46** 速川良太1
良太の目の前には巨大な病院が不気味に聳え立っていた。
(ここには入りたくない……)
良太の心が叫んでいた。
だけど、その横で、黒田順一は冷静沈着に突入の指示を出し、後輩たちはやる気に満ちた声を上げていた。
「やめよう」「帰ろう」とは言えない。ここがゾンビの巣窟だとしても、突入するしかなかった。
黒田順一は良太にとって信頼できる親友だった。弱音や泣き言を言える数少ない本物の親友だ。
サッカーの試合中頼れるゴールキーパーだった黒田は、自衛兵団に入ってからはさらに頼もしかった。
良太と違って黒田は非常事態でも動じることがない。冷静に判断を下すことができる。
前線でゾンビ相手に戦ってきながら、黒田隊に一人も犠牲者が出ていないのは黒田のおかげだと良太は思っていた。
黒田隊はサッカー部の部員7人と最近加わったテニス部の小山啓太郎1人で構成されていた。
サッカー部の隊員は好戦的で元気な少年が多い。3年は黒田と良太だけで、あとは後輩たちだ。
小山啓太郎は同じ高3だが、今は以前とは別人のように暗く陰気になっていた。小山は所属していたテニス部主体の部隊がほぼ壊滅したため、この部隊に配属されてきた。
そういう事情だから暗いのも不思議はないが、黒田隊の隊員たちは小山を不気味がっていた。
自衛兵団は生徒会長の犬養悟がみんなに声をかけて始まった。ゾンビパンデミックで混乱する中、隔離地区になってしまったこの町を守るための団体だ。
初期の自衛兵団の活動は人助けだった。
・隔離地区の外に避難する人達、特に小さな子どもや老人、障害者を抱えてゾンビから逃げないといけない人達を助ける活動。
・パンデミックになったとたん、法律を無視して店から商品を盗んでいく火事場泥棒から商店を守る活動。ちなみに、自衛兵団はちゃんとオーナーから許可をとった店舗で自由に使うことを許された商品を利用させてもらっている。
・混乱の中で勢力を広げ、好き放題に振る舞う反社会的勢力や不良グループから市民を守る活動。
警察や消防の人手が足りず、大人が無力な状況の中で、自衛兵団の活動は町のみんなに賞賛され頼りにされた。
じきに、警察や消防が隔離地区外のパトロールに専念するようになり、隔離地区内からいなくなってからは、隔離地区内の市民にとって自衛兵団が頼みの綱になった。
最初は、友達や部活の仲間が自衛兵団に加わると言ったから、良太は一緒に入っただけだった。
だけど、みんなの役に立ち、みんなに感謝されるのは嬉しかった。ちょっとしたヒーローになった気分だった。
ゾンビが歩き回る町から、体の不自由な人を避難させることができるのは自衛兵団だけだった。
ギャングがここぞとばかり強盗誘拐強姦殺人を繰り広げる町で、子どもや女性を守れるのは自衛兵団だけだった。
だから、無力な助けを必要としている人達全員が避難するまで、自衛兵団は避難しない。
犬養団長はそう主張し、みんなが賛成した。
家族が避難した時も、良太は自衛兵団の仲間と一緒にこの町に残った。
女子はともかく、ほとんどの男子は、家族が避難しても自衛兵団をやめずに隔離地区内に残った。
特別な理由があるわけでもないのに家族と避難していった者を、みんなはバカにしたり、仲間を大事にしない奴だと思っていた。
その頃、犬養団長は国防軍からこっそり武器の提供を受けることに成功した。以前からこっそり警察の援助は受けていたが、軍の装備を手に入れたことで、自衛兵団はゾンビを掃討する力を得た。装備の提供をしてくれた人も、自衛兵団がゾンビ狩りをすることを期待していたらしい。
ゾンビパンデミックから日本を守るためには、感染者を減らすしかない。ゾンビを殺せ。どんどん殺せ。
日本中から、世界中から、そんな声が上がっていた。
人類が生き延びるには、できるだけ沢山のゾンビをできるだけ早く殺すしかない。
自衛兵団のみんなは、そう信じていた。
ゾンビを殺し焼却する「ゾンビ狩り」や「ゾンビ掃除」と自衛兵団で呼ぶ仕事が増えた。隔離地区内に残っている人や避難する人が減った今は、ほとんどの仕事がゾンビ狩りだ。
毎日ひたすらゾンビ狩り。
ゾンビの数はだいぶ減った。
この町を守り日本を守っている実感はある。
だけど、血を噴き出し蠢き死んでいくゾンビ達は、人間の形をしていた。良太たちが守ってきた無力な人達と同じように。
ゾンビは生きた人間ではない。
テレビの専門家も首相も、偉い人達全員がそう言っていた。自衛兵団のみんなも、そう言っていた。
だけど、良太は知っている。ゾンビ達の中には、この前まで近所の人や同級生だったものがいる。
昨日まで気にかけて挨拶していた人がゾンビになることもあった。
誰かがやらないといけないから殺してきた。
だけど、良太の心には、疑念が浮かぶことがあった。
ゾンビは本当に人間ではないのだろうか?
良太はもうゾンビを見たくなかった。
血も硝煙もないどこか平和な場所で、心からぼーっとしたい。良太の今の望みはそれだけだった。
だけど、だからといって、ここで自分だけ逃げることはできなかった。
あと少しがんばれば全部うまくいく。「走るゾンビ」を倒せばこんな毎日は終わる。
そう信じて、みんなと力を合わせて頑張るしかない。
黒田の指示で黒田隊の全員が、病院内に突入した。
病院内は無数のゾンビで満ちていた。
病院内に入るとすぐ、懐中電灯で照らされたゾンビ達が良太たちの方へ振り返った。
ゾンビ達は唸り声をあげ、のっそりと動き出した。
良太は他の隊員と一緒に、夢中で銃を乱射した。
ゾンビの動きは遅い。だけど、噛みつかれれば、終わりだ。返り血を浴びるだけでも感染してしまうかもしれない。
数分後、入り口近くのロビーは、ゾンビの死体と感染源となる血液で覆われていた。
ゾンビの中には、大量の血を流しながらもまだ蠢き続けているものがいた。ゾンビの生命力は強く、普通の人間が死んでいるようなケガでも動き続ける。
這い寄ってきたゾンビに黒田が冷静にとどめをさした。
後輩たちが、小声で会話をしていた。
「なんか、ゾンビの数、最初に見た時より少なくなかったか?」
「俺もそう思ったんだよ。へんだよな」
そこで黒田がたずねた。
「走るゾンビはいたか?」
隊員たちは懐中電灯の光でゾンビの死体を探っていった。ソファーの下に入りこんでいるゾンビも多かった。生きているのか死んでいるのかわからないが、生きているゾンビなら襲ってくるはずだから、死んでいるはずだ。
たまに、まばたきしたりニヤリと笑うゾンビがいるように見えるのは、きっと気のせいだろう。ゾンビには逃げたり隠れたりする能力はない。非感染者を見つければ襲いかかってくるだけだ。
「いません」
「いないっす」
走るゾンビはここにはいなかった。このミッションはまだ終わらない。
黒田が指示を出した。
「足元に気をつけろ。進もう」
懐中電灯で辺りを照らしながら、隊員たちは移動を開始した。
こんなに広くてゾンビがたくさんいる場所で「走るゾンビ」を見つけるのは無理なんじゃないか、と良太は思った。だけど、誰もそんなことは言わない。
「あきらめて、撤退しよう」と言いたかったが、良太には言えなかった。
代わりに、良太は黒田にたずねた。
「曲がる? このまま進む?」
直進するか、右に曲がるか。黒田が返事をする前に、2年の草野一平が声をあげた。
「うわっ!? なんか飛んできた? いてっ。まただ」
視線と懐中電灯の光が一平に注がれた。
「おい、一平、おまえ、注射器が刺さってるぞ!?」
とたんに全員の視線が周囲を警戒するように動いた。1年の飯尾誠が叫んだ。
「ゾンビだ! ゾンビが注射器を投げてきた!」
「右の廊下だ!」
右手にある外来へ続く廊下に、懐中電灯の光が注がれ、注射器を手にしたナースの姿が浮かび上がった。ゾンビのナースは、ゆっくりとしたモーションで注射器を投げようとしている。
良太が発砲するより前に、誰かが銃弾を撃ちこんでいた。
おそらく、黒田だ。基本に忠実に頭に撃ちこみ、ゾンビを絶命させていた。
「周囲を確認しろ」
黒田の指示で即座に隊員たちは右側の廊下と前方を懐中電灯でよく照らし、他にゾンビがいないことを確認した。
「もう近くにはいません」
良太は草野一平が引き抜いて床に投げ捨てた注射器を見た。床に転がる注射器には血液らしきものが充満していた。
誰の血だろう。ゾンビの血だろうか……。
(一平は感染したのか?)
良太はその疑問を感じながら、口に出せないでいた。
自衛兵団のルールは明確だ。
感染した者は、周囲に迷惑をかけないように自ら死ぬこと。
感染者が自分で死ぬことができない場合は、尊厳ある死を迎えられるように、同じ隊の仲間が介錯すること。
感染=死。だから、簡単には口に出せない。重苦しい沈黙が漂った。




