58 パラダイスワン
歩いているとどこか遠く、隔離地区の外から、サイレンの音が聞こえ、そして放送が聞こえてきた。
≪本日9:00、全ての隔離地区に避難命令が出ました。まだ隔離地区内にいる市民の皆さんは、速やかに隔離地区から退避してください。繰り返します……≫
ついに避難指示が避難命令になったらしい。これが何を意味するのか、俺にはよくわからないけど。
放送の音が遠ざかっていく中、また研究所から通話がかかってきた。
「もしもし、なんですか?」
俺が不機嫌にたずねると、中林亜覧の声が聞こえた。
「文亮。おまえは友達が見つかるまで帰ってこないつもりか?」
「はい。絶対に帰りません」
中林先生はため息をついて言った。
「仕方がない。協力しよう。その友達の外見的特徴を言え」
よくわからないけど、中林先生は協力してくれるらしい。
俺は結生の特徴を教えた。
「身長150センチくらいの女の子です。15歳くらいのはずだけど、中学生に見えるかも。視力がなく、白い杖を持っています。服の色はたしか、白です。それから、たぶん、身長170センチくらいの高3の女子も一緒にいるはずです。そっちは木刀を持っていると思います」
「赤い腕章はつけているか?」
中林先生は自衛兵団のことを知っているようだ。パンデミックが始まってからは、先生たちはずっと研究所にこもっていたはずだけど。
「つけていません。赤い腕章の奴らも一緒にいるかもしれないけど、俺の友達はあいつらとは無関係です。服も私服です」
「よし。今日は人出が少ないから、すぐに見つかるだろう。お前が今いる場所から半径500メートル以内にいると考えていいな?」
「はい。たぶん、そんなに遠くには行ってないはず……」
俺はそこでふと疑問に思った。
「先生、なんで俺がいる場所を知ってるんですか?」
中林先生のかわりに神取さんの申し訳なさそうな声が聞こえた。
「ごめんなさい。あなたには発信器が取り付けてあるの。でも、この困った人は感染者の行動観察のためだとかいって、この付近の監視カメラをハッキング済みだから。きっと、役に立つわよ」
「発信器? まぁ、いいですけど」
発信器をつけられたところで実害はない。行動調査されちゃっている野生動物の気分だけど。
それに、監視カメラをハッキングとか完全に違法行為だけど、もう今の俺は感覚が麻痺していて、誰も殺されないんだから、それくらい良いじゃないかと感じてしまう。
それにしても、ハッキング……。
そういえば、いつか父さんが昔を懐かしんで語っていた。
父さんが高校生だった頃に、友達が色んな施設や政府機関にハッキングをして遊んでいたと。
でも、その友達はじきに飽きてハッキングから足を洗って、プログラミングやコンピュータとは全然違う方面に進んだって言っていたな。
あれは、中林亜覧のことだったのか。
俺がそんなことを考えている間に、中林先生からすぐに連絡がきた。
「見つけたぞ。おまえがいる場所から見て、南東200メートル付近にあるボウリング場に入っていくところだ」
さっそく中林先生は結生を見つけていた。
この人は自分勝手な変人だけど、異常なほど優秀だ。……つまり、いつも父さんが言っていた通りだ。
「ボウリング場ですか?」
なんで結生はそんな場所に逃げこんだのだろう。
中林先生は言った。
「5、6人の男と一緒だな」
男?
寧音や広瀬ではないようだ。
自衛兵団の護衛か?
「赤い腕章の高校生達ですか?」
「いや。あのゾンビいじめの坊や達じゃない。もっと派手な連中だ。あのボウリング場、『パラダイスワン』は、この辺りで暴れている若年犯罪者集団の根城だ。もとはこの辺のヤンキーの集まりらしいが、ロックダウン後には好き放題に犯罪行為を行っている」
俺は中林先生の話を聞き終える前に、すでに駆け出していた。
結生が危ない。
目的のアミューズメント施設、パラダイスワンにはすぐについた。
パラダイスワンにはボウリング場だけでなく、カラオケ、ビリヤード、ダーツ等たくさんの娯楽施設が入っている。
屋上に巨大なボウリングのピンがあるから、すぐに見つけることができた。
俺が今いるのは、パラダイスワンの建物の横の道路だ。すぐ近くに非常口か通用口のドアが見える。
右手に進めば正面入り口に回ることもできる。
だけど、問題は、どうやって結生を救出するかだ。
じっくり作戦を練っている時間はない。だけど、何も考えずに突入するわけにもいかない。
中には敵がたくさんいるはずだ。
俺には超能力なんてないし、すぐれた運動能力も強力な武器も何もない。俺は人並みの力しかない平凡なゾンビだ。
正面から飛びこんで行けば、夏の虫のように叩き潰されて終わりだろう。
今、俺に使えるものは……。
俺は通話中のままのスマホに向かってしゃべった。
「先生、アミューズメントセンター内の監視カメラやコンピューターをハッキングできますか?」
中林先生は淡々とした声で答えた。
「もうやっている」
電話ごしにカタカタとキーボードを打つ音が聞こえていた。
俺は先生の報告を待ちながら、今いる道路の様子を観察した。
正面入り口の方の壁際に、大きな青いビニールシートが置かれていて、そこに蠅が大量にたかっていた。
青いビニールシートには赤黒い染みがあちこちについていて、ビニールシートの端から液体が流れでてコンクリートに血だまりを作っていた。
中身は確認したくない。たぶん、死体だろう。
(そうだ。避難ゲートで銃をとってくればよかった)
俺は今になってそれに気がついて後悔した。
俺は銃の扱い方は知らない。銃撃戦になったら普通に撃たれて死ぬかもしれないから、普段はどっちにしろ逃げ隠れする方がいい。
でも、こっちから敵地にとびこまないといけない状況では、ないよりあった方がいいかもしれない。
今からでも銃を取りに戻った方が良いか迷いながら、俺は中林先生にたずねた。
「先生、建物内の監視カメラはハッキングできそうですか?」
「できそうではない。もう完了している」
中林先生はそう言って、つぶやいた。
「この施設にはロボットが沢山いるな。そういえば、ペッポー君をうちにも導入しようかと以前考えていたんだ。ロボットは人間よりも一緒にいて落ち着くからな。特にペッポー君は……」
ペッポー君というのは接客ロボットのことだ。
つまり、今の状況に全く関係のない話だ。
中林先生はそのまま延々とロボットについて話しそうだったので、俺は話を遮った。
「先生、そんなことより、建物の中の様子を教えてください。俺の友達はどこにいますか?」
俺がたずねると、中林亜覧は淡々と報告した。
「ああ。おまえの友達は、今にも不良連中に犯されそうだ」
「おかされ……!?」
中林先生の言い方があまりに淡々としていたので、一瞬、意味がわからなかった。
(なんでそういう大事なことを一番に言わないんだよ! ペッポー君の話なんてしてる場合かよ!)と叫びたかったけど、文句を言っている暇もない。
俺はスマホに向かって、なるべく声を抑えながら叫んだ。
「場所は? 突入します! 俺をサポートしてください!」
武器を取りに行っている暇はない。俺はこのまま、なんとかするしかない。