45 病院2階
銃声が止んだ病院内には自衛兵達の声が響いていた。
俺は2階の廊下を移動しながら集音器で会話を聞いていた。
「曲がる? このまま進む?」
1階にいる自衛兵達は、俺が通過してきた外来診察室がある通路の方に曲がるかどうか迷っているのだろう。
誰かが返事をする前に、自衛兵の一人が叫んだ。
「うわっ。なんか飛んできた! いてっ。まただ」
「……おい、一平、おまえ、注射器が刺さってるぞ?」
「え?」
「ゾンビだ! ゾンビが注射器を投げてきた!」
激しい銃声が響いた。
俺は集音器を耳から外した。
自衛兵達は俺を追いかけてきている。逃げるか隠れるかしないといけない。
今俺がいるまっすぐな廊下だと、自衛兵団が2階に上がってきた時にすぐに発見されそうなので、俺は近くにあった扉を開け中に入った。
扉の中は隠れるところのない小部屋だった。
すぐにまた別の扉があり、俺はさらに奥へと進んだ。
入ってすぐ、俺はここが手術室だということに気がついた。
室内は真っ暗だけど、無人ではない。
「うう」
手術着の外科医ゾンビが、俺にむかって「メス」と言うように手をさし出している。
だけど、俺の視線は別のものにくぎ付けになっていた。
外科医ゾンビの前にある手術台。
そこには、メスで腹部を切り刻まれ内臓がむき出しになった死体があった……。
と思ったら、その死体が動き、俺にむかって両手でピースサインを出した。
「うあぁ!」
俺は思わず叫び、慌てて口を両手で覆って叫び声の続きを飲みこんだ。
今日初めて、俺は暗視ゴーグルをつけていたことを後悔した。これは、見たくなかった。
(ゾンビって、あんな状態でも生きていられるのか?)
完全ゾンビ達がほとんど痛みを感じないらしいことは知っていた。だけど、この手術台の患者ゾンビは腹部を切り刻まれ内臓が見えている状態だ。
なのに、痛がっていないどころか、「むしろハッピー!」って感じでニコニコしている。
俺が呆然としているこの瞬間にも、外科医ゾンビは、患者ゾンビをメスでサクッと切っては、血まみれのメスを金属トレーに置いていた。
(ピースしてないで逃げろよ! 患者!)
あの患者ゾンビ、医者を信頼しすぎだ。
手術室内にはナースゾンビもいた。だけど、ナースゾンビは医者を止めずに輸血パックっぽいのを持ってぼーっとしている。
それはそうと、あわてて集音器を装着した俺の耳には、自衛兵たちの声が聞こえていた。
「おい、叫び声がしたぞ!」
やっぱり、つい叫んだせいで見つかってしまった。
「向こうからだ。2階?」
「ゾンビっぽい唸り声だったよな。うあーって」
ゾンビっぽいって言われた……。まぁ、俺、ゾンビだけど。
「あたりまえだろ。ここゾンビだらけなんだから」
「でも、あんなにでかい唸り声だぜ。ボスっぽいじゃん。走るゾンビかも」
「2階か。奥に階段がありそうだ。進もう」
バレてしまった。自衛兵が2階に来そうだ。
俺はとりあえず入ってきたのとは別のドアを開けて奥へ進んだ。
俺がうろつき続けている間、1階からは断続的に銃声が響いていた。
自衛兵の叫び声や悲鳴らしき音もたまに聞こえた。
一方、2階にいる俺の目の前には、今は、点滴の袋がついたスタンドを肩に担いでスロースクワットをしているゾンビがいる。……たぶん、感染前は病人だったんだろうけど、今はとっても元気そうだ。
2階では何人かの元・入院患者っぽいゾンビとすれ違ってきたけど、みんな元気そうだった。動きはスローだけど。
さっき遠くに見かけたゾンビは、点滴スタンドをマイクスタンドみたいに持って「うーう~♪」とビブラートをかけた唸り声で熱唱中だったし。
とても病人とは思えない。病気が治ったんだろうか……?
しばらく銃声が聞こえなかったので、俺は敵の動向を探るため、再び集音器を耳に装着した。
「非常出口が開いている?」
「おーい。中にいるのは誰だ?」
非常口の外から別の部隊がやってきたようだった。
「俺達は黒田隊だ」
「僕ら、二宮隊2班だけど。銃声が聞こえて、ドアが開いてるから来たんだ。応援いる?」
「必要ない。ゾンビは少ない。それより、非常口が開いていた?」
黒田は非常口の外から声をかけてきた自衛兵に、そう聞き返しているようだ。
「うん。開いてた」
「誰か出口から出ていったか?」
「わかんないな」
黒田以外の自衛兵たちの声がいくつか聞こえた。
「走るゾンビがこっから逃げたかもってことっすか?」
「どうする? 順」
偶然だけど、俺が開けっ放しにしておいた非常口のおかげで、俺が外に出たと思わせることに成功しかけている。俺はこのまま黒田達が立ち去ってくれることを祈った。
数秒後、黒田が指示を出した。
「二宮隊は、周辺の捜索を頼む。俺達は病院内をもう少し探す。団長には、走るゾンビが病院内へ入るのを見たが、すでに外に逃げ出したかもしれないと報告しておいてくれ」
「わかったよ。じゃ、気をつけてね」
病院の外の部隊は、立ち去ったようだ。
「順。走るゾンビが外に逃げ出したなら、俺達も外を探せば……」
この声はたぶん速川だ。速川は怯えた声で、そう黒田に提案しかけた。だけど、最後まで言う前に黒田が落ち着いた声で却下した。
「走るゾンビは2階にいるかもしれない。今夜で終わりにしたいだろ? 走るゾンビをしとめたら、明日の朝、みんなで避難できるんだ。とっとと終わらせよう」
速川が返事をする前に、別の少年の声が聞こえた。
「そうっすよ。良太先輩、びびってんすか?」
「別に、俺は……」
速川は口ごもった。俺は心の中で叫んだ。
(もうビビってるって認めろよ! 怖いから帰ろうって言えよ! この病院、俺だって怖いんだから!)
ゾンビに襲われなくても、この病院は怖すぎる。夜に真っ暗な病院の中にいるっていうだけで怖いのに、ここのナースゾンビや医者ゾンビは、色々と怖い。
こんなところに好き好んで入ってくる非感染者がいるなんて、俺には本当に信じられない。
「怖いんなら、先輩だけ帰ってもいいんすよ?」
「みんなを置いて俺だけ帰るわけないだろ。さ、行こう」
結局、速川は病院に残ることに決めてしまったらしい。後輩にあんなことを言われたら、帰れない気持ちはわかるけど。
俺だったら、しつこくねばっこく説得して撤退するけどな。みんながむっとしていようが、苛ついていようが、あきらめずに説得して。
誰も俺の言うことを聞かないなら、俺は一人でも撤退する。……その後しばらく無視されたり嫌われたりするかもしれないけど、そんなことより命の方が大事だ。そもそも、クラスの数十人や学校の数百人に嫌われたところで、人類は何十億人もいるんだから大したことないし。
といっても、今のゾンビな俺はすでにほぼ全人類に嫌われているけど。
その後、さらに進んで行くと、俺はいつの間にか病室のドアが並ぶ入院用の病棟に入りこんでいた。
この病棟はところどころに飾りがついていたり、ちょっとアットホームな雰囲気になっていた。
突然、自衛兵の叫び声が聞こえてきた。たぶん、同じ2階から。
銃声が響いた。
静かになったと思ったらまた銃声。
銃声が響いている間はうるさくて集音器は使えないから、会話を聞くことはできない。
だけど、敵が同じ階のわりと近くにいる、ということはわかった。
自衛兵が2階にいるってことは、俺は1階に降りて外に出られるってことだ。だけど、肝心の階段が近くにない。
敵が近くにいるなら、無理に移動せず、しばらく隠れていた方がいいかもしれない。
俺は近くにあった病室の一つに駆けこんだ。
最初は隠れるつもりだったけど、病室の窓を見た瞬間、俺は窓から脱出することを思いつき、窓にかけよった。
俺は窓から周囲の様子をうかがった。
2階だけど、思ったより高さがある。でも、窓のすぐ横にある雨どいをつたって降りればどうにかなるかもしれない。
そう思ったところで、外を懐中電灯の光が揺れ動いているのに気がついた。
病院の周囲を警戒している自衛兵達だろう。
あの自衛兵達がいなくなるまでは窓からは出ない方がいい。雨どいにしがみついているところを見つかったら悲惨だ。
とりあえず、ベッドの下に隠れてやりすごそう。
そう考えて、俺はベッドの方を向いた。
ベッドには小さな人間くらいのサイズの大きな羊のぬいぐるみが置かれていて、俺は一瞬ぎょっとして、そのぬいぐるみに気を取られていた。
そして、その時。
俺を懐中電灯の小さな光がとらえた。




