47** 速川良太2
沈黙を破ったのは黒田だった。
「先に進もう。右へ進む。2班が先頭にたて。3班は後方を警戒しろ。まだ始末していないゾンビが後ろから迫ってくるかもしれない」
黒田の指示通りに、草野一平をふくむ2年の3人が先頭、1年の2人と小山が後方になる編隊を組んだ。
一平が感染したかもしれないということには、誰もふれないまま。
感染したとしてもすぐに発症するわけではないから一平のことはしばらく様子を見る、という判断なのだろうか。
本当にそれでいいのだろうか。良太は不安に思った。
ゾンビウイルスの怖いところは、無症状でも感染力があること、感染者は人知れず感染拡大行動を取り始めることだ。
完全なゾンビになってしまえば、ゾンビは大して恐ろしくない。
大半の感染は、知能や行動力が通常の人間並みの、外見では見分けがつかない感染初期の感染者が引き起こしている。
だから、感染が疑われた時点で隔離する必要がある。
当然、黒田はそれを知っているはずだ。
でも、一平を隔離するためには、ここから撤退しないといけない。撤退すれば走るゾンビを逃がしてしまう。
だから、走るゾンビを討伐してから一平の隔離を行う。そう決めたんだろう。
でも、もし、走るゾンビを追跡している最中に一平が感染拡大行動をとりはじめたら?
黒田隊は暗い廊下を懐中電灯で照らしながら進んだ。
外来診察室の前にはそれぞれ待合室があったが、ゾンビはいなかった。
入り口ロビーには多数のゾンビがいたのに、この辺りには不気味なほどゾンビの姿がない。
突然、上の階から、ゾンビの唸り声らしき大声が聞こえた。
2年の木村隆が相田英斗に言った。
「ゾンビっぽい唸り声だったよな。うあーって」
「あたりまえだろ。ここゾンビだらけだぜ?」
「でも、あんなにでかい唸り声だもん。ボスっぽいじゃん。走るゾンビかも」
たしかに、走るゾンビは2階にいるのかもしれない。
1階は、相変わらずひっそりとしていた。
そのまま進み続け、2つめの診療科に差し掛かったところだった。
待合室の近くを歩いていた良太の足首を何かが掴んだ。
ぎょっとして良太が足元を懐中電灯で照らすと、待合室のソファの下から腕がのび、その手が良太の足首を強く掴んでいた。そして、もう一つ、注射器を持った手がソファの下からあらわれた。
あの注射器で刺されれば、終わる。
声にならない悲鳴が良太の喉の奥で破裂した。
注射器が良太のふくらはぎめがけて振り下ろされようとしたその時。注射器を持つゾンビの腕が蹴り上げられた。黒田だ。
注射器はゾンビの手から吹き飛び、唸るゾンビに黒田が冷静に銃弾を撃ち込んだ。
死んだゾンビから距離を取り、心臓の鼓動を落ち着かせながら、良太は礼を言った。
「ありがとう。順」
黒田が何かを言う前に、2年の相田英斗が良太をからかうように言った。
「良太先輩、まーた、やられかけたんすか?」
相田英斗は後輩たちの中でも一番生意気で元気のいい奴だ。サッカー部だった時はレギュラーFWで、勝負強く点を取ってくれるから、多少生意気なことを言っても許されていた。
自衛兵団になってからも、英斗は先頭に立ってゾンビを狩ってきた。
だから、良太は言い返せない。
英斗が言うように、良太がゾンビにやられかけたのは、今回だけじゃなかった。
黒田は冷静に言った。
「英斗も気をつけろ。ここのゾンビは、ただのゾンビじゃない。こいつはソファの下に隠れていた」
ゾンビが隠れるなんて行動をとるのを、良太はこれまで見たことがなかった。
ここのゾンビは何かがおかしい。
「ういっす」
黒田と英斗の会話を聞きながら、良太はふと自分の背後を見た。何か気配を感じたような気がしたのだ。
今、シンガリは3班の飯尾誠、中山雄星、小山啓太郎がつとめている。後方を注意しないといけないのに、今は3人ともこちらに注意を向けていた。
中山の後ろには暗い廊下があった。その向こうには暗闇がひろがっている。
小山の後ろには壁がある……ように見えていたが、良太は、そこに扉があることに気がついた。
半開きの引き戸だ。
その向こうの暗がりに、何かがいるような気がした。良太は懐中電灯で、その扉の向こうを照らそうとした。
良太の懐中電灯が何かを照らしだした。
暗がりから、腕が伸びていた。
「小山、後ろ……」
暗がりから伸びた腕が、振り返ろうとした小山を後ろから羽交い絞めにした。
そして、良太の懐中電灯は、注射器を持つもう一本の腕を照らしだした。その手に握られた注射器が、小山の首筋に振り下ろされた。
「うあああああーーーーー!」
小山は必死に、背後から襲ってきたゾンビを振り払った。
たくましいゾンビのナースが、小山を追いかけるように、さらに別の注射器を手に動き出したところで、良太はようやく発砲できた。
アサルトライフルで撃たれたゾンビの腕から肉がふきとび、ゾンビが血の吹き出る腕を振り回した。
フェイスガードに血の滴を吹き付けられ、良太は思わず後ずさりながら、撃ち続けた。
周囲からも銃弾がゾンビに叩き込まれ、ゾンビは倒れた。床には何本もの注射器が散乱した。
みんなの懐中電灯がゾンビの死体を照らす中、黒田の懐中電灯だけは小山を照らしていた。
小山は呆然とした顔で、首から引き抜いたからっぽの注射器を握っていた。
注射器に充満していたはずの血液が、すでにない。中に入っていた血液は、すでに小山の体内に注入された後だ。
針が刺さったかどうかの一平の時とは違う。
小山は完全にアウトだ。
「ああああああああーー!」
錯乱した小山が、激しい悲鳴をあげて、全力で廊下を走り去っていった。あっという間に小山の姿は闇の中に消えていった。
「おい! 小山!」
2年の隊員たちが、追いかけようとするのを黒田がとめた。
「ほおっておけ。あいつを追いかけている暇はない。良太、本部へ連絡してくれ。小山啓太郎は感染し逃亡した」
「わかった……」
言われた通り、良太はスマホを手に取り、本部にメッセージを送った。送りたくないメッセージだった。これで、小山は見つけ次第、殺されることになる。
草野一平が、小山が消えた方角に向けていた銃口をおろしながら、吐き捨てるように言った。
「逃げやがって。小山のやつ」
続いて2年の隊員たちが次々に、小山を馬鹿にしたように吐きすてた。
「あんな奴いなくても関係ねーけど。どうせあいつは仲間じゃないんだ」
「見つけたら、速攻、ぶち殺してやる」
自衛兵団では逃亡ほど嫌われるものはない。
特に感染したまま逃亡するのは、ひどい裏切りだ。感染した逃亡者はやがてゾンビとなって感染拡大行動をとり、周囲に迷惑をかけることになるのだから。
黒田隊は、再び走るゾンビを探して外来診察室の並ぶ廊下を進みだした。隠れているゾンビがいないか、ソファの下や物陰に気をつけながら進んだ。
ゾンビはほとんどいなかった。
じきに外来診察室が並ぶ廊下の終わりに近づいた。
黒田がつぶやいた。
「非常口が開いてる?」
廊下のつきあたりにある階段わきの非常用出口が開いていた。
その扉の向こうから、懐中電灯の光が射しこんでいて、声が聞こえた。
制服に赤い腕章の、自衛兵団の仲間が戸口にあらわれた。
声をかけてきたのは、自衛兵団二宮隊の隊員たちだった。二宮隊は運動が苦手なタイプの隊員が多く、普段は後方支援担当だったが、今日は走るゾンビ捜索のため他の部隊同様パトロールをしていた。
二宮隊は非常口が開いているのを見てやってきたらしい。
非常口が開いていたということは、走るゾンビはすでにこの扉から逃げ出した後かもしれない。
良太がそう言う前に、すでに相田英斗がたずねていた。
「走るゾンビがこっから逃げたかもってことっすか?」
「でも、さっき2階からあやしい叫び声がしてたじゃん。走るゾンビはまだ病院の中にいるんじゃないっすか? 病院に入ったのは見たけど、逃げ出したのは誰も見てないっすから。それに、ここのゾンビ達がおかしいのも、走るゾンビの影響かもしれないから、ちゃんと確認しといた方がいいですよ」
早口にそう言ったのは2年の木村だ。たしかに、さっきの声はあやしかった。
良太は黒田にたずねた。
「どうする? 順」
黒田は少し考えた後、二宮隊に病院の外の捜索を頼んだ。
「俺達は病院内をもう少し探す。団長には、走るゾンビが病院内へ入るのを見たが、すでに外に逃げ出したかもしれないと報告しておいてくれ」
「わかったよ。じゃ、気をつけてね」
二宮隊が立ち去った所で、良太は黒田に言った。
「順。走るゾンビがもう逃げ出したかもしれないなら、俺達も外を探せば……」
正直、良太はこれ以上この病院にいたくなかった。一歩間違えれば、さっき感染したのは、小山ではなく良太だったかもしれない。
でも、黒田は良太を諭すように言った。
「走るゾンビは2階にいるかもしれない。今夜で終わりにしたいだろ? 走るゾンビをしとめたら、明日の朝、みんなで避難できるんだ。とっとと終わらせよう」
「そうっすよ。良太先輩、びびってんすか?」
今度は相田英斗が良太を挑発するように言った。
「別に、俺は……」
正直に言えば、怖い。恐ろしい。だけど、だからこそ、そんなことを認めるわけにはいかない。
英斗はさらに、からかうように言った。
「怖いんなら、先輩だけ帰ってもいいんすよ?」
さすがに温厚な良太も、これには少しカチンと来た。後輩になめられがちだということは自覚していたけど、2年にこんな言い方をされるわけにはいかない。どこかで、こいつにガツンと言ってやらないといけない。
そう思いつつ、結局、良太はただ少しむっとした様子で言った。
「みんなを置いて俺だけ帰るわけないだろ。さ、行こう」
一人だけ帰るわけにはいかなかった。そんなことをすれば、もう仲間の中に居場所はない。




