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少年の記憶

 オレの家は、いつも怒鳴り声で溢れていた。父さんは、よく母さんやオレ達を殴った。理由は分かった時もあったけど、分からない時の方が多かった。

 家に帰って来てすぐに、汚い言葉を叫んで物を蹴飛ばしたり投げまくることもあった。その時一緒に机の下に隠れた母さんに「なんで暴れてんの?」って聞いたら「またパチンコに負けたんでしょ」って言ってた。母さんは父さんが出ていってる時に、父さんのことを「ぎゃんぶるいぞんしょう」ってよく言ってたけど、意味はよく分からなかった。

 だけど「パチンコ」で勝った日は父さんの機嫌はすごく良くて、おいしいものをたくさん買ってきてくれた。そういう夜はすごく幸せだった。

 それでもやっぱり………「パチンコ」って勝負はやめたらいいのになと思った。殴られる日の方が多かったし、父さんと母さんがそれでよくケンカをしたから。結局最後は母さんがボコボコにされて泣いていた。


 母さんは、よく気持ちが不安定になった。オレがヒロヴィラを楽しく観てたら、急にテレビを消されて泣いて怒鳴られた時もあった。でもいつもは違うんだ。ヒロヴィラを一緒に観て笑ってる日もいっぱいあった。だから余計に、いつ、何で怒るか分からなくて、オレはビクビクするようになった。

 こないだの朝は、朝ごはんが遅かったから「ご飯まだ?」って言っちゃった。そしたら母さんが怒って、オレが大事にしてたヴィランのエースのコップを割っちゃたんだ。母さんはその後謝ったけど、まだオレはモヤモヤしてるんだ。オレが悪かったのに、何でだろう?

 母さんは、オレが父さんに殴られて怪我をした時、包帯を巻いてくれるんだ。本当は優しいんだよ?


 でも、オレが父さんや母さんの機嫌を損ねたら、ひめるに当たられる時もあった。もっとちゃんと、怒らせないようにしないと。


 オレは大人が怖かった。小学校の連中はなんで大人と仲良くできるんだろう。ズルい、ズルい、ズルい。



 小学校で友達ができた。「ゆず」っていう変わったやつだ。他の奴はオレが酷いことを言うとか、殴るとかいって、すぐ離れていったけど、ゆずは離れていかなかった。かなり生意気だけどな! 

 ……ずっと友達で、いてくれるかな?



 ゆずの描いた漫画が面白い!ヒーローの話だけど、こいつが全然ヒーローっぽくないんだ! 最初ドロボーやってたり、卑怯な技で勝ったり! 

 オレはヒーローが嫌いだけど、このユウキのことは気に入ったんだ。ヒロヴィラのヒーローの周りは優しい大人ばっかりで、頼れる仲間ばっかりで……観ていていい気がしなかった。オレはヴィランの方が好きだったよ。

 でも、ユウキは違ったんだ。ユウキはヴィランと一緒で、恵まれてなかった。ほんとにヒーローなんかになれるのか? って思うけど、ユウキはなんだかんだいい奴だからな! 読んでたら、だんだん、オレもユウキと一緒に戦ってる気がしてきたんだ!



 最近、父さんと母さんのケンカが酷いんだ。父さんが「いほうかじの」っていうのをして、いっぱい「しゃっきん」を作ったんだって。よく分からないけど、ケンカがあまりにもひどいから、大変なことが起きたんだろう。最近母さんは、ご飯を作ってくれなくなったし、包帯も巻いてくれなくなった。


 そんな時、ゆずの家に行ったんだ! あの家は綺麗で、柚子の母さんは優しくて、天国みたいな時間だった! 帰りにマカロンのお土産をもらったんだけど……家に帰ったら母さんに見つかって捨てられた。最初「そんなものどうしたの⁉ 盗んだのか?」って言われたから、咄嗟に「友達の母さんからもらった」って言ったんだ。そしたら泣きだして「私への当てつけか」って。もっといい言い訳、考えたらよかった。ひめるにも食べさせてあげたかったなあ……。



 小学校でまた友達が増えた!ユウキならこうするだろうなって真似してたら、感謝されたんだ! ゆずもきっとびっくりするぞ。

 オレ、オレのことが好きじゃなかったけど、ユウキの真似して、人に優しくして、感謝されたら、ユウキになったみたいに、違う自分になっていける気がしたんだ。これからどんどん、そうしていこうかな。



 今日、「よにげ」することになったと、父さんに言われた。その言葉の意味はよく分からないけど、今の学校にはいけなくなるらしい。もう、ゆずに会えなくなるんだ。でも、よにげをすれば全部解決するんだと、母さんが言っていた。ずっとひどかったケンカも、よにげでなくなるのかな。父さんと母さんの機嫌が良くなって、美味しいもの食べて……家族が楽しい夜が来るのかな。それなら、仕方ないよな。

 でも、柚子の漫画の続き、読みたかったなあ…………。



 よにげしたら、家の中が明るくなった! 父さんと母さんが、引っ越し前が嘘みたいに機嫌がいいんだ! ただ、ほとんど外に出るなって言われて、まだ新しい学校には行けてない。でもいつか行けるようになると思うから、その時はユウキみたいにやるんだ。オレは生まれ変わるんだ!



 よにげから、一ヶ月くらい経ったと思う。ここ二、三日、父さんと母さんがまたいっぱいケンカしている。父さんなんて、前よりもっと乱暴になって、なんか変なんだ。ブツブツブツブツ、「なんでバレたんだ」「騙された」「なんでこうなるんだよ」とか、オレにはよく分からないことを言っては殴ってきた。


 その日の夜、父さんと母さんが大喧嘩をした。途中から急に静かになって、オレは母さんが殺されたんじゃないかと思って怖くなったけど、隣の部屋から出れなくて、ひめると一緒に縮こまっていた。


 翌日、父さんがオレ達を起こしにきた。びっくりしたけど、父さんは笑っていた。そして父さんは「今夜またよにげするぞ」って言った。

 その日の父さんは優しかった。「今度はもっといいとこに引っ越すぞ」って言ってた。母さんも最近ずっと泣いてたけど、今日は泣いてない。

 その日の夕食は豪華だった。おっきなチキンに見たことのないようなごちそうが並んで、真ん中には丸い大きなケーキが置かれていた。————そっか、今日はクリスマスだったんだ。ずっと家にいたから、日付が分からなくなっていた。

 ごちそうを食べて、みんなでテレビを観た。家族で過ごした中で、一番楽しい時間だった。


 その後「じゃあ行くか」と父さんが言い出したのは、もう夜中の十二時前だった。新しい場所へ向かうために車に乗る。

 前のよにげも夜中だったから、あまり時間は気にならなかった。車の外の景色を眺めながら、オレはあることに気付いた。

「父さん、前居たとこに戻るの?」

 夜中だったけど、前のよにげの時に通った道を戻っていったからすぐ分かった。もしかしたらまたゆずに会えるかもしれない……! オレは嬉しくなった。

 でも、オレたちの車はだんだん街を離れていった。どんどん山の方へ、山の方へ行く。

「山の方の家なの?」

 オレの質問に、父さんは答えなかった。

 山の中に入って、オレたちは車を降りた。こんなところに家があるのか……? 不思議だったけど、母さんがひめるの手を引いて父さんに付いて行くので、オレも付いて行った。

 真っ暗な山の中、どんどん歩いていく父さん。オレはだんだん不安になってきた。

「父さん、どこまで行くの?」

 父さんは、黙ったまま足を止めない。

オレは不安が大きくなってきて、怒られるのも考えず何度も何度も同じことを聞いた。途中からは涙声になった。オレの泣き声につられて、ひめるも泣き出した。それでも、父さんから返事は一度もなかった。

 しばらく歩いていると、雨が降ってきた。冷たい、冷たい雨だった。傘を持ってなかったから、みんなで濡れながら歩く。寒くて、怖くて、俺は早く帰りたくて仕方なかった——————帰る? どこに帰るんだろう。

 そんなことを考えながら歩いてたら、山の中に橋みたいなのが出てきた。長くて真っ暗で、先が見えなくて不気味だった。

 父さんが橋を渡り始めたから、オレたちもついて行く。みんなひと言もしゃべらなくて、ただただひめるの泣き声と、雨の音だけが響いていた。

 そして、橋の中央に来た時だった。

 母さんがひめるを抱っこした。そしてそのまま、橋の下を見て立ち止まっている。何をしてるんだろうと思った。母さんはよく見ると、震えていた。

「早くしろっ‼」

 今まで黙っていた父さんが、急に大声を張り上げて、オレはびっくりした。そして、母さんはひめるを抱いて橋から————飛び降りた。

「え...…」


 なんで、

 なんで、

 なんで………………………………


 ————いや、本当は分かってたんだ。真っ暗な方に、真っ暗な方に、向かっていくから。悪いことが起こるのは、分かっていた。

 でも死にたくない。死にたくないよ、オレ。

 生きててもあんまりいいことなかったけどさ、それでも、今日も......明るい明日を願いたかった。

 なんで...…みんなは先生と楽しそうに話すんだろう? みんなは家に帰ったら、大人に殴られないの? 大人は絶対で、オレ達は逆らえない。だからいつ変わるか分からない機嫌に、ビクビクしてるはずで……。

 いや、違う、きっと違ったんだ。

 テレビでやってるドラマみたいに————ゆずの家みたいに、みんなの家は幸せだったのかもしれない。

 じゃあなんでオレだけ、オレは死ななきゃならないの...?

 その時オレは気がついた。本当はずっと怒っていたんだと。毎日の暴力も、気まぐれな理不尽も、本当は飲み込んでなんかいなかった。だからみんなにも優しくできなかった。助けてほしかった。ずっと、ずっと…………。

 オレはとにかく逃げようと必死に走ったけど、すぐに父さんに捕まった。 いっぱい暴れたけど、全然だめだった。

橋の上からポイッと、投げ捨てられた。

 落ちていく中で浮かんだのは、ゆずの顔だった。

 ゆず、オレ引っ越した後は学校に行かせてもらえなかったんだ。でもさ、ゆずと離れ離れになってもユウキみたいになって友達いっぱい作ろうと思ってたんだよ? オレ、本当は人に優しくされたかったし、優しくしたかった。


 明日は、きっと…………明日があれば

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