第10話 恥に重ねる罪(前編)
『脱出王ハリー』の物語への挑戦が始まり、卓を囲む皆が息を止めてターンエンドを待っている時のことだった。
喫茶店のドアが開き、ドアベルがカラコロと小気味良く鳴った。
本日休業と玄関前の通路に立て札を置いているので客ではないだろう。
マスターがキャンペーンの中断を身振りで告げ、出迎えに立ち上がる。
「挑戦者、来た」
まだ、息が苦しいのか、片言で私に語り掛けてくる。店内の誰もが、笑顔なのに泣きだしそうな目をしている。
逃げるようにして、私も遅まきながら挑戦者を出迎えに立ち上がる。
「どうも、済みません。タクシー待ちの行列が思いのほか長くて遅くなってしまいました。」
私は出迎えの言葉を失った。
量産型の若者ファッションに身を包んだ彼は、しかし世情に疎い私でさえも知っている有名人だった。
「いや、問題ない。アフォー君が多忙なのは皆、知っている。来てくれて、ありがとう。君の厚意に感謝する。紹介しよう。コイツが俺たちのチャンピオンだ」
私は何も言うことが出来ず、会釈するのがやっとだった。
「初めまして。『あ、あ、あ、あ、』です。アフォーでも阿呆でも、好きな呼び方で呼んでください。部外者の僕がお邪魔してもいいものか随分と悩んだのですけれど、マスターから話を聞いて貴方に会いたいという気持ちが、どうしても抑えられなくて」
やはり、私には言えることが何もなくて、棒立ちしていた。
「ははっ、済まないね、コイツには今日の挑戦者が誰か内緒にしていたんだ。悪く思わないでやってくれ。アフォー君には、この後の予定もあることだし、着いて早々に申し訳ないが始めて貰ってもいいかな。さあ、奥へ入ってくれ」
マスターの先導で店内へ戻ると、キャンペーンをしていたはずの皆が、いつのまにかテーブルやソファーを脇へ押しのけ、一セットだけ残された卓を取り囲んで、私たちを待ち構えている。有名人の登場だというのに、だれもスマホのカメラを向けたり、私語を交わしたりしない。厳粛な儀式のように恭しく椅子を引き、アフォー氏と私に着席を促す。
卓について、ようやく私は言葉を絞り出す。
「アフォーさんも Victim stories がお好きなんですか」
アフォー氏の席にコーヒーとおしぼりを載せたワゴンを押してきたマスターが先に答えた。
「言いにくいだろうから、俺から説明させてもらうよ。俺の息子とアフォー君の親爺さんは病室が一緒だったんだ。その時からの付き合いでね。アフォー君に Victim stories を教えたのは俺の息子なんだ。他のカードゲームはからっきしだったが、Victim stories だけは息子の方が強かったんだぜ」
「ええ、本当にマスターの息子さんは強かったです。息子さんとの Victim stories の対戦を通じて、僕は、僕に足りなかった多くのことを学びました。心構え、気迫、上手く言い表せられないですけど、負けるたびに、そういう何かを僕は息子さんから分けて貰っていたと思います」
背筋を伸ばし、淀みのない手つきでカードをシャッフルしたアフォー氏は、カットした山札を私に差し出しながら、私の目を真っすぐに見つめて続ける。
「今日もきっと多くのことを学び取れると思って、やって来ました。胸をお借りします」
その後のことを私は正確には覚えていない。半分、気を失っているような状態だったと思う。朧げに記憶している試合経過は今も私の心を苛む。
あれは約束組手のようなものだった。
私のデッキは第一世代と呼ばれるキャラクター群で構成されていて時代遅れだが、展開が嵌れば第三世代の攻撃も凌ぐことが出来る。
対して、アフォー氏のそれはバラバラな、初心者がカードの絵姿の好き嫌いで選んだだけのようなデッキだった。
ダイスの出目、引き当てる手札の不運があったとしても私の優勢はゆるぎないものだったが、6ターン目、アフォー氏が敢えて選択した『世界の終わりの羊飼い』と『見限られた白狼』の『バニラ』の試練を乗り越えて、私は敗北した。




