第5話 Victim stories (ヴィクティム ストーリーズ) について(前文)
さて、私の語りは何時も回りくどく、大抵の人間は聞いているふりをしながら上の空だったり、急用を思い出したりして、きちんと最後まで耳を傾けてくれる者は随分と少ないのだが、私が執着し、そして忌避するミニゲーム――この世界では神前決闘として位置づけられているトレーディングカードゲーム――victim storiesについて、触れなければならない。少しでも簡潔にするために、以後はヴィックスという略称を使用する。
テーブルトークロールプレイングゲームというものをご存知だろうか。
同好の士が集まって、会話とサイコロを操って物語を作り上げるというアナログでマニアックな遊びである。
ゲームの司会進行と審判役を務めるゲームマスターが用意する舞台、それはファンタジー世界の冒険譚であったり、現代社会の探偵推理物であったり、狂気に満ちた神々との闘いであったりと様々なジャンルが確立されている。
参加するプレイヤーは、それぞれの舞台に応じて用意された遊戯中の自己の現身となる登場人物を割り当てられ、そのキャラクターの性格、職業、因縁等に即した行動を演じる。
悲喜劇の収束を目指し、物語の登場人物になりきって、協力、時には対立しながらプレイするという知的遊戯である。
プレイヤーの行為の成否はダイスの出目によって判定されるのが通例であるが、参加者のロールプレイによって進行するというアナログな性質上、そこには各自のキャラクターに対する解釈や自己が抱える願望の発露による演技の幅があり、その熱量を浴びて、審判を務めるゲームマスターが裁定に苦慮するのも珍しいことではない。
ゲームマスターも含めた参加者全員の当意即妙のやりとりが、この遊戯の醍醐味であり、揉め事の発生源でもあって、同好の士を増やすために未経験の友人知人を誘うには躊躇いのある娯楽である。
ゲーム終了後も尾を引きかねないプレイヤー間の蟠りを避けるために、蓄積された先例がルールブックに追記され、舞台設定に関する多くの副読本を用意する努力も積み重ねられてきた。
しかし、それら全てを理解し、受け入れたうえで遊ぶという行為は、娯楽のために広範な知識に基づいた自制心を求められるという矛盾をはらんでいる。
もちろん、ゴルフや草野球のようなレクリエーションも自己研鑽を求められるという点は同じであり、愛好家にとっては、先達として初心者が楽しめるような配慮と工夫をすることも含めて楽しみ方の一つではある。
しかしながら、誰もが見聞きする機会の多いメジャーな娯楽に比して、テーブルトークロールプレイングゲームという趣味は、予備知識のない一般層に漠然とした不安感を与えてしまうので、新規加入者が跨ぐ敷居は、より高いものとなる。
そして、狭き門をくぐって来た者同士で工夫を積み重ねてもなお、愛好家各人の解釈や志向が一致しないという課題は、依然として随時発生し、自然な流れとして流儀の近い者同士で卓を囲むことが繰り返され、趣味人達の交友範囲は小さく固定化していった。
固定化された集団、プレイスタイルの派閥とでもいうべきコミュニティでは、その仲間内だけで通用する解釈が定められ、ハウスルールと呼ばれる作法の乱立は、この趣味を共に楽しむ仲間を更に振るいにかけることとなった。
毎度おなじみの顔ぶれとの遊戯は次第に閉塞感と停滞感をもたらし、テーブルトークロールプレイングゲームを嗜むコミュニティは、どこも限界集落の様相を呈していたのだ。




