第36話
一瞬の静寂が部屋に訪れる。
全員が、雷にでも撃たれたかの様な顔をしていた。
「――失礼、今、何と?」
モンフォール辺境伯が、今し方自分が耳にしたことが信じられない、と言わんばかりに確認してくる。
「いやあ、言葉そのままさ。君たちを困らせている門外漢を、この私が追い出してやろうか、と提案しているのだが」
「聖女様は、その、ご自分の仰っていることが、何を意味しているのか、正しくご理解の上で?」
「ははは!いやだなあ、私だってジョークの使い時くらい弁えているつもりだよ?ああそれと、その“聖女様”という呼び方、好きではないね。是非とも諸君らには、マーガレットと呼んでもらいたいものだ」
ちらちらと交わされる視線。皆相当動揺しているらしい。
まあそれもそうか。教会府の犬であるはずの聖女が、にこにこしながら「教会府をぶっ潰してやってもいい」とか言い始めたのだ。彼らにとっては青天の霹靂に近いだろう。否、良いことなんだから、それこそ天恵とでも思って欲しいところなのだが。
「…なるほど。では私めお言葉に甘えまして、この場ではマーガレット様、とお呼びさせて頂くことにしましょう」
最初に回復したのは、意外にもルテル辺境伯だった。
神経質そうな様子は一向に変わらないものの、私の話をまともに取り合う意思は伝わってくる。“聖女”として扱うのではなく、マーガレットという個人として対面する、と言外に表明したのだ。ある程度私の発言に信用を置くことにしたのだろう。
意外とは表現してみたものの、そうでも無いのかもしれない。ルテル辺境伯はロベール東方に領地を構える貴族だ。東都より少し北側に城を持っている。ロベール王政府や教会府は、東の山脈の向こうに犇めく列強たちの存在に全く気付いていないようだが、直轄外である辺境伯であれば、もしかすれば少しくらいは認知しているかもしれない。
それに今回私がトイトーネに行くにあたって、東方も訪問した。ルテル辺境伯に直接は面会しなかったものの、挨拶の使い程度は出している。そして国境へ向かう際、ルテル辺境伯の配下と思われる人間が、周囲を嗅ぎまわっていたことは確認済み。
勿論国境を越えるにあたって撒いてきたが、それだけ東方の辺境伯は、私個人の動向に注目していたことは分かった。だから今回も、いち早く私の発言に何かがある、と嗅いだとしても不思議はない。
「おや、ボードゥアン1世が一番乗りか。流石は未知の世界に接する辺境伯、対応力に優れているねえ」
「未知の世界、ですか」
ブロス辺境伯が呟く。皺だらけの指が、白い髭をくるりと弄んだ。
「となると、南方諸国と接している私めも、対応力を見せなければならないところですかな?」
ボゾン辺境伯が顎に手をやりながら、おっとりと発言する。確かに彼の領地は、南方自治民族と接している。
だが残念、私の意味する“未知”の規模をまだ理解していないようだ。
「南方諸国ねえ。寧ろそれらは諸君らにとって“既知”の範囲内では?」
「と、仰いますと」
「私が異世界から来たのは存知の通り。私も元の世界ではある程度知識を有していると自認していたが、こちらの世界に来てから、まだまだだと思い知らされたよ。まあ無知の知、というやつだな。諸君らはどうだ?今知り得るものが、この世界の全てだと、確信を持って言い切れるか?」
皆黙り込む。私の言葉が何を意味するのか、必死に考えている。
「私たちの知らぬ、見えていない領域…」
「つまりロベールが全てではないと」
「しかし、だとすれば、私たちは一体…」
「いや、それよりも王政府や教会府にとっても、未知なのか?」
「であれば、これは由々しき事態ですぞ」
「だが確かに、他世界から聖女様が呼ばれてきたことを考えれば…」
ひそひそと囁かれる会話。大臣たちは、眉をひそめて困惑している。その様子を横目に、考えを巡らせる辺境伯たち。
――そうだ、考えろ。自分たちの世界を疑え。大いに疑い、不安を感じ、怯えろ。
その怯えは、私の糧になる。怯えが固定概念を凌駕したとき、唯一神という偶像は本格的に崩壊を始める。
そう、だから、層一層、自らの視野を疑え。今眼に見えていないものに、認知していなかったものたちに、不安を持つのだ。更に、より先へ。そして、唯一神という失笑ものの虚像を見せている、教会府の糞どもの鎖を引きちぎれ。
「マーガレット様の仰るところ、詳しくお聞かせ願いたいですな」
やがて沈黙を破ったのは、モンフォール辺境伯だった。
まあそこは北方辺境伯、今回の一番の当事者でもあるのだから、否が応でも反応せざるを得なかったのだろう。
「お次はシモン3世か。ふむ、北方領土問題は大炎上中だからねえ。貴殿は賢い選択をすると見込んでいたよ」
「…有難いお言葉」
全く有難くなさそうに言うあたり、彼らしい。
「私めも一国の軍務大臣として、未知への備えはしたい限りでして」
軍務大臣も切り替えが早かった。彼は今回の北方討伐できりきり働いてもらうことになるだろうから、ここで柔軟な姿勢を見せてもらうに越したことはない。
「私も、海の向こうに未知があるとしたら、それは大変興味があります。ですから是非マーガレット様のお話をお伺いいたしたく」
ブロス辺境伯が頻りに髭を弄びながら、慎重な声色で発言した。
「ジャン4世もご参加いただけるか。そうだね、海は無限の可能性を秘めている。海から未知が到来することもあり得るだろうな」
「海から…ですか」
ボゾン辺境伯が難しい顔をして考え込む。
「ああ、南方は今のところ直接は海に面していないが、間にあるのは単なる少数民族の塊だろう?何か強大な波が押し寄せた時に、果たして彼らは緩衝材にすらなるのやら」
笑いながら、彼らの不安を煽る。案の定、ボゾン辺境伯は唸る様に言葉を発した。
「…そうですな。となると私めも、マーガレット様のお話に乗らせていただくしかないのかもしれません」
「ふふふ、そう言っていただけると有難いよ、ロドヴィコ2世。是非仲良くしようじゃないか」
これで4大辺境伯は話に乗ってきた。あとは宰相と財務大臣を共犯にするのみ。まあ軍務大臣は乗り気だから、彼らもそろそろ思い腰を上げる時だろう。
「さて、宰相殿と財務大臣はいかがかな?」
「近年の我が国の財務状況を考慮いたしますと、これ以上の脅威が我が国に降りかかるのは、正直大変痛手と申しますか…。出来れば全力で回避したいところです」
財務大臣が悩まし気に呟く。まあそうだろう、大方はモンフォール辺境伯の治める地域への襲来とはいえ、一部は王国直轄領の都市も焼かれている。火消しの為、財政的に負担がかかっているのは間違いない。
「然様だねえ。北方の被害は主にシモン3世が引き受けているとはいえ、直轄領にも襲撃はある。北方民族襲来が始まって既に数年が経っているんだ。このまま農場が焼かれ続ければ、国税の著しい減収に加え、国民感情の噴出が予想されるのは、貴殿らも知るところだろう?」
「ううむそうなると…議会で各軍団の派兵如何を問わねば…」
「宰相殿、お言葉ですが、現時点でリールレア軍団並びにディジヨーヌ軍団が既に対蛮族へ派兵されています。その両団も、損害状況が芳しくありません。そこで庶民の反乱ともなれば、ボルデア・トゥリオン軍団は勿論のこと、パーリツィ軍団やヴィサンティ軍団も動かさねばなりません。そうなると、聖都や王都ががら空きです。軍務大臣の立場から申し上げますと、相当無茶だとしか…」
宰相の言葉に、軍務大臣が現在の窮状を訴える。更に財務大臣も言葉を重ねた。
「軍務大臣の仰る通り。それに、現在両団の損害対応だけでも、少なくない支出を国税で対応しています。このままだと国庫が困窮する可能性も…。あまり悠長な話はしていられない状況なのです」
2人の言葉に、宰相が頭を抱える。「そうなると…いやしかし…宰相の立場としては…私は…」等々ぶつぶつ呟いていたが、結局頭を上げ、決心がついたように私の顔を見た。
「…マーガレット様、是非とも、お話お伺いいたしたく願います」
よし、これでこの場全員を話のスタート位置に着けさせることが出来た。
一先ず第一段階クリアである。
そうは言えども、ここまではほとんど予想済みだ。
止まない北方からの襲撃。毎度焼かれ荒らされ、年々荒廃していく領土。税収の低下と民衆の不信感。4大辺境伯の教会府に対する反発心。これだけ要素が揃えば、そこにピボット一滴の脅威でも垂らしてやれば、内部結束など容易く転ぶに違いないのだ。
あとは、どのように口車に乗せ、トイトーネ帝国の部隊をロベールに招き入れるかである。謂わば私はトイトーネ帝国情報局の、エスコート役なのだ。ファーストダンスで無粋なエスコートなど言語道断。唯一神などという田舎者の存在を消し去り、トイトーネ帝国という世界の覇を見せつけねばならない。
「よろしい、よろしい!これで全員が、秘密のお茶会への参加権を得た訳だ。皆様の物分かりが良くて嬉しい限りだよ」
にこにこしながら全員の顔を見渡す。すると真っ先に、モンフォール辺境伯が話を切り出した。
「それで?その未知とやらの正体を、是非とも教えていただきたいものですな」
「おやおや、シモン3世は随分と躁急なお方だ。折角の秘密のお茶会なんだ、一旦は雰囲気を楽しみつつ歓談でもどうだ?」
「残念ながら、私たちには歓談を楽しむ猶予すら与えられていないのです。無粋とは存じておりますが、秘密の密の味を早く味わいたいのですよ」
「ふむ、急がば回れ…というのは、今の貴殿らには少々酷というものかな?」
笑みを崩さず部屋を見渡せば、早くしろ、と言わんばかりの視線が四方から突き刺さる。
ふうん、お貴族様とやらも非常事態には、流石に茶ばかり飲んでいられない、か。
ウィーン会議では"Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas"(会議は踊る、されど進まず)なんてリーニュ侯が言っていたが、ここに居る貴族はダンスよりお喋りの方がお好みらしい。
ならばその趣向を尊重して、私も優雅に囀って見せよう。
「失礼、では端的に結論から申し上げよう。――東の丘の向こうには、巨人たちが犇めいているぞ」
一瞬の沈黙。続いてルテル辺境伯が口を開く。
「東の丘の向こう…つまりミディ山の向こう側ということでしょうか?ミディ山の更に先に、別の国があると?それがロベール王国よりも大きい国だと?」
ミディ山とは、ロベールの東端にある山。つまりロベールと東方の列強国の、細やかな間仕切りである。
彼は東方の辺境伯だから、一番危機を感じているのだろう。発言が質問だらけだ。
「ロベール王国より巨大だと?まさかそんな…」
「マーガレット様、ロベール王国は数百年の歴史を持つ大国ですぞ。それを凌駕するなど…」
「軍務大臣の仰る通りです。王国に勝る国など、あり得ますでしょうか?」
「左様、もしそんな国があれば、この長い歴史の中で一回も接触が無いなど、おかしな話ではありませんか」
各々が一斉に意見を述べる。
ここまでは予想通りの反応だ。こいつらに少しでも発想の柔軟性なんてものがあれば、数百年も茫洋と時を無駄にしているはずがない。
“未開の地”とはよく言ったものだなあ、と内心溜息を吐きつつ、彼らに言葉を突き返した。
「では逆に質問しよう。――1つ。貴様らは、この国で“東の最果て”と呼ばれるミディ山を越えることは、可能かね?」
私の質問に、ルテル辺境伯が真っ先に答える。
「いいえ、到底不可能です。ミディ山はこの地で最も高き山。その頂点は雲をも突きます。そのような地を乗り越えるなど、あり得ません」
だろうな。ロベールでミディ山は、“神の山”なんて大層な二つ名が付いているくらいだ。越えるという発想自体ない。
「では2つ目。この国では竜騎士が最強の武力とされているが、竜以外の飛行手段を考案した経験は?更に言えば、竜を狩ることが可能な手段は開発されているのかね?」
「そんな、神聖な竜を狩るなど!言語道断ですぞ!いくら聖女様とはいえ――」
「おい、軍務大臣。私は聖女ではなくマーガレットと呼ぶように、と言ったはずだが?」
平坦な口調で軍務大臣の声を遮る。全く、頭が唯一神に冒されている奴と話すのは、MADと会話するのと似たり寄ったりだ。前頭葉のあたりをぶち抜いてやりたくなる。
「…失礼いたしました」
軍務大臣が口をつぐむと、ボゾン辺境伯がとりなす様に言葉を引き取った。
「この国では古来から、竜を含め大きな魔力を持つ生物は、神聖な者として崇められてきました。ですから、それにとって代わる、剰え弑するというのは、大変不徳なことである、というのが一般常識です」
ああ、これだから宗教支配が強すぎるのは駄目なんだ。その価値観に縛られるあまり、可能性の無限性を頑なに否定する。当人たちには、縛られているという感覚すら無い。重傷どころか重体患者だ。
まあいい。今回の目的は謂わば、その重体患者の息の根をさっさと止めて、まだ健康な臓器を再利用することだ。唯一神信仰の重篤患者には、罹患している脳髄以外、是非とも健康体で死んでもらうに限る。
「宜しい。では最後の、そして最も重要な質問だ。――“唯一神”が存在しない、高度な魔術によって構築された世界がある、という事実を突きつけられたとき。貴様らは、それを受け入れることが出来るか?」
再びその場の空気が凍るのを感じながら、私はその様子を平然と眺めていた。




