第6話 Victim stories (ヴィクティム ストーリーズ) について(本文)
ヴィックスはこの窮状を打開する一つの試みとして開発された。
カード化によって物語の進行を限定し、演技の熱量は、その場を盛り上げることはあっても、ゴールポストをずらすことは出来ない仕組みである。
登場人物のエピソードと思想信条、行動の選択肢はもちろんのこと、行為の結果としての物語の行く末も複数ではあるが当初から定まっている。
プレイヤーが山札から引き充てる手札とダイスの出目に影響を受けるという偶発的要素、自陣が操る登場人物群の構成、各登場人物が持つ分岐シナリオの組み合わせ効果と発動時期の決断、対戦者間の戦術の読み合い。
物語性を主軸に据えたトレーディングカードゲームの誕生だった。
ヴィックスは発案者による自主製作頒布から始まり、現状打破の機運を求めていた賛同者を徐々に増やして、細々としたものではあったが有志による起業と一般販売にまで至った。
自分の演じるキャラクターのイラストを自作して披露するという行為もテーブルトークロールプレイングゲームの楽しみ方の一つだが、カード化されたヴィックスのキャラクターデザインは、起業メンバーの中に高名なイラストレーターが参画していたという僥倖により、魅惑的なものとなった。
トレーディングカードゲーマー層の間でも話題となったヴィックスは、企業活動を継続できる程度の収益に漕ぎつけることが出来たのだ。
もちろん、賛否はあった。かく言う私も発売されたカードを全て所有しており、他者から見れば熱烈な支持者ということになるのだが、ヴィックスに対する異論については、いかにも、ごもっともであるとしか言いようがない。
曰く、テーブルトークロールプレイングゲームという遊戯はアナログであるからこそ成立するのであって早晩、行き詰ることは火を見るよりも明らかである。
曰く、我々はテーブルトークロールプレイングゲームを楽しみたいのであって、トレーディングカードゲームを遊びたいわけではない。
しかし、私にはヴィックスというゲームの遊び方に熟達しなければならない由縁があった。この平行世界のモデルと思われるギャルゲー内にミニゲームとして導入され、CPUを相手に好きな時にプレイ出来ると知って、年甲斐もなく恋愛ゲームソフトを購入してしまうぐらいには習熟の機会を欲していたのだ。
ちなみに、大方の予想通り、ヴィックスは登場するキャラクター群の企画制作と販売を、第三世代と呼ばれるパッケージのローンチ後、休止している。
カード化によって固定された物語の結末は、複数用意されていたとしても、いつかは飽きるものであるし、こういう結末が用意されて然るべきという批評と要望も出てくる。
既出キャラクターの物語の途中経過と結末の拡充、そのために必要となる新たなキャラクター群や手札の提供の都度、各キャラクターが切り拓く物語と手札効果の優先順位論争や、結末に対する不満が生じることとなり、その時々の参加者の合意による裁定や、使用するキャラクターと手札の限定が必要なものとなっていった。
そして、受け入れることのできる楽しみ方は愛好家によって異なり、結局はヴィックスも、コミュニティの細分化、ハウスルールの乱立という袋小路から脱することは叶わなかったのだ。
それでも私たち愛好家はヴィックスから離れようとしなかった。
Victimを日本語に訳すなら「犠牲者」とか「被害者」とするのが妥当なところだと思うが、ヴィックスにおいては「受難者」か「生贄」といった訳が相応しい。
ヴィックスのキャラクター群は、陰鬱な物語を紡ぐものが多く、心の中に鬱屈した何か、そう、どうしようもない無力感、劣等感、後悔や怨恨を持つ者の心を掴んで離さない中毒性があった。
私たちはヴィックスを愛してしまう前に気づくべきであったのだ。不運にもヴィックスに心を囚われてしまった者達には、帰らぬ想い人を待ち続けるような忍従の日々が訪れることを。
さて、ヴィックスのあらましについて語ったのだから、次に語るべきは私の恥ずべき前世についてということになる。




