第12話
翌日、さっそく俺は一〇一号室にアイネを呼び、人間の世界で働くことについての説明をすることにした。
一般的なモラル。例えば人を殴ってはいけないだとか、物を盗んだりしてはいけないだとか、そういう初歩的なものについての話が中心だったのだが、途中でなにかに堪えきれなくなった様子でアイネは叫びだす。
「人間の世の中はなんと生きづらいのじゃ! 気に入らぬ者がいても殴ってはいけぬとは! にくい、人間のルールが憎いぞぉ!」
「わあ全然溶け込むって気概が感じないなこの人」
知識では分かっていたが、普通の人間とここまで価値観が違うとはびっくりだ。
「よし決めた。今日はお前がバイトに受かるよう、今から面接練習をしてやる」
「むぅ。そんな面倒なことなどせぬとも……」
昨日に引き続き、あくまでも乗り気じゃない様子のアイネ。仕方ない、ちょっと意地が悪いが、例の話をするしかないか。
「なあ、このままじゃお前、本当にここを出ていく羽目になるぞ。魔人族の長が住む家もなく町を徘徊してるなんて仲間たちに言えるのか?」
「じゃが……人間の為に労働するなど、一族の誇りがなぁ」
やっぱり誇りとかって単語を重要視しているんだな。そして彼女にはもう一押しが必要って感じだ。
だったら、その誇りを無視できるようなメリットを彼女に提示してやろう。
「分かった。もしバイトが決まったらなんでも欲しいものを買ってやる」
「本当か!? なんでもとは、なんでもじゃな!?」
いきなり食いついた。こういうところも素直というかなんと言うべきか……。誇りはどこに行ったんだ?
「ああ。だから頑張ってバイト先を見つけような」
この後も俺はバイトをするにあたっての心構えや、面接動機なんかも一緒に考えてやった。この世界の就労システムは不明だが、俺の元いた世界での知識をフル活用すればいくらアイネでも無双できるはずだ。
「よし、もう一回行くぞ! 『えーあなたをもので例えると何ですか?』」
「うむ……ではなく『はい。私は一言で言えば潤滑油で──』なあ、本当に貴様の世界ではこんな風に答えるのか? なんなのじゃ物に例えるとか潤滑油だとか……正直意味が分からぬぞ」
「考えるな! 質問する側もされる側もよく分からないまま話をしてるんだ!」
「そのようなものなのか……人間社会とは不思議なものじゃな」
なんて話をしつつ、俺がアイネの面接練習を行っていると、
「『えーでは、このペンを私に一万イェーンで売ってみて──』」
「……なあエニシよ」
不意にアイネが真面目な口調で告げた。
「なぜ貴様はこんなにも我の面倒をみるのじゃ。貴様にとって我は他人でしかないはずじゃろう? なのになぜ、こんなにも親切にするのじゃ?」
「そりゃ家賃の為に決まってるだろ」
「嘘じゃな。貴様ほどの力があれば我をここから追い出すことなど簡単であろうが。しかし貴様はそれをしない、なぜじゃ?」
それは昨日、サーニャからも同じ問いをされた。この短期間に同じ質問を二回もされるなんて、そんなにも俺は奇妙なことをしてるんだろうか。
彼女の真摯な瞳が俺の目を捉えて離さない。なんというか、冗談も返せないような真剣そのものといった顔つきに、俺も観念して話す。
これはサーニャにも伝えてない、交じりっ気のない俺の本心だ。
「金が無くて苦しいやつの気持ちがな、痛いほど分かるんだよ。俺も友達に騙されてさ、大きな借金を負った事があるんだ」
「借金……その概念は我が魔人族には存在しなかったが、人間にとってはとても辛いものだと聞いたことがあるぞ」
「ああ。お金ってのは不思議なもので普段は意識しないものだが、貧乏になっていくとそれの事しか考えられなくなるんだ。頭もどんどん悪くなっていく感じがしたよ」
だからな、と俺は一息吐く。俺がアイネを追い出さない理由、それは、
「そんな俺と同じ境遇のやつは放っておけないと思ったんだよ。その上でな、俺は信じてるんだ。アイネ、お前が真面目に金を稼いでくれるはずだってさ」
「友人に騙されるというのは……貴様も辛い目に遭ったのじゃな」
こちらの打ち明け話にアイネが見せた感情は、純粋な同情だった。
「家族や大事な友を失う辛さは我もよく分かる。そして、裏切られる悲しみもな。きっと貴様もその友人に対し、怒りを抱いているのじゃろう?」
彼女の質問に、俺は素直に答える。
「ああ。今こうして思い出すだけでも苛立たしいな」
「そうじゃろう。金をだまし取ったものが今ものうのうと生きていると考えるだけで──」
「本当。どうしてそんな風になるまで我慢してたんだって、イライラしてくるんだよ。もっと早く俺を頼ってくれていたら助けてやれたかも知れないのに……」
「うん? ちょっとまて貴様」
俺の言葉にアイネは冗談でも聞いたような不思議な表情を浮かべる。……あれ、なにかおかしなことでも言ったか?
「普通は騙されたことに対して怒るものじゃろう? どうしてそんな考えになる!」
「本当はあいつだって誰かを騙したくなんてなかったはずだ。ただ金が無かって追い込まれて……可哀想だって」
「か、可哀想じゃと」
絶句したような顔をするアイネ。そ、そんなに驚くことか?
「とんでもないお人よしじゃな貴様。むしろ愚かですらある。じゃが」
そこでアイネは一度言葉を切り、
「じゃが、嫌いじゃない。お人好しで愚か、そんな人間に信頼されるというのは──嫌な気分ではないな」
微笑みを見せる彼女の言葉に嘘はなさそうだった。アイネの浮かべた表情は、初めて人に心を許したかのような純粋な笑顔だった。
「仕方ない。ぶっちゃけかなり諦めモードじゃったが、我ももう少しだけ踏ん張ってみるとしよう」
と、告げるのであった。
「勝手に諦めモードになるな。と言いたいが、思い直して貰えたのならそれで良い」
「勘違いするでないぞ。これは我が遊ぶ金欲しさにやる事じゃからな。家賃を払うためだとか貴様の信頼に応える為にやるのではないからな!」
びし、と念を押すアイネ。そこまで無理に否定しなくても、とも思うがせっかくやる気を出してくれたのにへそを曲げられては困るので黙っておくことにしよう。
ともあれまた明日からバイト先を探してくれるようでひとまずは一安心だ。時間も遅いのでアイネは俺の部屋を後にした。
俺も少し間をおいてから夜風を浴びに散歩に出ることにした。
が、外に出た所でアイネとは別の女性の声に引き留められる。




