29話・唱紋器の扱い方
青海は、珍しくクロノに呼び出された。
指定された場所は、エルドルトの演習場。そこは、騎士が己の鍛錬に従事する稽古の場。模造刀や木剣で、剣を打ち合う姿がそこかしこに見受けられる。
物珍しい客人に、鎧姿の騎士達の視線がその人物に重なる。
勿論、クロノにしてみれば不満そのものでしかない。半ば強制的に長旅に付き合わせられるとなれば、異世界人という珍しさだけで、何も出来ない凡人で居続けられても困るのだ。
剣の腕は、騎士に万が一でも及ぶ物ではないのは事実だ。四六時中お守りするつもりもないし、自分の身は自分で守ってもらわねばならない。
だが、エルドルトを発つ日が来るのは確実で。一朝一夕の付け焼き刃で、劇的に戦闘能力が向上するわけもない。あるとするならば、方法はただひとつ。
「・・・ほれ」
非常に不本意ながら、クロノは手にした何かを青海の前へと差し出す。
それは輪っか状の器具で、青海にも見覚えのある物で。
「・・・唱紋器?」
それは、騎士の能力を更に引き上げる、魔道具。その物自体に魔力を込め、それを自在に行使し、身体能力や武器の性能を変化させる道具だ。
その意味がわからず、唱紋器を目の前にし青海が戸惑っていると、クロノは無理矢理にでもその腕輪を押し付けてくる。
「これから長旅だ。お前の脅威はお前で退けろ」
その言葉で理由を理解するも、青海は唱紋器を受け取りかねる。何しろ、この金属の腕輪は、それ一個で家が一軒建つほどの代物らしいからだ。もし、紛失するようなことがあれば、果たしてこの世界にいる間に弁償し終えるだろうか。そんな心配もある。
「俺等の助けが間に合わない時もある。そん時はテメェで尻拭いしろ」
クロノの言いたいことはわかる。青海も、いつまでもお守りをされるつもりもない。
「ただし、この唱紋器でやることは、お前の身体強化じゃねえ」
唱紋器で出来ることは多岐に渡る。そのひとつが身体強化。
例えば魔力を全身に張り巡らせ、常人には不可能な俊敏さを得る。青海も何度か見た能力だ。
「鍛えてねえお前の身体じゃ、その圧力でバラバラになって仕舞だ」
それは以前も言われたことだ。唱紋器の放つ魔力の流動は、騎士のような訓練を積んだ人間でなければ扱いが容易ではない。
もうひとつ、とクロノは前置きし。
「武器強化は、お前の剣を見る限り、必要はなさそうだ」
手にした武器に魔力を流し、切れ味や攻撃属性そのものの変質を付与することも可能。これにより、不死という存在にもダメージを与えられる。
だが、その能力を使わずとも、青海の持つ刀は不死のアンデッド兵を再生させること無く斬り伏せた。相変わらずその所出と能力のルーツははっきりとしないが。
「じゃあ、何のために?」
身体強化と武器強化以外にも、唱紋器は使い道があるというのか?
「魔力を、視野と反応強化に傾ける」
青海の疑問に、クロノが応える。
「唱紋器による魔力で、視界と反応を上げれば、攻撃を受けること無く躱すことが可能だ」
剣の素人である青海は、攻撃はともかく、相手の攻撃を受けきるのなら話は別だ。
エルドルトを襲った逆賊と戦ったときは偶然、運も手伝って退けたに過ぎない。同じ幸運が転がることは、万にひとつもないだろう。あの時は、肩を怪我しただけで済んだ。怪我をせず、傷つくこと無く安全に旅を終えるには必要な能力で、青海にも可能なレベルの使用方法だ。
「今からやっても、身体強化に耐えうる訓練は意味はねえからな。視認、反応強化の訓練のみに絞る」
言いながら、クロノは傍らにおいてある木剣を拾う。
「どっちでもいい、唱紋器を腕にはめろ」
言われ、緊張の面持ちで青海は左腕に腕輪を通す。通した感じでは、特段の違和感はない。
「使い方は、所有者の思考に反応し、唱紋器が勝手に拾ってくれる。逆を言えば、何も考えずに動かせば唱紋器に飲まれる。これは、それを自在に操る訓練でもある」
クロノは、腰の剣に手を添え、それを音もなく引き抜く。銀光が、切れ味を主張するように陽の光を煌めかせる。
「唱紋器の武器強化は能力のひとつだが、逆にこういうこともできる」
クロノは右手で剣を持ち、左手を刀身に添え。柄の方から剣の先端へと手のひらを動かし。
「『コーティング』と呼ばれる技だ」
そう短く言い、右手に剣を構え、反対の手に木剣を手にする。そして、木剣の方を軽く宙に放り投げ。
クロノの右手が震える。
神速の如き斬撃が木剣を弾く。
がらんっ、と乾いた音を立て、床に吹き飛んだ。青海の足元に転がって来た木剣には、剣で叩きつけたのにも関わらず、その木の表面にはひとつの傷も付いていなかった。
「こうして、攻撃力を殺すこともできる」
あれほどの斬撃なら、木剣を寸断することもできるだろう。唱紋器の力を行使すれば、それすらも自在だというのか。
「ちなみに、俺達上位騎士の剣の稽古もコーティングを用いて使う。切れ味が殺されているとは言え、真剣を使った修行法は緊張感を生むからだ」
その言葉を聞き、青海はぞくりと背筋を凍らせた。例え斬れない武器でも、まともな精神状態で剣を打ち合えるだろうか。武器の重さはそのままだ。鈍器としての威力はそのままだろう。アルテナ達をはじめとするエルドルトの騎士の腕の根源を見た気がした。
「俺はコーティング以外の唱紋器の能力は使用しねえ。この剣をかいくぐり、お前はひたすら回避し続けろ」
すなわち、刀身自体は真剣。触れても斬り傷はつかない。だが。
青海は息を飲む。
この世界に生息する、人間に牙を向く生物。以前実野梨が攫われかけた時、その首元に突きつけられた白刃。確実に、それらは人の命を奪う凶刃になりうる。
それを捌く術を手に入れることは、この世界で生き延びるための必要なことに思えた。
身体が縮こまる以上に、心が震える。
「おーい、素人くんには厳しいんじゃないのか?」
遠くから、稽古場の片隅でゴソゴソしているクロノと青海に別の騎士が声を掛ける。
黙ってろ、と言わんばかりにクロノは強い目つきで退け、その騎士は肩をすくめて向こうへ去っていった。
「さあ、行くぜ」
剣を構え、クロノは不敵に笑う。
これは稽古だ。でも、遊びじゃない。
ゴクリ、と青海は喉を鳴らし、踏み込む足と共に、揺れる銀光の行く末を目で追った。
「はあ、はあ、はあ」
地面に背を預け、青海は苦悶の表情を浮かべながら肩で息を吐いていた。
唱紋器での視覚反応強化。
成程それは、青海に未知の能力をもたらした。
例えるなら、視界はくっきりと輪郭を持ち、流れる背景は周囲との違いを生み出す。
自分の動きと、相手の。すなわちクロノの剣の動きがはっきりと見え。
クロノは鋭い足捌きで背後から斬りかかろうとするも、背中から感じる威圧感を顕著に感じ、その方向へすぐさま反応できる。それに、見えている景色と、自分の足元の動きの乖離が激しい。見えているのに、動きはままならない。それがさらなる混乱を生む。
それが、唱紋器による感覚拡張と呼ばれる使用法だ。
『視える』ことと『反応』出来ることは文字通り異なり、剣術に関してはほぼほぼ素人の青海がクロノの斬撃を受けきるのは並大抵の腕力を有していなければ叶わぬことで。
斬れ味を封じては居るものの、鋼鉄の剣のもたらす重量、鋭利さはそのままなのだ。
早い話が、稽古はクロノの剣技に翻弄されるだけで終わった。
クロノは息ひとつ乱しておらず、無様にも腰を床に付ける青海との差は明らかだった。
身体強化に幅を振らずとも、攻撃に反応さえできれば怪我を追うことはない。理論はわかるけど、これはこれの辛さがある。
頭の中がぐわんぐわんと渦巻いている。鋭敏に感じ取る視覚神経が、容赦なく脳に負担をもたらす。強い目眩は収まり掛けたものの、クロノの剣を捌ききったとも言えない、受けただけで腕に負ったダメージも含め、すでに身体は悲鳴を上げている。
「せめててめえの能力で目を回さないくらいに鍛え上げなきゃ、この先生きいけないぜ」
クロノ曰く、身体強化と違って、視覚拡張は使用を繰り返すことで鍛えられるという。慣れる、と言ったほうが正しいか。
しばらく休むことによって、天地が回る感覚が収まり、穏やかな視界が戻ってきた。
「・・・よし」
青海は地面に着けていた尻を浮かせ、なんとか立ち上がる。
その様子を見て、クロノは口元を釣り上げる。その小さな言葉は、「まだまだ、これから」ということと同義だからだ。
剣の腕も反応も、騎士は勿論見習いの剣士にも劣る。騎士としての心構えからして遠く、それがこの世界と別の世界に住む人間の違いだと思う。
だが、この青海という人間の常人と違うところは、諦めの悪さだ。
自分の信じた道を、誰に止められても進む。頑固とも捉えられる信念は、騎士の持つそれとは違うが、そこに青海という人間の本質であろう。
周囲の意見を顧みず、不死兵の闊歩するエルドルト城に単身乗り込み、コッペリアを救うために奔走する。剣に自信のない頃なら、尻込みしてしまうような状況だ。この男は、そんな恐怖をどこかに置いてきたかのようにアンデッドを斬り伏せ、やがてはこの国を救う一端となった。
そんな青海にほだされたわけではない。今でも青海が剣を置けばそれに越したことはないと思っている。その役目は、適した人間が担うべきであり、素人が剣を持ってもロクなことにならない。
こうしてその素人に剣の、あまつさえその範疇外の唱紋器まで預けるのは自分でもどうかしていると思っている。
だが、青海は元の世界に帰るヒントがこの国の外にあると知ったら、単身でも行くだろう。そうなれば、野垂れ死ぬのは目に見えている。
こうして、何にせよ手を貸すことは、青海達が元の世界に戻る時間を早めることだと思っている。
クロノは、青海を迎え撃つべく剣を構える。
その時。
「・・・うげ」
クロノは小さく呻き、視線を少し遠くに飛ばしている。
クロノの止まる剣先に気付き、青海もそちらを見る。周囲にはクロノと、騎士でもない男の稽古を物珍しそうに見る、まばらに人垣が囲んでいる。クロノはその奥の人物に対して辟易した表情を見せた。
紫色が陰る、黒い鎧を纏った女性だ。その鎧から、この城の関係者なのはわかった。その女性は、その表情にたおやかな笑みを浮かべて、一歩、また一歩と近づいてくる。
「・・・厄介な人に見つかったぜ」
なぜかクロノは眉根を寄せ、頭を抱えている。
その風貌からは、厄介そうな雰囲気は見えないけど。逆に言えば、騎士にもおよそ見えない。かろうじて厳つい鎧のお陰で騎士に見えている、といったところか。
その鎧も奇妙だ。アルテナやクロノのような、白を基調としたものではなく、黒く、怪しい。紫の交じるそれは、どちらかと言えば悪の騎士を彷彿とさせる。それを纏う人間が穏やかな表情な物だから、先の修行ではないが、感覚がおかしくなる。
だが、それでもこの国の騎士で、クロノが頭を下げる様子から見ると、上の位の騎士ではあるようだ。
「・・・誰?」
そんな意味も込めて、青海はクロノに目を向けてみる。
「・・・ミズリィア・カラベラム。・・・エルドルト騎士団、大隊長がひとりだ」
その言葉に、青海は自分の目を疑った。
見た目で判断するのは良くないが、今のに関しては誰しもが目の前の女性が、エルドルト最高位の騎士の称号を有しているとは、思わないだろう。
ミズリィアの何者をも包み込む、穏やかな目が横に滑り、青海を捉える。
「貴方がアオミさん?」
一歩、また一歩と近づきながら青海の元へと近づき。
この距離まで近づいても、およそ彼女が大隊長どころか、騎士には見えない。感じる威圧感がまるで他の騎士とは異なるのだ。
アルテナやヴァルのような鋭さや、ユラナスのような威圧感は感じられない。感じるのは、例えるなら野に咲く風に揺れる花のような温かさ。その身に纏う鎧の色やデザインも、間違っているんじゃないのかすら感じる。
「ミズリィア・カラベラムですー。お初お目にかかります」
そう、穏やかな言葉と共に、ミズリィアは右手を差し出した。
青海は僅かに逡巡し、同じく右手を差し出す。
硬質の篭手の感触には、本人が宿す温かさすら伝っているようだった。




