31話・旅立ち
青海が商店街を発つ日が来た。
それは、ディアラがウォルテルスへ帰る日でもある。
商店街の出入り口には、見知った住民が青海の旅立ちを見送るべく、集まっている。
その旅の先にあるのが元の世界への道ならば、皆は口には出さないが、期待に満ちたものであるはずだ。
この日まで時間的な猶予は僅かだったが、クロノとの修行でまたひとつ、青海は自分が強くなった感覚を覚えた。それは剣の腕には直接直結するものではないけれど、自分の身を守るにはうってつけの能力だ。
「元気でやれよ」
「いい報告を待ってるぜ」
商店街の人達に、青海はそれぞれ言葉の餞別をもらう。それが、この先の旅の活力での原動力にもなる
「実野梨」
青海の目の先には、俯いた幼馴染みの姿が。その表情は、青海が旅立つことに未だ納得はしていない。そんな表情だ。
「・・・絶対、帰ってきてね。怪我とかしたら、許さないんだから」
「善処するよ」
そして、実野梨は何か小さな包みを青海の前に差し出した。
「みっちゃんと作ったの。焼き菓子だから、日持ちすると思う」
青海はその包みを受け取る。ほんのりと、まだ僅かに温かい。ちらりと視線を向けると、光鍔はこちらに一瞥も暮れず、首を小さく振っている。
「途中で頂くよ」
その包みを、青海は背負ったバッグに仕舞いつつ。そのバッグを改めて背負う時、青海の胸に軽い衝撃が走る。
「・・・実野梨」
人目も憚らず、実野梨が青海の胸にその顔を埋め。
「・・・行かないで」
か細く、その言葉だけをはっきりと告げた。こぼれた本音。青海の服の裾を掴む手は、固い。
「・・・そういう訳にはいかないだろ」
この世界と、元の世界の間で家族が別れてしまった人間は青海達だけではない。誰もがそのもどかしさを胸に秘めて、今まで過ごしてきたのだ。多分、最年少の青海達に配慮して、騒がなかっただけなのだ。商店街の大人達も、地上に大切な人を残して。
我慢してきた部分があるのだろう。見知らぬ世界に来て、生きていくために汗を流し。いつ化け物に襲われるかという恐怖。先の見えない不安。ただ過ぎゆく時間。様々な負の念が要素が商店街を覆っていた。
青海の行動が、それを打開する一手になるかもしれないのだ。言わないが、あらゆる期待を背負っているのだと思う。
青海は、それにも報いたいのだ。
青海は優しく、実野梨の戒めを解く。
それが青海の決意の現れのようで、実野梨は再度覚悟した。
「じゃ、光鍔も。あとは頼んだぜ」
光鍔は青海の旅立ちにも涼しい顔で、頷いた。
「それでは、参りましょう」
ディアラが別れを裂くように、言い。
「じゃあな。行ってくる」
青海が実野梨の頭に優しく手を添え、撫でる。
名残惜しく、離れる手を実野梨の手が追い。
青海は、商店街を旅立った。
実野梨は、遠くに行く青海の姿が見えなくなるまで、その背中を見送った。
「・・・アイツが帰ってくる場所、守ってあげよ」
光鍔が、その背中に向かって言葉を投げかける。その言葉に、実野梨は小さなこえで「うん」とだけ、呟いた。
快晴。
旅を阻む物は何もない。
青海、クロノ、ディアラ、ポロンは街道を征く。
向かう先は、ここより遥か西の港町、ローデイル。そこより船に乗って、更に西に渡るのだ。
現実世界でも、船に乗ったことなどなかったので、実野梨達には悪いが、心が高鳴っている部分もある。
そんな晴れやかな胸の内を体現するように、空は青い。四組の脚は土を確実に踏み鳴らしながら、希望を伴い、前へ進む。
「じゃあ、聖獣の姿を見たのは本当なんですか?」
その道中、ディアラの興味は青海にあったようで、様々な話を振られた。
姪であるコッペリアは、元気を具現化したかのような女の子だ。城を抜け出し、飛び出すエピソードを聞かされた時に、それを強く感じた。何にでも興味を示し、それを吸収しようとするのは幼さゆえか。
だが、ディアラの知るコッペリアは、父親が亡くなった直後だけあって、沈み込んでおり、今の明るさの欠片もなかった。
境遇を吹っ切れる程心は成熟していないだろうし。コッペリアの変貌はディアラには信じられないものではあった。
それが青海の影響であるのは想像に固くない。
王との別れを受け入れ、王に代わりエルドルトの頂点に立つ覚悟を決めた。まだ、全てはわかっていないのかも知れない。でも、自分の立場を理解し、父親の守ってきたエルドルトのために意識を改めることを決意したのだ。
コッペリアの心を溶かし、惹きつけたこの青海という少年。
異世界から来たという、一見、未だに俄に信じがたい事実は、周囲から聞いたその他の出来事と符号させることで真実だとわかる。
「まあ、そうなるのかな」
あの白い毛に覆われた巨体。人語を発し、それが頭の中に直接響いたり、耳にそのまま届いたり。鋭利な武器でもある尻尾での攻撃。剣を伝って身体に響く衝撃は、今でもはっきりと覚えている。ヘタをすれば、青海は今、こうして存在しなかったかも知れないのだ。
ポロンは、ニヤリと口元に笑みを浮かべて、クロノにそれを向ける。
「もう、ホラだ、とか言わないのね」
クロノはアルテナ同様、王家とそこに相応しい視覚を持つ人物が聖域へと足を踏み入れることを良しとしない派だった。当然、青海がコッペリアの願いとは言え、聖域に赴いたことは非難するべきことだとも思っている。
「今もう、それは議論にすらならねえことだ。コイツが生きて生還したこと。それこそが真実だ」
王の墓を狙う不届き者、森を荒らす悪俗は、聖獣の裁きに遭い、断罪される。そう言い伝わっている。
だが、青海は生きて帰った。青海はその裁きを受けることはなかったということだ。それどころか、その御姿をその目に収めた。絵物語でしか記されていない、清き聖獣の姿を。
青海のことを信じる信じないは別にして、その事実こそが真理だ。
そんな様子を、ディアラは物珍しそうに見る。
「クロノくんが丸くなったというのは本当みたいですね。ユラナスから聞くまで信じられなかったけど」
「ディアラさんまでミズリィア大隊長みたいなこと、言わないでくれ」
辟易した様子で、クロノは前を行く。
そこで、青海は思い出したことを聞いてみた。
「エルドルトには、ふたつの守護神がいるって、アルテナに聞いたんですけど」
地を守る聖獣シャロポロと、空を守る神鳥を祀る伝承を、前にアルテナから聞いた。エルドルトを守護する、ふたつの獣と神鳥の話だ。
「聖獣と神鳥の伝承ですね。存じています」
エルドルトを襲う災厄から守る、女神から使わされたという二匹の守護神。
だが、アルテナはそれが奇妙だと言った。
王家の墓を守る聖獣の住まう森。それはシャロポロを祀る地でもある。対する神鳥を祀る場所が、このエルドルトのどこにも存在しないと言うのだ。
「長い時の中で、伝わる文言に齟齬が生じることもある、というのが一部の学者での見解でもあります」
つまり、エルドルトの守護者はシャロポロのみ、という可能性もあるということか?
「神鳥は、この大陸には勿論、隣国にもその気配はなく、その存在に否定的、もしくは別の解釈の可能性もあると言われています」
大仰な伝承が、時が経って薄れていった、ということだろうか?
「神鳥が居ようが居まいが、守護者が一体だろうが二体だろうが、てめえには関係のないことだろうが」
その思考を裂くように、クロノが言う。
・・・まあ、そうなんだけど。
釈然としないものを感じながら、青海は踏み出す足に力を加えた。
エルドルト城。
王の間。
小さな身体が玉座に収まり、頬を膨らませながら足をぶらつかせている。
戴冠の儀の日に見せた、国を治める王の決意と威厳は、ものの数日で薄らぎ、コッペリアは年相応の少女の態度で玉座に収まっていた。
不満の種は、青海に会えないこと、らしい。
戴冠の儀に招いた叔母であるディアラの現在の居住であるウォルテルスへの帰還の日に、青海も付いていくと聞いた。そこに元の世界の戻る手がかりがあると希望を見て。当然、その間は青海に会えない。
立場上、コッペリアが商店街に赴くことは重々禁じられたが、実野梨の迎え等で城に赴いた時は会いに来てくれる約束だった。今は、それが無くなった。
戴冠の儀の間は、保全のため場内への一般人の入場を制限していたし、結局最後にコッペリアが青海と目を合わせたのは、披露の儀の時。街を練り歩く際に、銀竜亭でこちらに視線を向ける青海と距離を隔てて、だ。
その不満顔が連日続いていることに、アルテナは困っていたのだ。
「・・・アルテナは嫌ではないのか?」
「何が、でしょうか」
その質問が飛んできた方へ、アルテナは目を向ける。
玉座の上で、コッペリアは膝を抱え、眉根を釣り上げ頬を膨らませている。典型的な不機嫌モードに、アルテナは可笑しくて息を漏らす。
「もし、ウォルテルスで何かしらの手がかりを得て、元の世界に帰ってしまったら、どうするのだ?」
最初、その質問の意味がわからず、アルテナはしばしの間、静止する。
「良いことではありませんか。彼らは、それが目的なのですから」
コッペリアは唇を尖らせ、さらに不満を漏らす。
「我が、大人になる姿を見てもらいたいのだ」
戴冠の儀は終えたが、それはコッペリアがこの国の長であることを認めただけだ。実質的な政治や隣国との関わりへの口出しは、成人までお預けだ。その時には、もっと立派になっているはずだ。背も、精神的にも。それはコッペリアの夢想にも似た理想の姿だ。
「それまでは、アオミ達がこの世界に留まる、ということですか?」
それは何年も先の、気の遠くなる未来の話だ。
「ここから商店街までの街道の舗装、いや、何ならアオミ達を丸ごとエルドルトに住まわせることだって許すぞ!」
一見、それはとんでもなくわがまま暴君な提案だ。だが、それはコッペリアが心から青海のことを信頼している証明で。
「・・・アルテナは、寂しくないのか?」
幼い目に言われ、アルテナは僅かに心臓が反応した。それは、アルテナにとって、思いもしない鼓動で。
そんな反応を振り払うように、小さく首を振り。
「・・・彼らは、元の世界に帰るのが一番です。そのために我々は手を貸しているのです」
この世界で住みやすくするために手を貸すのは、帰るための試金石に過ぎない。何もかもが揃う永住は、彼らのためにならない。
彼らにずっと、この世界に留まって欲しい、だなんて。思う訳がない。
微かな胸の反応を打ち消すように、アルテナは毅然とした言葉でコッペリアの言葉に返したのだった。




