57 ウィズゾンビ
俺は路地の先の道路にやってきた。
この先、結生がどっちに進んだのかは、わからない。手がかりは何もない。
俺はとりあえず隔離フェンスの反対側に進んだ。人間の心理的に、行き止まりにむかって逃げたとは考えづらいから。
道はすぐに十字路に差し掛かった。
こっから、どの方向に進むべきか……。
俺は耳に集音器をつけてみた。だけど、結生達の声は聞こえなかった。
ゾンビの唸り声だけが聞こえる。
今朝は自衛兵の声も聞こえない。
突然、俺の着ている白衣のポケットの中でスマホが振動した。
俺は研究所で借りた白衣を着たままだ。
大急ぎで出てきたから着替える時間がなかった。それに、昨日と違う服装の方が自衛兵団に見つかりづらいだろうから。
といっても、白衣姿で外を歩いている人ってあまりいないから、逆に目立つかもしれないけど。
しかも俺は、顔のゾンビマークを隠すために、小さい子に人気の、まん丸パンの顔をもつヒーロー、マルパンマンのお面をつけている。
研究所で急いで顔を隠すものを探した時、なぜかこれが置いてあって、時間がなかったからとりあえずお面をつけてきたのだ。
というわけで、俺はマルパンマンのお面をつけた白衣の怪しい奴って格好だ。
今は見た目なんて気にしていられない。
俺が耳から集音器をはずし、スマホの通話を開始すると、どことなく色香のある女性の声が聞こえた。
「もしもし文亮君。無事?」
「神取さん? 俺は無事です」
「そう。よかった。先生があなたを呼べとうるさくて」
神取さんの声の後ろから、中林先生が文句を言う声が聞こえた。
「どこにいるんだ。文亮。検査は終わっていないぞ。まずは病院の電源を復旧してMRI検査を行ってくれ」
そういえば、研究所で治療薬開発のために検査を受けていたんだった。と、俺は思い出した。
ちょっと前まで研究所にいたのに、もう遠い昔のことのように思える。
「すみません。俺は今いそがしいんです。友達を探さないと」
俺が言った後で、まるで子供をあやすような神取さんの声が聞こえた。
「先生、まずは昨日の検査結果の分析をしていたらどうですか?」
俺はまだ、中林先生とちゃんと会話をしたことがない。
だけど、昨夜からちょくちょく、神取さんと中林先生の関係が、まるで母親と小さな子供みたいだなと感じることがある。中林先生の方が間違いなく10才以上年上のはずだけど。
中林先生は憮然とした声で言った。
「そんなもの、とっくに終えている」
検査結果の分析が終わったという話を聞き、俺は尋ねた。
「治療薬はできそうですか?」
尋ねながら、俺の心臓の鼓動が高まった。
治療薬ができるかどうかで、すべては大きく変わる。
母さんを元に戻せるかどうか、だけじゃない。
ゾンビの虐殺を止められるかどうか、人類の運命がどうなるか、全部、治療薬次第で変わる。
ところが、中林亜覧は平然と、むしろ不思議そうな声で、俺に尋ね返した。
「治療薬なんて必要か? せっかく人類が素晴らしいゾンビウイルスによって新人類に進化を遂げようとしているかもしれない時に?」
「新人類? 進化?」
とまどう俺に、中林先生は興奮したようすで説明した。
「ゾンビウイルスはただの感染症ではなく、人間の遺伝子を書き換えながら共生しているという研究がされつつあった。生殖細胞にも感染するらしい。すでにその研究者たちがゾンビになってしまったせいで、はっきりしないが。このままゾンビウイルスの流行が進めば、きっと人類の変異個体が生まれてくるだろう。我々はまさに人類の進化を目撃しようとしているのだ。素晴らしい! こんな機会はめったにないぞ。この時代に生まれたことに感謝だ!」
「へぇ……。新人類への進化? それはすごいかも……」
思わず中林先生の勢いに引きずられて、歴史的瞬間を目撃できることに感謝しかけたところで、俺は冷静になった。
全然、素晴らしくない!
ゾンビ2世の誕生とか、そんなの見たくないし。
誰がゾンビパンデミックの時代に生まれたことを感謝するもんか!
「って、だからって、ゾンビになった人達を治療しなくていいわけじゃないですよ! ゾンビウイルスの流行をとめないと!」
俺がつっこむと、中林先生はあっさり言った。
「いいじゃないか、ゾンビで」
俺は即座に反論しようとした。
「よくないです。だって、ゾンビは……ほら、知能も運動能力も低くて、しゃべることもできないし、何もできないし……その割に意外と楽しそうだけど、だけど……ゾンビだし」
意外とゾンビじゃ困る説得力のある理由をあげるのが難しい。
中林先生は、俺のしどろもどろの反論程度には動じなかった。
「それがどうした。よく考えろ。感染前の人類がどんな生物か。誰かのため、何かのため、と言っては互いに殺し合う。おまけに、同じ種の中で勝手に大量に殺し合うだけじゃない。豊かな暮らしという欲望を充足するためなら平気で多くの生物を絶滅に追いやる。人類は、この惑星で類を見ない絶望的な生き物じゃないか」
俺は、すぐには反論することができなかった。
中林先生は話を続けた。
「一方、ゾンビウイルスに寄生された人類、つまりゾンビは、一部の人類以外にとって、ほぼ無害な存在だ。しかも、ゾンビはゾンビウイルスのおかげでゴキブリのように生命力が高く、わずかな食事量で生きていける。どう考えても、ゾンビの方が良い存在だろう。人類はゾンビウイルスとは闘うのではなく共生すべきだ。これからはウィズゾンビの時代だ」
この人はゾンビを気に入っているみたいだけど、ゴキブリに喩えるもんだから、あまりゾンビの素晴らしさが伝わってこない。
しかも、「ウィズゾンビ」とか言っちゃってるけど。ゾンビウイルスと共生って、要は、感染拡大を放置して皆をゾンビのままにしておくっていうことだ。
ありえない!
でも、俺は落ち着いて主張した。
「俺も治療薬ができるまではゾンビと共生すべきだと思いますけど、ゾンビウイルスは撃退しないと……」
中林先生は鼻で笑った。
「ふん。未感染の人間のようなことを言う。どうやらお前はゾンビなりぞこないのようだな。半ゾンビめ」
なんかバカにされた……。
「そういう中林先生は、ちっともゾンビじゃない、非感染者の人間ですよね?」
反論するつもりで言ったんだけど、言いながら自信がなくなった。この人、本当に人間かな……。ゾンビ並みに、いや、ゾンビ以上に、頭がおかしそう……。
中林亜覧は、もう俺の質問には答えず言った。
「おもしろくなってきたな。人類は必死にゾンビウイルス相手に悪あがきをしているようだが。今まさに、この星の無数の生物達が固唾をのんで人類とゾンビウイルスの戦いの行方を見守っているだろう。全力でゾンビの応援をしながらな!」
俺には中林先生の思考が理解できない。
理解できないけど、それは置いといて、重大な疑問、いや疑惑に気がついた。
「あの……。先生は、治療薬を開発するために俺を研究所に呼んだんですよね?」
そもそも、俺はゾンビになった人達を元に戻す治療薬を開発するために、この隔離地区の研究所までやってきたのだ。命がけで。あんなに大変な思いをして。
中林亜覧は即答した。
「いや? おまえは研究材料として面白そうだから呼んだんだが?」
「……さようなら」
俺は後悔でいっぱいだ。
こいつに期待して損した!
結生を助けたら、家に帰ろう……。
もう、こいつに用はない。
中林亜覧は慌てて言った。
「待て、文亮。薬は作るつもりだ。ゾンビを元に戻す必要はないが、実験するのはおもしろそうだからな。だから早く帰ってこい。お前の脳のMRI画像を早く見たい」
俺は啞然として沈黙した。そこで、神取さんの声が聞こえた。
「ごめんなさい。文亮君。先生は、いつもこの調子なの。なんやかんやいって、治療薬やワクチンの開発はちゃんと進めるはず。お願い、協力して」
父さんは、昔からいつもいつも中林亜覧は偏屈だと言っていたけど。たしかに、とんでもない人だ。
俺もたまに変だと言われるけど、この人と比べると俺はすっごくまともな常識人だ。
だけど、どんな人であっても、治療薬を作ってくれるというなら協力するしかない。
今の俺が自力で治療薬を作ることは不可能だから。
俺はため息をついて言った。
「友達を見つけたら、研究所に戻ります」
「早くしろ。では、素晴らしいゾンビの生態を理解するために、おまえのゾンビ観察記録について、もっと詳しい話を聞かせてほしいんだが……」
嬉しそうな声でゾンビについて質問してきそうな中林亜覧に、俺はぴしゃりと言った。
「そんな暇はありません。俺は今、いそがしいんです」
俺は通話を切った。
(結生はどこにいったんだろう?)
まずは高い所から辺りを見渡そうと思い、俺は近くのビルに向かい歩き出した。




