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無神論者の聖女紀行  作者: はっぴーせっと
第1幕 無神論者の転職紀行
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第27話



 トイトーネ帝国情報局の長官らと接触して2日。私はトイトーネ帝国の内政事情とこの世界の国際関係について改めて整理しようと、国立図書館で資料を漁っていた。


 まずは情報媒体のチェックから。トイトーネにはテレビこそ無かったが、有難いことにラジオと新聞は存在していた。特に新聞は国内企業が発行する大手高級紙が3つ、それ以外に海外通信社の新聞も店によっては取りそろえがある。


 私が訪れた国立図書館では、外国の新聞も含め保存版が閲覧できた。今広げているのは、「ディヴェルト・ツァイト」紙、「ライヒ・ツァイトゥング」紙、「コムーネ」紙の3つ。前者2紙はトイトーネ帝国内の新聞で、全国紙の中では高級紙にあたる。最後の1つはテュッレーニア都市連合の国際紙だ。


 「ディヴェルト・ツァイト」は国際情勢や各国政治経済を広く取り扱う国際的高級新聞。読んだ印象では記事の傾向は保守中道といったところ。硬派な論説と専門性のある記事内容といった印象だ。

 一方「ライヒ・ツァイトゥング」は国定企業が版元であり、大ライヒ党の政党紙のような役割を果たしている。政治的公平性は全く期待できない代わりに、内政を動かす大ライヒ党の動向を窺う良い材料にはなる。

 「コムーネ」はどちらかと言えばリベラルな論調だろうか。記事はテュッレーニア語で書かれているが、トイトーネの知識階級というのは母国語に加えテュッレーニア語、カールパート語あたりは習得済みであることが多いようで、それなりに購読者はいるらしい。他列強国内で流通している情報もあった方が参考になるだろうと、適当に手に取ってみた。ちなみに私は聖女召喚の効果なのか、言語に関する制約が無いため普通に読むことができるのが有難い。


 「世は“パクス・トイトーナ”か…」


 紙面に目を走らせながら、思わず呟く。

 昨日の会談で長官から概容は聞いていたが、彼らの豪語する通り、トイトーネ帝国は世界で一大勢力を築いていると評して不足ないようだ。ホブズボームの提唱する「資本の時代」「帝国の時代」の大英帝国のような大規模植民地支配、冷戦時の米国のような圧倒的軍事力と経済規模。この国は世界秩序の安寧に、大層寄与しているらしい。


 だが、ソ連崩壊後の一極体制と同質かと問われると、それともまた違う気がする。テュッレーニア都市連合やカールパート王国、イベロス民衆国、カプス王国、ヴァーサ王国等の諸列強も植民地開拓を進め、勢力拡大の機を窺っているようだ。

 それにサヴィート連邦の動向にも注意せねばなるまい。ゲレン長官がトイトーネはかの国を「イデオロギーの違い」から「仮想敵国」と見なしていると説明していたが、調べてみて理由はすぐに理解できた。サヴィート連邦こそ、私が危惧していた真っ赤なイデオロギーの国だったのである。この世界ではまだ共産主義というのは産声を上げたばかりらしい。元の世界のように体制の失敗を経験していないとすれば、これから急激に勢力を拡大する恐れもある。


 恐慌も、世界大戦も、冷戦も、グローバリズムも未経験の世界。多極体制というにはトイトーネの国力が頭一つ抜けているが、一極体制と称するには未知数が多すぎる。


 「まあ、今のところ転職先としては最優の選択肢かな」


 新興勢力の興隆には留意しておく必要があるが、現時点での国力を鑑みるとトイトーネ帝国からのスカウトは魅力的だ。願わくば民間金融機関とかだとキャリアが活かせて良かったが…まあそもそも帝国情報局がパスポートを用意してくれなかったら私は無戸籍だった訳だし、異世界に飛ばされてきた時点で選択肢なんて皆無に等しいのだ。あとは業務内容と報酬次第だが、少なくともロベールで唯一神の奴隷になるよりは遥かにマシだと思われる。


 「あの…もしかしてルプレヒト大学の学生さんでしょうか?」


 遠慮がちな声がした先を見上げると、1人の女性が立っていた。

 

 白いブラウスに薄紅色のワンピースを着た、すらりとした女性だ。年の頃は恐らく20前後。ブロンドの巻き毛と水色の瞳が目を惹く、花も恥じらう美人さん。腕には似つかわしくない分厚い本の束を抱えながら、こちらを恥ずかしそうに見ている。

 

 …はて、私は先日この国に来たばかりで、当然知り合いなんていない。情報局の壮年おじさま方ならお会いしたが、残念ながらこんな美人なうら若き女性はトイトーネ帝国で知り合う機会はなかった。


 「いえ、私はただふらりと立ち寄っただけでして」


 すると女性は少々残念そうに眉を下げた。


 「あ、そうなんですね!この時期国立図書館には課題をやりに来る学生さんが多いので、てっきり同期の方かと…」


 「ああ、というと貴女はルプレヒト大学の学生さんで?」


 「はい!ルプレヒト大学法学部に在籍しています!」


 ルプレヒト大学とは、トイトーネ帝国内にある総合大学の一つだ。帝国内でも最古の歴史を持つと共に、トップクラスの学力レベルを誇る大学と聞いている。あそこの学生さんは大体高名な医者であるとか、学者であるとか、はたまた政治家や実業家として名を馳せる人が多いのだ、と昨日図書館の司書に聞かされたばかりだ。

 

 そこの法学部生というと法曹界のエリートである。未来の官僚候補かあ、と女子学生の顔を眺めつつ、何故声をかけられたのか不思議に思って質問した。


 「まあ、大層優秀な学生さんなんですね。どなたかお知り合いをお探しだったんですか?」


 すると女子学生は少々恥じらいながら俯いた。


 「いえ、その…大学で女子学生って珍しくて。もし同じ大学の方で同性の方がいらっしゃるなら、ぜひお知り合いになりたいな、と思って思わず声を掛けてしまって…急にすみません!その、この時期法学部は課題があって、ここはうちの大学の学生が利用していることがほとんどなので、てっきり同じ女性でしかも年齢も同じくらいの方がいて、興奮して何も考えずに話しかけてしまったというか…」


 成程、確かに言われてみれば、館内には学生らしき若者たちがちらほら散見された。しかし男性ばかりだ。女性の利用者は私くらいなので、女子禁制かと最初戸惑うくらいだったが、単純に利用する層に女性がいなかっただけらしい。


 残念ながらこの世界でも、高等研究や政財界等への女性の進出というのは遅れがちのようだ。私はフェミニズム信望者ではないが、戸籍上の性別に縛られた社会的役割の当て嵌めは、人的資源の有効活用という点で損失を生む可能性を孕むという意見には賛同する。帝国情報局には、可能な限り偏見を除去した慧眼でもって、私の能力を評価して欲しいものだ。


 「ああ、なるほど。ここに来られている方々はルプレヒト大学の学生さんたちが多かったのですね。実は私も知り合いが少ないもので、声を掛けられて少々驚いたのです」


 「驚かせてしまってすみません…」


 「いえいえ、お気になさらず。寧ろこんな美人な学生さんに話しかけていただいて、役得といったところですよ」


 そう言ってにっこり笑うと、女子学生は頬を染めてはにかんだ。うん、やはり笑顔は万国共通のコミュニケーションツール。相手の警戒心を解くのに最適解である。


 「ちなみに貴女も課題を取り組みにここへ?」


 「あ、はい!課題の資料を探しに来ていて」


 「ルプレヒト大学法学部の課題ともなれば、相当興味深い議題が課されるのでしょうね」


 「そうですね、毎回面白いテーマばかりです!今回は1694年に我が国とテュッレーニア都市連合との間に締結されたイャイ条約について、我が国と当該国のパワーバランスにおける…あ」


 女子学生は急に熱を上げて話だしたと思ったら、急に固まった。


 「聞かれてもいないのに、急に話し出してしまってすみませんでした…」


 単に見知らぬ人に熱く語り出しそうになって、我に返っただけのようだ。

 特に私は気にしないけれど。だって語るだけの熱量をもって勉学に励んでいるというのは、学生の本分を申し分なく全うしている証拠ではないか。国家の未来を背負う若人が勉強熱心なのは、国家にとって喜ばしきこの上ない。


 「いやいや、学生さんが学問について深く思考し熱く語らうのは良いことじゃないですか。私が歴史に明るくないことが残念です。そういえば、テュッレーニア都市連合関係の歴史書等であれば、そこの奥から2番目の列にあった気がするけれど。あと法律関係なら2階の右から3列目に…って、法学部の学生さんに向かってこれは余計なお世話だったな」


 肩をすくめてそう言うと、また女子学生は活力を取り戻したように話し始めた。


 「全然そんなことないですよ、ありがとうございます!分野の棚の位置も把握してるっていうことは、結構国立図書館には通われているんですか?」


 「ああ、いや。知ったかぶりをしておいてお恥ずかしいことに、まだ数回しか来館していないんですよ」


 「ええっ、数回で本棚の位置を把握してるんですね!その記憶力を私にも分けて欲しいです!何せ授業でも年号とか文言とか、細かいところまで正確性が必須で頭がぎちぎちして…」


 「確かに法学部ともなれば覚えておかなければいけない知識がたくさんありそうですね。ただ残念ながら私の脳は凡庸なもので、貴女の求めるような卓抜さはないと申しますか」


 「そんなそんな!今お読みになっているのもディヴェルト・ツァイトの経済白書の欄ですよね?それ、うちの大学の教授陣もよく購読しているんです。その内容を普通に読み込める時点で、十分教養人ですよ!本当にルプレヒト大学の他学部の学生さんとか、卒業生の方とかではないんですか?…あ、もしかしてこれからご入学する方とかでは…!」


 彼女の期待に応えられず申し訳ないが、私は同窓生でも卒業生でも入学予定者でもない。

 …いやだが、もしかすると帝国情報局に就職した場合、私の仮の経歴が用意されている可能性もある。そもそも戸籍も偽装してあるのだ、入局時に登録されるであろう今までの経歴は、白紙よりそれらしく創作されていると考えた方が自然。ということは、いくら初対面の関係性の薄い他人とはいえ、迂闊に経歴を特定できる発言をするのは得策ではないだろう。


 ここは再度笑顔で誤魔化す。彼女は見たところただの一般人だから、当たり障りのない会話でかわそう。


 「ははは、そう見えます?では一つ、貴女の抱えている課題を一緒に考えてみましょうか?現役ではありませんが、私でも少しくらいならご学友の代わりにはなるかもしれませんよ」


 「ほ、本当ですか?!是非!ご一緒させて頂きたいです…!」


 「どうぞ、隣が空いているのでお座り下さい。課題はテュッレーニア都市連合との間に締結されたイャイ条約についてでしたっけ?」


 「そうです!課題の詳細はこちらで…」


 正直イャイ条約とやらが何なのかさっぱり知らないのだが、相手の意見を聞き出しながらそれらしく相槌を打ち、必要な情報を効率よく聞き出す。“あたかも既知の如く振る舞う”これは社会人生活の中で磨かれた、とても姑息で使い勝手の良いスキルだ。但し相手が自分より上手だった場合、全く通用しない手口なので、使用する際は十分相手の力量に留意しなければいけないが。



 議論すること一刻、私は口先三寸でイャイ条約の壁を乗り越え、無事彼女の満足するような結論を導き出せたようだった。…この国に来訪してまだ2日しか経過していない人間にとって、「歴史的変遷を鑑みて」という但し書きは、少々冷や汗ものではあったけれど。


 「ヴェラさんの考察はとても面白かったです!特に両国間のパワーバランスをカールパートの経済指数から推察するという点とか、参考になります!うーん、やっぱり課題を取り組むときに誰かと論議しながら進めるのは有意義ですね」


 「他人と話していると言葉にする分、自分の考えも整理しやすくなりますからね」


 「確かに!すごく頭の中がすっきりした気分です!」


 「元々ミアさん自身、頭の回転が速いとは思いますけれどね」


 「そんな、恐縮です」


 少々はにかみながら笑う姿は年頃の少女らしい。しかしこの子、ひとたび語り出すと集中力が凄まじいのだ。自身の理論を構築する能力もさることながら、その根拠に至るまで隙がない。この一時一緒に話していただけで、その一面は十分に知ることが出来た。流石一流大学の学生さんである。

 ちなみに名前はミアというらしい。

 

 「ミアさんは以前から法学に興味があってこの道に進まれたのですか?」


 「はい。とはいっても、自発的なものというよりは家族の影響が大きいと言いますか」


 「と、言うと、ご家族も法曹界でご活躍なされておいでで?」


 「ええまあ、そんな大層な家ではありませんが、一応家族がルプレヒト大学法学部の卒業生でして。父が法務省に勤めていて、兄はディヴェルト・ツァイト社の法務報道部所属なんです」


 この国で国家公務員といえば、所謂ホワイトカラー。更に最高学府を卒業しての省庁勤めともなれば、完全にキャリア組だろう。兄も高級新聞社で法務報道部配属であれば、親のコネクションを使ってそれなりの仕事をもらっていると察することができる。

 つまりミアの家は知識階級でそれなりに裕福な家だ。息子だけでなく娘にまで高等教育を受けさせられるのは、それだけ資金力があり、かつ女性教育への理解もある恵まれた環境だと思われる。


 「法務省勤務といえば、エリート中のエリートではないですか!お兄様もディヴェルト・ツァイト紙で法務報道部所属となると、法曹系にお強い大変優秀な家系なのでしょうね。娘さんも最高学府の法学部に在籍されているとなれば、ご家族はさぞかし誇りに思われていることでしょう」


 「いえいえそんな…。入学よりも卒業の方が大変ですから、兄がディプローム試験に合格した時の方がお祝いムードでしたよ。もちろん、私自身勉学に励めることはすごく嬉しくて。欲を言えば、同性で語らえる友人が居れば更に幸いなのですが、流石にそこまでは上手くいきませんね…」


 苦笑するミアを見ながら少々考える。

 私は恐らくこれからこのトイトーネ帝国で生きていくことになる。とすると、何かしら交友関係は築いていた方が今後の足しになるかもしれない。ルプレヒト大学はここの最高学府だ、しかも話を聞く限りミアの一家は法曹界にそれなりに力を持っていると思われる。それを考慮に入れると、彼女と交流を持つことは私にとって少なくともプラスにはなるのではないだろうか。


 「私で宜しければ、お話相手程度は務まるかと思いますが」


 「えっ?!」


 「ああ、気軽な話相手程度に思ってもらえれば結構ですよ。流石に図書館で出会ったばかりの人間に、いきなり知己の情を抱けというのは無理がありますからね。ただ私はミアさんとお話ししていてとても楽しい時間を過ごせたものですから、もし同性で語らう相手を募集しているのであれば、私は如何かと思いまして」


 「ええっいいんですか?!その、私もヴェラさんと議論していてすごく楽しかったんです!ですからその、もしお友達になっていただけるのならすごく嬉しいというか!私こそご友人にして欲しいといいますか!」 


 興奮している様子を見る限り、彼女は余程同性の話し相手に飢えていたようだ。

 この様子でいくと、彼女の要求水準以上の会話さえできれば、襟元を寛げてくれるのも早いかもしれない。

 家庭内の会話は知らないが、少なくともある程度は家族の仕事内容を把握しているはず。子細な情報は知らなくても、父親や兄の出張や勤務状況等のスケジュールが分かれば、法務省や新聞社の動きも掴みやすくなる。


 まあこの程度、帝国情報局の情報網から見れば微小な点のようなものだろう。だが私個人のためにも、帝国情報局に頼るだけでなく自前の仕入れ先は確保しておくに越したことはない。


 「では既に、私たちは友人ですね。改めまして、私、ヴェラ・ヴィトゲンシュタインと申します。宜しく」


 「はい!ミア・オッペンハイムです。よろしくお願いします!」


 こうして私は国立図書館で、文字上の情報だけでなく、有益そうな知人も手に入れることに成功したのだった。




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