆ける。
相手はこちらを餌とみなし、こちらの都合などお構いなし。ここで躊躇えば、自分だけでなく、誰かの命を危険に晒す。
「武器の入刀角度と、対象を水平にしろ!躊躇いなく、押し切れ!」
遠くでクロノの助言が飛ぶ。
魚人を相手取る場合、最も厄介なのは体表に纏わりつく体液だ。それは太陽光から皮膚を保護するためであったり、多少の打撃を軽減するものであるらしい。あるいは斬撃の勢いを殺したり。
生半可な攻撃や、剣の素人は剣先を滑らせ、致命傷に至らないこともあるらしい。
青海は刀の切っ先を意識し、懐に飛び込む。手にした刀が夜の空気を裂き。
「ぎゃぐぁっ!」
聞いたことのない呻き声が、鮮血と共に飛び散り。胸元を切り裂いた殺傷も間もなく、二太刀めで、魚人の右腕を断つ。
クロノ同様、蹴りでその身体を押出し、船外へ吹き飛ばす。
「はあ、はあ」
初めて人型のものへ刃を通す感覚。それは甘ったれた覚悟だ。傷付けるのが嫌。そんなんで人を守る剣士は務まらない。そして、元の世界に戻るには、通らなければならない道だ。
剣先が肌を触れる感覚は、成程確かに獣とは違う。僅かな滑る感覚が刃先を伝わり、殺傷能力を僅かに抑える。
だが、勢いと角度が揃えば、今までの魔物と変わらずに斬り伏せることが出来る。
何度目かの緑色を海に落としたところで、甲板の喧騒は収まり始めていた。
稼ぎ頭はクロノで、その殆どを海に屠り捨て。
青海も、意識を手にした剣に注ぎ、返す刃で切り倒す。
断末魔の叫びを喉笛ごと掻き斬り、ぐらりと背後に傾き。その身体を海に押し出すべく蹴り込む瞬間。
青海の足に絡みつく何か。力尽きる寸前の魚人が、残る腕で青海の足を絡め取った。
魚人は背後に倒れ込む勢いで、青海をも道連れにしようとし。それが最後の抵抗のように青海の足を掴んで離さない。
青海の身体が柵に叩きつけられ、それが壁となって海に落ちることは免れているが、重さに引き寄せられ、海に落ちるのは時間の問題だ。
「・・・ぐっ!」
片手には剣を握り、それを落とすまいとする所為もあり、力が入らない。
青海の足が、船体の揺れと連動するように、浮きかけた瞬間。
背中を引かれる感覚の後に、青海の身体は床に叩きつけられ。
足を捕縛する緑色の戒めを、熱線が寸断し。
「はあ、はあ。・・・はあ」
青海の吐息の向こうで、魚人の亡骸は海へと落ちていった。
「最後まで気を抜くな」
クロノの鋭い目が、夜空を見上げる青海と交差し。
青海を引っ張ったのはクロノで。死の間際まで青海の脚を掴んでいた魚人の腕を切断したのは、ディアラだった。熱を伴う赤い刃は操術だろう。
甲板の上に、青海の息を掻き消すように、乗組員の喚起の声が木霊した。
「ありがとうございます!」
乗組員がクロノに向かって、しきりに礼と頭を向けていた。
航海船には、今のような状況に備えて、護衛の剣士が常駐していることがある。むしろ、それが常だろう。だが、あまりにも敵の数が多かったりすれば、手が回らないことがある。だが、船に乗せる人数には限度がある。客船までとはいかない船なら尚更だ。こうして乗客の腕を借りる状況は少なくない。
エルドルトの騎士の様相を知っていたからだろう。船員はその功績に最大の謝辞を述べていた。
「クロノ、ありがとう」
最後、海に引きずり込まれる寸前で、なんとか地上にしがみつけた。
「どんなに腕の立つ剣士も、海の中じゃあ無力だ。あの大隊長でもな」
操術で、海の中でも呼吸の延命は可能だ。だが、無敵になれる訳では無い。
躊躇うな、という言葉の意味を、青海は深く痛感した。




