Quartett ハルダー少将の場合2
ゲレン長官は極めて有能な情報局長官だ。大局を見極める判断力、多大な情報を即時に処理していく優秀な頭脳、そして一切の私情を挟まない冷徹な決断力。決して機械的ではないが人間的とも言い難い、国際関係を裏から操る“人形師”としては最高の人材だと言えよう。
しかしゲレン上級大将が素晴らしい情報局長官たる所以は、何と言ってもその「時世と人間を見極める眼」にある、と彼は思っている。適材適所という言葉にあるように、人間はその個性故に、仕事に対する適性というものがある。しかもそれは、時世の変化によって可変的なものだ。それを見極める眼が、ゲレン長官には備わっていると彼は感じている。
そのゲレン長官が、今回の“新計画”にあたって目を付けた人材こそ、アレであった。密談を終えた後の長官の笑顔は、私の勤務歴上数度も見ないものだった。あの人があんなしたり顔で微笑むなど滅多にないことなのだ。予想外に良いモノを見つけたときくらいしか、あんな表情はしないとハルダー部長補佐は心得ている。だから彼は、ゲレン長官からの「例の計画が本格的に始動するぞ」という発言を聞いたとき、計画に必要な最後のパーツが揃ったのだと確信したのだ。
「閣下、一つ質問を宜しいですか」
レーリヒ部長が口を挟む。それに対しゲレン長官は鷹揚に頷いて先を促した。
「閣下の仰る通り、私も実際対面してみてアレの有用性は十分理解しています。ですのでこれは単純な好奇心と申しますか…愚問ですが、閣下はアレのどこを気に入ったのでしょう?」
カール・フォン・レーリヒ中将という人は、勿論優秀な帝国情報局管理職員である。外見こそ陸軍将校に間違われるが、抜群の記憶力と人事管理能力、そして機密保持能力という点で情報将校に相応しい中身を備えた部長だ。かつ勤勉でありライヒに対する絶対的な忠誠心を有している。この性格を買われて、工作偵察を担当する第1部の部長職に抜擢された人材なのだ。
だから恐らく彼には、ゲレン長官の意図が少々読みかねている部分もあるのだろう。大トイトーネ帝国、我がライヒに対する強い愛国心とそこから生まれる絶対的な忠誠。それがレーリヒ部長の根幹であるからこそ、同じものを持たないであろうアレに対して、何故ゲレン長官が気に入ったのかを図りかねている。
「アレの我がライヒに対する愛国心を信ずるか、と問われれば、否と答えるであろう。だがしかし、私には対面して、この目で見、この耳で聞き、本能で感じたのは『アレはぴったりの人材だ』という結論だった。実際確かにアレは劇物なのだ。取り扱いを間違えれば自爆するにも等しい。では私は何を気に入ったのか?――アレの非人間的なまでの合理性だよ」
「非人間的な合理性…」
「成程確かに」
思わずハルダー部長補佐も頷きながら呟いていた。非人間的なまでの合理性。アレの性質を表現するに良いセンテンスだ。
「アレは理由こそ語らなかったが、恐らくロベールの唯一神信仰を潰したいと考えている。そしてその目的を達成するために、我々に派兵を求めてきた。しかも途中、我々が絶滅政策を考えている可能性にまで言及してきただろう?つまりだ。アレは唯一神信仰を撲滅するという目的のためであれば、ロベールが侵略されようが、あまつさえ根絶やしにされようが構わないという姿勢を示している。目的のためには手段を択ばず、といったところだな」
「そうですね。しかしアレは絶滅政策ではなく、民衆の思想操作からの植民地化を提示してきた」
「そうだ。ただ感情に囚われているだけであれば、根絶やしにする方が遥かに清々するだろうよ。しかしアレはそれを選択せず、民衆思想操作という面倒な手段を選んだ。そして私もこの場合、そちらを選択するだろう。なぜか分かるかね?ハルダー少将」
「はっ。民族浄化を行った場合、作業としては単一化され一見して簡単なように思えますが、実際かかる労力は想像以上です。まずもって追い詰められた人間というのは、必ず縋るものを探します。ただでさえ頑強な信仰心が、一層根強いものになってしまう。もちろんロベールにいる未開人どもを文字通り全滅させれば、信仰する人間もいなくなるということになります。しかし、信仰に支えられた未開人どもはゲリラ的抵抗を繰り返すでしょうし、そうなると現地警察等の憲兵だけでは抑えきれません。必然的に派兵することになる。しかし国際戦時条約では、軍隊が民間人を害することは許されておりません。まあそもそもロベールを国家として見なすか否かによって、国際戦時条約の批准可否も変わりますが…」
「だが、大々的な民族粛清を行うとなれば、サヴィート連邦あたりが黙っておるまい」
思わずといったように、苦々し気な表情でレーリヒ部長が口を挟んでくる。
「サヴィートだけでなく、カールパートやイベロス、カプスにテュッレーニアも虐殺だ何だと騒ぎ立てるでしょうねえ。…何せ皆様利害関係という固い絆で結ばれておりますから」
テニッセン課長が苦笑気味に相槌を打った。
「その通り。つまり絶滅政策は、単純そうに見えて実にデメリットの多い手段なのだよ。それをアレは理解していた。だからこそ、一見手順が多そうに見えるものの実際国際関係上も波立たない、“静寂の征服”を相互のメリットが大きいと見て提案してきたのだ」
「静寂の征服…如何にも我々諜報機関向きの業務ですな」
「そうだろう。私はその結論を出したアレの長期的・広視野的思考と冷徹な判断力に、徹底した合理主義を感じたのだ」
そこでテニッセン課長が質問を投げかける。
「閣下のお眼鏡に叶った理由は納得いたしました。しかし徹底的な合理主義者、そしてライヒに対する愛国心がある訳でもないとすれば、アレの目的が達成された後、アレがあっさりと主を替える可能性はありませんか?」
確かにテニッセン課長の指摘は尤もだ。愛国心のある合理主義者というのは良い番犬足り得るが、利己主義者というのは国家の首輪は着けるに難儀する。諜報機関員というのは何よりも、信用性が大切なのだ。その点アレは、それが決定的に欠けるようにも思われる。
「勿論その可能性は考慮した。だが、アレの行動原理が理解できれば、その疑問も解けるだろう。私はまず、アレの性質に合理性・冷徹・貫徹の意思・能力主義・自己への自信を見た。ここで重要なのは、能力主義と自信だ。アレは自分の能力に一定の自信を持っている。恐らく過去に相応に評価される場所にいたのだろう。そこからロベールに“聖女”として召喚された。しかしアレは“聖女”という役割には全く興味を示さず、寧ろ更に実力を評価される職場を探してここに辿り着いた。つまり、アレがこの世界で求めるものは、『自らの実力を正当に評価し対価を払う能力のある場所』ということになる。そして都合の良いことに、我がライヒはこの世界で覇権国家と言うべき勢力を保持している。その覇権国家の裏の顔として実力の限りに活躍する。これはアレにとって非常に魅力的な条件足り得ると、私は確信するのだ」
「成程、つまり我らがライヒが覇権を有している限り、アレは我々に活躍の場を求めに来ると」
レーリヒ部長の相槌に、ゲレン長官は大きく頷いた。
「左様。アレは弱者を助け悪を挫くというような、英雄思想の持ち主ではない。覇を求め周囲の強者さえも捕食していく、覇権主義の考えそのものだ」
「なるほど、我がライヒに居れば必然的にその欲求は満たすことができそうですね」
思わずハルダー部長補佐から漏れ出た言葉と紫煙に、周囲も首肯と共に葉巻の煙を吐き出した。
恐らく彼の言葉に含まれた畏怖――強者の中の強者への恐れと、そんな人間をこれから内側に取り込むのだという強い好奇心――これが、場の全員に共有されたと言える。
いや、ただ1人、ゲレン長官だけは恐れなど無いかもしれない。何せ彼もその類の人間なのだ。どちらかというと、同胞を見つけた喜びに近い感覚があるのではないかと、ハルダー部長補佐は勘ぐっていた。
「他にまだ言い足りないことはあるかね、諸君?」
ゲレン長官から発された言葉に、一同から返されたのは静寂と紫煙だけだった。
「宜しい。では諸君の意見が一致したところで、早速実務の話に入るとしよう」
葉巻を灰皿に押し付けると、ゲレン長官はハルスバントに手を当て全員の前にウィンドウを起動させた。
ハルダー部長補佐は目の前に現れたウィンドウを注意深く眺める。スクロールバーがあるウィンドウの最初の頁は、『極秘事項』の印が押された表紙のようだ。その表紙には、『第1部11X設立企画書』との記載があった。
「御覧の通り、以前から私が提案していた新設課の具体案をまとめたものだ。目を通したまえ」
以前からゲレン長官は、第1部<工作偵察部>に新たな課を設けることを考案していた。とはいっても、その構想は情報局全ての管理職に共有されていた訳ではない。それは他でもない、この部屋に今集まっている面々――レーリヒ第1部部長、ハルダー第1部部長補佐、テニッセン第1部11A課長――のみに打診されていたものである。
本来情報局内に課を新設する場合であれば、当該部署以外の管理職会議でも議題に上る。諜報機関という情報を扱う組織である以上、組織内の連携というのは密でなければいけないからだ。特に第1部は実働部署であるから、そこに新しく課を創設するのであれば、分析を担当する第3部あたりとは綿密に打ち合わせねばならないはずである。
しかし今回、ゲレン長官の新提案は第1部の限られた3名のみに開示されるにとどめられた。
何故か。それは目の前の資料内容を読み進めていけば、ハルダー部長補佐には自ずと理解できることだった。
「『情報局の中でも最特級機密情報を取り扱うことに特化した、工作・実力行使任務を遂行する特殊実働部隊』…ですか」
内容を要約すればこうだ。
第1部は工作・偵察を担当する、情報局の中でいう外向部門である。第1部にあるそれぞれの課は地域ごとの担当を持っており、常時偵察の任務にあたっている。その上で、第2部の収集してきた技術情報と合わせ、そしてそれを第3部の評価部門が行う分析結果を元にして、随時工作活動を行う。
今回のゲレン長官の提案は、その第1部により全地域において国家機密性の高度な情報工作を取り扱う、汎用性のある実働部隊を設立しようというものである。
勿論現時点でも、第1部にはそれぞれの課に実働部隊が配備されている。だがしかし、このプランにある『第1部11X』はそれらとは一線を画すものだった。
「その、内容についての質問ですが…これは…我々情報局に独自の戦力を保有する、ということで?」
テニッセン課長から挙がった質問は、恐らく他の2人も喉元まで出かかっていたものだろう。
帝国情報局は、トイトーネ帝国の独立した諜報機関である。その役割は対外諜報及び防諜であり、総統府の策定する国外政策の下、工作偵察・技術調査・評価分析を行い国際関係を操ることだ。彼らは工作偵察という実働任務さえ行えど、大規模な戦闘行為は専門外である。
一方国防軍参謀本部にも、「衛生課」という名の諜報部門が存在する。そちらは主に軍事関連の情報を取り扱う部門であり、あくまで軍の内部組織である。政治云々ではなく、主軸は軍事活動のための情報収集であったり、防諜活動だったりする。
この2つの組織は、その独立性や活動目的という点で似て非なるものだ。だが、勿論同じ「情報」というブツを取り扱っている以上、少なからず連携性はある。広く国際関係という観点から諜報活動を行う帝国情報局は、その取り扱う情報の内容の幅広さから、往々にして軍事関連の機密情報を取得する機会は多い。だが彼らは工作活動こそすれ、集団戦闘行為のための機関ではない。そこで軍事関連の機密情報を国防軍参謀本部衛生課に共有し、国防軍参謀本部はその情報を以て軍事プランを計画していく。
ハルダー部長補佐はその構造について、歴史的必然から生まれたものと理解はしていた。それと同時に、情報局の面々が内奥に抱えているジレンマというのも同じ様に感じていた。
2つの異なる系統組織の連携。ここで問題になるのは、指揮系統の違いから情報共有から意思決定、実働に至るまで、往々にしてタイムラグが発生することである。
政治意思と軍事的戦略というのは、必ずしも常に一致するわけでは無い。だからこそ、同じ情報を手にしても、総統府の方針と国防軍のプランとが齟齬をきたすことは無きにしも非ずなのである。そうなると、折角情報共有しても、国防軍が実際の軍事行動に出るのに数ヶ月もかかったりする。
正直言って、極めて非効率極まりない、というのが情報局の人間の総意だった。だがしかし、情報局自体に本格的な軍備がある訳でもないし、結局軍事行動に関しては国防軍参謀本部の意向次第である。自分たちがいかに早急に仕事をしようとも、必ずしもそれが結果に反映されない。これこそが、帝国情報局が抱えるジレンマだった。
そこでそのジレンマを抜本的に解消してしまおうというのが、ゲレン長官の提案である。
「資料上では、『予測困難、大規模、かつ複雑怪奇な非常事態が超国家現象として起こり得ると判断された時、汎用的な方法では対応が難しいと見込まれた場合に、当該現象を可能な限り迅速かつ円滑に収束させしめること、即ち世界調和の維持を目的とし、一定以上の衝撃力と機動性、秘匿性を兼ね備え出撃可能な実働部隊』の設立をする、と記載しているのだがね」
確かに資料上は一言一句そのままの通りに書いてはいるが。
そこで今度はレーリヒ部長が口を挟んだ。
「私からも何点か確認を宜しいですかな、長官閣下」
「構わんよ」
「『汎用的な方法』というのは、現在の第1部諸課の工作活動による対応、若しくは衛生課への情報提供による国防軍による軍事活動を意味していると考えて宜しいでしょうか?」
「ああ、まあそう捉えて間違いはないだろう」
「となると、この『実働部隊』はその汎用的解決方法を機動性・秘匿性において遥かに上回る『衝撃力』である必要があるとのことですね」
「ああ、それこそがこの新部隊の設立意義であるからな」
「なるほど。その上で確認ですが、『一定の衝撃力』の定義として『魔術戦闘団一個を基準とする』、と資料通りの解釈をして宜しいのでしょうか」
「資料に記述の通りの解釈をしてもらって構わんよ」
即ち『一定以上の衝撃力と機動性、秘匿性を兼ね備え出撃可能な実働部隊』の意味するところは、魔術一個戦闘団以上の武力を持ち、かつ秘匿戦闘行動を実行できる部隊。
つまり、資料が示すのは、紛うこと無く「帝国情報局固有の戦闘部隊」の設立。
国の独立諜報機関が固有の武力を持つという、突飛でもない代物だ。




